城塚 正先生がご逝去されたことは、昨年十二月人伝にて知りましたが、何のお悔やみも出来ず今日まで来てしまいましたが、誠に残念に思います。五十年来年始の御挨拶状を頂いて居りましたが、ここ二、三年届いてなかったのでもしや体調を崩されたのではと案じていましたが、やはりと云う思いです。心よりお悔やみ申し上げますと共に、ご冥福をお祈りする次第です。
我々にとって今年は卒業後五十年の節目の年で、同期生五人が城塚先生に憧れて先生に卒論指導を受けたのは昭和三十四年のことでした。平成天皇が皇太子時代のご成婚で日本中が沸き上がったあの年です。当時、城塚研究室には、先生の下で我々を指導して下さり、後に日本の技術士会の化学部会設立にご尽力され、副会長・専務理事として活躍されている本田尚士さん、大学院生として、後に早稲田大学教授になられた故平田彰さん、豊倉賢さん、東京農工大学教授になられた村上昭彦さんが居られ大変活気がありました。城塚先生は四十歳前の気鋭の学者であり、また指導者としても傑出しておりました。我々学生の特性を見抜き、個々人に適した指導をして頂きました。研究室内は、皆真剣で張り詰めた雰囲気がありましたが、一歩外へ出てプライベート時間、お酒の入った宴席、旅行等では親しく談笑して下さったのも良い思い出となっています。私は先生の勧めで東京ガスに入りましたが、パイプライン関係や営業関係とかドロ臭い分野を転々とし、またサラリ・マン生活の最後の八年間は北海道ガス(札幌)勤務であった等もあって、先生にはすっかりご無沙汰してしまった不肖の弟子です。それでも、城塚研究室で学んだあの一年間は私の心の拠り所であり、先生との出会いは私の最大の財産であり、誇りです。先生有難うございました。安らかにお眠り下さい。