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豊倉賢略歴
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2006C-2,4 齋藤広美 1985年学部卒  (工学士)

 
  齋藤さんは1984年4月の卒論配属で豊倉研究室の配属になり、翌年大学院博士課程前期を修了して住友化学工業に就職した武内さんと一緒に2次核発生の研究を行った。当時応用化学科に在籍した女子学生は在籍学生数のほぼ5パーセント見当で、各研究室に一名くらいは所属していた。女子学生の能力は男子学生と差がある訳ではなかったが、日本社会の女子学生観は男子学生に対する見方とは異なっており、化学企業への就職を希望した女子学生もいたが、まだ、男子卒業生と同様に厳しい企業人としての活躍を期待しようと云う空気は余りなかった。そのためか早稲田大学応用化学科に所属している女子学生は能力に恵まれて実行力があり、社会の偏見に拘ることなくしっかりした自分の意思で行いたいことをのびのびと実行している人が多いようであった。その意味では女子学生の学生生活を見ていると、男子学生もより人間らしい行動を考えた方がよいのでないかと思うこともある。

  齋藤さんの応用化学科在籍時の学生生活について豊倉は特別なことを知っているわけではないが、菊地さんや武内さんが何でもよくできる立派な女子学生と話していたのを覚えている。また、研究室の集まりの時には他の学生と一緒に豊倉の家に来て、家内や娘ともいろいろ話をして楽しんでいたようで、我が家の評判はすこぶるよかった。今回書いてもらった略歴や記事からは孔子のように毎日不惑の生活を送っているようで、豊倉には齋藤さんのように多彩な才能のないのが残念ですが、刺激を受けてこれまでより広い視野でいろいろのことを楽しめるようになりたいと思っている。 (2006、03, 豊倉記)

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(齋藤広美)

略歴
1985年4月 三菱化成工業株式会社(現 三菱化学株式会社)総合研究所 入社
(数理解析研究室、研究計画室 に所属)
1990年3月 三菱化成 退社
1990年4月〜1991年9月 当時は「人生の春休みをとって、プータロウしてます」と自称していました。 今の言葉で言えばニートなのでしょうか。デザイン学校に通ったり、たまに単発のバイトもしたりしていましたので、フリーターになるのでしょうか。 はっきり言えることは「ひきこもり」ではなかったことですね。それとはまったく逆にいつもあちこち出かけて遊んでいました。
1991年10月 キヤノン株式会社 入社(デザイン研究所、品質本部 に所属)
1999年5月 キヤノン 退社
1999年6月〜2001年3月 人生の夏休みと称して、20年ぶりに駿台に通ったりして受験生をしていました。
2001年4月 福井医科大学(現 福井大学)医学部医学科 入学
2006年4月現在 医学科6年在学中
その他
1995年 講談社から言葉遊びの本『回文人生劇場』を出版
2004年8月 銀座ギャラリーミハラヤで個展(油絵、デッサン)
(豊倉の退職時に卒業生が出版してくれた「二十一世紀への贈り物 C-PMT」の表紙は齋藤さんのデザインです。)


「 "魅惑の女子大生"ならぬ、"不惑の女子医大生"をしています 」

  豊倉研究室OBの皆様、こんにちは。いわゆる「できのわるい学生」だった私が、この欄に寄稿するのは甚だおこがましいのですが、こんなヘンな奴もいるのか、という程度に広いお気持ちでお許しくださいませ。豊倉先生から頂いた執筆依頼文の中に、「卒業後のことや近況、後輩へのメッセイジ、その他定年後の人生に役立つと思われることなど、広い意味で建設的なものを自由に執筆頂いて…」とありましたが、卒業後もトンチンカンな人生を送り続けておりまして、どんなに「広い」意味でも「建設的なもの」などお話できないのですが、近況報告をさせていただきます。

