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豊倉賢略歴
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2005C-6,5 市場洋之 1994年大学院修士課程修了  (工学修士)

 
  市場さんは下の略歴にもあるように1994年3月に卒業し、その年に旭硝子(株)に入社・現在に至っています。大学時代から個性ある意見を云う学生であって、その内容は常に的をついていたが、その表現にはユーモアーがあっ、何を云っても人から憎まれない得な人柄であった。大勢の仲間といるとどちらかと言えば大人しい存在であったが、周囲に対する気配りはなかなかで、仕事はその場に合ったように的確にこなしていたので皆から信頼されていた。豊倉が退職した時、卒業生が出版した「二十一世紀への贈り物“-CムPMT”」に市場さんが寄稿した「豊倉先生への報告書」を読んだ卒業生は多いことと思うが、その記事は豊倉が研究室でよく話したことなど書いてあって、鏡に映されてるような気がした。その意味では私が改めて市場さんを紹介するより、上記記念出版書の390〜394ページに掲載されてる市場さんの記事を読んで下さい。(6年前に出版されたものなので手元にない場合豊倉にメールで問い合わせればそのコピーを送ります。)今回は前の寄稿から6年経過していて、その間頑張っている様子を記事にして送られた。そのタイトルは「育児最前線からのレポート ある企業戦士の苦悩と奮闘」で今、日本の社会・産業界が直面している緊急課題をありのままに紹介してます。日本がこのまま世界の先進国として産業立国を続けるためにはこのレポートにある「天国の実現」が不可欠で、そのために皆で動き出さねばと思っています。企業戦士を支援して新しい日本のために皆で力を合わせましょう。まずは、この記事にご意見・提案をお寄せ下さい。 (05年11月 豊倉記)


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(市場洋之略歴)

1994年4月 旭硝子株式会社入社 化学品事業部 千葉工場製造部配属
 ーフルオロカーボンプラント クロロメタンプラント の製造現場三交代主任,運転担当主任,プラント改造プロジェクトなどを担当した
1999年2月 工場環境関連プロジェクト,苛性ソーダ等充填出荷設備プロジェクト、ガス溶剤充填出荷設備および業務管理担当,有機溶剤およびソーダ工業製品テクニカルサービス担当
1999年12月 旭硝子フロロポリマーズ株式会社へ製造部として出向
 ー原料受け入れや調達、プラントでの製造、クリーンルーム内製造から充填出荷まで。
通常業務・改造プロジェクト・官庁および近隣企業対応を含むフッ素樹脂製造業行為にともなう業務全般なんでも担当
この時期から、欧米関係会社への製造側窓口役として英語をしばしば業務で使う
  総勢100名に満たない子会社で仕事をするうちに経営への興味が発生
2004年2月 旭硝子株式会社化学品カンパニー事業統括本部業務管理部SCMグループへ
 ーフッ素樹脂およびゴム(FluonブランドでEUでは有名)分野を担当
販売と製造の調整をしながら生産計画や予算の立案業務担当
日英米三拠点あるので日々英語と格闘しながら業務遂行中
  新規案件について仕事の仕組み構築などコーディネート業務も担当
  経理・法対応など含めて会社運営の仕組みをOJT中


(市場 洋之)

育児最前線からのレポート ある企業戦士の苦悩と奮闘

〜本原稿の想定読者層は下記の方々です〜
     これから結婚して共稼ぎ世帯になろうとしている方々
     なぜ日本の少子化が止まらないのかを本気で知りたい方で
     なぜ2分間に一組もの離婚が日本で発生するのかの一因を知りたい方
     なぜ共稼ぎ世帯のアイツはドタキャンや早退遅刻が多いのか不満な方
     育児ビジネスに金儲けのチャンスがないかヒントが欲しい方

はじめに
 私は1999年7月に結婚しました。そして、2002年1月に長男が誕生しました。妻は出産と育児休暇によるブランクを挟んで、現在も分析化学の研究者として学会発表をするなど企業でフルタイムワーカーとして活躍しています。私は既に大学院を卒業した時点で研究者活動を終えてしまったが妻はバリバリの現役です。共稼ぎDINKS時代および妻の育児休暇中には想像できなかった様々な問題と格闘しているうちに、仕事中毒&忠実なる企業戦士だった私の意識は第二の人生開始と言うしかない、大変換を遂げようとしています。今回、先生からの“テーマは何でも良いです”というお言葉に甘えまして、私なりの育児最前線レポートをお届けいたします。

