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豊倉賢略歴 | apppendix | 新規掲載記事
2006C-3,5 加藤 隆行 1971年学部卒 (工学士)
略歴 | |||
1994年 12月 | 運輸省航空大学校入学 | ||
1995年 3月 | 早稲田大学理工学部卒業 | ||
1997年 3月 | 運輸省航空大学校卒業 | ||
1997年 4月 | 全日本空輸株式会社入社 | ||
2001年 5月 | 同社大阪乗務センターB767部 副操縦士昇格 |
「 操縦席よりご案内します 」
「感謝を込めまして」
大学を卒業して既に10年以上たちました。私は当時、夢を描いていた通り、現在パイロットとして乗務しております。私は豊倉研配属時には既に運輸省航空大学校への入学が決まっておりました。入学も12月と決まっており、それまでに卒論を仕上げれば良いと言う、豊倉先生の配慮なくして早稲田大学の卒業はなかった事をいつも恩に感じております。今回は近況報告を兼ねまして、パイロットと言う仕事の一部をご紹介したいと思います。
「パイロットと言う仕事」
皆様と全く畑違いの道へと進みました私ですが、この場をお借りいたしましてパイロットという仕事をご紹介させて頂きたいと思います。
まず、パイロットになるには現在は主に2つの方法があります。一つは私のように航空大学校を卒業してエアラインに就職するか、もう一つはエアラインにパイロット訓練生として入社するかです。
航空大学校というのは日本に1校しかなく、日本のエアラインパイロットの半数以上がこの学校のOBとなっています。また、現在は国土交通省航空局の試験官も大半が航空大学校のOBもしくは元教官で占められています。
この世界は正に体育会系を連想して頂ければ分かり易いのですが、完全なる縦社会となっています。大半の人が大学を卒業して航空大学校へ入学してくるのですが、ここではいい大人が完全なる虫ケラ扱いです。殴られ怒鳴られは日常茶飯事、みんな涙涙の日々です。ある意味職人の世界だと思います。この世界にはそれまでの経歴も年齢も一切関係ないのです。そして晴れて卒業してエアラインへ就職します。昔は大手へ就職100%という時代もあったのですが、私たちの時は就職難で、就職出来ない卒業生も多々いました。
その後、晴れて就職してもすぐには乗務できません。私の場合は入社して3年間地上職として勤務し、それからようやく副操縦士への昇格訓練を受け、晴れて副操縦士になりました。航空大学校へは22歳で入学して、副操縦士に昇格したのは29歳ということで、約7年の訓練生時代を経てようやく副操縦士になるわけです。
キャプテンになるには更に約10年副操縦士として乗務した後、機長昇格試験に合格して初めて一人前となるわけです。 私は現在副操縦士と乗務し、約5年となるのですが、まだまだ道半ばと言った感じです。
パイロットと言う仕事は何しろ試験が多い仕事です。医師や弁護士と異なる最大の点は免許の有効期限が非常に短いと言うことです。
医師や弁護士は一度合格したら一生の資格ですが、パイロットは基本的に免許の有効期限は6ヶ月です。つまり、6ヶ月毎に免許更新の試験を受けなくてはならないのです。これが大変で、これさえなかったらどんなに良い仕事だろうとつくづく思います。 また、一般的には知られていない事なのですが、車の免許と異なり、飛行機は旅客機になると機種毎に免許が異なります。私は現在、B767に乗務しているのですが、これはB767のライセンスを所有しているからであって、他の機種の操縦をしようと思ったら別のライセンスを取得する必要があるのです。また、それ以外にも細々した資格が多々あり、結局これらの試験が6ヶ月の免許更新の合間にあるので、試験ばかりの日々となる訳です。まるで学生です。ただ、学生みたいに休みはないですけど。
