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豊倉賢略歴
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2005C-3,2 水上春男 1971年大学院博士課程前期修了 (工学修士)

 水上さんは豊倉がアメリカから帰国した翌年(1969年4月)大学院に進学した学生で、修士論文の研究テーマは渡米前から行っていた装置設計理論の一段のレベルアップを目ざして多結晶懸濁分級層内の装置内任意高さに懸濁する結晶の粒径分布と流動条件の関係の解明で、球形ガラスビーズにて研究しました。その研究は後に現日本化学工業(株)会長の棚橋さんに引き継がれJ.Chem Eng Japan に発表しました。1972年にヨーロッパへ出張してMullinの研究室でも同様な研究を行っていたのを知ったが、水上さんらのご努力で理論解析に成功し、後に、故青山さんからデータの提供を頂いて実プラントデータとの比較検討も行いました。水上さんが研究室におられた当時の様子は C-PMTの312ページに水上さんが思い出を書いてるので、それをご覧下さい。
 水上さんの卒業してからのご活躍の様子は略歴をご覧頂きたいと思いますが、今回は企業での経験から、これからの活躍が期待される若い方々へのメッセイジを書いていますのでそれを読んで下さい。最近の卒業生の中には時には迷いを感じる人がおりますが、その時は非常に参考になることが記述されています。水上さんがミシガンに出向していた頃と思いますが、私がシカゴで開催されたAIChE Meetingに参加した時、わざわざミシガンから飛行機でシカゴに来てくれて、「紅花」で一晩飲んだことがありました。水上さんは日本では特にお忙しくてなかなかお目に掛かれなかったのですが、外国で会えたことは今でも時々思い出しています。       (05、5 豊倉記)

(水上春男さんの略歴)
1971年4月 東燃化学入社(当時は東燃石油化学)
1971年7月 東燃研究所第三研究部川崎分室配属。川崎工場各種プラントへの技術サービス(触媒性能評価など)担当。
1973年4月 東燃化学川崎工場技術部設計1課配属。ポリプロピレンプラント設計担当。
1973年7月 東燃化学川崎工場樹脂製造部配属。ポリプロピレンプラント建設及びスタートアップ担当。
1975年1月 東燃化学川崎工場技術部樹脂技術課配属。ポリプロピレンプラント担当。
1977年11月 米国エクソン化学出向(テキサス州)。パイロットプラント設計担当。
1978年6月 東燃化学川崎工場技術部樹脂技術課配属。ポリプロピレンプラント担当。
1982年1月 同上課長代理
1982年2月 東燃化学川崎工場樹脂製造部配属。ポリプロピレンプラント増設及びスタートアップ担当。
1982年5月 東燃化学川崎工場技術部樹脂技術課配属
1984年4月 東燃化学本社技術部設備計画課課長代理
1985年1月 東燃研究所石油化学製品研究所高分子グループグループヘッド
1988年1月 東燃化学樹脂研究所プロセス開発グループグループリーダー
1988年11月 東燃化学千鳥工場樹脂技術部プロセス技術課課長
1991年4月 東燃化学樹脂事業部生産管理部副部長
1991年8月 東燃化学樹脂事業部樹脂企画部副部長
1993年4月 東燃化学研究開発部部長
1995年4月 米国TCAプラスチック出向(ミシガン州)。社長
1999年4月 東燃化学技術・研究部部長
2003年1月 東燃化学那須出向。企画・営業統括部長兼企画・管理部部長
2004年4月 東燃化学那須企画・営業担当取締役兼営業部部長
2005年4月 東燃化学那須業務・開発担当取締役 

以上

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(水上 春男)

