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豊倉賢略歴
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2005C-3,5 柴内哲雄 1980年大学院博士課程前期修了(工学修士)

 柴内さんは修士論文では流動層型晶析装置における針状結晶の流動特性と結晶成長現象の研究を行った。それまでの研究室の晶析実験ではどちらかと云えば比較的扱い易い形状の結晶を対象にしたが、一般的な工業操作を考えると針状晶や板状晶のような扱いにくい結晶に対しても晶析特性を明らかにする必要があると考え、1970年代後半から研究を開始した。この様な系の晶析は比較的形状の整った結晶と異なり結晶粒径に対してもどこを測定して代表させるかをはじめ、種々の特性に対してそれぞれのケースごとに実測して確認する必要があった。その意味では、現象を厳密に観察し、僅かな操作条件の相違によって晶析特性がどのような影響を受けるかを明らかにし、その定量的な関係を取得しなければならなかった。柴内さんはこの様に手間の掛かる困難な実験を辛抱強く続け定量的な相関式を得ることが出来た。その成果は化学工学論文集7卷1号45(1981)に発表した。この一連の研究を通して、研究室の研究思想“C−PMT”の基礎概念は出来上がった。古くから晶析は複雑で現象解明が困難であると云われてきたが、この様な現象に取り組み細心な注意を払って難問を解決した研究室の学生の間には、どんな課題でも解決できる自信がみなぎるようになった。また、この頃から海外の国際会議に積極的に参加して未知な世界を自分の目で確かめようとする学生が増えた。1978年にワルシャワで開催された工業晶析シンポジウムには柴内さんら3名の学生が参加し、直前まで研究室に留学していたDr.P.Karpinskiの世話でのびのびと活動していたのは印象的であった。柴内さんの学生時代の印象はチャレンジ精神のある積極的な学生で、慎重な判断をキチンとした上で決めたことには俊敏に実行していた。大学院修了時に野村総合研究所に就職しようと考えてると相談を受けた。その時の様子や就職後の仕事について柴内さんが記事で紹介しているので、それを読むと参考になる若い人が大勢いるのでないかと思っている。(05、5 豊倉記)


株式会社 野村総合研究所
執行役員 柴内哲雄

学 歴
1978年3月 早稲田大学 理工学部 卒業
1980年3月 早稲田大学大学院理工学研究科 修士課程修了

職 歴
1980年 4月 株式会社野村総合研究所 入社 産業経済研究部
1988年 1月 合併により、株式会社野村総合研究所 技術産業研究部
1989年 6月 技術産業研究部 技術・情報産業研究室 室長
1989年11月 技術産業研究部 材料・プロセス産業研究室 室長
1990年11月 技術産業研究部 技術経営コンサルティング室 室長
1992年 6月 経営コンサルティング部 技術戦略コンサルティング室 室長
1992年12月 人事部 人事課長
1995年 6月 人事部 人事課長 兼 企画部次長
1996年 4月 経営コンサルティング部 部長
2000年 4月 企画部長
2002年 4月 e−ソリューション部門 企画・業務管理本部 本部長
2003年 4月 e−ソリューション部門 
企画業務管理本部 兼 ビジネスイノベーション事業本部 本部長
2004年4月 ビジネスイノベーション事業本部 本部長
2005年4月 サービス・産業システム事業本部 副本部長、
以上

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(柴内 哲雄)

「入社25年を振り返って」


 投稿の機会を頂きましてまことに有難うございます。豊倉先生より「社歴も是非」、とのことでしたので、改めて入社以来の歳月を振り返る良い機会とさせて頂きました。

 先ずは、既に入社以来25年も経っている事に驚いているしだいです。私が卒業した当時は、野村総合研究所の存在を知る人は非常に限られており、野村證券(親会社)と間違えられることが多々ありました。私自身も豊倉研究室において2年先輩の荒木尚彦さんが入社したことで、当社の存在を知ったしだいです。

 野村総合研究所の設立は、野村證券の創立40周年記念事業の一環として、「日本でこれまでにない、新しいタイプの研究所として産業界、一般社会に貢献していく」ことを目的に、1965年(昭和40年)に設立されました。あらためて設立に向けた趣旨書(昭和37年作成)「野村総合研究所-その構想と方針-」を見ますと、当時の壮大な計画が今でも陳腐化してないことに驚きを感じるしだいです。