現在、私は中国線を中心にフライトを行っています。ただ、泊まりは無く、ひたすら毎日中国との往復をしています。ある意味普通のサラリーマンと同じです。早朝に関西空港へ出社し、夜帰って来ると言った感じです。これはパイロットとしては極めて特殊なスケジュールで、普通のパイロットは平均で月8〜9泊くらいあります。年間で100日以上ホテル暮らしな訳です。最初はこういう生活は楽しいのですが、すぐに飽きます。特に最近は稼働が厳しく、いろいろと新聞を賑わしている関係もあって、基本的にステイ先で大騒ぎなんて事はありません。大半はそのままコンビニとか、普通のレストランで食事して、そのまま寝るだけと言った感じです。 海外でのステイは基本的には1人行動です。何故ならば、時差が大きいので、皆、生活リズムが違うからです。現地時間で過ごす人もいれば、日本時間で過ごす人もいるのです。CAは人数も多いので、同期や気の合う先輩と一緒に行動と言うこともあるようですが、パイロットはキャプテンと2人な訳ですから、ずっと気を遣うのも疲れる訳で、別行動と言うことが多いようです。何しろ冒頭に書きましたが、完全なる縦社会なものですから。
時差のあるフライトは非常に過酷です。長距離国際線を飛ぶ人は大体平均して月に2〜3回長距離があるのですが、1回のフライトが大体、1週間弱と考えると、1ヶ月の殆どが時差調整で終始しているのがお分かりですか?こんな生活を何十年と続ける訳です。当然、体には良い訳はなく、実際、早死の人が多いです。当然、その分、入って来るのも多い訳ですが、寿命を売っている訳なので、程々にしておかないと後で大変な事になります。
結局、自分の身は自分で守るしかないので、バカ正直な人は大変苦労する職業だと思います。
何かと「自己責任」と言う言葉が好きな職場なもので、試験も自己責任、体調管理も自己責任、その他必要なパスポートやビザの管理等も基本的には自己責任と言うことで、こういう所は個人事業主みたいな感じです。それらの管理が自分で出来ないと責任問題になるのです。
休日は基本的には一般的なサラリーマンに比べると恵まれていると思います。有給休暇は毎年キッカリと消化できます。ただ、何しろマニュアル類の差し替えが多いので、これらの差し替えは休日に行うのが基本となります。国際線に出ていると、国内の地図と海外の地図と両方の差し替えをしなくてはなりません。これが何しろ膨大な量で、何時間もかかります。2週間に1度はこのような差し替えが必ず来ます。差し替えしながら、よくもまぁ毎週毎週これだけ変更点があるなぁと感心してしまう程です。地図以外のマニュアルの差し替えも頻繁にあり、マニュアルだらけの仕事なだけに、本当に差し替えばかりしています。これだけ頻繁に情報がアップデートされるわけですから、半年に1度の試験は欠かせない訳です。基本的には疲れている人が多いので、休日は家で休養と言う人が多いような気がします。
さて、肝心のフライトですが、上空では僕たちは一体何をしていると思いますか?多分、飛び上がってすぐにオートパイロット入れてあとは外の景色でも見て。これが一般的なパイロットの仕事のイメージではないでしょうか?パイロットになって実感するのですが、操縦できれば良いと思っていた仕事が実際には操縦というのは初心者の時だけ注目される点なのです。
ある程度になれば、操縦できるのは当たり前なので、それ以外の所が多く求められます。例えば、今飛んでいる状態というのは、どの法律や規程に沿っているのか?この風の強さや視程で着陸できるのは、どの規程のどの条件を満たしているのか?逆に、この視程だったら高度何フィートで滑走路のどの照明施設が視認できるとか。今日の離陸重量で離陸中に片方のエンジンが火災を起こして離陸中止をした場合、滑走路末端から何メートル手前くらいに停止できるのか?離陸中に1発エンジンが停止した場合、この空港周辺にはどの辺りにどんな障害物があって、1発のみの上昇能力でクリアできるのか?また、出来ない場合は、どのように回避するのか?等々、挙げたらキリがありません。特に国内線は時間が短いので正に戦場と言った感じです。
飛行機は良く最も安全な乗り物だと言われますが、あれは大きな間違いです。自動車と同じようなマナーや知識でフライトしたら、自動車以上に事故率は高い乗り物であることは間違いありません。徹底的に訓練された乗員が、それも2人乗っているので、ミスを防ぐ事ができるのです。飛行機の中では当たり前の事でも全て復唱しながら操作確認します。バスやタクシーでは当然しません。それだけ本当は危険な乗り物なのです。当たり前です。自然の摂理に反して空を飛んでいるのですから。知識も知らないなんて言うのは許されません。だからこそ半年に1回ちゃんと試験を受けるのです。これがなかったらこんなに良い仕事はないと思うのですが・・・。なにしろ、イメージと実際が大きく異なる職場です。
