(金子 充良)
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略歴 |
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1974年 3月 |
早稲田大学応用化学科化学工学科卒 |
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1974年 4月 |
(株)荏原製作所化工機部入社 化学チーム勤務 |
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1995年 4月 |
(株)荏原製作環境プラント事業部 燃焼技術センター勤務 |
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2006年 6月 |
(株)荏原総合研究所 燃焼ガス化プロジェクト室勤務 |
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「 環境関連の仕事 」
小職 昭和49年に荏原製作所に入社し、以来環境プラント事業部の環境関連の業務をしています。以来、33年が経ち定年まで3年近くになってしまい、とくにこれといった実績もありませんが、いままで行ってきた仕事で印象的なことを記述します。
しあわせなことは研究室で行ってきたこと及び化学工学的手法がそのまま会社の業務に生かせることでした。
入社1年目に当時盛んであった排煙脱硫装置の応用開発を行いました。実験装置を組み立てて、湿式排煙脱硝が可能かどうかテストしました。結果はNOの吸収が低く、また、吸収されたN分は窒素に還元されることはなく、窒素化合物として吸収液に残ることが判明、失敗し、同期が活躍しているのを見て落ち込みました。
しかし、入社3年目で製紙工場の黒液回収ボイラの排ガス処理で、SO2とH2Sを同時除去するスクラバーのコンペがあり、吸収したH2Sを速やかに酸化する触媒を偶然発見、実機テストを経て1号機を受注しました。この触媒は鉄化合物ですが、たまたま実験装置の充填物に付着していました。実験の始めはH2Sが良く除去されていたのにテストを重ねて吸収液を交換して行くうちH2Sの除去効率が低下し、おかしいと思い、残しておいた吸収液の分析を行ったところ鉄ではないかいうことになりました。実際に鉄塩を吸収液に添加するとH2Sの吸収が非常によくなり、鉄化合物の有効性が確認できました。
実機は処理ガス量20万Nm3/h規模の大きいものでしたが、パイロット試験機の500Nm3/hからスケールアップしました。化学工学の力と思いました。
しかし、このスクラバーも2件売れただけで終わってしまいました。
その後、化工機部は環境プラント事業部になり、都市ごみや産業廃棄物の焼却施設を建設するようになりました。1983年頃から焼却処理に伴い発生するダイオキシン類が注目されるようになり、1990年の旧ガイドライン,1997年の新ガイドラインにより対策は集約されています。焼却炉の安定燃焼を図ること以外に排ガス処理装置においてもダイオキシン類の除去や触媒の分解が必要となります。集じん器をバグフィルタにして粉末活性炭の添加、活性炭充填層の設置、脱硝触媒によるダイオキシン類の分解等が対策になります。ここで問題になったのが活性炭充填層、脱硝触媒の寿命と性能です。そこで、実ガスによる長期暴露試験を行いました。1993年〜1997年の4年間 継続して焼却施設に通い確認しました。脱硝触媒はSO2が少ない場合、性能劣化しない。活性炭充填層も除去率は良好な状態を維持する。新設焼却施設の場合、触媒は常設であり当社が建設した焼却施設では約30施設が触媒付です。排ガスダイオキシン類の規制がEU諸国の1/10の0.01ng-TEQ/m3Nの上乗せ保証がある場合があり、脱硝触媒によるダイオキシン類分解は必須となっています。
実施設が稼動した頃は、触媒でダイオキシン類が本当に分解できるのだろうかはっきりいって不安でした。結果が出るたび、合格発表を見るようなどきどき感を味わいましたが、膨大なデータに裏付けされたいまでは心配していません。
化学は奥が深く、COの酸化には脱硝触媒はまったく効果がないのになぜダイオキシン類が分解できるのかわかりません。
私のモットーは現場主義です。泥臭く地道に裏付けされたものが実を結んでいます。
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