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豊倉賢略歴
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2006C-6,5 麻植 淳 1990年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  麻植さんの大学時代は、物静かな、思慮深い学生のように見えました。そして、話を始めるとよく考えながらゆっくりとした口調で筋の通ったストーリーで話をしていたように覚えています。今回の記事を読むと、麻植さんの話を聞いているような気がして、本当に内容の有る話を楽しむことが出来ました。化学工学で対象にする製品の中にも川下の末端もありますが、豊倉が相手にするのは塩とか、食品添加物とかが有りますが、それらは粒状物質とか粉粒体とかで、麻植さんが扱う末端製品と異なっていてその取り組み方が全く違っています。もし、麻植さんが製品を生産する技術を開発する根幹にある開発哲学をもっと伺えたらと云う気になりました。11月の初めに、日本粉体工業技術協会の国際晶析シンポジウムが千葉の幕張メッセでありまして、そこで講演しましたカナダトロント大学教授のユダヤ人研究者Rohaniは晶析装置設計理論を、純理論的な方法とFunny Logic Methodの話で行っていました。そこでは、豊倉が提出した理論は後者のFunny法だと決めつけられたような気がしました。今回の麻植さんの話はやはり私の方法と同じ範疇のFunny法のように思えますが、それを見つけ出す攻め方が違うような気がしまして、麻植さんのお話をよく考えると豊倉の設計理論ももっと幅が広くなるような気がします。大学で同じことをしていても、それから違う分野で異なる対象について研究して何か新しいものを作り出すのに成功すると、それぞれに多少異なった哲学が出てくるような気がしました。それを話し合うとお互いに得るものが大きい気がします。皆さんで大いに語り合いませんか?  (06年11月、豊倉記)

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(麻植 淳)

略歴
1990年3月 豊倉研究室修了
1990年4月 松下電器産業株式会社 入社
1990年8月 電化調理事業部※(大阪市西淀川区)へ配属 ※ その後、クッキングシステム事業部に名称変更
1997年4月 事業部移転(神戸市西区)
2004年1月 くらし環境開発センター(大阪府守口市)へ移動(社内派遣)


「 家電メーカーに就職して 」 

はじめに
1990年修士修了の麻植です。皆さん、大変ご無沙汰しております。豊倉研究室では「針状晶」の研究をしていました。今回、豊倉先生から寄稿のお話を頂き、恥ずかしながら、初めて豊倉研究室のホームページを拝見させて頂きました。

 卒業後、家電メーカーに就職した為、晶析や化学工学とは直接繋がらない仕事をしてきており、本ホームページをご覧になる皆さんの役に立つかどうかわかりませんが、若い頃の経験を中心に書かせて頂いて、卒業後の状況報告とさせて頂きたいと思います。

家電メーカーへの就職
 就職の際、豊倉先生にいくつかの化学メーカーを紹介して頂きましたが、一般のお客様に直接買って頂く末端の商品の開発に携わりたい(単に自分の担当した商品がお店に並ぶのが見たいというだけかも知れませんが)という思いから、松下電器に就職させて頂きました。

 本社研修の後、配属になったのは「電化調理事業部」というところで、台所にある小物調理器の開発・製造という、松下電器の中でも、いわゆる「末端」の商品開発を担当する部署でした。場所は西淀川区という大阪市北西部の町工場が集まるところで、職場自体も”町工場”と言った趣でした。入社してわかったのですが、松下電器の製造事業場はこのような工場が多く、それぞれ独立採算でやらないといけないので、正に中小企業の集まりのような会社です。

 部署が開発を担当する商品は、冷蔵庫、電子レンジ、食器洗い乾燥機、炊飯器などのメジャーなものを”除く”その他の調理器で、ジャーポット、ジューサーミキサー、ホットプレート、昔流行ったホームベーカリー(今でも新製品を出しています)、オーブントースターなどで、最近ではホームセンターでも売っているような、”雑貨”に近いような商品です。

 これらの商品に於ける私の担当業務は、商品に展開可能な機能材料の開発で、主にフッ素関係の表面処理を行っていました。いずれの商品も売値が数千円というものなので、掛けられるコストも数十円から百いくらとしれています。そのような制約の中で、新製品に売りのワンポイントをつけるという仕事をやっていました。

