Home | ホームページ設立の趣旨 | 掲載予定の記事について
豊倉賢略歴
| apppendix | 新規掲載記事

2010 S-3,3: 特集( 城塚正先生を偲ぶ ) -3,3
           「 恩師城塚 正先生を偲ぶ 」
        小山 重満;1960年早稲田大学理工学部応用科学科卒業、工学士

  城塚 正先生のご逝去に対し衷心よりお悔やみ申し上げます。

  先生は私の人生を決定付けた恩師であり、何にも代え難い存在でした。先生との思い出を挙げれば枚挙の暇もありません。その中でも化学工学講座でテキストとして使用したTraybel著『Mass Transfer Operation』が特に印象に残っています。

  当時の先生は米国留学を終え帰国されたばかりの新進気鋭の若手の学者でした。先生の化学工学講座のテキストは勿論のこと、講義も試験問題も英語で出題、回答も英語でするという徹底振りで、英語の苦手の私はその厳しい講座についていくのがやっとでした。4年生の時の卒論にどの研究室にするか迷っていた時、親友の磯崎君(北海道ガス元専務)に、これからの時代は化学工学が絶対必要な時代になるから城塚研へ行こうと誘われ、なんとなく選んでしまいました。しかしその考えは甘く、研究室に入ると毎週課題が出され、英語のレポートを提出するという徹底した厳しい御指導が待っていました。また当時大学院生であった故平田先生や豊倉先生達とのゼミに参加を命じられ、厳しい御指導を受けました。卒論はさすがに日本語で良いことになり、何とか単位を頂き卒業することが出来ました。

  昭和35年卒業と同時に入社した日本ゼオン(株)は、塩化ビニール樹脂や合成ゴムを日本で最初に本格的に製造、販売を開始した新しい石油化学会社でした。当時急速に需要が伸びる中で、それらの主原料であるアセチレンやブタジエンモノマーの確保が経営の最大の課題でした。私が入社すると同時にそれらを製造する技術を自主開発するチームが発足し、そこへ配属となりました。チームに参加するなり、君は化学工学専攻だからパイロットプラントのガス吸収塔や蒸留塔等の設計をするように、と命じられました。プラント設計の経験など全くない私は途方にくれました。その時にあの『Mass Transfer Operation』にBubble Cap Trayの詳細設計法があった事を思い出し、その手法のお陰で設計を無事終え、パイロットプラントは約一年後に完成、順調に稼動し、プロセス開発実験も快調に進めることができました。それをきっかけに先輩や同僚の信頼を得、その後のプラントの設計は私がリーダーとなり、幾多のパイロットプラントや本プラントの設計、建設を約15年間に渡り携わってきましたが、片時も『Mass Transfer Operation』を手放すことはありませんでした。卒業後先生が現役の間は年一回くらいのペースで研究室に伺うことにしていましたが、学生時代の厳しさとは打って変わっていつも笑顔で迎えていただき、当時の仕事内容を聞かれ化学工学が大いに役立っている事を申し上げると大変喜んでおられたのを思い出します。ある日使い尽くしてボロボロになった『Mass Transfer Operation』を持参しお見せしたところ、先生は満面笑みを浮かべ、お喜びになりながらお褒め下さったのを今でも忘れられません。

  お陰さまで日本ゼオン(株)は各種の自社技術の開発に成功、ナフサの直接熱分解によるアセチレン・エチレンの製造技術(GPA法)、C4留分からのブタジエン製造技術(GPB法)、C5留分からのイソプレン製造技術(GPI法)と矢継ぎ早に開発に成功することが出来ました。特にブタジエンの製造技術(GPB法)は世界中に技術輸出され世界のブタジエンの約50%はこの技術で生産されています。これらの功績が認められ、大河内記念特別賞、化学工学会技術賞、石油化学会賞などを受賞しました。このような形で城塚先生の教えを世界に脈々と生き続けさせることが出来たことに誇りを持つと共に、言葉では言い尽くせない御恩に感謝の念でいっぱいです。

  ここに改めて城塚先生に衷心より御礼申し上げ、どうか安らかにあられん事を祈念致します。さようなら。                                    

top

Home | ホームページ設立の趣旨 | 掲載予定の記事について
豊倉賢略歴
| apppendix | 新規掲載記事