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2006C-6,2 深山 勝範 1974年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  深山さんは早稲田大学大学院在籍時に指導を受けていた石川平七先生が突然お亡くなり、その後豊倉研究室で修士論文の研究を続けて修士学位を取得した。その時指導教授を変更したことは突然のことで止もうえないこととは云え、何とも言えない苦労をしたことと推察していた。深山さんは早稲田大学応用化学科ではトップクラスの優秀な学生で、化学工学コース内の研究室移動に怯むことなく真面目に研究活動を続けた。卒業と同時に東京ガスに就職し、その後元気に活躍していた。卒業生と大学の研究室との関係は就職してからの仕事が研究室の研究内容と関連のある場合とか、何か業務に関係のことで卒業後も研究室に繋がりが出来ることもあるが、多くの場合はお互いに忙しいため、順調に進んでいると特別なことがない限りと、お互いに気に掛けながらも時が経ってしまうものである。そのようなことで、深山さんとは、最近では会う機会はないままであったが、数年前、ソルトサイエンス研究財団の会議でよく使う竹橋のホテルKKR東京で、ばったり会うことがあった。この時は、お互いにそれぞれ仕事関係グループの人達と来ていたのでチョット立ち話をしたていどであったが、深山さんの顔色を見て元気に充実した毎日を送っているなと感じた。今回、HPに寄稿を依頼したら、非常に忙しいようであったが、気持ちよく引き受けてもらえ、若い後輩にメッセージを書いてくれた。深山さんの研究室時代を思い出して感無量である。   (06年11月、豊倉記)

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(深山 勝範)

略歴
1974年 東京ガス株式会社入社。豊洲工場に配属し、都市ガス製造部門に関わる。
1981年 以降 都市ガスを燃料とした空調部門に移る。一時「日本コージェネレーションセンター」に出向。
現在: 地域冷暖房の会社である「東京熱供給株式会社」に勤務。


「 後輩へ! 」 

 小生、昭和49年3月に理工学研究科修士課程を卒業した深山と申します。 同年4月に東京ガス?に入社し、はや32年、昨年より東京熱供給?に出向し新たなる気持ちで頑張っております。

 入社の頃の思い出を徒然なるままにしたためます。

 小生の最初の勤務地は東京ガス「豊洲工場」でした。ここはナフサタンクが7基、LPGタンクが2基、それに石炭乾留の室炉プラントやナフサ改質プラントを有した、敷地面積および生産規模ともに非常に大きな工場でした。今でこそ都市ガスの原料は天然ガス主体でありますが、当時はまだ石炭とナフサの時代でした。
 その工場で初めて小生に任された仕事が「構内の消火栓の位置と消火栓を結ぶ配管のルートを明確にするように!」というものでした。当時各所のコンビナートで火災等が発生したことを受け、構内防災強化の一環としての業務でした。
 前記した広い工場を、毎日構内地図を片手に上を向いて(消火配管は大体地上ラックの上に敷設されているため)歩き回りました。消火配管は消火ポンプを中心として四方に敷設され、それが各所で分岐され、また途中から埋設になっていたりし、全体ルートをまとめるのに、かなりの日数を要しました。首は痛くなるし、“なんで俺がこんなことをやんなきゃいけないの・・”と思うこともありました。
 でも“小さな資料でもどうせやるなら良いものを作ってやろう”と思い直し、気合を入れました。自分で調べた配管フローを構内地図に記入する際、小さな工夫をしました。ただ言われたことだけではなく、消火ポンプを中心に、配管を口径別に色分けし、埋設配管は点線にし、消火栓の向きも示しました。そして大型消火器の収納小屋の位置や防災関係器具の位置を記入し、併せて各職場の防災担当者や内線電話場番号なども整理し、一覧表として添付しました。

 入社から数年後、「石油コンビナート等災害防止法」という法律が制定されました。豊洲工場も同法律に準じて構内の防災設備の強化・整備がなされましたが、そのとき小生の作成した資料が少しは役に立ったのではないかと、自画自賛しております。

 どんな仕事も意味が有り、そのときすぐには評価はされないかもしれないが、いつか必ず役に立つ、ということを身をもって感じたことでした。
                 

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