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豊倉賢略歴
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2006C-2,6 倉澤卓士 1998年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  倉澤さんは豊倉が退職する1年前に大学院博士課程前期を修了した卒業生で、修士論文を纏めた年は、豊倉が在職中に行った研究成果を多角的に整理するための特別な期間として設定されていた早稲田大学国内研究員(名称は国内研究員となっていたが、教授会の承認を得て海外で研究することも認められていた。)制度の適用を受けて活動することが認められていた。この制度の適用規則は色々あったが、その枠内で大学院学生の研究指導も行っていたので、他の年次の学生と多少異なった指導法も行って、それまで以上に時間を掛けて充分な討論を学生としながら研究を進めた。この方式で、倉澤さんとは過飽和溶液内で成長中に形状を変化していく特殊形状の結晶の成長現象を研究した。その時の研究は比較的短い期間(例えば1〜2週間単位で適時決めて行った。)に区切ってその間の研究結果の討議を行った。その内容は?そこで起こっている現象の確認を綿密に行う、?そこで測定されたデータの定量的相関式の提出を行う。?それらの討議を纏めて暫定的な理論モデルを提出する。?ここまでの討議で纏められた暫定的な成果の一般性を実証するための発展的な研究(実験を含めて)計画を立てる。?そこで得られた成果の工学的応用に対する方策を検討する。(倉澤さんとの検討では、このような特性を示す結晶を生産するための装置操作法の提出を主たる目的にしていた。)等であった。

  当然そこでのデイスカッションを終了する時、ここで討議した短期的な実験計画に対して一応の結果が出る時に次回のデイスカッション予定日を決めた。このスケジュールはパンクチャルに実行した。これは倉澤さんだけでなく、全ての大学院学生に対する研究指導で行っており、どの学生もきちんと皆約束は守ってスケジュール通り行った。しかし、研究は常に新しいことを行うので、実測データ、相関式の誘導等行ってみなければ出来るかどうか分からないことも多々あった。その時は定法に従って次のデイスカッションで再検討し、計画を練り直したが、その段階で、倉澤さんは成功しなかった時には必ず、前回の討議の問題点を見つけ出していて、それに対する修正案を自分で考えて持参していた。また、現象モデルを実証するための?の実験でモデルの確認が出来た時には、さらにそれを発展させた種々の提案を考えてきていた。また、その結果の討議で期待したような成果が出た時など、その展開の一つとして「かくかくしかじか」の検討をしてみたらどうかと豊倉が提案すると、実は自分もその様に思ったので、その検討をしたら先生の云われる通りでしたと云われたこともあった。このような時など、つい、考えごとをしていると朝になちゃって、今日は眠いのです、などと云われることもあった。このような調子で、倉澤さんとの討議は予定時間を超えて長くなることはしばしばあったが、何時も楽しい時間であった。

 今回の倉澤さんの記事を読んでいると、内容は大学研究室時代と異なっていますが、その考え方、進め方には可成り共通な部分があるように感じました。特にいろいろの人と積極的に交際しているようで、頼もしい限りです。これからも大いに活躍してください。  (2006, 03,豊倉記)

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(倉澤卓士)

「 心に残った言葉〜2006春〜 」

旭硝子の倉澤です。
本HPへの登場は2回目になります。(ただ、1回目は、先生よりHP開設のご連絡をいただきましたので、特に何も考えることなく、お祝いと感想をお返しした文章がそのまま掲載となりましたので、正式に寄稿させていただくのは、今回が初です。)学生時代、どうひいき目に見てもまじめな研究者とは言えなかった私ですが、豊倉先生には、卒業してもう8年にもなるというのに、都度メイル等で励ましのお言葉などをいただくなど、お気遣いをいただいております。この場を借りて改めて感謝の気持ちを述べさせていただきます。

入社以来一貫して、化学品の製造業務に関わっております。旭硝子の製造課は、製造課が生産技術関係の業務も担当しますので、既存プラントの運転管理、コスト管理、品質管理、プロセス改善、労務管理等のいわゆる「製造」業務の他に、新規プラントのプロセス設計、法対応、建設、立ち上げといったプロジェクト業務にもメインで関わります。その中で、私は、数年の製造現場での主任業務を経た後、(非常に単純な理由ですが、)見た目に華やかで目立つ、プロジェクト業務への参画を志願し、ここ4〜5年はプラント建設プロジェクトにおけるプロセス設計、立ち上げが主なフィールドになっています。ただ、最近は、経営のより見える、本来の製造業務にメインで関わりたいと考えています。一昨年くらいから、希望は出しているのですが、なかなか通らず、今現在もプロジェクト業務進行中です。原因は、(驚いたことに)社内では化学工学の達人と誤解されているためです。社内(旭硝子的プラント設計の世界の中)では、それなりに通用する自信はあるのですが、一歩社外に出たら、全然勝負にならないことは分かっているので、困った限りです。(おそらく勝負ができるのは、化学工学便覧の汚れ具合くらいです。)