子育て現場レポート
まずは下図をご覧ください。
多くの場合、育児中の共働き世帯は 天国・現世・地獄のいずれかに属するようです。
我が家は地獄に片足入れかけているが何とか現世に留まっております。

それでは図の深い理解のために、“×場家で よくある事例集” を ご紹介することで解説の代わりとさせていただきます。読者の皆様には現世の緊迫した状況を理解していただけるのではと思います。と同時に、読者の皆様にも、何かを感じていただけるのではないかと思うのです。図を御覧になりながら事例集をお読みいただければ幸いです。

(事例1 子供が急病!!)
子供は保育園に通い始めると多くの病気を次々にもらいます。そして免疫を高めていくわけです。と本にはあるのですが、×場家の息子は二歳半になっても、ますます次々に病気を持ち込み、月間診療実績週二日以上という素晴らしい自己新記録を更新樹立。父親も高確率で病気をうつされてしまい、その月は平均週三日 家族の誰かが病院で受診したという実績を残しました。仕事は崩壊寸前だったようです。病気になると“高額なシッター”か“高倍率を突破しないと利用できない病児保育所”のどちらかしかサポート手段は利用できません。×場家の場合、親族や親が近くに住んでいないので自分たちが休むことが多くなるようです。特に水疱瘡などの伝染病にかかると医師の診断書で保育園への通園許可が出るまでは自宅待機になってしまいます(各種伝染病は約一週間自宅待機になることが多い。伝染病は“病気の子供でも面倒を看る”はずのシッターも嫌がる。特にインフルエンザになると金をいくら積んでも、様々な口実を理由にシッターは来なくなることが多いので、風邪と偽って頼むしかない。)。×場家の場合、当然、保険外になる各種高額予防接種を息子に打ちまくっていたのにも関わらず、水疱瘡特有の発疹が発見され大パニック&夫婦喧嘩勃発。結局、内緒でそのまま保育園に通園させるという暴挙で解決したこともあるとのことです。まあ、この家庭の場合、息子が少々熱を出していても素知らぬ振りして保育園に預けてしまうので罪の意識は薄いのでしょうが…

ちなみに、保育園は37.5〜38度突破すると親を電話で呼び出して至急の引き取り依頼を通知します。このご家庭の場合、呼び出し電話後も仕事を続けていたために二度目の催促を受け、到着は3時間半後となり異例の園長直々の説教を30分間も受けたこともあるそうです。

(事例2 どうしても仕事が…)
どうしても、父母両方とも、重要な仕事が夜にあり、お迎えに行けず、シッターや託児所などに保育園から子供を直接預かってもらうことがあります(こういう形態を“二重保育”というそうです)。共稼ぎで成功された方の体験記には多くの場合、“毎月10万円〜20万円かけて子供が幼い時には二重保育で仕事をこなしました”という記述があります。人それぞれなのでしょうが、馬鹿正直に真似をした×場家の場合、週に数回利用したところ、息子の精神状況に異変が発生。ドクターストップとなりました。朝7時から夜9時や10時まで知らない人たちに育児してもらう幼児の立場に立てば当たり前の結末と言えましょう。“こんなときに子供が信頼できる人が誰かいれば…”

と引っ越しをしたばかりで地域に知り合いもいない×場家は何も対応策が思いつかず焦るのでした。まあ、人命第一ということで仕事を相当犠牲にしたようです。
教訓:チャンピオンデータに騙されるな

(事例3 いやいや!! 幼児には日本語が通じない)
×場家のお父さんは、近所の保育園の前を通過して(役所には近所の保育園に代えてくれと内容証明書付文書にて直訴しているようですが定員満員とのことで認められていないようです)朝7時丁度に駅から2km弱のところにある保育園に息子を送ってから7:23発の電車に乗るという日々なのですが、しばしば予想外な息子のリアクションに遭遇し、会社に遅刻します。例えば、息子は自分でエレベーターのボタンを押したかったのに父が押したので歩くことをボイコットした などです。こうなると朝から往復タクシーなど高額な出費となり、しかも、会社へは遅刻。児童発達心理学によれば2歳〜4歳までは自我が芽生え確立するのでこれは仕方が無いことだそうです。この状況を打開できるスキルが身に付けば最高の交渉術やコーチング技術を取得したことになるのではないかと思う日々なのだそうです。先日も朝6時半から8時までかけて、やっとのことで保育園へ送り届けたそうです。もちろん、会社へは超特大遅刻です。大丈夫なのかお父さん!!