  前置きが長くなりましたが、私は、現在、福井大学医学部医学科の6年生をしています。早稲田大学をやっとのことで卒業した後は、三菱化成(現三菱化学)に5年、キヤノンに7年半ほど勤務しましたが、いずれも中退してしまい、流れ流れて、今はここ大本山永平寺のある福井県の永平寺町で学生生活をおくっています。最近は各医学部の学士入学枠が増えたために、社会人経験のあるものは編入生として2年次や3年次から医学部に入学するケースが多いのですが、当時はまだ全国的にその枠が少なく、私も数校受験してみましたが約百倍の難関で全て不合格。そこで、センター試験(昔の「共通一次」です)をルーズソックスの女子高生や茶髪にピアスの男子高生などに混ざって受験をして、5年前の4月に福井医科大学(現福井大学医学部)の1年生として入学しました。

  「もう若い時とは違うのだから、しっかり勉強しよう、当然しっかり勉強するに決まっている」と勉強に明け暮れる自分の姿を思い描きながら、約20年ぶりの大学生活をスタートしたのですが…。定期試験直前に「お願い!出るトコだけ教えて!」という言葉を20年ぶりに発している自分に自分で驚きつつ、人間って何があってもなかなか変われないものなのだなあ、としみじみ情けなく感じているのが実態です。自分自身に対する「定点観測実験」のような大学生活を20年ぶりに送ってみて思い知ったことは、「歳をとったからといって、大人になってはいなかった!」「性格や行動パターンはそうそう変われるものではない!」ということです。

  会社をはじめ、ある組織の中で年月を過ごしていくと、その中での立場が新人からだんだんと中堅へと変わっていき、その立場としての役割を担っていくことなりますし、また、その組織の決まりごと(仕事の進め方から、各伝票の書き方などの雑多なツマラナイお作法に至るまで)に慣れていくことで、なんとなく自分が「大人」になっているような気分でいたのですが、私の場合それはほとんど錯覚でした。同じ学生という立場で20歳も年下の学生達と一緒に過ごしてみると、見た目は「大人」(なんのことはない、若者にはないシワやシミがあり、肌にもツヤがなくなっているだけことなのですが)の私が、いちばん「大人げなく」、試験前にジタバタと一夜漬けをして、準備万端の「オトナ」の若者に教えてもらったり、といった具合です。これは大人云々ということ以前に、単に私がギリギリまで怠惰に過ごしてしまうダメな性分ということもありますが、外見や肩書きといった「かぶりもの」によって、なんとなく「そのもの」になったような気分になっているものだな、と痛感しました。

  話は逸れますが、先日の放射線科の試験直前には、豊倉研の先輩であり医者としての先輩でもある放射線科医の林敏彦さんにメールであれこれ教えていただき、たいへんお世話になりました。豊倉研在籍中も落としている科目を研究室 の方々に教えていただいたお蔭で卒業できたのですが、まさか卒後20年も経って医学部の単位まで…。豊倉研の皆様にはほんとうに足を向けて眠れませんね。

  そんなこんなで、なんとかここまでは留年せずに6年生になり、現在は大学病院や学外の市中病院の各科で病院実習をしています。実習の現場では患者さんと直接接する機会も多いのですが、初めに学生であることをお伝えしていても、この歳で白衣を着て聴診器をさげている訳ですから「中堅の医者」と思い込まれてしまうことも少なくなく、そういう時はニセ医者になったような申し訳ない気持になります。人間として大人になっているか否かにかかわらず、また医者としての実力の有無にかかわらず、「外見」だけは確実に歳を重ねているので、その「自分自身の外見」に「医者としての中身」「人間としての中身」を追い付かせるためにも、これからずっと勉強しなければならないでしょうね。

今年は最終学年ですので、9月からの卒業試験と来春2月の国家試験が控えています。「学習曲線と老化曲線のせめぎ合い」の中で頑張ります。

  豊倉研究室の集まりの際には、またぜひ皆様にお会いしたいと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。

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