(兼子 功)
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卒業後の略歴
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1994年4月 |
日東化学工業株式会社入社 中央研究所(横浜市鶴見区)配属(化学工学系業務を担当)
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1998年10月 |
三菱レイヨン株式会社に合併され、部署名変更(大竹(広島)のエンジニアリング開発G駐在へ)
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2001年7月 |
生産技術センター発足して、部署名変更 |
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2006年3月現在 |
生産技術研究所横浜技術開発グループ 所属 |
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(所属名称変更は何度かあったものの、母体組織としての異動はなし)
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「 社会人になって13年目の今 」
94年修士卒の兼子と申します。
豊倉先生、平沢先生には在学中大変お世話になりましたこと、この場を借りてお礼申し上げます。 私は94年に日東化学工業に入社して以後一貫して化学工学関係全般の業務に携わっております。途中親会社の三菱レイヨンに吸収合併されるなどの激動がありましたが、業務内容は大きく変わっておらず、新規開発物質のプロセス構築や経済性評価、製造処方の最適化などの開発研究から現行工場製造の改善検討など手広く行っており、併設している(実態はひさしを借りている)横浜の基礎研究グループとの共同研究のみならず、大竹(広島)、豊橋、富山といった他地区の研究業務についても携わってきております。
晶析に関しての取り組みですが、継続的な業務ではありませんが新規物質開発関係で時々入っており、数としては比較的多めになっています。その内容ですがスケールアップ対応は勿論のこと、不純物精製や結晶粒径のコントロールなど様々な事柄が案件として出てきております。これらの案件については在学時に学んだ知見と経験を活用しております。
今回、私は合併に伴って学んだこと、感じたことを以下に記してみたいと思います。
1.異文化交流
合併前は化学会社であったためか上司などへの報告や全社発表の場合、晶析特有の専門用語以外は自分の知識の範疇でそのまま記してもかなりの部分は相手にも通じることが多かったものです。しかし、合併して繊維樹脂会社となってしばらく過ぎると化学関係専攻以外の方との接点が増え、業務内容を説明するようになってくると、これまで通常用語と思っていた言葉や感覚が通じにくくなっていることに気付きました。
ここ最近の個人的な担当テーマは、横浜地区の基礎研究部署との共同検討だけでなく、繊維(豊橋、富山)の製造工程改善のための検討にも携わっておりますが、繊維関係の部署では化学関係と言えば重合中心で、その他も機械系専攻が多い傾向のためか、プラントの物質収支の吟味についても改めて自分の目で確認する必要があるなど、ある意味自己判断を頼りにすることもあるのは確かです。
このような方とのやり取りは、最初は話題や関心のポイントがずれていることがままあるなど「何から手がけたらいいの?」といった心境になったこともありました。とはいえ、ある程度自分も相手側の世界をほんの少し理解でき、また自分の考えが相手に伝わってくるようになると、認識の共有性が少しずつできてくる感触を持てるようになってきます。一般に他地区工場支援テーマは検討期間が短い為に、数年経つと工場関係者とお別れになってしまいますが、後日自分が提案した考え方(解析方法)とかを現場とかで活用している光景を見かけると取り組み甲斐があったと安堵する次第です。
2.「工場を建てる」が研究の目標だけど・・・
製造業で研究業務に携わる私たちの最終目標は、ずばり「工場を建てる」ことですが、昨今の時勢もあって大型設備投資に慎重な傾向があります。一方で日本企業の流れでは高機能高価格品の事業化に向かい気味であることも確かです。このような高機能高価格品の開発においては、売り時のタイミングが成否をわけるために、研究開発に対しては異常なまでの高速性が求められ、結果として業務的に下流の化工関係の研究は既存技術のつなぎ合わせとかで対処せざるを得ず、革新案を組み込んでみようとする機会も作りにくいのが現状です。実際出来上がった工場を見ると、時間をかけられればもっと効率の良いプラントになるのに・・・とか思っても後の祭りになることも多くあります。
弊社規模の会社の研究開発は、基礎研究には十分に時間をかけられないためにどうしても目標に対して革新的な考えを組み込む時間をとりにくく、既存技術の組み合わせでまとめがちであり、たとえ革新的構想を組み込んでみてもその先で「慎重な判断」によって見送り、ということもありました。自分としては折角な機会なので効果的ならば革新的構想の一つや二つを実践に応用したいものと研究段階ではいろいろ思いを巡らせて提案していますが、製造や設計を預かる立場の方の心を動かすような方策も必要なのだろうかと模索している次第です。
研究室を卒業して12年経つといろいろ思うことはありますが、ある程度まとまって書けるようになることは意外と少ないものだと思います。本当は中堅社員として頑張らなければいけない世代ですが、まだまだ学ぶことが多いのが実情で、もしかしたら定年になっても残してしまう事柄もあるでしょう。ただ、そんな状況にあっても給与を支払ってくれる会社にささやかながらも貢献をしようと日々奮闘しております。
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