「マネージメントから期待される幹部候補生とは」

  私は、2003年より東燃化学本社を離れ、子会社の東燃化学那須という会社で「微細な孔を多数有する分離膜の製造・販売」に携わっております。現在は、業務・開発担当取締役という肩書きですが、主要業務であった企画・営業などが担当から外れ漸くほっとしている所です。総勢百数十名という小さな組織ですので一部の人に業務が集中するというのは致し方が無いのでしょうが。
  ところで、私も早稲田の修士課程を修了し、企業に就職して早34年が過ぎ、気が付けば勤務先の定年である60歳まであと2年弱となっています。この間、お蔭様で種々の業務・役職を担当し、多くの失敗と若干の成功を経験してきました。その中で感じることは、自分自身の反省でもありますが、「担当業務・事業成功の鍵は、技術力、適切な判断能力、柔軟な対応力であり、それらを実行できる優秀な人材の配置である。」言い換えますと、組織においては、優秀な実務担当者、優秀な中間管理職、優秀なマネージメントが望まれる訳であります。通常は、実務担当者→中間管理職→マネージメントと経験して行く過程でリーダーとしての優秀者が絞り込まれて参ります。豊倉研究室を卒業される若い方、卒業された方に私が勝手ながら期待しますのは、皆さんは少なくとも日本国民の中の少数の非常に優れた潜在能力の持ち主であり、その潜在能力をフルに活用し、ご自身の活躍と、所属する組織・社会への貢献をお願いしたいということです。

(人材育成論)
  以下、私の勝手な人材育成論です。上述の様に、リーダーとしての優秀者が絞り込まれると書きました。組織において堅実な実務担当者も必要なことは当然ですが、貴重な存在となると優秀なリーダーの存在となります。組織というものは、小さくても、大きくても少数のリーダーとその他に分類され、リーダーの指導力・判断で成功・失敗が決まります。戦争は最も典型的な例と言えます。日本では、年功序列でリーダーになるという時期がありましたが、誰が担当しても事業が発展する高度成長期はそれでも良かったのでしょう。最近では、製品市場がglobal化し、製品寿命が短く、環境変化が激しく、組織がスリム化しており、事業内容の変革・組織変革も常に心掛けていく必要がありますので、そのようなリーダーでは対応が困難であり、限られた優秀なリーダーの必要性が非常に高まっています。GEでの幹部候補生の教育熱心は有名ですが、成長を継続している多くの有力欧米企業でもリーダー候補育成にかなりの時間とコストを割いております。日本の企業でも同様な傾向が見られますが、いまだにOJT(On the Job Training)で済ましてしまう傾向にあるのは残念なことです。
  理工学部出身者は、当初エンジニアとしてそこそこの能力発揮を求められますが、将来のリーダー育成を願う組織のマネージメントにとっては、それ以上に若いエンジニアの中から組織の維持・発展に必要な将来の幹部候補生の発見と育成が重要な課題です。もし、組織内で育成できなければ外部から実績のある方を招くことになります。トヨタ、ホンダ、GE、エクソンモービルなどは徹底して自前調達ですし、日産、ソニーなどは外部調達です。後者の方が育成に失敗したことは明らかです。さて、どのように育成するのか。若い方の自助努力がまず第一です。基本的な要求事項として次の項目があります。

(実務能力、理解力、状況把握能力)
・共通言語としての英語力習得
・業務遂行に必要な知識・ツールの効果的習得
・課題のpriority付けとスピードのある対応(調査・検討・実行・フォロー)
次にリーダーシップとchallenge精神の育成です。
・問題発生の根本原因を検討し、より効果的で本質的な改善の検討・提案(今までの考え方・手法の否定−過去の成功は必ずしも将来の成功を約束するものではない、本質的な対応或いは状況変化に対応する変更が必要と常に意識)
・ 自己の主張を理解させるための工夫、前向きで明るい姿勢、周囲への粘り強い働き掛け(周囲の人達の尊重を忘れずに)

これらを心掛けてください。
これらは、従業員人事評価の際の重要なポイントでもあり、これらを繰り返すことで直属の上司だけではなく、マネージメントからも将来の可能性を期待され、更なる課題を与えられ、結果として多くの知識・経験・判断力・リーダーシップを身に付けることになると思います。これらの能力は、職場環境の変化、転職の際にも皆さんの財産になることは間違いありません。勿論、個人の努力だけではどうにもならない「運」というものがありますが、一方で周囲から支えられ、助けられることも度々あるものです。

これから就職を考えられている方も、面接などで相手組織のマネージメントで先方がこのような期待をもっていることを是非理解していただきたいと存じます。
以上

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