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豊倉賢略歴
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2006C-4,3 山田兼士 1991年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  山田さんの早稲田大学卒業後の経歴は下記略歴に記載されているが、その記載以前は、神奈川県の名門湘南高校を卒業して早稲田大学に入学していた。そのことは取り立ててここに記述することでない話ですが、豊倉が、山田さんを知らない異なった年次の卒業生に紹介するために欠かせない話もあるので、その頃のことから書くことにします。

  山田さんは、研究室に配属になった頃から他の人を押し除けて出しゃばる学生ではなくて、豊倉の家に来た時など、何時も落ち着いた様子で、直ぐその場の雰囲気に溶け込んでいた。何か話をする時も周囲の人達にそれとはなく気配りをしており、また、初めての人に会った時も、自分の友人や自分の家族、自分自身に誇りを持ってその人に接して話をしていたことを今でも思い出している。豊倉は身元調査をする訳ではなかったが、初めて人に会った時など相手の人柄を知るのにその人に関係あることで、豊倉も多少知っている話題をなんとなく話してみることがあった。豊倉は神奈川県の出身なので、湘南高校のことは少し知っており、そこに関係のある知人もいたので、山田さんが研究室の仲間と我が家に初めて来た時湘南高校に関係のあることを話題にしたことがあった。そうしたら、山田さんは豊倉が化学工学会で親しくしていた東京大学古崎教授の息子さんが湘南高校テニス部の1年後輩と言うことで息子さんのことなど少し聞くことが出来た。その話の内容は特別取り立てて紹介ス内容ではなかったが、その時山田さんの話す様子やその内容から、山田さんはのびのびと育った明るい性格の青年で、正直で、誠実さのある本当に信頼できる学生であると知った。

  今年の春、東京工業大学で開催された化学工学会の年会でぱったり山田さんに会い、そのキャンパスの中を歩きながら数分間の話をしたが、山田さんから学生時代と同じようにいろいろ話を聞くことが出来た。その時彼は研究室のHPに掲載されてる同窓生の記事を興味持って時々読んでいると話していたので、山田さんにも寄稿しないかと話したら、学生時代同様笑いながら断られて彼の仲間に書いて貰ったらと数人の名前が出てきた。しかし、山田さんのような卒業生に卒業後の活動の様子などを寄稿して貰うとその記事は後輩にとって本当に参考になる内容であろうと思い、その一ヶ月後くらいに再度依頼したら気持ちよく引き受けてもらえた。そこで寄稿された記事は豊倉が期待した通りの内容で、山田さんの仕事ぶりや温厚で誠実な性格がよくにじみ出ていて、卒業してから15年間に行った仕事も着実に成果をあげてるようであった。また2児の父として立派な家庭を築き上げており、さらにそれを成熟させようとしている様子が目の前に浮かんでくるようであった。  (2006、07、豊倉記)

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(山田 兼士)

略歴
1991年 旭硝子(株)化学品事業本部 化学品開発研究所 無機グループ配属(千葉工場内勤務)
1992年 中央研究所 無機材料グループに長期出張
1993年 化学品開発研究所に復帰
2002年 中央研究所 化学生産技術グループへ転勤


「 研究開発15年 」

  1991年修士卒の山田です。学生時代は、1年上の楢原さん、1年下の磯部君、梶原君らと供に『圧力晶析によるベンゼンの固液分離操作』について研究していました。学生時代の思い出といえば、皆で参加した学会、特に金沢大学へ行ったときに居酒屋で食べた魚の美味しさが忘れられません、また、M1の時にハワイで開催された環太平洋化学会へ参加したことなどが懐かしく思い出されます。圧力晶析といえば、今年になって神戸製鋼の研究所の方とお会いする機会があり、圧力晶析をやっていたという話をしたら大変ビックリされました。守時さんがリタイヤされた後はあまり勢力的には進められていないようで、少し残念に思いました。

  先日、東工大で開催された化学工学会春の年会に参加し、修士2年時依頼の発表を終え、ちょっと平沢研の発表でも聞こうかと晶析の教室を覗いたところ、豊倉先生がちょっと控えめながら教育的観点から鋭いコメント(内容は豊倉先生執筆の06A-1,3『春の年会に参加して:企業技術者の研究と大学研究者の研究』をご参照下さい)をされている姿を拝見し、一気に15年前にタイムスリップしました。学会終了後豊倉先生にご挨拶したところ、その場で今回の執筆依頼を受けました。

  『いやいや、楢原さん:1990年修士卒とか斎藤貢君:1993年修士卒(いずれも6月分にて執筆されています)なんて如何ですか』と逃げてはみましたが、そこは豊倉先生、許してはくれませんでした。再度、メールにて執筆の依頼を頂き、今回の執筆となりました。

