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豊倉賢略歴
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2005C-3,6 大井匡之 1981年大学院前期課程修了 (工学修士)

 大井さんは1981年3月に大学院を修了し、直ちに旭硝子(株)に就職したが、硝子部に配属になった。日本の晶析は旭硝子の八幡屋さんが東京大学の宮内先生らとリードされた経緯があって、豊倉も化学部門の人達とは親しくしていたが、大井さんとは会う機会が少なかった。今年の春、大井さんからタイの旭硝子から帰国したと云う挨拶状を受け取ったので、丁度良い機会と思い大井さんにホームページtc-pmtへの記事執筆を依頼したところ、早速快諾を頂いて今回の記事掲載となった。最近海外駐在を務める卒業生は多くなって、楽しくのびのびと活躍しているが、中には苦労している人もいるようである。大井さんから送って頂いた記事を読ませてもらうと、タイ旭硝子に赴任した時の様子は生やさしいものでなく、その具体的な事柄では、1966年に豊倉がアメリカTVA公社の研究所で経験したこと、考えたことと似たことあるいはそれより大変なことを経験されたなと思った。大井さんはその苦労した甲斐があって、立派な成果をあげて帰国され、そこでの経験を生かしたこれからの活躍を大いに期待しています。何時かは大井さんが経験されたことと豊倉がアメリカで経験したことを対比して記事にするとアメリカとアジアの国々の差異もハッキリして面白いのでないかと思うので近い内の大井さんと相談してみます。ここでは大井さんは、海外での活躍を可能にするために必要な「海外で信頼を得る3点とそれに加えて成果を出すのに大切だと感じている要素」と「タイの大学と学生」、「思いやりの国:タイ」を書いてますので是非じっくり読んで頂きたいと思います。そして、多くの卒業生はまたいろいろのことを思い出し、考えられることでしょうからそれを同門卒業生のHPに寄稿してください。大井さんの学生時代のことを卒業生に紹介するのが遅れましたが、大井さんは芯のある典型的な早稲田マンで、冷静に物事を観察し、よく考えてこれをしなければと云うことはキチンと発言し、実行する行動的な学生でした。お互いに忙しくて会う機会はなかなかないかも知れませんが、是非お互いにお目に掛かる機会を作って話し合ってみてください。(05、5 豊倉記)

(大井匡之さん略歴)

(差し支えない範囲で略歴を書いていただけないでしょうか?)
1981年 旭硝子(株) 入社
1990-1994年 ベルギー国グラバーベル社出向
2001-2004年 タイ国タイ旭硝子社出向 
2005年〜  旭硝子(株)板ガラスカンパニー日本・アジア本部日本事業部長


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(大井匡之)

「タイ旭硝子の思い出: 海外で信頼を得る3点とそれに加える大切なもの」

 2004年12月29日、最後の執務を終えて部屋を出るとそこには大勢の従業員が待っていた。彼らは廊下階段エントランスに溢れており皆が自分を待っていたのは明らかだった。私は驚きながらも胸が熱くなり、その間を駆け抜け表に出たところで振り返って皆に合掌をした。恥ずかしいのでそのまま車に乗り込みたかったが、囲まれて花を貰ったり写真などを撮られていたその時、Sが寄ってきてありがとうと言いながら握手を求めてきた。私には意外な喜びだった。

 Sは2001年7月に私がタイ旭硝子に赴任した時鏡課の課長だった。しかしどうもパフォーマンスが今ひとつなのでおよそ10歳下の係長と交代させスタッフ職にしてしまった。その時食い下がるSに何が足りないのかを彼が涙を見せるまで説明し、その後も何かとFollowしたが最後まで課長を任せられるようなパフォーマンスは示せなかった。だからこういう好意的な従業員の中に彼がいたのが意外だったのである。