「どんな勉強も役に立つものです」
早稲田大学在学中には雄弁会にも在籍していた私は理系では変わり種だった訳ですが、パイロットとしても変わり種らしく、現在は労働運動に精力を注ぎ込んでおり、乗員組合の幹部として重宝されております。
現在私が全力で着手している組合での仕事は、組合独自の共済制度の創立です。この仕事に全権を委任されて当たっています。と、言っても、ほぼ私1人でやっているのですが。 パイロットの共済制度って何?って思われるかもしれませんが、簡単に言えば、生命保険と入院保険と所得補償保険とそれ以外の諸々のお祝い金制度等を全部合わせた制度です。
パイロットは機長で半年に1回、副操縦士も1年に1回航空身体検査と言う検査を受けます。これに合格しないと、即免許停止になります。また、この身体検査以外の時でも、ちょっとした病気で日常生活に支障が無くても、乗務は停止となります。この病欠がしばらく続くと、休職となり、会社から賃金の一切は支払われなくなります。スポーツ選手みたいなもので、体を壊したら終わりなのです。
こういう不安定な仕事であるので、所得補償保険の重要度は非常に高く、現在も同じような制度は組合独自で運営しています。ただ、この制度が開始されてから約30年経過し、今では時代に合わない制度となって来てしまいました。そこで、今回、私がこれらの制度を全て改正することになったわけです。
これまでは丼勘定だった会計を理論的に明朗会計にして、より安価で共済給付を受けられるようにする訳ですが、この新システムを考えた時に、理工学部で勉強した事も無駄にはならなかったなぁと切実に思いました。
今回は過去約30年に渡る組合の病欠者・死亡者データを電子化して、統計を取り、その発生率を理想数式化したのですが、これはまるで、実験で得ることができたデータをモデル化する作業のようでした。大学で学んだからこそ、成し得た仕事でした。また、元々パソコンなんて触った事も殆ど無かった私が初めてパソコンの基礎を学んだのも豊倉先生の研究室でした。それらを応用して、今回はこれらの共済制度を運営するパソコンのソフトを開発・プログラミングまで行い、プロのプログラマーの方達にもお褒めのお言葉を沢山頂きました。
正直な所、大学入学した頃から理系就職するつもりが無かった私でしたが、何の勉強が将来役に立つのか本当に分からないものだと実感しました。
「これから」
私はたまに自分の10年後、20年後について考えます。普通にパイロットしていたら、やはり10年後もパイロットなんだろうなぁって思うのですが、どうもあまり10年後の自分が空を飛んでいる姿をイメージできないのです。これは困ったものです。10年後はまだパイロットをやっているような気がするのですが、定年までパイロットしますか?と質問を受けたら素直に「はい」とは言えないのです。確かに1度は機長としてフライトしてみたいなぁと言う願望はあるのですが、なぜかそれで満足できないのです。まだまだ、自分の可能性を試してみたい。そんな気持ちが心の片隅にあるのだと思います。
昨年、大阪にて元豊倉研究室のメンバーの集まりがありました。私も、すっかり大学の集まりからは遠ざかってしまっており、今回初めてお会いする方ばかりだったのですが、異業種の方々に様々なお話を伺えて非常に楽しいひとときを過ごさせて頂きました。 また、ものすごく刺激を受けることも出来ました。できたらこういう場がもっと増えると嬉しいですね。
何か、長々と自分の近況報告ばかりになってしまいましたが、お陰様で、このように現在はエキサイティングな毎日を過ごさせて頂いています。僕の全てのルーツは早稲田大学にあったと思いますし、豊倉先生の元で勉強させて頂いて、残念ながら化学の知識は活かしておりませんが、それ以外の部分で本当に役立っております。全く畑違いのパイロットと言う仕事でも、無駄にはならない勉強でした。本当に感謝していますということで、中途半端になりますが、最後、締めさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
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