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2006C-5,1 藤本 健 1961年学部卒  (工学士)

 
藤本さんは豊倉が早稲田大学大学院に入学し、城塚研究室に所属となって2年目に城塚研究室に配属になった学生でした。当時の城塚研究室には大先輩の本田先生、私の一年前に大学院に入学した平田先生、香港から早稲田大学に留学し、城塚研究室で卒業論文を纏めて、豊倉と同年度に大学院に入学した朱広典さんと私の4人が城塚研究室のスタッフのような感じで研究を行っていた。しかし、平田さんも朱さんも学部4年から城塚研究室に所属していたが、豊倉は学部4年の卒業論文を無機化学宇野研究室所属していた関係で、実際は城塚研究室での研究生活は1年済んだところで藤本さんを迎え、一緒に研究を始めた。そのようなわけで、豊倉は藤本さんのお世話をするような形になっていたが、実際は同期の仲間と云う気持ちで一緒に研究した。当時は城塚研究室で晶析研究を実質的に始めて2年目であり、文献を調べても、実験を行っても知らないこと多く、藤本さんと一緒に議論しながら進めた。研究室で初めて晶析研究成果を学会で発表したのは、藤本さんが研究室に配属された年の8月で、その発表内容は松本さんが前年の卒業研究で取得したデータを纏めたもので、藤本さんにはその纏めに随分協力してもらった。私自身、この発表は薄氷を踏む思いでしたが、それに対して藤田重文先生から発表会場で質問を受けた時、何時かは藤田先生に評価されるような研究成果を出さねばならないと思ったものです。(実際は1974年に秋田で開催された化学工学協会関東支部大会の懇親会で藤田先生から豊倉が発表した研究にお言葉を頂いた時、初めてホットした気持ちになりました。)藤本さんと親しく一緒に研究した期間は一年でしたが、その間の共同研究を通して藤本さんは、真面目で思慮深く誠実な素晴らしい学生で、色々教えられることもあった。

  藤本さんには前から研究室のHPに寄稿頂きたいと思っていたが、今回それが実現して、退職後仲間と企業を立ち上げ立派に活動されていることの一端を書いていただいた。豊倉の同期にも退職して仲間と企業を立ち上げて活動している人もいますが、そのような活動に成功する人は皆、誠実な働きもので、人から厚い信頼のある人ばかりです。今回は、藤本さんの非常にお忙しいところを寄稿頂きましたが、また近い内に続編を書いていだこうと思っています。退職後のことを考えている卒業生は多いことと思います。藤本にご期待下さい。 (06年9月、豊倉記)

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(藤本 健)

略歴
1961年 昭和電工(株)入社 横浜工場配属
1967年 軽金属加工研究所 配属
1983年 同上 所長
1985年 技術情報センター 所長
1987年 スカイアルミ? 出向
1995年 定年退職 浅野技術事務所に勤務
1998年 (株)エーアンドエー研究所に組織替え
現在に至る
入社以来 殆どが研究開発の業務にたずさわってきました。 現在も最先端技術の研究開発のお手伝いをしております。

「 定年までは次の人生のための準備期間 」

  城塚研究室豊倉先生の指導下で、昭和36年に学部を卒業し昭和電工に入社しました。最初はアルミニウムの原料である酸化アルミをバイヤー法によりボーキサイトから製造する横浜工場に配属されました。その後研究所でアルミニウムの表面処理、腐食など顧客へのテクニカルサービス及びニーズにマッチした技術開発業務を行っていました。研究開発はそれが成功して世に出た時の感激が忘れられません。しかし失敗に終わったテーマも数多くあります。開発は世間のニーズとのマッチングが非常に大切であり、早すぎても失敗になってしまいます。

  さて 長いサラリーマン生活では会社組織の中で自由度の少ない日々を過し、ストレスを感じながら幅広い経験をしました。特に定年近くなると多くのしがらみにより思うように研究開発が出来なかったような気がします。

  定年になり同年の仲間をみると、心身共に元気でおられる方が多いように見うけられます。定年後、郷里に帰りのんびり自然の中で生活をする人、NPOの仕事で社会奉仕をする人など人それぞれであります。

  定年後のありかたは、人生観により人それぞれですので比較評価することは出来ません。小生の場合は、幸いにして前後して退社した開発関連の仕事をしていた気心のあった3人が集まり会社を作りました。現役時代に培った経験を生かして研究開発のコンサルタントを始めて8年経過しております。3人さんようの性格です。年金を貰っているので最低の生活は保証されているので、現役時代よりも忙しいくらいですが、自分のペースで楽しく仕事をしております。

  まだまだ現役で活躍されている方は、忙しくて将来の定年後を考えられないでしょうが、現役時代に会社内外での広い人脈のみならず、取得したノーハウが活用出来ればと思っておられる方が多いのではないでしょうか。定年後それらをなんらかの形で社会と結び付けながら、身体が自由に動かなくなる老後に向けて徐々にランディングするのも、技術教育を受け、技術をツールとしてきた者の、一つの生き方かと考えております。

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