近況ですが、このところは主に、フッ素系の撥水撥油剤(製品名:アサヒガード)という製品群にかかわっています。 最近ようやくプレスリリースも行われましたが、PFOAフリーのアサヒガードプラントのプロセス設計、建設、スタートアップと担当してきました。現在は、本プラントのコスト解析、原単位改善、ボトルネックの解消といった、「製造業務」としての実務をおこないつつ、次なるプロジェクトの基本設計を開始しているところです。

ファイン系、機能系の製品は、どちらかというと、固有の技術で形成されており、一般的な化学工学の理論は通用しない(意味がない)と思われがちです。(少なくともわが社ではそうです) 確かに、新規の物質がほとんどであり、特に不純物等の物性はほとんど情報がなく、取り扱いが難しいところがあるのですが、前提条件とOUTPUTに対しての是非の判断さえ間違えなければ、まだまだ化工技術が通用する世界であると考えています。(この辺は、一言で言うと「センス」が重要だと思います。学生時代からですが、この部分だけは自信がありました。(他には何にもありませんが。))

あとは、現象をモデル化して考え、とりあえず、計算してみて、定量的に表現してしまうところでしょうか?この辺は、先生から教わった手法です。また、結果に対して、問題ないと判断したら、適当な理由をつけて、無理やり実行に移してしまうのも、先生を見て覚えた手法です。(幸いにも、弊社には細かい検討資料を見て、突っ込んでくる外敵は、一応信頼を得ているのか?おりませんので、リスク管理だけはしっかり行いながらも割合好き勝手に進めています。)

元々は、気液平衡の理論でほとんどの現象が表現できる(と私は考えています)、コモディティ製品を中心とした職場で仕事(修行)をしておりました。この世界では、現実のプラントで起こっている現象を、数式でぴったり表現することができます。今、仕事を進めるにあたって、ここでの経験(修行)は非常に大きな幹になっています。最近は、基礎系の職場に若い新人はほとんど入ってこなくなりましたが、何とか、余力を確保して、若い人たちに、プロセス設計理論を基礎から技術を学べる場を提供してあげたいところです。また、私個人としても、これから、どのような方向にいくかわかりませんが、技術屋であるかぎりは、化工屋としての感性を忘れず、実践していきたいと考えています。

では、、、といいたいところですが、私のことだけ書いても、内容が全然ありませんので、何か書きたいと思います。

社会人になってからですが、ワインの世界にはまり、ある人物と知り合ったことがきっかけで、いくつかのワイン会に出るようになり、たくさんのワイン愛好家(よっぱらい)と知り合いになりました。 基本的には、ただ飲み食いをしているだけなのですが、その中で、最近面白いなと感じた何人かの発言についてご紹介いたします。 社内でも、影響、感銘をうけ、これから書くもの以上に、皆さんにご紹介したい言葉がたくさんあるのですが、個人が特定される恐れがありますので、控えたいと思います。

1.「家の外は全部戦場」
・・・Aさんとします。⇒某金融関係の社長さんです=ある人物。

・この間、愛車の一台であるキャンピングカーにガソリンを入れようとしたところ、間違えてシャワー等で使う給水タンクにガソリンを入れてしまった。なんと、修理費だけで、20百万以上!!⇒このエピソードは知っている人は知っているので、人物が特定されてしまうかも。⇒その場合は、後日H/Pからこの部分だけ消去をお願いするかもしれません。
・素人にはなにやらよく分かりません(妻は良く知っている)が、とんでもない血統のチャンピョン犬を買っており、最近、子犬をプレゼントするからお前も飼えとうるさい。丁重にお断りし続けているのですが、なかなか分かってもらえず困っています。(察して欲しい内容⇒無理です。1年後にはわが家のエンゲル係数が100%超えてしまいます。)
・・・前置きはこのくらいにして、主題の件につきご説明します。(会話形式とします)

