(藤縄 淳)
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略歴
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1998年3月 |
修了 |
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1998年4月 |
富士写真フイルム(株) 小田原工場生産技術本部 開発グループ 入社現在に至る |
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「 卒業〜近況報告 」
皆さんこんにちは。富士写真フィルムの藤縄です。
社会人になってもう8年、まだまだ若手と思っていましたが、職場では完全に中堅クラスとなり、後輩や部下も増え、若手の飲み会とかには知らない間に誘われなくなっていました。会社に入ると歳月が経つのが早いなぁと痛感しております。 結婚して4年、子供も今年3人目が産まれる予定で、家の中は毎日が戦場です。 仕事は小田原工場と足柄工場を行き来することが多く、全国屈指の花粉地帯
(確か全国で1番か2番)の足柄山から黄色い花粉が飛び始める季節になりました。
HPは時々拝見し、多くの先輩方の記事を読ませて頂いています。そして先日、豊倉先生から直々にお電話を頂き
(突然の電話で驚きました)、今回投稿させて頂きます。
何を書こうか考えましたが、先輩方の様に、大きな仕事をやり遂げた体験談やあるテーマに関する真髄を語るには、未だ知識や経験が浅すぎるため、それは次の機会とさせて頂き、素直に卒業〜近況を紹介したいと思います。
入社後、まずは当社カメラに使用されているプラスチックレンズ開発に携わりました。
技術開発を2年で終了させ、その後すぐに中国工場での生産を立ち上げると言う様に、入社前から計画は立派に出来上がっており、研究のための新装置も準備されており、レンズのことなんか何もわからないまま、新入社員の「フレッシュさ」だけを武器に、毎月の実験目標達成に向け、必死に頑張っていた様な気がします。
他社でも同じだと思いますが、私同様に、全くの専門外に配属されている同期がとても多かったです。但し、「研究の進め方」や「問題点へのアプローチ」、そして「根気」などは、大学時代に皆が身に付けるべき共通の技術で、その面では自分は豊倉先生に鍛えられていたお陰もあり、比較的スムーズだった気がします。
更に、運の良さ
(会社ではこれもとっても重要!)もあり、予定の2年間で生産技術まで確立し、中国での生産を立ち上げる段階に至りました。
そこから約半年間は中国(蘇州)での生活が始まりました。仕事面でも生活面でも何が起こるかわからない波乱続きの毎日でした。とにかく中国ならではの様々なことを体験できました。
(私が体験したのは、例えば・・・)
・日本から輸出した装置が、理由も良くわからないまま、中国税関で3週間ストップ・・・
・現地の工程リーダーが他社からの引き抜きで突然退社・・・
・落雷の度に何かが壊れる・・・
・クリーンルーム内でオペさんが装置の陰で飲食・・・
・空港へ向かうバスが高速途中で煙を出して故障、代わりのバスが来るまで1時間以上、全員高速道路に置き去り・・・
・屋台で食べた肉に全員食あたり・・・
(当然悪いことばかりではありません。勿論、レベルの高い技術者も数多く居ます。また本場中華料理は絶品、物はとっても安いし、女性は綺麗だし。英語は欧米の様には通じないので、中国語もかなり上手くなりました)
本当に色々ありましたが、ここでも運良く予定通りに立ち上げを完了しました。
こうして、入社後あっという間に3年間が過ぎ、その後の生産フォローも含めて、約4年間はこの仕事に携わりました。
今振り返ると、入社早々に、要素技術開発から装置設計・生産立ち上げ・量産安定化等の一連の流れを全て、しかも海外で経験できたのはとても大きな財産だと思います。
また「人の存在」の大きさ・大切さも学びました。いくら筋の良い技術でも、いくら装置が優れていても、やはり様々な場面で「人」の問題に直面し、「人」の力に助けられてきました。そこが大学時代との一番大きなギャップだった様な気がします。
その後、いくつかのテーマを経て、現在はプラズマ技術の開発に携わっています。入社後初めて腰を据えて研究開発にじっくり取り組める環境に置かれています。
化学工学の出身者にとって、「プラズマって何?」と思われる方も多いと思いますが、ハッキリ言って私も同様です。現象がとても複雑で何がなんだかサッパリです。
(サッパリだから面白い面もありますが・・)
当社にとっても今までは馴染みの薄い技術でした。従って、世の中の方が進んでいる技術分野だと思います。それでも、その分野で差別化技術を構築することを求められ、「そんな無茶な!」と日々苦戦しています。 最初から「他社と違うことをやれ!」と求める上司もいます。でも私はまずは「他を素直に学ぶ!」ことから始めています。あらゆる大学や学会を訪れ、世の中のプラズマ技術をCatch upし、自分なりの攻め方をじっくり考えています。 先輩方で、もし当分野の方がいらっしゃれば、是非一度お話を・・・。
卒業して約8年が経過しますが、現在でも研究室時代の仲間は自分にとって大切な存在です。
本HPにも既に寄稿されていますが、研究室で直属の先輩だった尊敬する黒谷先輩や、同期で良き友人/ライバルの倉澤君をはじめ、数名のメンバーとは、少なくとも年1回は集まり、学生時代同様に大騒ぎをしています。そこで話題になるのは、可笑しな事にほとんど毎回同じで、卒業旅行のことや学生時代の失敗談・恋愛談を想い出しては大爆笑しています。毎年同じ話をしているのに、毎年大盛り上がりできます。でも、ほんの少しの時間だけ、現在の仕事の話や将来の話をします。そしてその一瞬だけなのに、みんなの成長や頑張りを強く感じることができ、自分にとても良い刺激になっています。分野はみんなバラバラですが、通じ合えることが沢山あります。後輩の皆さん、是非、研究室時代の仲間は大切にして下さい。
最後に、先生は相変わらずご活躍のことと思いますが、健康には充分留意し、今後も我々卒業生の成長を見守り、時には昔同様に厳しくアドバイスして頂ければと思います。
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