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2005C-6,6 黒谷正博 1996年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  黒谷君は1996年に卒業して同年4月より山之内製薬に就職した。彼は学部学生時代にホームステイでアメリカの家庭で生活した経験が有ったようで、その経験にさらに磨きを掛けるように外国に出かけることに非常に強い関心を持っていた。修士論文では晶析法による光学分割の研究を行い、その成果はアメリカで開催された国際シンポジウムで発表した。卒業する年の3月には、仲間数人と卒業旅行と称してヨーロッパに旅行していたが、自分達で全て計画して旅行したようで、その時には既に外国通の国際人になっていた。何事にも臆せず慎重に準備して実行に移すことはこれからの世界で活躍する日本の若い技術者に取って必要なことで、黒谷君はその様なことを容易に身につけられる素質が十分あると学生時代から思っていた。黒谷君がアイルランドに赴任したことは彼の仲間から聞いていたが、今年帰国したと云うことを彼の上司から聞いたので、この機会にそこでの体験を記事にしてHPで仲間に報告したらと思い執筆を依頼した。この記事を読むとこれから海外に出張したり、外国人と一緒に仕事をするとき参考になることが書かれているので、後輩諸君はそれらを読んで何時でも海外で活躍できるように準備しておくと良いと思った。 (05年11月 豊倉記)


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 ( 黒谷君略歴 )

1996年3月 早稲田大学理工学研究科修了
1996年4月 山之内製薬M 入社 (合成技術研究所)
2003年1月 山之内アイルランド出向
2005年5月 アステラス製薬M 合成技術研究所 生産技術室
 現在に至る

(黒谷 正博)

アイルランド赴任体験と近況報告

豊倉・平沢研をご卒業された皆様、又は在籍中の学生の方々こんにちは。アステラス製薬の黒谷です(旧山之内製薬と旧藤沢薬品工業は05年04月に合併してアステラス製薬となりました)。

先日、赴任先のアイルランドより帰国しまして、豊倉先生よりHPへの執筆依頼を頂戴致しましたので、アイルランドで体験したこと、感じたこと等を中心として私の近況を報告させて頂きます。
入社当時よりずっと弊社のアイルランド原薬工場へ赴任し、技術移行することを自分の目標の一つとし、上司に志願し続けてまいりました。この度、その希望が叶い、新製品の新規生産ラインを立ち上げるべく、技術移行メンバーの一員として2003年1月より約2年3ヶ月間、家族帯同でアイルランドの首都ダブリン市郊外にある原薬工場へ赴任してまいりました。

入社して以来、治験薬新棟の建設プロジェクト、マルチパーパスプラントの建設及び立ち上げプロジェクト等に参画してきましたので、ある程度プロジェクトの流れ、キーポイント、業者との連携の仕方等は心得ているつもりでしたが、初めて文化・慣習が異なる人達と一緒に仕事をしてみて、進め方・考え方が全く異なることに戸惑いを感じました。そして、今回のプロジェクトにおいて最も苦労したことは、プロジェクトを期限内、予算内に完了させることでありました。その一因として、日本では常識となっている事柄が、向こうでは全く通用しないことが後々発覚し、その対応に時間・費用を費やさなければいけなかったからです。これについては、過去にアイルランドに技術移行した先輩より注意するように言われていたのですが、細心の注意を払っても全てを予期することは不可能でした。また、向こうでは完全な契約社会である点も挙げられると思います。プロジェクトのある段階毎にユーザー要求書を業者に提出し、それに基づいて業者が機能仕様書を作成します。その内容をレビュー・修正して承認のサインをするのですが、その仕様書に落ち度があり、後々仕様書に記載されていない変更が生じた場合、その変更は契約外ということで多額の追加費用が請求され、またプロジェクトの進捗にも大きく影響します。日本の業者であれば、多少の変更であれば、目を瞑って聞き入れてくれるといった、ある意味微温湯の関係とは異なり、非常にシビアな関係にあります。日本の業者は変更への対応が迅速であるのに対し、向こうではその何倍もの時間を要するため、途中で変更が出ることはスケジュール上とても致命的でした。