A「僕は、玄関を一歩でたら、一瞬たりとも気を抜いていないよ。どんな状況でも、戦場にいる気持ちで戦っている」
A「職場では、若い時からそういう気持ちでやってきた。お客さん相手には絶対に勝たなければいけないし、同僚に対しても基本的には叩き潰さなければいけない敵だと思ってやってきた」
A「僕は、何に対しても負けられないんだ。たとえばゴルフにしてもそう。僕は、仕事ばかりしてきたから、ゴルフを始めたのは50近くになってからなんだけど、確実に100をきるようになるまでは、関係者とはコースに出ずに、一人で練習を続けた。プロについて教えてもらったけどね。」
A「ワインだってそう。自分で研究をして、誰にも負けない知識を得るまでは、パーティーには出席しなかった」
A「僕は、一瞬たりとも気を抜かないんだ。だから、プライベート以外は何の接点もない君と、こうしてワインを飲んでいる時間が最高に楽しいんだよ」
A「君も、僕のようになれとは言わないけど、職場は間違いなく戦場だよ。君も、すでにそう思っているかも知れないけれど」

私「当然です。働くというのはそんなに甘いものではないと、私も認識しています。私も、上がっていくために、障害となるものはどんな手を使ってでも排除します」
(酔っていたので、完全には覚えていませんが、上記位の事は言いました)

さて、私は明日も、戦場に出かけていきます。気合のほどは半端ではありません。 左手には、大事な?書類の入ったかばんを。そして、右手には大量のごみ袋を。 世界中探しても、ごみを出してから戦場に出かける兵士は、私くらいでしょう。 「モチベーション下がるんだよなー」なんて、我が家の嫁さんには口が裂けても言えません。

2.「死ぬ気で働く。。。とは」
・・・Bさんとします。⇒この方も別の金融関係の営業所長さんです。
・この日は、Bさんが部下たちを呼んでの、ワイン会でした。社内の人間のみでは、仕事の話ばかりになってしまうということで、部外者の私+妻+子が呼ばれました。ところが、やはり日本人の気質と言うのでしょうか?普通に仕事の話題になり、営業系らしく、気合の入った会話が始まりました。 私は、「始まったよ」といった思いで、流して聞いていたのですが、要約すると、下のような内容でした。

部下たち「目標達成のために、プライベートを完全に犠牲にしている。寝る暇もない。死んだつもりで仕事している」
これに関して、それまで、珍しく黙って聞いていたBさんの言葉です。

B「お前ら、死ぬ気で働いている現場がどういうものか分かっているのか?死ぬ気で働く職場では、本当に人が死ぬんだぞ。お前らの仲間で誰か死んだか?お前らの死ぬ気なんて所詮そんなもんだよ。」

酒が入っているとはいえ、よくこんなこと部下に言えるなと思って聞いていましたが、その後Bさんより「人が死ぬ職場」についての実体験を聞かされ、凍結しました。 (あまりにも、ショッキングな内容ですので、この場では記載をしません。その後、30分は会話が途絶えたのは言うまでもありません。)

さて、私も100時間/週程度の労働であっても気合が乗っていれば楽勝でしたので、自分の(仕事に対しての)タフさには自信を持っていましたが、棄却です。以前から、よく使っていたフレーズ「死ぬ気でやります」もこの日依頼 ?以来 封印です。本当に覚悟を決めたときに使用したいと思います。(使用機会のないことを祈るのみです)

3.「ベンダーもお客様も全員部下?」
・・・Cさんです。⇒あるメーカーの技術部長さん
。 ・旭硝子の化学品の中では、かなり大規模な投資を伴った某プロジェクトでの失敗談です。技術的なハードルも新規のプロセスの連続であるため高く、ターゲットとなる工期もかなり厳しい状況でのスタートでした。建設プロジェクトにあたっては、外部のエンジニアリングメーカーと契約をしたのですが、引き合い額の最も(格段に)安いどちらかというと中小のエンジ会社との契約となりました。(引き合い仕様の説明時から、客観的に見てもっとも頼りがいのなさそうな感じを受けました。) 対象となる化学物質はフッ素系の有機・高分子化合物であり、どちらかというと、一般的にはなじみの薄い特殊な物性を持っています。また、製造工程についても、もっとも少ない品種でも6回の反応・重合とそれらに付随する分離、精製工程があり、ブロックフローを書いただけでも一般的な化学プラントのフローシート以上に複雑になってしまうようなものでした。採用した、エンジ会社はこういった特殊なプラントの設計には慣れていなかった模様で、なかなか、こちらの要求する仕様を満足できず、設計〜建設工事まで、つまづきの連続でした。最終的には、こちらが、本来であればエンジ会社の所管である業務についても、徹夜の連続で対応しなければいけない状況になりました。(もちろん、エンジ会社側はそれ以上に徹夜の連続でしたが。。)今回の、プロジェクトの反省として、上層部は「採用するエンジ会社の実力を見誤った」の一言で片付けましたが、実行部隊である、我々はたまったものではありませんでした。 (以降、会話形式)

