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豊倉賢略歴
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2007C-1,1 山崎康夫 1986年大学院博士後期課程修了  (工学博士)

 
  山崎さんは日本化学工業に就職してすでに20年くらいになっています。この間豊倉研究室OB会のお世話もして頂いているので、殆どの卒業生は山崎さんの活躍の様子は知っていることと思いますが、以下に紹介します。山崎さんは早稲田大学理工学部資源工学科教授を務められた山崎純夫先生のご子息で、学問を学び工学研究をするのに恵まれた環境で育ちました。山崎さんの大学院在籍時には、現在、ドイツ、Martin-Luther-Universiteat Halle-Wittenbergの副学長で、UMIST学長を務めたProf. J. Garsideのあとを引き継いでヨーロッパ化学工学連合公認・Working Party CrystallizationのInternational Chairman になっているProf. J. Ulrichがフンボルト財団派遣研究員として豊倉研究室に留学しており、英語に堪能で国際的な環境に恵まれていた山崎さんに彼の世話を見てもらうことが多かった。山崎さんの記事にも記載されているように今から10年くらい前に豊倉が井伊谷剛一先生からのご下命で晶析分科会を立ち上げた時、当時日本化学工業(株)棚橋純一社長のご了解を得て代表幹事を引き受けて頂いた。それから今日に至るまで継続して代表幹事を務め、欧米先進国の晶析研究グループとはProfs.J.UlrichやA.Myersonらと連携を取りながら活動しており、現在では日本の産業界を代表する晶析技術者となっている。

  山崎さんは学生時代から大学研究はどのように進めなければならないかをよく知っていた。これはと思う研究内容については自分の納得するまで粘り強くデータに向かい解析を行っていた。通常の学生は、テストの合格点を取ればよく、研究活動も当初に予定した期間が終わり近づくとその内容拘ることなく終わりにしてしまうのをしばしば見ているが、山崎さんはそのようなことは決してなかった。最近では、大学の数が多くなったためか、新しい研究成果が出なくてもそれまでに提出されている理論で尤もな理由をつけて纏めて終わりにしてしまうスマート?な先生にお目に掛かるようになっている。しかし、山崎さんは学生時代から研究している課題に対して当初考えていること合わないとその理由がはっきりするまで、いい加減な妥協は決してしなかった。そのために仕事が遅いのでないかと思えることも時にはあった。しかし、山崎さんはそれでも意固地でないかと思えるほど信念を持って頑張って、自分の納得できるところに到達するまではじっくりその研究を続けていた。最近では、学協会関連のことも含めて仕事が多くなり、面倒を見る人達も増え・責任も重くなってきたためか、研究思想を変えることなく、妥当な時間内に周囲の人々が納得する纏めをしながら、先に進めるようになっており、多くの人から信頼を受け・頼りにされている。豊倉は今でも時々あって、種々のことで相談事をしている。その時思うことに、昔のこともよく覚えていて、それとの整合性に注意をしながら、常に新しい動きに対しても関心を払って新しい時代のことを考えて活動している。

  山崎さんは今年の正月にも数名の卒業生と来られ、最近の世界情勢を含めて種々の話題に意見の交換をした。その時、豊倉は4〜5年前に何人かの卒業生と相談したことのある研究室のホームページを思い出して、現在行っているHPを見直すことを提案した。豊倉がこのHPを始めた時は、兎に角、卒業生とHPを立ち上げて3年間は続けてみようと考えていた。その時の思想は、「平和な人間社会を構築するには、移り変わる新しい時代に永続的発展を続ける活動をすることが必要であり、そのためには常に新しい提案を行い、それらをお互いに尊重し、皆で協力してその本質を変えることなく実現出来る環境を作ることが不可欠」と考えた。それにはこのような考えを持った人達の意志の疎通を図ることが大切であり、研究室生活を一緒に行った気心の分かりあった・同じ目標向かって努力する卒業生が気兼ねなく自由に意見の交換をすることが有効と思い、このHPを開設した。この3年というのは、豊倉の経験から物事は3年続ければ何か見えて来ると漠然と考えていただけであったが、実際行ってみて、世界で活躍する大勢の卒業生から貴重な経験や人世にまつわる種々の事柄の記述を頂き、これからも継続して欲しいとの意見を多数受けた。これらの意見は千差万別多方面に拡がっていたが、それにはどれも人世の真の姿があり、一見相反するようなものもあるがそれが人間本来の姿であればそれらをすべて包括できるような、「ユニバーサルスタンダード」を皆の力で見出し・作り上げて、その上に新しい世界を作り出すのがよいと思うようになった。これは社会の第一線で活躍する志を同じくする大勢の卒業生が協力してできることで、「正月話の一つとして、現在のHPを継続的に発展させるための記事」をHP開設3周年の最後(平成19年2月)に寄稿して頂くように山崎さんにお願いした。山崎さんは新春の多忙な仕事の合間に豊倉が行き当たりに進めてきたHPに掲載した3年間の記事を整理して下さった。これを考えながら読むとまた新しい思想が生まれて来るような気がする。これからも山崎さんにご尽力いた頂き、卒業生の皆さんに協力頂いて社会の発展にお役に立てればと思う。  (07年1月、豊倉記)

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(山崎 康夫)

略歴
1981年 早稲田大学理工学部応用化学科卒
1986年 早稲田大学大学院理工学研究科博士課程修了(工学博士)
1985年 早稲田大学助手
1987年 日本化学工業株式会社入社 研究開発本部
1990年 愛知工場
1993年 生産管理部
1996年 情報システム部
1998年 社団法人日本粉体工業技術協会晶析分科会 代表幹事
1999年 生産技術部付課長
2000年 情報化推進室長
2005年 執行役員 技術推進本部長兼技術推進部長兼品質管理部長
2006年 執行役員 技術推進本部長兼品質管理部長


