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2006C-6,3 谷森 滋 1979年大学院修士課程修了 (工学修士)
略歴 | |||
1979年4月 | 日本触媒入社 研究所配属 | ||
1989年4月 | 開発部/font> | ||
1999年7月 | ファイン第3営業部 | ||
2001年4月 | ファイン第1営業部長 | ||
2004年4月 | 事業企画室 機能性化学品開発グループリーダー | ||
2006年4月 | 事業企画室 部長 |
「 大学院前期修了後から現在まで 」
豊倉先生、大変ご無沙汰をしております。
この度はこの様な機会を頂きありがとうございます。
早いもので修了後26年以上も過ぎ、定年まで10年を切るまでになりました。
そこで、近況も含め、入社後の状況を連絡したいと思います。HPを読ませて頂きましたが、これまで寄稿された皆様のような教訓ある内容とはなりません、ご容赦の程よろしくお願い申し上げます。
「研究所時代」
入社後の配属は研究所第3研究室となり、ポリマー関係、特にはアクリル系のコーティング剤の研究開発がメインの仕事となった。弊社の現在のコア事業はアクリル酸とその誘導体(代表的には紙おむつ用の吸水性樹脂)であり、入社当時は同じ研究室で上市前の段階の吸水性樹脂も比較的大きなグループで研究していたが、私は別のグループで一つのテーマを与えられ自由に研究することができた。
最初のテーマは亜鉛めっき鋼板の表面処理用コーティング剤で、アクリル系ポリマーにエチレンイミンを付加し、コロイダルシリカ等と組み合わせ、防錆性、対指紋性、塗装性、深絞り加工性等々の複数の相反する要求性能をクリヤーすることができ上市することができた。エチレンイミンは世界でも弊社とBASFの2社しか製造をしておらず、これを有効利用したことが強みの一つだったと考えている。
その後は、珪素系やフッ素系の化合物を有効利用したアクリル系のコーティング剤を熱転写リボン、感熱紙、OHPやインクジェット用紙等の記録材料の消耗品用途に展開した。この間は本社の開発部の方とサンプルワークでユーザー訪問を行うことが多く、その縁で10年間の研究所を離れ開発部に異動した。
新入社員時代からテーマを任され、主体的に仕事ができ、それなりの成果も上げることができ、やりがいのある時代であった。
「開発部時代」
開発部には研究所同様に約10年間在籍し、研究時代のテーマであった記録材料用ポリマーの開発、研究のシーズを基に行った基本材料となりえるアクリルゴム分散エポキシ樹脂やアクリル系テレケリックポリマーの開発、独自提案により行った水現像タイプのフレキソ印刷版用樹脂やレジスト用ポリマーの開発、時代を先取りした夢に近い様な電気粘性流体や光通信用ポリマーの開発を担当した。
種々のユーザーや大学等、国内のみであったが、日本全国を訪問し、旅行部といわれながらも楽しい時代であった。
「営業時代」
営業部には約5年間在籍し、最初の約2年間は担当部長兼大阪担当で、エチレンイミン系やオキサゾリン系の製品を販売した。研究時代から関係していた製品であり、製品知識は問題なかったが、初めての営業であり、技術屋の世界でないことを種々勉強した期間であった。
後半3年間は営業部長として売上約70億円の責任者となったため、仕事はマネジメントの方が主体となった。仕事はしんどいものだ、どうせやるなら明るく、楽しく、前向きにやろうと、これを部のモットーとして部員に励んでもらった。
予算の作成とそれの実行、毎日の売上の管理、毎月の予算達成状況把握と達成のための検討等、R&D部門と違った世界とマネジメント主体の仕事と言った新たなことを勉強した時代であった。
「事業企画室時代」
営業からまたR&D的な仕事に戻り、研究開発本部には属さない別な本部であるが、昨年度までの2年間は実質的には開発部であり、その部長としてマネジメント主体の仕事ではあるが、土木、医療、エネルギー、光通信、電子情報材料等他分野に亘った内容であった。
今年度(4月〜)からは名前は変わらなかったが組織改定もあり、ライフサイエンスをキーワードに新規事業の企画を部下3人と共に行う部署の責任者となった。今まで積極的に関わったことのない分野であり、日々勉強の毎日である。
「雑感」
長々と自分の今までの会社人生を書いてしまったが、こうやって振り返ってみると、若い時の方がもっとやったし、できたし、パワーがあったような気がする。しかし、まだ会社人生の続きはあり、新たな分野へ進もうとチャレンジしている。明るく、楽しく、前向きに今後も頑張ろうと思っている。
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