C「それは、大変だったね。エンジ会社の仕事もやっちゃったんだ。」
私「本当ですよ。設計費を個人的に返してほしいですよ。」
私「普段のJOBなら、エンジ会社から教えてもらうこともたくさんありますよ。でも今回は、こちらが逆に教えました。講習費ももらいたいくらいです。今回、彼らから教わったことは何もないですね。唯一、教わったことがあるとしたら、簡単には他人を信用するなということくらいです。」

C「でも、それは、良くないね。もう少しお互いに、コミュニケーションをしっかりしていれば、もう少しうまくいったのではないかな?」
私「そんなことはないと思います。こちらからは、彼らが設計をするのに必要な情報はきちんと渡していました。彼らの実力がないために、うまくいかなかったのです。」
C「では、少し話を変えよう。部下の仕事を管理については、情報と目標だけ与えて、結果が出てくるまでほったらかしということはないよね?」
私「それは当然です。一応管理職ですし、部下の育成も重要な職務であると考えています。細かいところまで首を突っ込むのは方針として控えていますが、必要なフォローはしますし、進捗管理もきちんと行っています。」
C「製造現場のオペレーターの管理についても同じようにやっている?」
私「それはもっと大変です。彼らのモチベーションを維持するために、逐一細かいフォローアップをしなければなりません。時には身銭も削って飲みにいったりもしなければなりません。せこい手段ですが、現場でリーダーシップを発揮するためには、必要なことだと考えてます」
C「そうだよね。僕が言いたいのは、エンジ会社に対しても同じように、細かいフォローをして、方向につまづきがあれば、都度修正していくような対応が必要だったのではないかということ。」
私「それとこれとは、話が違うのではないでしょうか?」
C「何が違うの?」
私「全然違います。エンジ会社に対しては、こっちは顧客です。高い設計費をはらって業務を委託しているのだから、受けた仕事はきっちり責任をもって自己完結してもらわないと。」
C「何が違うのかな。社内の部下にだって「給料」という費用を払って、業務を委託してるじゃない。同じことだよね。」
私「・・・・・」
C「同じことなんだよ。君がスーパーマンだったら、全ての仕事を一人でできる。でも、できるはずはないから、お金をだして、君のミッションの一部分ずつを受け持ってもらっているんだ。同じことなんだよ。部下であろうが、ベンダーであろうが、君の職務の達成のための協力者なのだから、誠意をもってフォローしなければいけないんだよ。」
C「考えてみてくれ。もし、そういう気持ちで、そのプロジェクトを進めていたら、少しは結果も違ったのではないかな。」

私「・・・確かにそうかもしれません。」
C「僕は、社内外にかかわらず、基本的には同じ気持ちをもって、対応するように心がけている。今回は対ベンダーについての話になったけれど、それは相手がお客様であろうとも、商社であろうとも同じだよ。全て、僕の仕事を請け負ってくれている大事な部下と思っている。そして、社内の人間であろうが社外の人間であろうが同じ費用が発生している。少し、飛躍した考えかも知れないけれど、僕は、そう考えて行動するようにしているよ。」

私もCさんの考え方に感銘を受けました。結果、私の大事な部下の数は飛躍的に増加しました。(相手はだれもそう思ってはいないはずですが。)すぐに、気持ちの切り替えは難しいですが、極力その考えで行動するようにしています。果たして、どのように変わるかは今後のお楽しみです。
さて、原稿の締め切りはとっくに過ぎているというのに、思いつくままに書いていたら、長文になってしまいました。今、過去の寄稿文を改めて見させていただきましたが、自分の文章のレベルの低さに恥ずかしくなりました。しかも、文章を書いてみて改めて読んでみると、たいして心に残るような内容でないのがまた恥ずかしい。(酔っていると感情が豊かになるということでお許し下さい。)

豊倉・平沢研の仲間とは、学生時代の一時期をたまたま同じ場所で研究しただけに終わらず、先輩、同期、後輩問わず、定期的に集まってお互いに近況の報告をできる間柄になっています。このようなすばらしい豊研に在籍できたことを今でも誇りに思ってますし、先生はもちろん仲間たちには大変感謝しています。近い将来、同年代の仲間だけではなく、豊研の皆様とお会いし、同じように意見交換ができる日を楽しみにしております。

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