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2010 S-3,5: 特集( 城塚正先生を偲ぶ ) -3,5
           「 城塚 正先生の思い出 」
        関谷 洋輔;1965年早稲田大学理工学部応用科学科卒業、工学士

  一月半ば豊倉先生からお電話を頂き、ご指導を頂いた城塚 正先生が昨年10月ご他界されたことを知らされました。城塚先生のご冥福をお祈りいたしますとともに当時をしのびます。

    城塚 正先生は当時すでに化学工学協会の役職を多数お持ちで、超多忙であったと思われましたが一度も休講や遅刻をなさることもなく、背筋を伸ばし、少し厳しい表情でほぼ定刻通り教室に入ってこられるのが常でした。

  授業は少し早口で進められ、学生が十分に理解することが出来ないのを見越したように、毎週宿題を出され、対応に参考書を見たり、友人と議論して何とかレポートにしていたのが思い出されます。当時は今のPCもなく、計算尺による計算で苦労したのが懐かしく思い出されます。先生の講義は、大学の授業の中で最も先生の熱意と真剣さが伝わる厳しい授業でして、学生も真剣に取り組んでいたように思われました。私も、実社会に出て最も役立つ現場と理論の境界技術を教えていただいていたのだったと感じました。  そんなことで4年生の卒論研究は城塚先生の部屋にお願いし、豊倉先生のご指導で友人2人と晶析グループで実施しました。晶析に関しては城塚先生は豊倉先生にほぼお任せになられておられ、たまに実験現場でお見かけする程度で、言葉を交わすこともなく過ごしてしまいました。

 晶析の実験装置は大学での実験としては比較的大型で定常化までに時間がかかり、データ採取に長時間を要したため、深夜や徹夜に及ぶこともありましたが、自由に実験を進めることが出来ました。夜半に腹が減っておにぎりを食べたり、ビーカーでお湯を沸かしインスタントラーメンを食べたりしましたが、格別の味であったのが思い出されます。

 また、われわれの年代でありがたかったのは戸塚の旧校舎から、新大久保の校舎へ移転が始まりまして、晶析の実験装置を移設する手伝をすることになりました。このとき城塚先生からは「将来社会に出たときなど参考になるから、手伝ってください。」と云われ、卒論のロードマップも前倒しの計画をして年明けから移設のお手伝いをしました。工事会社の方の指導のもと主に配管工事をさせていただいたが、工事の段取り、進捗管理、またねじ切りなど実作業など貴重な経験をしました。

  それが、生かされたのは会社入社後数年して、排ガス中の有機溶剤を回収する設備設計と運転を担当する機会を得た時でした。設計段階では単位操作で勉強したことが大いに役立ち、建設に対しては先の移設の経験が役立って、計画どおり完成しました。
  貴重なご教授を頂いた城塚先生でしたが、ゆっくりお酒でも頂きながら、人生訓のようなものをお伺いできなかったのは唯一残念なことでした。

  俗世から離れた今、地方の稲門会に出席し、総長はじめ大学関係者から、また学報や会報から皆様の活躍を知るようになっていますが、関係者のますますの活躍が城塚先生に対するこの上ないご供養になると信じています。 。                                    

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