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豊倉賢略歴
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2005C-5,4 中野哲也 1989年大学院修士課程修了 (工学修士)

人材育成に関する課題抽出および解決策 −製造スタッフのOJTに関する私案−

<はじめに>
 最近の若手スタッフは「与えられた以上の仕事をしない」、「自分で課題を見つけようとしない」と言われるようになってから一体どのくらい経つだろうか?従来より10年位先輩のスタッフから「今の若手は自分達の若いころと違って。。。」と言われてきた。しかし、最近(特にここ10年程度)の若手は従来の違いとは異なる視点で仕事に従事しているように思われる。具体的に言えば、従来は程度の差こそあれ若手には情意(感情と意志)があったが、最近の若手にはほとんど情意が認められない。(一見、情意があるように見えても、そのように振舞っているだけのことが多い)その違いが吉と出れば良いが、残念ながら凶となっている場合が多い。このままでは次世代の課長候補が存在せず、企業は存続できなくなる危険性がある。そこでなぜそのような現象が生じたかについて考え、どのようにすれば戦力となる人材に育てることができるかについて以下に述べる。

<若手スタッフだった頃の時代背景>
1.会社設立者および経営者世代
  現在の会社を設立した世代(含工場建設世代)は、戦後しばらくして欧米の文化交流が再開した時代にあらゆるものを貪欲に吸収し、「世界に追いつき追い越せ」を合言葉に育った世代である。彼らはいわゆるパイオニア世代と呼ぶにふさわしい。事故、トラブルなどを実体験する中で様々な工夫をし、プロセスを構築してきた。当然、初めて経験することが多く、臨機応変に対応することができないと仕事にならなかったはずである。

2.取締役および執行役員世代
 高度成長期の波に乗り電化製品、自動車を中心とした開発競争の中で新しいものを創造し、日本製品が世界に羽ばたき始めた世代である。彼らはいわゆるチャレンジャー世代と呼ぶにふさわしい。オリジナリティー(独創性)に富んだ彼らはそれまでのベースを基に新規プロセスの構築を行ってきた。

3.部長および課長世代
 高度成長期を駆け抜けてきた結果、大きな壁に躓く経験をした世代である。それは資源を持たない国の宿命であるオイルショックと製品に特化した結果生じた公害への対応である。彼らはいわゆるクリエイティブ世代と呼ぶにふさわしい。ある程度出来上がったプロセスの改良・改善等の合理化に注力し公害問題への解決策も提案・実行してきた。

4.バブル崩壊後の若手世代
 飽食の時代と呼ばれ、欲しいものは何でも手に入れることができるが精神的な満足を得ることが苦手な世代である。彼らはいわゆるパラサイト世代と呼ぶにふさわしい。入社前に苦労した経験が少ない彼らは、基本的に自分から動いて失敗することを嫌い、絶えず何かに寄生する傾向にある。もっともその反動により自分で起業しようとする若者が増えていることも事実である。(しかしそういった若者が、一応大手企業である三井化学に入社してくる可能性は限りなくゼロに近い)

<遊び方を知っているか?>
かつて「子供は遊びの天才」と言われた。子供達は自然の中(海、山、広場など)で自分たち独自の遊びを考え、ルールを決めて朝から晩まで動き回っていた。室内ゲームはトランプや双六などが主流でローカルルールと呼ばれる地元特有のルールがあった。

 「子供が遊びの奴隷」に成り下がったのはいつ頃からだろうか?それは皮肉にも高度成長期の始まる頃に遡るであろう。建設ラッシュとともに野山が削られ、自然との接点が激減したのである。それでも神社仏閣など狭いスペースを利用し、それなりに創意工夫をしながら遊んでいた子供達を「テレビゲーム」という悪魔が襲ったのである。「テレビゲーム」はどんなに進化しても子供達の創造性を育てることはない。知らず知らずのうちに「遊びを享受する」のではなく「遊びをこなす」だけになってしまったのである。

 自分で考えなくともマニュアルで使用方法がわかれば遊ぶことができる(本当は時間潰しをしているだけ)と考えている彼らは決められたルールとリセットにこだわる傾向が強い。このような環境で育った彼らはどうなるか? 代表的な事例を以下に述べる。

1.決められた仕事をこなすのがうまい
 マニュアルに則ってする仕事には自身を持っている。
2.自分で仕事を見つけることは苦手
 常に受身で育ってきたので、自分から頭や身体を働かせて何かを見つける習慣がない。
3.廻りを非常に気にする
 他人と同じようなプロセスを選定し、結果がダメでも新しいことをやって失敗するより  良いと考える。
4.諦めるのが早い
 リセットに慣れているせいか、仕事の仕方も「振り出しに戻る傾向」が強い。

<どうやって教育してゆくか?>
課長以上の世代の常識が通用しない彼らの教育は一筋縄ではいかない。今の教育体系はかなり「過保護」ではないかと感じている。元来、製造スタッフに先生などと呼ばれる者はいなかったはずである。会社側が基本的にゼネラリストを養成したい気持ちがわからないわけではない。ただ、今の教育体系では、「仕事をみつけて実行する」のではなく「仕事を与えられてこなす」だけで個人のモチベーションを高め、オリジナリティーを磨くことはできない。