 私がタイに赴任した理由を追及していくと1999年に遡る。この年、バブルの崩壊とその後のデフレ不況による収益悪化で旭硝子もいよいよ大きな事業改革を余儀なくされた。鶴見にあった板ガラスの窯を当時普及が始まった液晶テレビ用のガラス窯に変更することを決め、鶴見で作っていた自動車用の濃色ガラスの生産をタイに変更したのである。タイはタイで1997年のバーツ暴落で未曾有の不況に陥っており、タイ旭硝子が持つ3つの工場のうち一つを閉鎖し、更にもう一つの窯で生産するものが無いという状況だった。自動車用濃色ガラスとはこの頃から採用され始めたワゴン車などのリヤー・サイドに使われるプライバシー保護ガラスで、いよいよ日本市場向け生産難易度の高い高品質ガラスの生産をそれまで一般品しか製造できなかった東南アジアに任せることになったのである。更に2000年にはタイ旭硝子の半数近い株式を持っていたタイ側パートナーがその放出を決断、それを受けて上場廃止、旭硝子の100%子会社化することを契機に、尼崎の板ガラス窯をやはり薄型テレビ用のガラス窯にし、そこで作っていたやはり生産難易度の高い旧来型液晶表示用ガラス生産をタイの閉鎖中の窯に移すことになった。これらの高品質品の生産移管とともに、タイ旭硝子を日本市場向けの生産基地としてふさわしい力量・風土を持つ会社にすることが私の任務であった。

 タイ人というのは私の最後の日を送ってくれたことからもわかるように目上の人をたいへん大事にする(遠慮する)。これは指示によく従うという利点はあるが常に指示を待っているという悪習にもなる。その上その下には指示の持つ背景などは伝わらず現場では意味もわからず作業が展開されることになる。更に支配階級と奴隷階級という階級社会の名残あるタイでは上下関係が厳密で下から上へ意見を申すなどというのはたいへん勇気の要ることであり、また各上司のプライドが高いので組織間のコミュニケーションもままならない。日本市場向け高品質を作り上げるとなると、全従業員がその仕事の意味を知り、問題が発見でき、対策を周囲と協調して自発的にする、というまさにタイの一般社会通念とは正反対の風土ができてないといけない。

 2002年末に生産移管がだいたい済んだところで人事のあやから社長を引き継ぐことになった。タイ旭硝子は1964年創立と日系企業の中でも極めて古く、70年―80年代には派手にテレビコマーシャルをやっていたこともありその知名度は日本における旭硝子の比ではない。そのおかげで社員は優秀な大学を出たものが多かった。素質のある彼らを日本人の傘の下から引きずり出し自発的に課題解決できる集団にしていくことを最大の社長ミッションと心がけた。その過程で能力のある人間の登用、課題達成度による処遇評価、会社内での交流の活性化、教育と訓練のシステム化など各種の施策を打つ中でS課長のような例がいくつか出たのである。

 私は15年ほど前にベルギーに派遣になったこともあるが、その経験からも海外で信頼を得るには、1、勝てる技術を一つは持っていること、2、働かせてもらっているという謙虚な気持ちを持っていること、3、あらゆることを自国他国の二元的にとらえること、の三点が重要だと考えている。

