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豊倉賢略歴
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2006C-1,4 高島圭介 2000年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
高島さんは豊倉が早稲田大学在職最後の卒論学生の一人で、晶析技術による精製分離法の基礎的研究を行った。その研究の主要ポイントは山崎さんの博士論文研究で見つけた無次元発汗量と不純物成分の無次元減少量の相関関係に対する操作条件の影響を解明するためのデータの充足とその理論を提出することであった。高島さんは根気よく粘り強く実験を続け、貴重なデータを種々の操作条件に対して取得し、新理論の提出に対しては今一歩の所まで研究を進めた。早稲田大学大学院で修士学位を取得すると同時に晶析技術の開発で多くの研究課題のあるダイセル化学工業に嘱望されて就職した。その後の様子は卒業後の略歴として高島さん本人がこのHPで紹介している。現在の高島さんは入社して6年経過して企業研究や企業現場を経験し、次のステップアップへの難しい時期を迎えてそれなりの悩みを抱えながら頑張っている。その様子の一部は今回のHPに記述している。大学院を修了して就職した卒業生は企業技術者として真面目に活躍していると皆それなりの悩みを持つ時期があるようで、この悩みを持ち、それをうまく乗り切ることは技術者として大成するためには必要なことである。この過程で本人は、その悩みから逃げることなく企業人としての倫理をよく考えて取り組むことが貴重な経験を積む上で重要である。この時期を乗り越えて産業界で活躍している卒業生はそこで体験した経験を本ホームページに寄稿しているが、それは経験の浅い技術者にとって素晴らしい励みになることである。高島さんは物事に正面から取り組む正直で真面目な・頼りがいある卒業生です。既に多くの経験のある卒業生は若い卒業生の参考になる一般的なアドバイスを本ホームページ上に掲示したり、又個人的に直接助言していただけたらとお願いします。それが本HP設立の趣旨である「同門卒業生が独創的活動をするための環境構築」に寄与する活動と考える。
 (2006年1月 豊倉記 )

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(高島 圭介)

「 2006年の時の思い 」

 2000年3月に大学院前期課程を修了しました高島です。社会人となってもう6年が経過しようとしており、気がつけば一人身のまま、30歳もいつの間にか過ぎました。小さいころは30といえばもうオジサンで、結婚くらいはしているだろうと漠然と考えていましたが、実際は、子供のころとそれほど変わった印象もなく、心の中は若いつもりでいます。でも、最近いろいろと運動をはじめて、昔と比べるとかなり体力が落ちていることを実感し、やっぱり年をとっているのかな〜とも思っています。今回先生より、そろそろ何か書いてみないかと言われ、なにかかっこいいことが思いつかないので、最近考えていることを素直に書いてみようと思います。

1.略歴
・2000年4月〜2002年1月:新井工場生産部生産グループプロセスチーム
ダイセル化学工業に入社し、新潟県妙高高原の麓にあります新井工場に配属となりました。そこでは医薬中間体のプロセス開発に従事しました。

・2002年2月〜2004年3月:CPIカンパニー企画開発室ライフサイエンス開発センター(筑波)
 筑波研究所へ異動となり、液体クロマトグラフィー用キラルカラムの新規開発を行いました。ダイセル製キラルカラムについて何かお問い合わせがありましたら、私までご連絡をいただければと思います。

・2004年4月〜2005年3月:CPIカンパニー企画開発室ライフサイエンス開発センター(新井)
 再び新井工場へもどり、仕事も医薬中間体・原体のプロセス開発にもどりました。

・2005年4月〜:新井生産カンパニー製造技術部技術グループ
 同じ工場内ですが、工場の開発からより現場に近い部署へ異動。主に食品添加物の現場でのプロセス改良、トラブル解決をしております。

2.今日(2006年1月20日)考えていたこと
 先日、大学へリクルーターとして研究室を訪ねました。運悪く、平沢研究室の学生には会えませんでしたが、他の研究室の学生とお話しする機会をいただきました。その学生に会社説明をした際にうけた質問で、「何故、この会社(ダイセル化学)に決められたのですか」というのがありました。確かにダイセル化学は早稲田出身者が極端に少なく(私の記憶では4名程度)、応用化学の出身となると私の他にもう一人で、その人も西出先生の同期の方なので、かなり年が離れており、縦のつながりというものがほとんどない状態です。また、一般の知名度も低く、私自身も豊倉先生に紹介されるまではまったく知らない会社でした。当時、研究室では当社のキラルカラムを使用していました。この数年前にもリクルートで行った際にも、研究室でうちの会社のカラムを使っているんだよ、といってもダイセルがわからないらしく、本当に知名度が低いものと痛感した記憶があります。また、本社も大阪で工場や研究所も関西なので、関東には縁遠い会社です。学生には、「特にダイセルという会社を選んだのではなく、化学工場ならどこでもよかった。いままで机上で勉強してきたものは、実際にはどうなっているのかを見たかった」というような話をしました。その学生はそんな考えもあるんだ、みたいな反応をしていましたが、私自身は学生時代にはそのように考え、新規のプラントを立てたい、また、製造の現場に行って、実際にいろいろ起きるトラブルについて解決したいと思っていました。でも、今の思いはいろいろなこと経験をして、かなり変わりました。入社当時は考えてもいなかった営業、もしくは総務などの支援部門にいきたいと考えております。私としては、若くて無茶ができるときにいろいろなことをして、自分は何が得意なのか、また何ができる人間なのかを知りたいというのがあります。その考えが正しいことなのか、今はわかりませんが、自分にうそはつかないで素直に生きていきたいと思います。

