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豊倉賢略歴
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2006C-2,1 人見浩史 1979年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  人見さんは豊倉がアメリカ留学から帰国して、丁度10年経った頃の研究室に在籍していた。当時の研究室にはポーランドの大学で博士論文を纏めたDr.Piotr Karpinskiを日本学術振興会の長期招聘留研究員としてポーランドから1年間迎えていた時期で、研究室の活動が海外からも評価をされるようになった時代であった。当時の研究室研究テーマは晶析装置設計理論の他、2次核発生速度、精製晶析機構と操作・装置に関する研究も軌道に乗って来た頃で、また新たに晶析操作の環境技術への適用も始めていた。このような状況であったので、研究室の研究活動はテーマ毎に数グループに分かれて行っており、豊倉は研究室セミナーの他に、研究の進捗状況に合わせてグループデイスカッションを頻繁に行っていた。このデイスカッションでは、まず実験結果中心の検討を行い、その結果がこれまでの理論で説明できることであるか?またその実験条件がその理論が提出された条件と全く同じものであるか否かを検討して、その実験研究で得られた結果が既存の理論で説明できるかどうか、そこで説明できる場合ここで得られた研究結果はどのような範囲の操作条件に対してまで拡張して適用できるかを検討し、その検討結果確証するための確認実験を行って次ぎに発展させる方法で研究を進めた。また、研究実験が既往理論の提出条件と異なる場合には、研究テストで観察された現象やそれに支配的関与すると思われる操作因子の寄与をモデル化して定量的な相関式を提出し、新しい理論の構築を図った。

  この討議は、その課題研究に直接関係した複数の学生と豊倉で行ったが、ここでの討議内容はそのメンバー全員に取って初めてなものであり、先生なら分かると言うもではなかった。そこでの充分な討論に参加できる人は、平素から工学理論はどのように組み立てられるものかよく考えてることが必要であり、また、実験研究においては実験中に何が起こっているかを常に注意深く考え、そして、何のために研究を行うかをよく理解していることが重要であった。人見さんを中心に行った研究室のデイスカッションではデータを見ながら、それは何を意味し、これからどのように発展させるかを討議して価値ある成果を出す必要があった。この時、人見さんの発言は慎重で、周囲の人が考えてることもよく考えた上で、自分の意見を纏めて発言をしていた。その意味で、豊倉は何時も人見さんの発言内容に高い関心を持っていた。今回記事に纏められた人見さんのドイツでの経験と活躍内容は、早稲田大学での研究活動とは異なることは多々あるように思えるが、成果が上がる活動をするための行動を考えた時、その奥に多くの共通点があるように思えた。その意味で、今回寄稿頂いた記事は後輩にとっては貴重な記事であるばかりでなく、第一線で活躍している先輩にとっても参考になる内容の豊富な記事で、豊倉にとっても自分の経験と重ねて楽しいものであった。   ( 06、03、豊倉記 )


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(入野 浩史:hiroshi-hitomi@ma.dic.co.jp

1979年 3月 理工学研究科卒業
 同年 4月 大日本インキ化学工業? 入社
吹田工場 応顔製造部生産技術課
1988年 1月 ドイツ・ポリクローム社に駐在(関連会社出向)
1990年 10月 ポリクロームジャパン群馬工場製造部(関連会社出向)
2005年 6月 小牧工場 新加飾プラント建設PJ(大日本インキ化学工業(株)復帰)

「 空を飛んだDog in Toyokura Seminar! 」

入社以来生産技術・製造畑を中心に歩んでいます。 これまで新規事業の立ち上げから生産の軌道化まで関わることが多く、現在も名古屋の方で新しい事業の立ち上げに生産部門の代表として参画しています。 また、大阪・吹田時代には社外で統計的品質管理の勉強をする機会を得、日科技連のお手伝いも少しすることが出来ました。88年にドイツに駐在したのもその経歴がきっかけでした。

1.”我が輩も犬である。”
忘れもしない、本年1月5日の仕事始めの日、メールをチェックしたところ

送信者 Ken Toyokura
件名  研究室HP掲載記事執筆依頼
????