 海外に出る日系企業の派遣員に選ばれるということは一つ目の技術はおのずと持っているはずである。二つ目は例えば車内で席を譲るとか日本以上に誠実であることを意識している必要があるがなんとか半数以上の日本人はできているようだ。難しいのが最後の多面的に俯瞰できることで、これには自国他国の技術、環境などの他に歴史や文化といったことまで比較できていかなければならない。それには教養と語学が重要な要素となる。私の口から教養などという言葉が出るとは私の学生時代を知る人にとっては驚きだろう。その通りで教養はともかくとして、その分語学は随分時間を割いた。正直言ってブリュッセルでもバンコクでも日本語だけで生活ができるしその上英語ができれば仕事は何とかなる。しかし全ての階層とコミュニケーションすることや現地の方だけが行くようなところで生の文化を体感しようと思えばどうしても現地語の勉強が必要になる。会社風土の変革が何故必要かというような説明を私は色んな機会をとらえて行ったが、英語を理解できない人には努めてタイ語を使って説明した。小学生のような言葉遣いだったと思うがそれでもそういった努力を通して会社全体での進むべき方向への理解が進んだのだと思う。だからS元課長も握手を求めてくれたのではないか。ちなみに私の経験では毎日30分〜1時間の勉強を1年半続けると小学校4年生くらいのレベルになり仕事にも役立つ。だがそこからは日本語を断つ生活としないとなかなか向上しない。日本人の妻を持つ自分としてはそこが限界ではあったが。
 私は結局三年半タイに滞在し、特に後半の二年間は会社業績的には大過なく過ごすことができた。これはほとんどタイ国の力強い経済回復のお陰で自分の力ではないと確信しているが、折角であるし上で述べた海外で信頼を得る三点に加えて、成果を出すのに大切だと感じている要素にも触れておきたい。私はそれを「思い」なのではないかと感じる。まわりの人がこの外国人についていこう・協力しようと思うような共感してしまう「思い」があるかどうかではないだろうか。そしてそういったものを持てるようになる為には日頃から考え抜くことが大切なのではないかと思う。何故研究するのだとか何の為に働くのかとかといったことを。
 私の大学研究室時代の研究態度を振り返るとたいへんおもはゆい結語になってしまいましたが、本稿は学生への先輩からのメッセージという主旨ですのでお許し下さい。以下、タイの大学や学生事情、タイでの生活・日本との文化習慣の違い、といった内容を書きます。

「タイの大学と学生事情」

 海外進出した企業というのは、単に雇用や納税といったものだけでなく相手国へのより目に見える貢献に気を遣う必要がある。各種寄付などが一般的であるが、タイ旭硝子では従業員による直接貢献ということで植林活動や募金を元手にした小学校への文房具等の贈呈などを行っている。一方、日本人派遣員だけでも何かできないかということで始まったのがチュラロンコン大学で実施しているガラス講座である。

 チュラロンコン大学はタイ近代化の父チュラロンコン大王の名前を冠することからわかるようにタイきっての名門で、タマサート大学とともにタイの東大京大、−すいません、早稲田慶応ではない−、と称せられている。そのMaterial science学科のセラミックスコース3年生下期の正規講座としてもう15年続けているものである。講座は全部で13回、工場見学3回、試験2回を除いた8回を派遣員で分担してガラス工業について講義する。私はこの講座の代表であったので、講義二回の他試験問題の作成と採点、総合評価などを受け持った。そのような背景から今回はタイの大学・学生のことについて触れてみたい。

 タイで入社希望者の面接をやってみると日本の学生と比べて大きく違うと感じることが一つある。特に卒論などを説明させると如実に出るのであるが、それは研究の意義目的を咀嚼していないのに「勉強してきました」と胸を張ることである。要するにタイとして最新の理論や領域を勉強してきたということが主眼で、その技術をもってどんなことが応用できるか、自分がどう発展させたかという点に言及されない。つまり勉強はしているのであるが考察が足りないのである。この考える力の不足の原因を探っていくと、まずは師の絶対性にあたる。大学でさえ講義は「先生に対し起立!礼!」で始まり、「ありがとうございました」で、終わる。試験問題を配る時でさえ一々合掌で応えてくれるのだ。こちらも功徳を施したような気になってしまう。次に思い当たるのが実験装置の不備である。名門チュラロンコンでさえ実験講義が無い。分析機器などもあってもまともに動かないものが多い。驚くなかれタイの殆どの大学では博士課程がないのだ。博士号を持っている人はたいてい海外で取得している。指導できる人もいないし研究する環境も整っていないというのが現状である。もちろん最近では公的研究所ができたりトヨタ自動車などが企業研究所を設立したりと状況は変わってきつつあるが、依然本を読むということが勉強の主体なのである。