「 tc-pmtの3周年を祝う 」

  豊倉先生、tc-pmtのホームページ、開設3周年おめでとうございます。
私は、1981年に学部を卒業してから助手を退職(1987年)するまで豊倉研究室のOB会の運営を担当しておりました。日本化学工業に入社してから数年間は燐酸の精製晶析を研究し1989年にハワイで開催された第3回Pacifichemなどで発表するなど、細々と晶析研究を続けておりました。(今になってみるとこの研究は当社の重要製品の販売に寄与しているようですが。)

   豊倉先生が、1992年に化学工学会賞を受賞されその記念会のための組織(会長棚橋純一氏)がそのまま継続し、先生の退職記念会につながっています。
豊倉先生が退職される直前に、日本粉体工業技術協会に晶析分科会を設立するコーディネータに就任され、前記国際会議の際に「時期をみて社会貢献をする必要を感じています」という一言から分科会の代表幹事を拝命しています。
その分科会の設立から5年目に開催した「工業晶析国際シンポジウム」(幕張メッセ、2002)の会場で第一回のC-PMTの会合を行い、1年余のOBを交えた議論の末に、本ホームページ、tc-pmtが設置されました。
というわけで、私が本HPに関わっている事情を概説しましたが、豊倉研究室以外の一部の方々からは、「山崎君が豊倉先生のフォローをするだろう」と申し付けられているのもその理由であります。
以前の私の寄稿にご紹介したように、その後、2003年5月には、C-PMTの会のホームページ、www.c-pmt.netが設置されていますが、OBによる運営は実現できていません。2006年の5月に若手?有志が再結成され、運営開始する計画をしていますので、今後の活動が期待されています。
2007年の正月に先生から「当初から3年をめどにHPを運営してきた。そこで、これまでの3年間を総括して今後の計画をたてたい。」とのお話があったので、この機会にいままでに卒業生が投稿されてきたものを再度拝読することにしました。

tc-pmtのホームページの解析
  どの寄稿も興味深く、また豊倉先生がコンパクトながら細かく記述された前文も味わいがあることを再認識しました。大雑把に(機械的ですが)分類してみると、下表のようになりました。(複数選択あり。豊倉先生・奥様の寄稿文も含む。)

  先生からの依頼が、「近況報告など」となっていると思われますので、それが多いのは当然ですが、卒業から現在まで(表には「人生」と表記)に関するものが多いようです。「会社」に関する愚痴とかがあるのかなと思いましたが、そうではなく積極的な内容がほとんどでした。興味深いのは、「海外事情」に関するものがかなりあるような気がしていましたが意外にも8件でした。開始当初、晶析に関するものがある程度よせられるのかと思われた方も多かったのですが、空けてみると6件で、豊倉先生と私のものを除くと少なかったようでした。
3年間どのように継続されてきたのかというと、次図の通りです。

1回当たり平均6件で、少ないときには3件、多いときでも9件と均等に構成されていました。文章量はまちまちですので、件数だけではそのバランスについては語れないのは明らかです。この表では、青色が学部卒、エンジ色が修士修了、クリーム色が博士修了です。これもまた絶妙のバランスになっていることが分ります。なお、寄稿数の割合は次表の通りです。

 卒業人数は、学部2:修士1の比率で寄稿数の比率はその逆ですから、学部卒の方にもう少し寄稿していただければと思います。
各卒業年度の方々からどの程度寄稿しているのかは、次図に示します。

この表では、寄稿のない卒業年度は表示されていませんが、よくみると8割以上の卒業年度の方々から寄稿されていることが分ります。この表は、前表と同じく滞在年数がパラメータとなっています。
各年度1〜2名が寄稿していただいていますが、複数寄稿されているのは一部の方だけでした。また、複数寄稿されている方の年代はどこかに偏ることなしにばらついていることも分ります。

今後の方向性
  いままでの寄稿を改めて拝読し分析してみますと、内容のある有意義なものが多く、今後も数年間継続していく価値があるのではないかと強く感じます。
各卒業年度のうちの1〜2名が寄稿していただいておりますが、また寄稿していただいていない方も多いようです。そういった方に寄稿をお願いすることができればよいように思います。例えば、すでに寄稿された方などに連絡役になっていただきお願いすることもよいのではないでしょうか。特に、学部卒の方の寄稿を期待したいと思います。また、すでに寄稿されている方の大半は、1回のみです。2周目以降複数の寄稿をお願いしてもよいのではないでしょうか。
内容も、「近況報告」に限らずに、従来にない新ジャンルの寄稿が期待されているでしょう。 連載されている方もいらっしゃるようですから、これも参考にしていただくとして、複数の方で話題をつないでいくというのもよいのではないでしょうか?
晶析についての寄稿ですが、せっかく「世界の豊倉」研究室のOB会なのですから、もう少し多くてもいいのかもしれませんね。研究発表をするわけではないのですから、抽象的でもよいわけで、情報交換の場になればと願っています。

運営の案ですが、今まで豊倉先生(とお嬢さん)が築き上げてきたものをそっくり真似するのはできそうもありませんので、上記のように、寄稿依頼の仕組みを創るところからはじめたらいかがでしょうか。それから、Webへのアップロードなどは持ち回りで担当すればできないことはないと思います。しかしながら、それぞれの寄稿の前文、紹介文については、当面、豊倉先生にお願いするしかないように思われます。
豊倉先生と同じ頻度と件数を前提とするならば、もう一回りということで、さらに3年間を目途にするというのは如何でしょうか?

以上、今後の取り組みについてご提案しますので、各位の積極的な参画を期待いたします。

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