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2010 S-2,4: 特集( 城塚正先生を偲ぶ ) -2,4
           「 城塚 正先生をお偲びして 」
        松山喜昭;1961年早稲田大学理工学部応用化学科卒、工学士

  城塚先生の訃報に接し、心よりご冥福をお祈りいたします。

  先生に御指導いただいた研究室時代からほぼ半世紀の年月が経過しました。今更のように月日のたつ速さを思います。
  先生に初めてお目にかかったのは勿論「化学工学」の講義の教室でした。3年の時で あったと思います。当時、「化学工学」は言葉としてもまだ比較的新しく、物質移動論・反応速度論をはじめとする内容も私にとってはとても新鮮なものでした。2年の時の「物理化学」も同じ様に新鮮でしたが、それにもまして引き付けられるものを感じました。先生は当時助教授でいらっしゃいましたが、留学体験のお話などを間に挿みながら、颯爽と講義し、実験指導をして下さいました。

  1936年に「化学機械協会」として発足した会が「化学工学協会」と名称を改めたのが 1956年の事ですから、私が先生の御指導をいただいた1959〜1961年当時は日本の化学 工学の黎明期という事になるかもしれません。先生はその先頭を進んでおられました。私は迷わず卒業研究の御指導を城塚先生にお願いいたしました。

  私は卒業後、職業としてエンジニアリングの世界に入り、結局職業人としての45年間をエンジニアリング一筋で過ごしてまいりました。エンジニアリングという仕事の「建設を通して物つくりの喜びを知る」という楽しさを存分に味わってまいりましたが、これも 城塚先生に初めて化学工学というものを御指導いただいたことが全ての始まりであったと考えています。強い御縁を感じており、感謝に堪えません。

  卒業研究のための研究室生活は厳しい中でも大変楽しいものでした。先生はいわゆる「親分肌」でいらっしゃいましたから、研究指導・ゼミ指導・卒論指導は厳しくなさいましたが、学外生活の御指導も盛りだくさんで、大変楽しいものでした。楽しさにかまけて、先生には色々と御迷惑をおかけしてしまい、今となって反省をしております。

  御指導いただいた当時は大きな年齢差を感じておりましたが、半世紀たって私たちも歳をとりました。私たちもそう遠からずそちらへ参ることになります。その節はそちらの 城塚研究室で、また楽しい集いが持てますよう念じております。
  それまでしばらくの間ですが、やすらかにお休みください。
                                   

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