 そういうことから我々のガラス講座は「触れる・考える」をテーマに行った。ガラスに触れる、工場に触れる、日本人に触れる、めちゃくちゃな英語に触れる。考えるということでは、試験は何でも持ち込み可で記述式問題にしたし、授業中も手当たり次第ガラス製品を挙げさせ何故ガラスでなくてはいけないのかなどを考えさせた。やってみると講義時間二時間というのはとても長いのであるが、皆まじめによく聴いてくれたのでこちらも力がはいった。しかし試験してみるとできないやつはとことんできず、なんで理解できないんだとため息が出るのはきっと早稲田の先生も同じであろう。

 タイの大学生は総じてよく勉強する。大学進学率がまだ低いタイでは大学生というのはひとつのステータスで周囲の期待も大きいし、一般の大学では高校時代の内申書+入学試験の成績で合否が決まるので、高校時代からガリ勉のくせがついている。またそういうことからか女学生の方が多いし成績もいい。大学生も制服着用を義務付けられているが、執念と言おうかその制限の中で精一杯SEXYさを強調する女学生が社会問題化し、模範服装奨励金など設ける大学も出現したりしているのであるが、いざ勉強となれば真面目という印象が強い。これは会社にはいってからもそうで、土日に大学院に行って勉強している社員が結構いたし、社員の要望をとると「研修」がいつも一番にくる。

 ところがそういう風潮のせいか、会社にはいってくる動機も「経験を積む為」が一番多い。よって2-3年経験を積んでわかった頃に辞めてく人が後を絶たない。ベルギーでは「こういう仕事をする為」という明確な志望を学生が持っていた。私の頃は「何でもいいから取り敢えず」で入社したが、最近の日本の学生はベルギー型が多くなってきている気がする。自分の頃よりは進歩している。私が勤めていたベルギーの会社では、志望がかなって入社してきた者は数ヶ月放っておかれその間に志望職務をまっとうできる準備を自分の裁量で行わせていたが、そこまで日本の会社はまだ学生に対して厳しくない。例え「取り敢えず動機」でも優秀な学生は企業にとってのどから手が出るほどに欲しいことに変わりはなく、弊社就職最前線でもそういった学生の争奪戦が繰り広げられている。

 タイと日本の間で教育という観点から言っておきたいことが3つある。一つ目は援助である。私が赴任した頃中学校を出れる子供は50%と言われていた。年々就学率は上がってきているが、まだ日本円で5000円、購買力で見ても20000円ていどの金が一年にはらえなくて学校に行けない子供がたくさんいるのである。一人あたりGDPが3000$を超えると学費のような生活必需品以外にもお金を使えるようになる、つまり貧富の境目点なのであるが、タイがちょうどこのあたりになってきた程度で、アジアというのは周辺にはまだまだ貧しい国がたくさんある。

 二つ目は留学生に関すること。途上国からの留学生は将来の国の指導者層である。そういう人たちが日本びいきになるということは両国の関係に決定的な好影響をもたらす。残念ながらタイでもアメリカやオーストラリアが留学先として人気がある。東アジア共同体の重要性が叫ばれている今、留学生の誘致というのは大事な問題だし、もしまわりにそういう留学生がいたら是非親切にしてやって貰いたい。

 最後の一つが継続的人的交流の進めである。日本からのタイの大学への援助では、海外経済協力基金(OECF)、ジャイカ、各大学間協定、などがある。OECFは10年で70億円、JICAも随分お金を使っているが、タイではメンテが悪くて使えなくなった分析機器を見るまでも無く、十分使いこなせていないのが実態である。またチュラロンコン大学が20以上の日本の大学と協定を結んでいるように、大学間の交流は名前としてはあるがタイのレベルが低すぎて実効は上がっていないように見受けられる。もちろん留学奨学金や設備寄贈もありがたいのであるが、タイが最も欲しがっているのは研究指導できる人材の派遣である。しかも長期にわたっての継続性のあるもの。例え人は変わっても関係は継続されるそういった人的交流を望んでいる。