また最近は今の会社にもいろいろと思うところがあり、転職もひとつの選択肢として考えております(それぐらいの覚悟がないと今の仕事で上司に言いたいことがいえない、というものもありますが)。そのために自分を試す意味と、転職した際に役に立てたいのと、高校時代からの夢だったということである資格にチャレンジしております。落ちると恥ずかしいので、何のテストかは秘密ですが、自然科学に関連する国家資格で、合格率は5%以下という世間一般では難しいと思われているものです。

まあ、今はそのように思っていても、実際のところ、1年後何を考えているはわからないです。もしかするとこの後の仕事が面白くなり、そのまま会社に残っているかもしれませんし、見切りをつけて、他の会社へ転職している可能性もあります。まあ一人身は寂しいので、何とかして相手をみつけて結婚だけはしたいものです。

3.最近のトピックス
 これまでのお話とはまったく関係のないことですが、せっかく今話題の新潟の豪雪地帯におりますので、そこでの生活について少しお話したいと思います。 今年は雪の降り出しや積もり方が例年よりも早く、年明けの段階でいつもの年のピーク時(通常は1月末から2月頭)に達しており、報道されているような大変なことになっています。私のいるところでは雪は多いですが、幸い雪で閉ざされたりするようなことはないので、あまり報道されてはいません。

最近は暖かい日が続き、だいぶ雪は溶けましたが、15日くらいまではかなり積もっており、年明けから15日くらいまでの主な仕事は除雪でした。工場内は1.5m以上の積雪で非常体制が発令され、工場内の間接部門(総務、研究・開発、支援)は総出でプラントの雪下ろしや、原料が入ってくるJRの側線の除雪作業をします。地元の人は慣れておりますが、私のような転勤族はやったことがないので、手際のよさがまったく違い、挙句の果てにプラントの屋根に上って雪下ろしを自分では普通にしていたつもりですが、たまたま工場長がそれを見て、「なんかへっぴり腰でやっていて、非常に危なく見える」といわれ、生産部長までがそれを確認しに来たという悲しいこともあります。

また、自分の車の駐車場には屋根がないため、自分の車を動かそうと思ったら大変です。まず30分くらいかけて自分の車の屋根の雪を下ろさないといけないのです。中途半端にすると、走行中に屋根から雪がフロントガラスに落ちてきて危険なので、ある程度まで、おろす必要があります。また、すごい雪の日に少し駐車していただけでも見る見るうちにつもり、また、雪下ろしをしないといけない羽目に陥ります。先日フットサルの練習で2時間程度とめていたところ、10cm程度も積もっていた、なんてこともありました。

 この写真は、15日の日曜日に自分の部屋から新井駅方面をとったものです。かなり雪が少なくなっておりますが、これでも積雪量は1〜1.5mくらいです。年のはじめは2m以上の積雪があり、下の道路の周りが雪で囲まれ、車で通るときにはいつ崩れてくるのか、非常に怖い思いをしておりました。

 この写真は、同じ時間に自分の部屋から工場へ向けてとったものです。工場はJR信越線をはさんで住んでいるマンションの反対側にあるので、何かあるとすぐに呼び出されます。一昨年の中越地震の際もかなり揺れましたが、そのときとりあえず自分の部屋から工場を確認し、煙があがっていないな、ということを確認したりしていました。前日の土曜日も工場総出で雪下ろしをしたので、屋根の雪はほとんどなくなっております。

車の雪下ろしは、この季節多かれ少なかれやっておりますので、特に珍しいことではないのですが、工場の雪下ろしは2001年の時以来で、今回のように年末から始まるということは前例のないことだそうなので、非常に貴重な体験をしたものと言い聞かせ、しばらく筋肉痛だった自分を慰めたいと思います。また、これ以上雪が降ることがないことを祈って、今回はこの辺で筆を置かせていただきます。

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