Ken Toyokura といえば一人しかいらっしゃらないあの方?
先生からメール?執筆依頼?何ゆえ?と思って明けてみると。。。。。
自慢ではありませんが、学生時代は学問よりエンターテイメントな刹那的な日々を送り(学生注目!今、本当に後悔しています。)、先生の自慢の学生では決してなかった自分が何故?自慢?と云えば、自宅が先生のご自宅に一番近かったこと! 年賀状だけは差し上げていましたが、ここしばらくお目にかかったこともないのに。。。。。と先生の意図を慮りました。慌てて、HPを開くとりっぱな先輩・後輩方の中味の濃い記事がずらりと並んでいます。私なりに解釈した先生の意図は次の通りでした:
1.HP購読者層の拡大
 優秀な方々ばかりではなく豊研卒業生みんなのHPにしていきたい


2.同様の生活を送っている後輩への教訓
受験勉強の際覚えたものと思われるのですが、何故か、英語の”Every dog has his day.” というフレーズが頭に残っています。
「誰でも一度は人生最良の時があるものさ。」そんな意味だったと思います。 という訳で、私ももう50を過ぎました。この先、更に最良の日が来ることを願っていますが、 これまで経験した中から自分なりに充実した日々を思い起こし、説教するオジサンは嫌われる といいますが、後輩の方々へ託する言葉を並べさせて頂きたいと思います。

先生の意図通りになることを祈って筆を進めます。

2.「駐在の心得」的、「外人との接触の心得」的なもの
HPの中にも多くの諸先輩・後輩方が同様なことに触れられていますので、繰り返しになるかも知れませんが、若干の経験を披露させてもらいます。

88年から90年まで、当社が79年に買収した印刷用アルミ版(PS版)の生産会社”ポリクローム社”ドイツ工場に3年弱家族ともども駐在しました。駐在場所は、北ドイツのハノーファーの南、ゲッティンゲンの東側にあたるハルツ山中のオステローデという人口数万人の小さな街でした。その街には、当時、松下のビデオ工場があったため、日本人も数家族住んでいましたが、会社では、私が唯一の日本人でした。

オステローデは、旧東独との国境に近く、車で30分も走れば国境に辿り着きます。駐在中にちょうど、89年のベルリンの壁崩壊という大転換期にドイツに居合わせることが出来たのはラッキーでした。東独方面から国境を越えて入ってきた東独の国民車Trabant(パブリカに似たあの車です)に国境近くの西独村民が拍手をして迎えていたのが印象に残っていますし、西独DMを1:14の換金比率で東独DM交換して買い物をしたり、解放前に東独に入った時は車の下まで警備兵に調べられたのに、解放直後は、警備兵からViel Spass!(楽しんできて!)と声をかけられるなど様変わり!などなど大都市駐在では得られない得難い経験を多くさせてもらいました。

(1)郷にいれば郷に従え
 当時、TQCが一つのブームを迎えており、当社においても盛んにTQC(主に、統計的品質管理)が導入され、自社内でもTQCセミナーを開催したりしていました。駐在目的は、QCサークル活動から方針管理まで含めた日本的品質管理を海外の関連会社にも拡げようというものでした。その頃は、現在ほどグローバル化とは叫ばれておらず、駐在は限られた人のものだったような気がします。当然自分が海外に行くなどとは思ってもいませんでしたし、どちらかと云えば、英語も外人も苦手な方でした。ドイツ語は学生時代第二外国語として履修していましたが、当然“単位が取れれば”程度の勉強でしたから、赴任前に日本で半年、アーベーツェーデーから、現地で半年間ゲーテインスティテュート(語学学校)に通いました。

駐在初日、先方は、外国に駐在するくらいですから当然英語なんか出来るはずと思いこんでいる節もありましたが、当方、会話もまともに出来なかったため、英語の下手なことを隠すために「俺は、ドイツに来たのだからドイツ語で仕事する。」と宣言したのでした。結果的にこれが、ドイツ人の自尊心をくすぐり、ドイツ語は世界一難しい言語なので短期間に出来なくても当たり前と思わせることが出来(彼らが勝手に思った?)、前任者は、英語が出来ないという理由で丁重にお断りされたのに対し、予定通りの駐在期間3年を生き延びることに成功したのでした。今思えば、最初の1−2年は、日常会話に毛が生えた程度の語学力だったような気がします。3年目、ようやく仕事にも使えるかなと自信がついた頃の帰国でした。

 ドイツは、日本より学歴社会ですし、日本と同じで、現地ほどの田舎に行くと現場のオペレーターは当然英語を話せません。ドイツ語で通したため、現場のオペレーターの方々ともコミュニケーション出来たのもドイツ語で通した収穫でした。また帰国直後から、ドイツ工場の技術をベースにデザインされた新しい製造ラインを立ち上げたりしましたので、その後も年一回は現地に足を運び技術交流を図ったり、ドイツ製の原料や機械を使っていましたので向こうからの出張者とのコミュニケーションにもドイツ語は役立ちました。さすがにドイツ人も英語ばかり話していると疲れるようで、よく相手をしてくれました。洒落にもなりませんが、ドイツで行われたワールドワイドでの製造担当者会議では、アメリカ人の発言(英語)が理解できず、ドイツ人に通訳してもらったこともありました。今でも続く彼らとの付き合いは、会社生活だけではなく我が人生の最大の財産になっています。