 三年間先生をやるとチュラロンコン大学では教授と呼んでいいそうで、私もその仲間入りし、卒業式の参席までさせてくれた。卒業証書は王妃が卒業生一人一人に手渡しをする。王族を敬愛するタイ国民にとってまさに一世一代の晴れ姿であり、いろいろなお方の家でその時の写真を誇らしげに飾っているのを見たものだ。式の後キャンパスをぶらぶらしていたら平日なのにタイ旭硝子の社員から声をかけられた。「あれ今日は仕事はどうしたんだ?」と聞く私に「今日は特別、いとこが卒業したんです。」とのこと。いとこの卒業くらいで会社を休むな、と言いたくなるのを抑えて、おめでとうと握手し、その後も急いで会社に戻らず暫くその雰囲気に浸ることにした。


「思いやりの国・・タイ」

 タイ旭硝子の社内報に日本人にとってのタイの良さというテーマで文章を書かされたことがある。その時に、気候、自然、食事、居住や通勤の快適さ、ゴルフなど余暇の充実、と共に挙げたのがタイ国民である。

 微笑の国と一般に言うが、実際、目が合うと微笑んでくるというのはタイではごく当たり前に経験する。しかしそれ以上に私にとっては「思いやりの国」という表現の方が当たっている気がする。そして何でこんなに思いやる国になるんだろうと考えて行き着いた理由が、風土、宗教、教育、である。

 タイではバナナを数本植えておけば生きていけると言われるほど自然に恵まれている。次々に生えてくる葉っぱで家や服を作り年に何回も成る花や実を食料としていれば十分生きれるというわけである。雨季にできた高速道路の下の水溜りで一ヶ月もしたら魚を採っているのを見て驚いたことがあるが、まさに食料が湧いてくる感じの自然なのである。ベルギーも森や牧草地がいっぱいあって自然が豊富に見えるが実は殆ど人の手がはいっている。人間が作り上げた自然なのだ。厳しい自然を自分たちが使えるように作り変えていくことに価値があったベルギーでは、人と違うことを作り出す人が評価される。一方、タイでは豊富な自然の恵みをけんかしないように分かち合うことが評価され、従って思いやりや摩擦回避の文化が発達する。

 タイ人の95%以上が仏教の信者である。民の救済を主眼とした大乗仏教でなく、個人の悟りに重きを置いた小乗仏教なので生活に宗教がはいりこんでいる。男子は一生に一度は出家するし、新月や満月の「お寺の日」にはタンブン(寄進)にお寺に行く人は多い。では一般的なタイ人の一日を見てみよう。目が覚めるとまず神棚のようなものに手を合わせる。それから托鉢にまわってくるお坊さんに食料などを寄進する。仕事場にも社があるので行き帰りに手を合わせる。帰りに花などを買ってきて神棚にお供えし、寝る前には手を合わせ、神や祖先に感謝する。本来小乗仏教では悟らないと成仏しないはずであるが、タイでは本人以外の関係者が積んだ徳で亡くなった本人を後押しして成仏させるという不思議な解釈がある。具体的には親や恩師を成仏させる為に子や弟子が徳を積んでいくのである。参列者が手に水をかけ流すという面白い風習が葬式で見られるが、これは自分の積んだ徳を死者に渡しているのだと思われる。人の成仏のためにいいことをする、何とも思いやりが発達し易い解釈である。一方、戒律を守らないということが不徳となる。一般人は、嘘をつかない、盗みをしない、殺生をしない、酔わない、不純行為をしない、の五戒を意識しているが、お坊さんに唱和する時に自信のない戒は声に出さなければ破っても大目に見られるというこれまた都合のよい解釈をするのがタイ人である。

 思いやり文化の醸成に風土、宗教と共に教育も多大な貢献をしている。タイ語の勉強のためにタイの国語の教科書をよく読んだが、道徳的な内容の説話が実に多い。特に家族親族を大切にする話、祖先祖国を大切にする話なんてのが多い。小学校二年生の教科書にあった説話でおばあさんが孫に「ちゃんと寝る前に憐憫を放ちなさい」というセリフを見つけた時は驚いた。これは「生きとし生けるもの全てが苦から解放されますようにとお祈りしなさい」という意味である。小学校二年生にこんなことを要求していいのだろうかと日本人だと思ってしまう。