 私が入社したのは、設立から15年経過した1980年(昭和55年)ですが、当時は官公庁からのプロジェクト比率が高く、民間企業への調査研究事業を立上げるべく体制強化を図っている段階でした。その中で私が入社初年度に担当した大型プロジェクトは、SABIC(サウジアラビア石油化学産業省)からの受託プロジェクトでした。第一次オイルショック以降、原油の安定供給源の確保を目的に、産油国に対する政府援助の一環として行なったプロジェクトで、サウジアラビアの石油産業を立上げ、単なる原油輸出を行なうだけでなく、国内産業の育成を支援し、友好な国家関係を構築することでした。具体的には、どのような石油化学コンプレックスを構築すべきか、と言った内容で、エチレンプランを核にHDPE、LDPE、LLDPE、PPなどダウンストリームを決定し、それぞれの最適規模、生産プロセスの選定、事業としてのフィジビリティスタディ(FS)を行なったプロジェクトです。まさに、化学工学の知識がフルに活用できたプロジェクトとして今でも鮮明に記憶が残っております。このプロジェクトの後は、ブラジル(ツバロン製鉄所)へのJICA融資による付属病院建設、国内の公的病院、地域医療体系整備などFSプロジェクトを数多く実施することになりました。また、1980年代は製造業を中心に、オイルショック以降の不況からの脱却に向けた事業戦略構築プロジェクトが多く、重厚長大型事業から軽薄短小型事業へとシフトする新事業開発、多角化戦略などを行なってきました。私が担当していた業界は、化学、鉄鋼・金属、窯業・セラミックスなど素材メーカを中心とした製造業でしたが、80年代は各社において機能性材料、新素材の開発が活発に行なわれており、それを収益に結びつけることが各社の重要課題になっていました。

 取分け印象に残っているプロジェクトは、1990年にスタートした、「アルミ再生プロセスで発生する残灰の安定化処理プロセス開発」に関するプロジェクトです。当時、残灰の処理は、高炉メーカ、窯業等での利用と、産業廃棄物としての埋め立て、野積みでした。残灰には、アルミニウム、マグネシウムなど活性度の高いメタル成分が含まれており、大量に放置した場合、水分が加わるだけで発煙、発火する可能性もあることから、安易に産業廃棄物として廃棄することで企業責任を問われる事態も想定されます。実際、残灰処理場での火災も報告されており、アルミリサイクル業界としての重要な問題になっておりました。残灰の安定化処理については、酸アルカリ処理、加水分解処理、炭酸ガス処理、熱分解処理などがありますが、それぞれ一長一短があり、さらにコスト負担を考えると実現の難しい面がありました。そのため、このプロジェクトでは、残灰のメタル成分の活性度を利用した熱処理プロセスを開発する方向で検討を行い、熱処理によりメタル成分をセラミクス化することで安定化するプロセスを開発しました。また、パイロットプラントでの実証まで行ないました。その節には、豊倉先生、平沢先生にも多大な協力を頂きましてありがとうございました。

 1988年になりますと、野村証券グループの情報システム会社である野村コンピュータシステム株式会社との対等合併が行なわれ、新生野村総合研究所としてスタートすることになりました。この結果、これまでの400人規模の会社から3000人規模の総合情報サービス企業へと転換したわけです。しかしながら、新生野村総合研究所として、21世紀に向けた成長戦略を実現するためにも、根幹をなす人事制度の抜本的な改革が必要になりました。晴天の霹靂でしたが、そのために、人事部への異動発令を命じられることになりました。残灰処理パイロットプラントの実証実験を行なっている最中の発令で、直属の部長も、お客様も驚いた状況でした。(一番ショックだったのは私ですが)いずれにしても、実証実験は部下に引き継ぐことの出来ないプロジェクトであったため、お客様に迷惑を掛けながら土日返上で対応し、完成に漕ぎ着けることが出来ました。一方、人事部においては、プロフェッショナル集団としての在るべき処遇体系とは何か、というところから始まり、年俸制、裁量労働制、福利厚生制度など様々な角度からの検討を踏まえ、1994年に裁量労働制度ならびに業績主義による年俸制の導入、福利厚生制度改革を行なうことになりました。新人事制度の導入が一段落したことで、1996年に経営コンサルティング部長として現場に復帰しましたが、人事部時代の経験を活かし、人事制度改革コンサルティングを一つの核として、多くの企業の人事制度改革に携わることになりました。今思えば良い経験を積ませてもらえたと感謝しております。

 また、2000年には、野村総合研究所の成長過程として株式公開の検討も始まっており、その実現に向けて企画部へ異動することになりました(2001年12月東証一部上場)。2002年には、e-ソリューション部門にて新規事業領域の立上げに向けたコンサルティング組織として、ビジネスイノベーション事業本部を設置し、製薬メーカ向け研究開発支援ソリューション事業、飲料・食品メーカを中心としたサプライチェーンソリューション(SCM)事業等の立上げならびにコンサルティングからシステム構築、システム運用まで一貫したトータルソリューションの実現に向けた活動を行なってきました。今年度より、サービス・産業システム事業本部として、コンサルティング組織(ビジネスイノベーション事業本部)とシステム事業本部を統合し、400人規模の本部体制をもって、飲料食品、製薬・ドラッグチェーン、GMS・SM、卸業などを中心に、製・配・販の業界統合も視野に入れた、トータルソリューション事業の立上げに専念しております。

 野村総合研究所という特殊な企業の中にあって、さらに特殊な領域を渡り歩いた25年でしたが、それぞれの部著で良い経験を積むことが出来たのではないかと思っております。また、経験はどこかで役立つものであるとあらためて感じております。

 とりとめもない内容になってしまいましたが、豊倉先生をはじめ研究室OB、後輩の皆様方のご発展とご健勝をお祈り申し上げます。

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