初めての商品化
 家電メーカーの特に製造事業場に於ける「材料屋」(うちの会社では、化学系出身者はこの様に呼ばれています)は、製品設計を直接行う訳ではないので、毎年新製品を出せるとは限りません。私も最初の3年間は、担当したテーマがボツになったり、商品に応用するにはまだまだ開発が必要と言った理由で、新製品への搭載には至りませんでしたが、4年目にしてようやく新製品として世の中に出すチャンスが巡ってきました。テーマはホットプレート用で「ファイバーコート」と名付けた新しいフッ素コートです(売りのポイントには何らかの「愛称」を付けることが多いです。メジャーな商品の名前は、専門のメンバーが考えますが、このような技術的なポイントの愛称は、自分たちで考えなければならない場合も多く、これも仕事の一つです)。商品が発売された週末に、近くのお店に行って商品が展示されているのを見た時には純粋に感動しました。「今まで実験室で自分の手で塗っていた商品が、大量生産されてお店に並んでいる」と。そしてその商品をお客様が買って行かれたのを見て、「やっと自分で給料が稼げた」と。(その後は、発売前のドタバタの跡が、お店の製品からも垣間見られたりして、素直に喜べなくなりましたが...)

もの作りの難しさ・現場の大切さ
 先にも述べたように、小物調理器の1材料に掛けられる原価は1台当たり数十円ですが、それを年間100万台生産しようとするとそれなりに大掛かりになります。ジャーポットの新製品で「静音フッ素」(ださい名前ですが、これを商品POPに付けてお店に並べました)と言うフッ素コートを全機種に展開することになりました。かなりこねくり回した仕様になってしまったため、実験室では1台塗るのに20分位掛かっていたのですが、それを量産では30秒程で流さなくてはなりません。40分の1の時間です。ステージ移動の自動化で数分の1程度にはなるのですが、それだけでは全く足りません。工場のメンバーともの作りの方法を検討することになりました。

 まずは従来の塗装ガンを使って色々と工夫してみましたが話しになりません。いくつかの塗装機メーカーに新しい塗装方式を提案して頂き試してみましたが、いずれもダメです。最後にある塗装機メーカーさんから、「うちの工場にものを持ってきてもらえれば、何か検討してみましょう」というお話しを頂き、藁にも縋る思いで工場の連中と出かけて行きました。現場にある塗装機で色々と試してもらったのですが、やはり上手くいきません。最後に、「ポットの奥だけを塗りたいのであればこんなのでどうか」ということで、へんてこなガンが出てきました。一般的なカタログには載っていなかったガンですが、なんとかなりそうな結果が出ました。

 早速このガンを購入して、量産ラインで実験してみました。”静音”という性能はなんとか出るようになったのですが、外観が良くありません。実験室で手塗りの実験を繰り返し、”これは”という条件を工場に持って行きましたが、なかなか上手く行きません。自動の機械だからこれくらいのことは出来るだろうと、ラインの課長さんに詰め寄りましたが、帰ってきたのは、「塗装するのは機械やけど、機械を設定するのは人間や!そこんとこを考えて話をせぇ」という言葉でした。しばらくその課長さんとは話が出来なかったのですが、現場の班長さん以下、色々と試行錯誤を繰り返してくれて、何とか生産に漕ぎ付けることが出来ました。月並みな言葉ですが、このとき「現場の大切さ」「人間関係の大切さ」を思い知らされました。

お客様との接点
 調理器具を扱う事業場にいると、一般のお客様(いわゆる”おばちゃん”)と接する機会がよくあります。多いときは年に1回程度、電気量販店の店頭に立ったり、一般電気店が集まってお客様と商談を行う場で、調理実演を行ったりします。このような場に立つと、技術屋の考えていることと、お客様が求めていることは違うなと感じることがよくあります。たわいもないワンポントが購入の決め手になったりもします。結局、商品を買って頂くのはお客さんですから、買って頂けるポイント見つけ出すことも、川下製品を開発する技術者にとっては必要です。この様な技術を身に付けるには、如何に多くの売りの「現場」に行くかがポイントです。(お陰で包丁さばきも上手くなり、家庭生活にも役立っています)

