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豊倉賢略歴
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2005C-5,2 鶴岡洋幸 1970年大学院修士課程修了  (工学修士)

 

「還暦−早稲田−イノベーション」

1.c-pmtのHP発足の頃
  豊倉研のOBがHPを通じて意見の交換をしながら、c-pmtの哲学を核にした交流の場を作ろうという先生のご提案で動き始めたのが2003年春だと記憶します。立派に立ち上がって意義深い意見の交流が進んで、お互いの人間性の向上を図れるのは本当に素晴らしい事です。その間ご苦労頂いている豊倉先生、棚橋会長、山崎さんと他の皆様に先ず厚く感謝の意を申し上げます。そしてこれまで運営に十分に寄与できなかった事を大変に申し訳なく思っております。

2.現在の状況
私事ですが昨年末に還暦を迎えました。最後の1年間の日本産業ガス協会への出向を含 めて、今年の6月で会社と協会を辞してサラリーマン生活に終止符を“取り敢えず”打ちました。そして一昨日9月22日(木)に2年間通った社会人大学院のMOT(Management of Technology:技術系MBA)コースの修了式に参加して2つ目の修士号を取得しました。 現役学生として晶析研究で工学を学んで社会人へ、今度は社会経験をベースに社会システム学を学んで、学問と社会の順番を変えて体験した事は、二つの係わり合いを知る上で本当に面白く感じました。出来れば続きをやりたく感じておりますが、下の娘が未だ大学4年生(立教英文)の事もあり、親子で職探しをする年に成ります。皆様どちらの職でも結構ですので良い情報があればどうかご連絡を宜しくお願い申し上げるしだいです。

3.豊倉研の思い出
 豊倉研の思い出に付いては、城塚先生のご退職の「記念文集」と、豊倉先生のご退職の「21世紀への贈り物」に書かして頂いたが、私が丁度学部4年生になり晶析班に入ったと同時に先生は米国TVAに留学されて、修士2年に成る年に帰国された。豊倉先生の退職記念最終講義では、晶析の研究活動に入った時の最初の実験としての追試験が、当時の権威者の結果と当初異なったが、数日を経て見事に同じ結晶形が得られたという経験を話された。つまり自然現象の実際を見極める事の重要さをいつも強調しておられたと思う。 それからすると、晶析工学の導入部分のゼミを受けられなかったのを大変に残念に思っております。私の学生時代には先生の博士課程の成果が当時の化工便覧の晶析の章の設計法として執筆されており、日本の代表から世界のヒノキ舞台へ推し出るバイタリティを大変に頼もしく感じたものでした。そして私の修士論文テーマに対しても、基礎と成る氷点(相平衡温度)と海水(塩)濃度の物質移動を伴う相関式を述べた文献を探して頂き、お陰でそれをベースにcrystallizerの設計式を提案できました。
 ある本にセールスで上位の成績を上げるためには以下の自信が絶対不可欠と有りました。
    @自分にたいする自信
    A職業にたいする自信
    B商品にたいする自信
    C会社にたいする自信

これに習うと、豊倉先生には、以下の項目を培って頂いたと思います。
    @自分にたいする自信
    A(晶析)研究にたいする目標設定と頑張り方
    B技術者としての自負
    C大学に対する誇り そしてこれらの項目は、長い人生の中で打ちひしがれた時や、精神的に滅入った時に、自分を守ってくれて、次のやる気と英気と頑張りをもたらして呉れました。

4.稲門会活動
 ふとした事から住んでいる地域稲門会の幹事長を1998年から昨年まで勤めました。毎年1回県支部大会の前座として役員と総長との2時間程の懇話の時間が持たれて、当時の奥島総長から大学経営の裏話までを息遣いを感じる距離で聴きました。データを追うと、1998年はこの15年間で早稲田への受験者数が最低の10.3万人、(最高はユ90年の16万人最近は12万人に復活:それでもズット日本一です)に落ち込んだ年です。慶応の藤沢キャンパス(SFC)の新設学部(ヤ90年)や大学改革で先手を打たれて、“どうした早稲田”と新聞にも書かれた時期でした。総長の話を聴きながら、大学の改革が大学文化に根ざすものであり、強い組織にはイノベーションを興せる強い文化が大切と理解されました。最近では早稲田も新しい大学院研究科やビジネススクールを積極的に沢山立ち上げて“創立125周年に向けて第2の建学”と称して頑張っており、又校友会活動にも涙ぐましい努力をしておりますので、OBの皆様の貢献(寄付)を宜しくお願いする次第です。

