Home | ホームページ設立の趣旨 | 掲載予定の記事について
豊倉賢略歴
| apppendix | 新規掲載記事


2005C-3,1 岡本和男 1963年学部卒 (工学士)

 岡本さんは本年4月1日掲載の本HP(2005C-2,1)「私のサンデー毎日(1)」を書いて頂いたのでその記事はご覧になっていることと思います。最近は研究室の卒業生も定年を迎えられ、楽しい人生を謳歌されてる人が多くなっていると思います。岡本さんの研究室時代や近況については前号で紹介していますので、必要な方はそれをご覧いただくとして今回は前号に引き続いて 「 私のサンデー毎日(2)」送って下さいましたのでそれを以下に掲載します。私も本当の人生は60歳からと考えていまして、定年を迎えてから充実した毎日がどんどん飛んでいくような気がしてます。定年を迎えようとしていて方々の参考になる記事ですので是非期待してご覧下さい。岡本さんは5月後半は海外に旅行されていまして、この記事は出発前に頂いたものです。    (05、5 豊倉記)

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(岡本 和男)

私のサンデー毎日(2):「どうして、地方史(郷土史)に魅せられたのか」

 私の住む我孫子市では、この5月16日、市史である通史の刊行が終了した事を発表しました。今回刊行したのは原始・古代・中世篇と近世篇の2冊で、既刊の近現代篇と民俗・文化財篇と合わせて4巻になります。私の関係したのは近世編ですが、7年前、転勤で倉敷から我孫子の家に戻ってきて少したった頃、仲間で近世篇の編集委員の方から、仲間みんなで書く予定だからお前も加われ、と誘いを受けたのがきっかけでした。仲間というのは、昭和50年発足した市民団体である市史研究センター会員の仲間のことです。自治体史は大学の教授など専門研究者に委嘱するのが普通で、お弟子さんや大学院生が執筆することが多いものですが、こちらでは、特に近世篇はほとんどが市民である仲間が執筆することになったのです。筑波大教授であった民衆史の泰斗、芳賀登先生をかしらに、専門研究者2名、仲間10名が執筆にあたりました。

 私の担当したのは、もちろん僅かの部分でしたが、2年間懸命に勉強し、勤めはそこそこにして何とかまとめることができ、退職直後、原稿を仕上げました。おかげで少しだけ古文書も読めるようになりました。

 何故こんなことになったのかをお話します。

 31年前、私は手賀沼の北のほとりにある住宅公団の分譲地の抽選に当って、ここ我孫子に家を建て、住まうことになりました。家は安く建てることができ、新築の庭の砂埃がひどいため、予算に余裕もあり、植木屋に庭を造ってもらいました。ところが少し経つと、植えてもらった木々がかなり枯れてしまったのです。植木屋は遠かったので、なかなか来てくれず、自分で近くのガーデンショップで植木を買ってきて植えるのですが、半分は枯れる始末。枯れた後の土を見ると、どうも水はけが悪く根腐れしているようなのです。そこで、土壌改良をかねて深い穴をあちこち掘り、生ゴミを埋め腐らせてから植えるようにしました。これで植樹は解決したのですが、土地の性質、成立ちをよく知りたくなり、図書館で今住んでいる土地の昔を調べました。「湖北村誌」という大正時代に書かれたこの村の郷土史に、この土地は江戸時代よりはるか以前から田として使われており、ずっと昭和30年代に至るまで続いてきた事が分かりました。うかつにもつい数年前迄、田として活躍していた土地であることを住んでから知った次第です。

 丁度その頃、市の市史編さん事業の一環として、身の回りの歴史を知ろうという「市史研究講座」が開かれるので、希望者は集まってくださいという募集記事が市の広報に載り、前に見た本の面白かった事を思い出し、一度聞きに行ってみようと思い、これに参加しました。

 ところが出てみると、面白い話が聞ける会ではなく、面白そうに思う題材を自分で研究し、これを互いに発表しあうという、ゼミナールのようなものであるというので、集まった40人ほどはあっけにとられてしまいました。地元の農家の年寄りや学校の先生、会社員に主婦、雑多な人々が、それでもめげず、慣れない「市民の歴史研究」に精を出すことになったのは講師の獨協大教授の斉藤博(早大文学部卒)という社会経済史の精鋭だった先生のフリーな雰囲気、できるだけ狭い範囲を深く掘り下げて調べるよう指導を受け、幼稚な研究発表でもよい所を誉められて、やる気を出したためでしょうか。私としては、例えばすぐ近くの大きな構えの農家や田畑、路にどんな歴史があるのか大変興味を覚え、調べると分からないことだらけです。狭い分野に分け入ると、未知の部分が多い事は全ての世界に共通のことです。やがて芳賀登、大濱哲也といった斯界の先端研究者の方たちとの合宿、井上幸治、色川大吉、千葉徳爾、谷川健一、石牟礼道子、鶴見和子、網野善彦などビッグな方たちの講演を次々と聞くに及んで、皆いつのまにか「日曜歴史家」になっていったのでした。

 私は地元の方と組んで各村の一つ井戸や谷津田の研究、教育者の生涯や賃取橋の盛衰などを数年にわたり調べて来ました。研究した材料は「我孫子市史研究」という本にまとめられるというので、毎年度末は原稿書きに徹夜をしたり、研究旅行として夏ごろ各地に皆で出かけたりと充実した休日生活でした。我孫子は8年程で、その後新潟や岡山に長い間勤務したため、その間、「研究講座」には別れを告げましたが、旅行だけは参加をしてきました。そんな訳で約20年留守をしている間も、仲間とは連絡を取り合っていたことになります。ここに戻ってすぐの7年前、斉藤先生が若くして亡くなられましたが、自分たちで今も「研究講座」を続けています。

 さて、そのような次第で私はかつての百姓たちの生活について勉強させてもらった上に、原稿まで書き、ありがたい経験をする事ができたわけですが、素人の書いたものを読む方は迷惑な話です。次回はどうやって社会に還元したらよいのだろうか、ということを述べたいと思います。

岡本 和男
〒270-1132 千葉県我孫子市湖北台5-15-17
Mail Address: kaz_.okamoto@nifty.com

top

Home | ホームページ設立の趣旨 | 掲載予定の記事について
豊倉賢略歴
| apppendix | 新規掲載記事