海外での生産立ち上げ
 入社6年目の時に、台湾の協力工場で部品の生産を立ち上げるという機会がありました。具体的にはオーブントースターの窓ガラスに透明なフッ素コートを行うというものです。技術的にはそれなりに高度で、日本で綿密に加工条件を固めて行きました。台湾は中国本土と比べると、まだ日本に考え方が近いとは思いますが、やはり相手は中国人です。図面なしでも物を作ってしまう(だからコピー商品も多い?)国なので、スピードはあるのですが中身が伴いません(当時は)。細かい加工条件の重要性を理解してもらうのに苦労しましたが、これくらいの感覚でないと、これからの”雑貨商品”は生き残れないなとも感じました。

 またこの時に「それは松下としての判断か?」と何度か問い詰められることがありました。まだ、携帯もメールもなかったので、そうそう日本に連絡を取る訳にもいきません。わからなくても「そうだ」と言って説得するしかありませんでした。今から思えばもう少し妥協してもよかった点もありますが、貴重な経験が出来たと思います。皆さんもチャンスがあれば若いうちに海外へ(一人で)行かれると良いと思います。

最近の仕事「燃料電池」
 入社以来14年間同じ事業場だったのですが、3年程前に社内派遣という形で本社の研究所に移動し、現在は「家庭用燃料電池システム」の開発を担当しています。具体的には家庭用の都市ガスから水素を作り、大気中の酸素と反応させて電気を作る(水の電気分解の逆です)製品です。原理は単純なのですが、システムとしては非常に複雑で、小さな連続反応プラントのようなものです。(いよいよ化学工学の出番か?)まだ一部の地域でモニター販売を始めたばかりですが、これを各家庭に広く普及させるには、如何に「安く」「お得な」製品に出来るかにかかっています。まだまだ研究開発の域を出ておらず、普通に買って頂けるようになるには、あと数年かかるかも知れませんが、雑貨事業場で培った”商品化”技術を生かし、事業として一人立ちさせるのに貢献できればと考えています。(その節には、皆さんも是非”Panasonic”の「燃料電池システム」を導入してください)

もうひとつ、大切なもの
 職場を異動した関係で、現在”プチ”単身赴任(毎週末自宅に帰っているので、このように呼んでいます)をしています。サラリーマンである以上、転勤は避けて通れませんし、色々な仕事を経験し自分の枠を広げる為にも、積極的に受け入れていくべきだと思います。その際、場合によっては“単身赴任”せざるを得ない場合もあり、実際多くの方が経験されていると思います。そのような状況の中で、最近は家族の大切さを再認識しています。

 私の家族は、家内と9歳の息子、私の3人ですが、単身赴任になってから、週末に家族で過ごす時間をみんなが大事にするようになったと感じています。自宅は神戸の郊外ですが、近くには遊びに行ける野山や公園も多くあり、小学生の子供を育てる場所としては気に入っています。また、車を2時間程走らせると小さなスキー場にもいけるので、学生の頃に買った板を引っ張り出してきて、2年前から息子とスキー(ボードではなく)に行くようになりました。最近では、息子が参加している地域のスポーツクラブ(サッカー、野球)で、土日共に朝から夕方まで一緒になって走り回っています。

 このように子供と一緒に行動できるのはあと数年かも知れませんが、機嫌よく仕事が出来るのも、心身共に家族の支えがあってからこそと思います。最近、子供や家族間の事件が多く報道されていますが、この様な事件が普通のこととならないようにするためにも、これからも家族を大切にしていきたいと思います。

最後に
 家電メーカーの仕事にも興味を持って頂ければと思い、私のこれまでの仕事ぶりを書かせて頂きましたが、取り留めのない文章になってしまい申し訳ありません。私の場合は泥臭い仕事も多いのですが、これは家電メーカーでの仕事のほんの一端だとご理解願います。いずれにしても、身近な商品の開発に携わりたいと思われている方は、家電メーカーも一つの候補として検討して頂ければと思います。

 最後になりましたが、卒業以来研究室にはご無沙汰しているにも拘らず、この様な機会を与えて頂いた豊倉先生に改めて感謝させて頂きます。また、豊倉先生の益々のご活躍を祈念すると共に、これからもこのホームページ等で研究室の皆様にも接することが出来ることを楽しみにしています。              

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