5.仕事と勉強の両立
 2003年の夏に国立北陸先端科学技術大学院大学が社会人用MOTを10月から始めるので入学しないかと早稲田の語学クラスの友人からお誘いが入りました。同年4月には既に早稲田のアジア太平洋研究科大学院のMBAの中にMOTが開校されていましたので、『行くなら早稲田にするよ!』と答えておきました。しかし良く聴くと、教室は東京駅の大丸9Fで、勤務の職場から通学時間が30分。月〜金が18:30から21:40までと土曜が9時から18時迄を月に2週間との事で足回りは抜群です。MOTの事は大学の校友会への説明で良く知っていましたので、思い切って入試を受け合格しました。一期生16名の内、工学博士が3名いて、東芝、日立、松下、キリンビール、新日鉄、日本能率協会、UFJ等そうそうたる企業人で年齢は20代後半が一番若く、最高齢が私と同じレベルが3名、正規分布の山は40台の前半と思われました。米国では技術系で会社のトップに成るには技術系博士とMBAを同時に持つ必要があるとかで、MOTを取りに来たそうです。MOTは経営の判る技術者、技術の判る経営者の育成が目的で、技術イノベーションのマネジメント学です。そして一昨日の修了式は北陸の金沢の本校キャンパスでゆったりと感動的に行われました。私にとっては35年振りの修了式で、修論は会社の最後の仕事をテーマにしたので、仕事と人生の一区切りと成って感無量でした。9月度卒業の為、学生が30名程で教授が20名程出席し、欧州籍の若者が日本語の学位記を見て目を潤ませていたり、隣の中国籍の博士号を取った若者は目と頬を輝かせてこちらも大きな感動を貰いました。米国の加大と東北大で教授をされた日本人の学長は、はなむけの言葉として『人生で困った時はいつでも大学に相談に来て欲しい』と訓示をされました。知識科学、情報科学、材料科学の3研究科の体制でMOTは知識科学の中に所属し唯一社会人対象です。そして私の論文がMOTでトップ賞を頂き、自分でもビックリでしたが、仕事と学業の両立が出来ない時期もかなりあり苦労が癒されました。そして初めての校歌を歌わない卒業式でした。

6.還暦に思うあるべき早稲田の連帯
 学生時代から社会人を通して、こうして豊倉先生を軸としての交流の場を持てる事から始まり、早稲田と云う関係で特別の好意を頂く場合もあって本当に有り難く思っております。私学はマンモスですから、比較的どこの職場にも先輩・後輩はおります。誰でもやはり同窓と言う事で親近感を感じますし、早慶戦のお陰で慶応OBにも親近感をお互いに感じます。少し微妙な話に成りますが、2000年の上場企業の会社職員録の管理職以上の出身大学は早(9226人):慶(9072人)であったのが2003年頃に逆転して慶が最大に成っています。慶の卒業生数は早の2/3である事を考えると、我々モット頑張らなければいけなかった気がします。その中で慶の方が校友会の結束力が強いのは定評があり寄付金集めにも機動力を発揮しております。早稲田は野人だとか、群れない一匹狼とか言いますが、世の中助け合って情報交換しあい協力してお互い成長しあう方が双方の為になります。傾向としてサラリーマンの出世競争でも慶の方が情報交換等で協力しあっている様に見受けられます。今回MOTを実際に学んで、会社の仕事の進め方の問題を学問として取り込むMBA(MOT)は非常に有意義であると自分なりに結論付けており、改めて進取の精神(イノベーション)と早稲田の連帯(団結力)を訴えたいと思います。 そしてOBとしては、自分の蓄積した社会のKnow-Howや人生訓を是非若いOBや現役学生に伝授・伝達をする事が早稲田を元気にし相互の成長を目指す事に成ると確信します。その意味から豊倉先生がこのc-pmtを主催されて意見のリード役をやって頂ける事は研究室OBにとり、有意義で、有り難く、とっても嬉しい事です。

7.終わりに
 MOT修了と共に、次の職探しに入る為に、履歴書作りを始めました。又取り敢えず、通った大学院の学生の就職のカウンセラーをやる話も進んでおります。どなたか学生のカウンセリングのやり方とか、貴社はどの様な学生が欲しいか?の情報がありましたら是非ご教授の程を宜しくお願い致します。又会社の採用担当をやられたり知っている方は、これからはどの様な人物を採用しようとしているのか選択のポイントを是非お教え下さい。又私がMOTを学んで何がどう役立つのかに興味がある方はご一報下さい。いつかOB会で交流いたしましょう。皆さんのご活躍を祈念しております。 早稲田の団結です!

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