 ではどうすれば良いのか?製造スタッフにとってプラントプロセスの理解をするために必要な知識のベースはPID・PFD・機器リストであり、仕事をこなしてゆく上でのツールは「化学工学便覧」「熱交換器設計ハンドブック」「物性定数推算法」である。これらを駆使して物質収支・熱収支を見直しプロセスの合理化に貢献することが技術スタッフの重要な使命である。従って、最初の数年間は徹底的に上記資料に接する時間を増やし、プロセスの理解に専念させる。それによりエンジニアとしてのセンスを身に付けさせる。

課長は、若手スタッフと一日にどのくらい議論をする時間があるのだろうか?課によっては、ほとんど直接議論することはないとのことである。一方的に業務の話をされることはあるが、議論にならないケースもあるという。チューターや技術チームのTLに任せっぱなしのケースも多い。一日に15分でもいいから若手スタッフとコミュニケーションを取る時間が必要だと思う。最初は遠慮がちな若手スタッフも次第に課長を捕まえて「今、ちょっとよろしいですか?」と議論を仕掛けてくるようになるであろう。そうなればしめたものである。

PI(プラント情報管理システム:運転履歴データ入手可能)とASPEN(代表的なシミュレーションソフト)。。。これらは問題解決の上で非常に重要なツールであるが、決して万能ではない。原理原則を理解しないで使用すれば、大きな過ちを犯すことになる。物質収支(主として気液平衡計算を伴う)と熱収支(主として熱平衡計算を伴う)を取るにあたり、最初の数年は紙と鉛筆で時間をかけて理解する訓練が必要ではないだろうか?(掛け算九九の理解できていない小学生に電卓を与えてはいけない。)

 問題点の抽出については、若手が自分で苦労して自分なりに纏める習慣をつけさせる。方法・様式は問わない。出来上がったものを上司が見て修正すればよい。その中で若手は自分で課題を選択する。そしてその課題達成後の充実感を経験させる。この経験が次の課題抽出・達成へのドライビングフォースとなる。

 そういった経験が将来、臨機応変に対応できるリードエンジニアや課長を育て上げるのである。

<今必要なことは不便性?>
 パネル計器からDCSへ、手書きの報告書からパソコンによる資料作成へ、手計算からASPENなどのシミュレーションへと時代は便利な方向へ進行している。かつて不便を経験した世代は問題ないが、今の若手はそれらに寄りかかりすぎではないだろうか?下手をすると一日中現場に出ることなく仕事をしているスタッフもいるようである。万歩計をつけて自分がどのくらいプラントを看ているか是非とも確認して欲しいものである。





単身赴任奮戦記

 2000年3月に大阪工場から岩国大竹工場に赴任して早6年目となりました。始めは不安だった単身赴任も家族の協力のお陰で、なんとかやっています。

 大阪工場では約11年間、製造部のスタッフの仕事をしていました。岩国では昨年6月まで小試験中心の製造支援部隊である生産技術Gに、そして昨年7月から増強関連の仕事で製造部に復帰し、現在増強工事の真っ最中です。

 忙しい合間を縫って、家族も時々大竹の家族社宅に来てくれます。ここ岩国大竹工場には、単身赴任者専用の家族社宅があり予め申し込んでおけば、掃除から布団、タオルの準備まですべてしていただけます。古い社宅ではありますが、冷蔵庫やテレビ、レンジ、食器の類まですべて揃っています。基本的には身一つで家族に来てもらえるわけです。それでいて無料なのです。単身赴任者にここまでしてくれる会社はなかなかないのではないでしょうか?(註:このサービスは旧三井石化の工場のみ、旧三井東圧の工場にはありません。東圧出身の私としては特にありがたく感じています。)

 先日久しぶりに慎也(4歳6ヶ月)と妻(美智代)の3人で1週間ほど家族社宅にお世話になりました。都会育ちの妻と息子は自然と触れ合う機会が少ないので、大竹に連れてきたときには、思いっきり自然と触れ合うことにしています。大竹にいるときも週末以外は仕事なのでずっと一緒にいれるわけではありませんが、6年間で10回位来ているので、社宅にも友達がたくさんできたようです。いろいろと楽しいところを教えてもらい自然を満喫しているようです。

 今回は特に息子に川遊びを経験させたくて、錦帯橋で有名な錦川の上流に連れて行きました。(6月に職場の方と蛍を見に行った際、途中きれいな渓流があり夏は泳ぎに来ようと決めていました。)周りには鮎釣りを楽しむ人や飛び込んで遊ぶ小学生など、またメダカもたくさん泳いでいました。大阪工場勤務のままだったら、こういった経験はさせてやれなかったと思います。(すべて良い方に考える思考は妻から学びました。これは仕事でも大きな力を発揮します。)

 サラリーマンは終身雇用(今やそうとも言えませんが)といいますが、考えてみれば同じ場所、同じ部署で過ごす期間は限られています。たまたま同じ会社の中でいろいろと職種を変え転職しているようなものです。(もちろん中には、入社以来ずっと同じ部門で仕事をしている人もいますが。)職場が変われば気持ちも変わり、新しい経験ができます。  あと、何年岩国大竹工場にいるかわかりませんが、充実した?単身赴任生活を送れるよう頑張りたいと思います。ではまた。


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