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豊倉賢略歴 | apppendix | 新規掲載記事
2006C-6,1 鶴岡 洋幸 1970年大学院修士課程修了 (工学修士)
略歴 | |||
1970年 | 日産化学工業入社(中央研究所配属 | ||
1972年 | エンジニアリング事業本部 | ||
1980年 | シンガポール駐在 | ||
1983年 | 技術ライセンス部 | ||
1987年 | 日本エアーリキード社へ転職(主に産業ガスの技術開発を伴ったマーケティング戦略部門を担当) | ||
1998年 | 早稲田大学校友会稲門会(代議員・千葉県支部幹事・浦安稲門会幹事長) | ||
2002年 | 応用化学会・学外理事 | ||
2004年 | 日本産業ガス協会へ常務理事として出向 | ||
2005年 | 定年退職 | ||
2003-2005年 | 北陸先端科学技術大学院大学(東京八重洲キャンパス:社会人大学院) 知識科学研究科・知識社会システム学専攻(MOTコース)を修了 | ||
2005年10月 | 同大学院大学にて就職カウンセラー | ||
2006年4月 | 上記と平行して同大学院大学(21世紀COEプログラム) ・科学技術開発戦略センター拠点形成研究員 |
「 社会人(定年)から大学院の研究員へ 」 −3回あった人生の鉄砲水−
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*丁度20年前に最初の会社で私がたまたま取った2〜3回の電話が切っ掛けと成って、それが後から考えるとヘッドハンターとか言われる人からのものであったのだが、仏系外資の外人会長さんとクリスマスの飾り付けが始まった頃、帝国ホテルのカフェテリアで会う羽目と成った。1時間ほど英語で面談をしたのみで面接試験が終わり年を越して、今度はその会社へ遊びに来てくれと言われたので、断る積もりで会長の部屋を訪問した。私にとってこの外人会長の出現が人生第2の鉄砲水である。すると会長は日本人の社長に会ってくれと言われたので、社長の部屋に行くと、『早稲田の応化のXX教授を知っているか!』と言われ社長は応化の先輩であり、世の中の狭さと人の縁の不思議さを感じた。今でこそ不思議さと表現したが、当時は何気なく小川で水遊びに戯れていたら突然の鉄砲水の洪水に襲われた様なもので、これに飲まれるべきか、かわすべきか本当に悩んでしまった。暫く経ってその会社へ是非入ってくれと言われ、転職の招聘となった。こちらからは是非働きたいとか、給料の条件とか何も言わないまま、殆んどを社長が決めてくれて、今で考えると実に日本的な環境下での外資への転職プロセスであった。仏系の日本法人の企業としては、本国のフランス文化に基づくフランス人の経営者陣10数人と日本のお客さんをまとめ製造・販売する千数百人の生抜き日本人の二つの文化層で構成される。これに招聘されたとは言っても第3の文化を持った人間が割り込む形と成るからギクシャクがあっても当然の事と言える。英語力と一般の技術理解はトップクラスであったと思うが、業界内と重要顧客の接待用のゴルフ(この産業人は付き合いも仕事もゴルフでこれ無しではお付き合いも何も十分に出来ない。)が全く下手であったので、営業力発揮の場に貢献できなかったのが泣き所であった。転職1年経たない内に、私の給料が高いとの噂が立った。転職の際に社長が決めてくれたのだが、移る前の給料にプラスアルファーを増やしてくれていた。「皆と同じでないと拙いのでは?」と人事部長には当初申し出て居たのだが『社長が呉れると言うのだから貰って置きなさい』と諫められてそのまま過ごしてしまっていた。“他所から来たのに給料が高い”と酒を呑む度にいつも相手の顔には書いてあった様な気がする。そして社長大賞(社長は転職時とは変わっていたが)を貰ったプロジェクトが少し尻つぼみに終わると、これ幸いにがんがん叩かれた。何かあれば何時も包囲網を作られて、足を引張られる場面も多かった様な気がする。それでも左遷とか首には成らなかったので、人生とはこんなものなのかと思う反面、自分の人間性で何とか解決できないものかと強く思ったりもした。結局は、病気で鍛えられた精神力と、豊倉先生に学んだ、なにくその早稲田精神が気持ちの底力(そこぢから)と成って頑張る力を与えてくれた様に思う。加えて、入社時の先輩OBの社長との間柄は、皆さん知っていたので、この辺の社内バランスが私を守ってくれていたのかも知れないと感じている。
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ここで話は現在に戻るが、今の社会人大学院の仲間とは、いまでもコンフェレンスの準備・実施や博士コースの勉強会で一緒にゼミをやったり、心から和気藹々とも言える人間関係を維持できているので、以上の記述で“ほろ苦い!”と表現した意味を判って頂けるかと思う。
3. 第3の鉄砲水
通った社会人大学院の本キャンパスで勤務しないかとのお話が鉄砲水の様にやって来て、飲み込まれた。この鉄砲水は定年後を楽しむ生きがいであって欲しく、幸運の女神とも言える有り難い鉄砲水として大切にしたいと思っている。社会人大学院での議論を進める上でのバックボーンとして、仏系企業で異文化経営を体験している事やビジネス・スクールのINSEADで学んだ事が昨今のビジネス学習の議論に役立っていると思うので、第2の鉄砲水が呼び水と成って第3の鉄砲水が襲ってくれた様に思える。内容的には以下の2件である。
(1) 就職カウンセラー:
‘05年9月の修了式の前に、石川の本キャンパスで就職カウンセラーをやらないかとの話が入った。出来るかどうか判らなかったが、兎も角やってみる事にした。やってみる気持ちのベースと成ったのは、これまでやって来た稲門会の校友会活動でOBの人生体験を学生にフィードバックするために、現役の学生さんを活動に呼び込むための対策を考えたり実施したりしたので、接し方の感触は何となく判っていた。何をすれば良いのかは自分の人生で会得した事を、学生に指導すれば良いと思っていた。丁度下の娘が就職の年でいろいろ体験を教えて貰った実戦の話が役に立った。始めて1ヶ月でほぼ予約が埋まってホッとしたが、第1志望の就職企業の内定を取って報告に来てくれるのが、自分の事以上に嬉しい。今の学生さんはインターネットが発達したために、自己PR等の凄く厳しい就職準備活動をせねばならなく心から同情するが、お陰でこの職を楽しむ事ができる。但し状況によっては相談の後はとても精神的に疲れるが、学生の一生が掛かるので丁寧にやりたいと思っている。
(2) COE(Center of Excellence)拠点形成研究員
’06年4月からこの名前の役が舞い込んだ。この大学は’03年10月から“21世紀COEプログラム『知識科学に基づく科学技術の創造と実践』”を実戦しており、’08年3月までの期限で進めている。文科省の補助金による大学の拠点形成も稲門会活動で大学側から聴いており、目的や意味合いは判っていたので、外側の理解は容易だった。内側に入ると複雑な要素も可也多いが、この原稿がもう約束より1日後れているので今回はここまでにして、失礼する事にします。
最後に一言、これまで2−3回投稿して、必ず最後に問い合わせか又はそれへのご意見あればご連絡を!とお願いしていますが、その反応としてご意見を頂いた事は有りません。tc-pmtのHPの今年の投稿者の名前を拝見しても、面識があって名前を知っている方は2〜3名ですから、いたし方のない事なのですが、やはり面談して人となりが判らないと、意見の交流は難しい事なのかな!と思います。ご質問とかご意見あればご連絡をお待ち致します。
以上
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