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2005C-6,1 岡本和男 1963年学部卒 (工学士)

 
今年3月岡本さんに研究室のホームページに近況などの紹介をお願いしたところ、3年前に完全に仕事から退職され、理想的な毎日を送っている様子を耳にした。最近は、卒業生の中にも長年務めた仕事から退職してそれまでと全く異なった新しい生活を始めた人が増えて来ている。また、数年で定年を迎えるので、それからはどのような人生を送ろうかと考えている卒業生にもよく会うようになっている。実は前から岡本さんのような生活を送っている人の近況をHPに掲載したら参考にしようと思う人も多いことだろうと考えていたので岡本さんに近況等の紹介執筆をお願いした。岡本さんは実際には忙しい毎日を送っていたようでしたが、4月掲載のHPから連続5回の連載で今回の12月HPまで続けて書いて頂いた。卒業生の中には岡本さんとは卒業年次の離れた人もいるので、記事では岡本さんの卒業してからの経歴にも触れながらいろいろ書いていただいた。それを読むだ若い現職の人達は、いくら忙しくてもたまには家族で楽しい旅行をしたいと思うようになったことと想像している。この記事は私にも参考になることが多かったので岡本さんにはまた機会をみて続編をお願いしたい。また、岡本さんが寄稿したような記事を大勢の卒業生からも寄稿していただけたらと期待している。 (豊倉記 ‘05/11)


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(岡本 和男)

私のサンデー毎日(5)

 今回は街道歩きと散歩エクササイズについてお話したいと思います。
 私は30代の頃から山歩きが好きで、会社の山仲間とあちこちに出掛けておりました。岡山の倉敷におりました7年間は県内の山百選の内、8割ほどを暇を見つけては夫婦で歩き続けました。先ほどの山仲間の数人は日本百名山を踏破した連中ですが、私も定年後少しはこれに近づくべく、レガシーのツーリングワゴンを退職間際に買って、密かにこれを期したわけです。しかし、遠乗りが億劫になっているうちに、カミさんは旅行会社の山の旅の方が楽と言い出し、日帰りのハイキングは段々そちらに変って来、やがて平地を歩く「水戸街道を歩く旅」が一昨年近畿ツーリストの千葉支店で始まり、これに夫婦して参加したことから事態はだいぶ変ってきました。

 これは日本橋から水戸までを12回に分けて歩くと言うのです。江戸川を渡って松戸あたりから旧街道は市街をはずれ、大きな農家が並ぶ静かな道を歩くこともあり、特に利根川を越え、小貝川を越えた先の若柴と牛久の宿通りを歩いたときは、道は広くはありませんが、古いたたずまいの家が並び、完全にタイムスリップして夢見心地に静かで、ゆったりと落ち着いた気持ちにさせられました。古い時代の豊かなリズムとはこんなものかと、すっかり街道歩きのよさを感じました。

 以来、水戸まで歩いた後、バスで数回に分けて仙台まで陸前浜街道、同じく日本橋から市川船橋を通る成田道や行徳木下道と歩き、今は中山道。日本橋から板橋を抜け、浦和大宮熊谷を経て高崎安中碓氷峠、軽井沢から南下して岩村田、望月を経て和田峠越えをして下諏訪、塩沢と歩き、今年の暮れには木曽福島まで。昨年3月にスタートしてようやく終点京都までの半分に達するわけで、まだまだ先は長く、来年中には終わりそうもありません。

 街道歩きの良さは、古い家並みに感じる何か懐かしい落ち着き具合を自分の足で感じ取ることでしょうか。それに、その地の歴史や鄙びた名物をじかに楽しめることでしょうか。自分の足しか頼るもののない時代の人々は、1日30から50kmはゆうに歩いたわけですが、私たちは15km位がいいところで、20kmとなると翌日はぐったりしてしまいます。バスでスタート地点まで行き、歩き出して10数キロ先の目的地に着いて宿に泊まり、また歩いてバスに拾ってもらって帰ってくるという日程です。碓氷峠までは日帰りでしたが。

 ところで、私の日課は第1回に書きましたように、退職した翌日から始めた、朝食後の1.5乃至2時間の散歩になります。これは初めは山歩きを前提にしたエクササイズだったのですが、今は街道歩きのためと変化してきています。毎日1万歩近くを歩いていると、街道歩きも苦でなく楽しめます。歩くコースはいくつかありますが、やはりほとんど1つのコースが主になってきています。近くの神社をスタートにこの辺に多い森や谷津、畑や田んぼの縁のなるべく車に行き交わないところを選んで歩きます。特に舗装のないところは最高です。

 この辺は奈良平安の時代に常陸国府石岡まで古代東海道が通っており、郡の蔵跡や古代道の跡が見つかったところでもあり、散歩コースはそれらを組み入れて昔に思いを馳せながらのんびり歩くのです。散歩の途中、江戸初期の石塔に「東海道下総国--」と彫られてあるのを発見した時は、とても興奮しました。「東海道」といえば江戸と京の都を結ぶ海寄りの道とその周辺を思うわけですが、江戸時代初期のこのあたり(下総国=現千葉県、茨城県西部)の人々の地域認識は「東海道」地域だったことが分かり、千年近い間そのように呼んでいたのだろうと一人で感じ入った次第です。歴史を楽しむというのはこんなことなのではないでしょうか。

 さて、永らく駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。これにて私の毎日がサンデーの生活録を終えたいと思います。これから迎える方、現在お過ごしの方、ご自分の活きたいように生きて行かれますよう、ご健闘をお祈りします。


岡本 和男
〒270-1132 千葉県我孫子市湖北台5-15-17
Mail Address: kaz_.okamoto@nifty.com

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