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2007C-1,3 出口 泰大 1999年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  出口さんは、出口さんの記事の中でも書かれてますように修論テーマの関係で、豊倉は具体的なことを討議したことは殆どありませんでした。その上、出口さんが大学院に進学した年は今回のHPに記事を書いた1年先輩の河間さんの紹介の中でも豊倉が記述したように、私は早稲田大学国内研究員(国内といっても数年前から海外に出張出来るようになっていた)になっていたので、通常年より研究室にいたことは少なかった。それでも、出口さんは豊倉の頭の中に印象深い学生として記憶に残っていた。それと云うのは、出口さんと会う時は何時も複数の学生がいて、その学生達と何か話をしていました。しかし、その時、出口さんは特別発言したことは少なかったように思うのですが、何時も大きな目を開いて私の話を聞いていて、目の輝きと顔の表情で話の内容に応えていた気がしました。少数の人達と話している時は、すべての人の意見を聞くように心掛けているのですが、大勢になるとそれもままならず、そこにいる人達の態度からその人の意見を読みとり、その人柄を察知するようにしていた。(今でも企業の研究所に行くとどうしても複数の人達と一緒に話し合うことが多いが、その時、目の輝きから親しくなる人に時々お目に掛かってます。)

  そのようなわけで出口さんとは直接話したことは少なかったのですが、この10年間何時も頭の中に存在していた人でした。HPを開設して3年、毎年年賀状を見ながら今年はこの人に寄稿してもらおうと何人もの人の年賀状を抜き出し、その中からお願いすることを一つの方法としてます。特に年賀状の中にメールアドレスのある人は連絡を取りやすく、実は出口さんはこのような経過で寄稿をお願いしました。今回寄稿して頂いた記事は卒業してから活躍して来た様子を工学系技術者らしく整然と記述されてますが、自分の経験したことをご自身で考えた通り正直に書いておられまして、豊倉自身が経験したしてきたことと照らせ合わせますと色々のことが思い浮かんできまして、若いエネルギーを与えて頂いた気になっています。今回山崎さんの紹介記事の中に書きました「ユニバーサルスタンダード」の中に時間軸を鮮明に意識しながら考えている気がしてます。    (07年1月、豊倉記)

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(出口 泰大)

略歴
1999年 4月 株式会社日本触媒 入社
川崎製造所技術部 配属
2002年 4月 川崎製造所浮島工場
2003年 4月 川崎製造所技術部
2007年 1月 現在に至る


「 近況報告 」 

  皆様こんにちは。日本触媒の出口です。この度豊倉先生よりHPへの寄稿依頼のご連絡をいただきましたので、自身の近況報告をさせていただきます。

私は豊倉先生が教授をご退任されるときと同時に大学院修士課程を修了し、今年度で社会人8年目となりました。入社して最初は川崎製造所の製造課内で研修しましたが、その後現在に至るまで技術部に所属しています。(途中、所属が工場付になりましたが、仕事内容は技術部とほとんど変わりません)
弊社川崎製造所といいますと、メイン製品は酸化エチレンであり、さらにエチレングリコールをはじめとした酸化エチレンの誘導品を生産している製造所になります。その化学品製造工場の中で、私はいわゆる化工屋として、新規プラントの設計、既設プラントの省エネ改造、工程改良、また工場全体のエネルギー管理等の業務に携わってきました。

といっても、川崎製造所自体がすでに成熟したプラントが多くあり、また川崎という土地柄、製造所も決して広いところではないため、ここ最近まで『全くの更地から新規のプラントを建てる』ということがありませんでした。これは入社して技術部に配属されてから、最もやってみたい仕事の1つでした。が、最近になって新規プラントのプロジェクトに参画することができ、現在はその真っ只中で仕事に励んでいます。
そのプロジェクトについてですが、中国にある関連会社の工場でコンクリート混和剤を生産するプラント(バッチ系)を建設するプロジェクトであり、現地での官庁申請の資料作成作業からプラント設計まで担当しています。その中で苦労しているところとして、官庁申請でしょうか。中国は日本とは当然法規が違うわけで、また社内には専門家もいないので、コンサルタント会社を通して官庁と折衝するという形になります。手順としては、ある程度日本基準で資料作成し、それを元にコンサルが中国申請用に焼き直すといった感じですが、進めていくうちに日本とは考えられないようなことを言われたりすることもあり、中国法規に合わせるために、プロセスを変更・追加したりということもありました。

今回、豊倉先生からHP寄稿依頼を受けましたが、学生時代の研究内容について、学部時代は尾上先生、大学院では平沢先生が指導教授であったため、実は(私の記憶では)直接的な指導はなく、豊倉先生との絡みは講義や研究発表での話がメインだったと思います。 その中で記憶にあるのが、『オリジナリティー』という言葉です。大学院時代は日々聞いていた言葉でしたが、社会に出て技術関係の仕事を携わる人間として、私の中では常に意識しており、また意識したい言葉となっています。全てにおいてオリジナリティーを出すというのは難しいかもしれませんが、自分が携わる仕事に対してできる限りオリジナリティーを出していくよう今後も頑張っていきたいと考えています。

度々このHPを拝見させていただいておりますが、諸先輩方のお話の中でも非常に仕事の参考になるところも多々あり、また、自分に近い先輩方、同期、後輩とも定期的に顔を合わす機会にも参加させていただいており、今後も研究室の繋がりというのも大切にしていきたく考えております。
今後とも宜しく御願い致します。

以上

P.S
自分の同期の中で、自分の投稿が最初の掲載になるようですが・・・。
他の同期ももしHPを見ていたら、近況報告してみるのもいかがでしょうか?
                 

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