  さて本題です。私は文章を書くのが大の苦手なのですが、これまでの15年の研究開発で感じていることを素直に書いてみたいと思います。

  私が入社した旭硝子は大きく分けて、板ガラス、自動車ガラス、ディスプレイ、化学品、エレクトロニクス&エネルギーの事業で構成されており、入社当初配属された化学品事業本部は、フッ素系商品群に大きな特徴を有しています。少し宣伝をさせて頂きますと、ドイツワールドカップの開会式が行われた、アリアンツアリーナの屋根・側面素材として採用されたFluon-ETFEフィルムなどがあります。内側にライトを設置することで様々な色に変化するあの競技場です。Fluon-ETFEフィルムは現在建造物の構造材料として大きな注目を集めています。このFluon-ETFE以外にも、撥水撥油剤、超耐候性フッ素塗料、透明フッ素樹脂などがあります。

  このように、わが社の化学品事業は、フッ素系商品群が主流で、その傍流に無機系商品群があります。私の担当している研究開発のテーマはその無機系商品群が中心で、これまで各種機能性ゾル(例えば、導電性材料、インク吸収材料)の開発、各種機能性無機粉体(例えば、Liイオン2次電池正極材料、HPLCカラム担体用多孔質材料)の開発を担当してきました。また、この無機系商品は、主に関係会社での製造・販売が中心であるという難しさも味わってきました。しかし最近では連結での業績が評価されるようになってきたこともあり、実績で勝負という気概で研究開発に取り組んでいます。

  入社以来15年の研究開発で反省すべき事・勉強した事は沢山ありますが、その中で1件自らの反省を込めて紹介させて頂きます。入社5年目だったと思います。その頃燃焼プロセスに注目しており、その関連で新しいプロセスを思いつきました。そのアイディアには上司も興味を示し、パイロット設備をかなりの金額を使い建設しました。ただ、ちょっと欲張ったプロセスだったこともあり、非常に操作範囲が狭く、中々思ったとおりの特性を出せませんでした。自分自身のオリジナルプロセスへの“思い入れ”が強かったこともあり、ずるずる3年も足踏み状態で過ごしてしまいました。研究開発では気をつけなければいけないことですが、“思い入れ”だけで研究開発を継続してはいけないということを勉強した大きな出来事でした。これは、実際担当する研究員のマイナスになるだけではなく、会社にとっても大きなマイナスになります。もちろん研究開発に“思い入れ”はなくてはならないものだと思いますが、一方では客観的に技術を判断する目を持っていなければならないと思います。これを契機という訳ではありませんが、我が社ではステージゲート法を用いた研究開発テーマの管理がかなり徹底して行われるようになっています。

  もう1点、自分自身の大きな出来事として、4年前に社内人材公募という制度を利用して 中央研究所の化学生産技術グループに移動しました。ある研究開発テーマについての社内公募に応募し、2度目の入社試験の結果転勤したということです。幸いにもその研究開発テーマは順調に進み、今では新しい設備が稼動を開始したところです。この公募に応募する際に考えたのが、社内人材公募の制度を利用することのプラスはもちろんあるだろうが、マイナスも沢山あるだろうということです。このことを認識しつつも、サラリーマンとはいえ、やりたいことをやって後悔しないようにしようと考え決断しました。今でもこの時の決断は間違っていなかったと考えています。現在では、コーポレートの研究部門である中央研究所所属ということもあり、様々な仕事に携わり、またその関連でACHEMA2006に参加することもできました。今後も、会社の利益と自分のやりたいことをマッチさせながら、研究開発に従事していきたいと考えています。

  最後に子育てについてですが、私は入社3年目に結婚し、入社5年目に長男、7年目に次男ができ現在4人で暮らしています。自分の精神年齢はあまり変わっていないつもりなのですが、子供達の顔を見ると、月日が経っていることを思い知らされます。その子供達はまだまだ子供ですがそれなりに人格をもつようになり、それぞれ意見を言うようになってきました。最近、この子達はどんな人生を送っていくのだろうと考えることがあります。特に親の希望を押し付けるつもりもありませんし、また親の希望に従わないのは親の顔を見れば明らかです。ただそれでも気になります。これからも色々心配させられることは多々あると思いますが、子供達の人生、後悔のない人生を送ってもらえたらなんて考えています。

  取り留めのないことを思いつくままに書きましたが、書いているうちに色々なことを思い出したり、考えたり・・・・・、先生のおっしゃる通り、自分を見つめなおす良い機会になったような気がします。このような機会を与えて頂き本当に有難うございました。また、同期の面々とはなかなか会うことができませんが、是非一度豊倉先生を囲んで集まれたらと考えています。

  今後とも宜しくお願い致します。

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