(事例4 やはり地域の支援が)
ファミリーサポートというのは役所がボランティアを集い、素人ながらも育児に興味ある方に子供を預かっていただくという制度。時間500-1000円の超低料金は大いに魅力です。しかし、ボランティアの方のなかにはドタキャンするような責任感の薄い方も見受けられるということで全面的に頼れるかどうかは運不運です。それでも、この制度は精神的な支えとして心強い制度です。今度、政府発表の子育て支援策に“里親制度 児童を家庭に預かってしつけも含めて本当の親の代わりとして育児をする民間家庭を増やしていく”がありましたが、これは相当強力なサポートになるはずです(里親になっていただける方々がどれだけ近所にいらっしゃるのかが未知数ですが)。それまで現世にて持ち堪えられるか。
(事例5 従事不可能な職種や職業の存在)
子供のために突然休むことが多いのでSOHOのように自宅には最新鋭のパソコンを自腹で整備。常に仕事のファイルを持ち歩いている。というのが×場家では常識の様子。

事務職の旦那さんのお仕事は携帯とモバイルがあれば数日くらいは何とか職場にいなくてもこなせるのですが研究職の奥様はかなり大変のようです(製造現場や営業など自分では制御不可能な突発が多く、現場に拘束されてしまう職種や職業では育児との両立は無理…育児中の人にはやりたくてもできない仕事がどうしてもあるということ)。奥様の場合、研究で実験中あと30分あればデータがとれるというところで保育園お迎えの時間となりデータ取得断念ということもしばしばあるようです。ちなみに奥様は子供を寝付かせた後にご自宅で実験データを整理してレポートを深夜まで作成することが普通なのだそうです。

(事例6 ママさんネットって)
働く母親のネットワークは数多くあり、かつ、結束は強力です。一方、働く父親(“育児する父親”ではなく“働く父親”)のネットワークが世の中に存在することは稀です。×場家の奥さんも育児での不満や不安の解決策をネットで相当情報収集しているようです。
最近、働く父親も増えているようで、日経などから父親向け育児雑誌が創刊されているのはうれしい限りです。というのも、保健所や保育園ですら父子で登場すると奇異な目で見る方が多々いらっしゃるからです。父親が育児することが当たり前になる世の中になって欲しいなと切に願うからです(道連れは多いほど心強い)。

ちなみにママさんたちは閉鎖的なグループを作ることが多いようで、父子で病院などに行くと、雑談のネタにされても雑談の輪には入れてもらえません(男女差別だと思います)。

(事例7 キャリアパスの問題)
×場家の奥様の場合、育児休暇と産休で休んだために昇進は同期から大幅遅れ。モチベーションの維持には相当苦労されているようです。様々なビジネスツールを駆使して限られた時間を濃縮させて仕事をしていくことで一定の成果を挙げ続けているようです。一方、マイペース亭主の旦那さんは家事育児の7割を奥様に押し付けながら順当に昇進中。さあ、この後、×場家に幸せはあり得るのか?!最近、旦那さんも反省したようで、なにやら自己啓発本を読み漁っているようですが…

おわりに
企業経営と円満家庭の実現には共通項が多々あるように思えます。
家庭においても、メンバー全員が同じ人生の理念を共有化していることが必要で、それは経営手法と何ら差異がないように思えます。まずは理念がありそれを実現するための具体的な目標と、そこへのアプローチとしての各戦略戦術ということになります。

近年の自分を振り返ると、家庭においても仕事においても戦術の取得に追われて、大切なものを見失っていたなぁと反省しております

。 育児についていえば、子供を作るということがどういう意味と負担を生じるのかを、もっと夫婦間で議論し共通理念を共有すべきだったと今更ながら気づきました。よくドラマや映画で使われる“あんたは子供にとって、代わりのいない、大切な親なんだよ”というフレーズが心に沁みます。

 日々流れている人生を立ち止まって振り返るこのような機会を与えてくださいました 豊倉先生に感謝をしながら、少々長くなりました私のレポートを終わりにいたします。 先生、ありがとうございました。

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