 こんな環境で育ってきたタイ人は私に本当に思いやりをもって接してくれた。その上で本帰国する時に私が苦言を呈してきたことが二つある。一つは思いやりを表現する為に形式的な飾り立てが度を越しているということ。三島由紀夫はその著作でタイ文化は繁文縟礼だと称した。もう一つは思いやりもいいけどタンチャイも持てということである。思いやりをタイ語でナムチャイ(水の心)と言うが、タンチャイとは直訳すると置く心という意味であり、高い意志といったニュアンスで使われる。日本人だと例えうまくいっていてももっとうまくやろうとか普通は思う。工場の生産がまぁまぁでも我々日本人は記録更新とか、世界一いいガラスを作ろう、とか自然にそう考える。ところがタイ人はまぁまぁだと大満足してしまうのだ。帰国直前の工場の大忘年会で私は日本人がタイ人に負けているのはナムチャイだ。タイ人はこれを誇ってもいい。一方日本人が上だとしたらタンチャイがあることだ。タイ人がタンチャイを日本人がナムチャイを会得したら一段上の素晴らしい国民になるだろう、せめてタイ旭硝子だけでもそうなろうじゃないかと演説し喝采を浴びたが、その翌日バンコク郊外を車で走っていて、いたるところにハンモックで惰眠をむさぼっている人を見かけるにつけ自信がぐらついていったことは言うまでもない。

 外国に住むということは日本を外から見るということである。最後にこの点で気づいた事に触れておきたい。

 外国に住んでみてまず発見するのが日本製品のきめ細かさである。製品品質はもちろんだが、お菓子の袋を開けやすい、練り歯磨きが固まりにくい、サランラップの切れがいいといったような気配り的品質が凄いのである。またいいものは確実に浸透するのであって、アニメ、ゲーム、カメラ、自動車などはベルギーでも日本製が充満していた。タイ人は日本の流行に敏感で、例えば厚底サンダルはすぐ導入された。残念ながら色黒のタイ人にガングロでは先を越されたが、美容院ではフカキョン風にカットしてなどという会話がごく自然に交わされている。最近ではお茶とひらがなブームらしく、コンビニではわざわざ甘くないお茶というのを探さなければならないし、また街では読めないひらがなっぽい字が書いてあるTシャツなどをよく見かける。

 このように日本の影響というのは国内にいた時に予想していたより非常に大きいのであるが、一方で影響しつづけるぐらいでないと日本の国力は衰退するとも痛感する。それは生活コストの異常な高さなのである。旭硝子の場合、私と同じようなレベルの仕事をしているタイ人の年収は私の半分以下である。またベルギー人でも私の四分の三程度である(尤も共稼ぎなので家族で見ると1.5倍くらいになるのでより裕福ではあるが)。更に日本は所得格差の低い国である。つまり私より所得の低い層では外国との所得差がもっと開くということである。このような国が輸出競争力を維持するにはやはり高くても世界の人が買いたくなる魅力あるものを発信し続けるしかないのであろう。たまたま読んだ今朝の新聞に拠れば、成長性を決める要素は労働力、資本ストック、技術力、なんだそうである。単価が高いだけでなく長期的に労働力の減少が見込まれる日本では、今の生活を維持向上させる為には技術力を磨くしかないのだと言える。その意味で大学に期待することはとても大きい。

 今回はタイに関することを書き連ねてみた。私は研究室時代の欧州バックパッカー旅行に始まって主として欧州・アジアの国々に行くチャンスに恵まれた。四国のお遍路さんではないが、外国を自分の足で歩きながら彼我の違いを感じていくというのは決して無駄なことではない。しかし、派遣員から見るとあまりに無防備な旅行者がいるのも事実です。十分お気をつけの上、外国体験をしてもらえたらと思う次第です。

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