アイリッシュの特徴としましては、彼らは人の話しを真剣に聞いてくれます。この点は、日本人も見習わなくてはいけない点であると思うのですが、とにかく我々日本人のつたない英語ですら話し手が何を伝えようとしているのか、途中で話しの腰を折ることなく最後まで聞いて、その後、彼らなりの意見を伝えてきます。それだけに、彼らが納得出来ないことにはとことん質問をしてきますし、納得のいかないことに対しては動こうとしません。その為、彼らを納得させるような論理的な説明が毎回要求され、多少なりともspeaking skillが上達出来たかもしれません。また、食事中や飲みに行った時に日本人にありがちな仕事の話しばかりするといったことがほとんど無く、世間話しで大いに盛り上がります。非常に面白い違いだなと思いました。

プロジェクトの進捗が遅れ気味になった時に困ったのが、彼らの労働形態です。労働法がより厳しく遵守されていることもありますが、何よりも彼らのサービス残業に対するシビアな考えは日本人とは全く異なります。遅れているスケジュールをどのように挽回するかをアイリッシュと真剣に討論し、毎日の達成目標をこと細かく立てたその日でさえ、先程までの熱い討論が嘘かのように目標が完結していなくても終業時間がくれば彼らはあっさりと帰宅してしまいます。結局、スケジュールの遅延のフォローは日本人が残業してカバーするしかありませんでした。

生活面でのことも少し紹介しておきたいと思います。アイルランド経済は元々農産業が中心であり、同じEU諸国の国々と比較しても決して豊かな国ではありませんでした。最近になり政府の外資企業誘致政策により、IT企業、医薬品企業が続々と参入し、ここ十数年で目覚しい経済発展を遂げてきております。しかし、生活物資はまだまだ十分ではなく日本のように購買の選択性が多様で、好きなものが直ぐに手に入るような豊かな生活環境ではありません。更に、経済そのものはまさにバブルの絶頂期であるため、地価、物価は高騰し、日本円に換算してしまうと頭をかしげてしまうことが多々あり、決して暮らし易い国ではなかったと思います。ただし、アイリッシュの人柄はとても大らか、気さくであり、子供が大好きな人種であります。見知らぬ我々家族にも、どこでも気兼ねなく声をかけてくれたり、ベビーカーを持っている時には、ドアの開閉、バスの乗り降り等を快く手伝ってくれました。そういった心温かな国民に囲まれたお蔭で、沢山の友達が出来、孤独感がなくアイルランドでの生活を十二分に堪能出来ました。向こうで生活をしていると日本の話題が出ることは少なく、ニュースでさえ大事件が起こらない限り、Japanといった音を耳にすることはまずありませんでしたし、円相場を報道しない番組もかなりありました。アイリッシュの多くは、日本の位置や現在の首相が誰だか分からないといった状況です。そういった環境においても、トヨタ、ソニー、日産といった世界で活躍している企業名は誰でも知っていました。改めて日本の技術力というものは凄いんだなと感動したと同時にそれを誇りに感じられました。

途中、最大で約4ヶ月遅れていたプロジェクトでしたが、何とかチームワークで乗り切り、期限内にそして予算内にバリデーションバッチ(生産)を3回無事に終了致しました。振り返って見て、朝早くから夜遅くまで仕事に集中し、プロジェクトを大成功の内に終了出来たのも、偏に家族のサポートがあったからこそだと思います。改めて家族の大切さを実感しましたし、単身ではなく、家族帯同で赴任出来たことはとても幸せであったと思います。

2005年5月に帰国し、元の職場である合成技術研究所に戻りました。今は技術移行関連の仕事から離れ、実験一本でプロセス開発を担当しています。約6年振りになる晶析検討も実施しているところです。こうして、私の入社時の目標の一つが達成した訳ですが、余韻に浸る暇もなく、次の目標の達成に向けて新たなプロジェクトを始動したところであります。これが達成出来た頃合に、またHPに執筆させて頂けると幸いです。

近い将来、豊倉・平沢研の皆様と何らかの形でお会いし、意見交換が出来る日が来ることを楽しみにしております。また、豊倉先生が開設して頂いたHPを貴重な情報交換、問題提起の場として十二分活用させて頂こうと考えております。

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