中学から始まる大学2年まで8年間の日本の英語教育はいったい何だったんだと云いたくなりますが、外国語を修得するにはある期間外国語浸けとなり、頭の中にある言葉の回路のスイッチを時間をかけて順々に切り替えていく必要がありそうです。英語圏への赴任にはある程度の英語力が必要でしょうが、それ以外の国へはこんなアプローチの仕方はいかがでしょうか?東南アジアの赴任者からもこれに似た話はよく聞きます。現地の言語を日常会話の域をこえた程度学ぶことは業務をスムースに遂行するためにも”must”に近いものだと思います。まあ私の場合は、駐在目的が、ラッキーにも、すぐにノルマ達成や成果を求められない比較的“軽め”なものだったことも事実なのですが。

(2)外人も日本人も同じ
初めての海外赴任でそれなりに不安はありましたが、赴任前、自分なりに「ドイツ人も日本人と同じで、いい人もいれば悪い人もいる。」と考えることにしました。その方が、何か嫌なことがあった時、気が楽だと思ったからです。実際、約束を守ってくれなかったり、現場に行っても無視する人もいれば、興味深げに寄ってくる人など様々でしたが、その後の駐在経験でもその通りであったことが証明されました。

海外において、何か嫌なことやトラブルがあった場合、ドイツだから・・・・とか、ドイツ人は・・・・などと考えがちですが、即ち、全体の問題とは考えず、個の問題と考えれば個々にはバラツキがあって当然ですし、そう考えれば現地でもストレスが解消されるはずです。 森を見て木を見ず、木を見て森を見ず、ケースバイケースで判断することが大切です。日本人の英語コンプレックスがよく話題になりますが、これは「日本人は英語を話せなくて当たり前」という当たり前の事実に気がついておらず、100点満点の英語を話そうとすることによるものと思います。海外駐在者が、外人の前で堂々としていられるのはこの事実をイヤと云うほど体験しているからに違いありませんし、外人が怖いという人は、この事実に気がついていないに違いありません。

言葉は日々変化していますので言葉を学ぶということは、本当に終わりのない作業です。お陰様で ドイツ語に触れることが究極の趣味となっています。

3.「3つのキーワード」
先般、新任課長職の研修会に参加する機会を得ました。その際、会社の先輩として、今後会社を背負っていく彼らにお願いした3つのことを若い方、特に学生の方々のために紹介しておきます。
  1. ”外国語”
    トリリンガルを目指せ。英語が共通語のようになっているが、実はそうではなく非英語圏への赴任チャンスが広がっている。これからの人は、絶対に損をしないから、是非、英語プラス第三の言語を身につけるようにして欲しい。

  2. ”QC的発想”
     非常に優秀だといわれるような方々の中に、俺はQCが嫌いだという人をよく見掛けるが、彼らはQC発表大会等に見られる型にはまったQC手法を嫌っているのであって、何かアクションを起こす際彼らの頭の中では、まさに自然にQC的発想をしている。 ここでいうQC的発想とは、PDCAサイクルと呼ばれる現状把握に始まる改善スパイラルの考え方で、“ものの考え方”の基本である。

     一方また、中央研究所に勤務する研究者でもデータのバラツキの概念を持っていないことに驚く。一時のQCブームが去り、最近は余り統計的検定とか実験計画とかの話を聞かないが、技術職の方は 是非(統計的品質管理)の勉強をしてもらいたい。

  3. ”科学(化学)的発想”
     口頭で報告を受けたり、レポートを読んでいても、報告者は何が云いたいのかわからないことがある。 理屈や理論に合わない論理を展開したり、理屈や理論に合わない結論を導いているからである。因果関係のしっかりとれた科学(化学)的な発想を心がけてもらいたい。

4.最後に
豊倉研究室に入ってからよく耳にした、先生や先輩方の使う”ディスカッション”とか”ディスカッションをしましょう!”という言葉がとても新鮮でした。それから30数年後、部下たちの間で、そんな言葉を自然と使っている自分がここにいるのでした。豊倉研の遺伝子を受け継いだ平沢研では、今、どんな言葉が新入生に刺激を与えているのでしょうか?

なにやら自分の体験談ばかりで中味がなかったかも知れませんが、これまでの会社生活を振り返り、学生時代”dog”であった私の”my day”を述べさせてもらいました。何かの参考となれば幸いです。 では、最後になりますが、豊倉先生並び諸先輩、後輩の方々のご健勝とご発展を心より祈念申し上げます。

PS:”大豊倉会”ってな感じで皆さんと顔を合わせられる機会が年一回でもあるといいですね。

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