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豊倉賢略歴
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2005C−2,6 田中 清 1982年学部卒 工学士


 田中さんは昭和57年に応用化学科を卒業し、その年に味の素の中央研究所に配属になった。学生時代は早稲田大学体育局の水球部に所属し、毎朝練習をしてから登校していたようで、健康的で強靱な体力の持ち主であると同時に非常に強い信念の持ち主で、過酷な生活を何時もにこにこしながら送っていた。研究室のコンパを豊倉の家で研究室の学生と行った時には、豊倉の講義の真似を余興で行って皆を楽しませる技もなかなかのものだった。豊倉は、たまたま中央研究所の人達を知っていたので、田中さんの就職後の活躍の様子をよく聞いていたが、その中に毎朝一番に出勤して研究室内の空気を入れ換えるのは田中さんで誰も出来ないことをホントによくすると聞いたことがあった。そのことを研究室OB会のコンパの挨拶で皆に話した時、そのコンパに参加していた田中さんは「私は仕事もしてます。」と発言して皆が爆笑したことがあった。・・・とにかく、田中さんがいるとその場の空気を明るく盛り上がる性格があった。

 田中さんは略歴にあるように1990年から8年間休職して味の素労働組合専従中核委員を務めた。その間の活躍についても多くの社員は絶賛していた。その後復職して、海外工場技術支援業務に携わって後、中国河南省味の素の責任者を経験して今年4月より九州事業所勤務になったという通知を受けた。そこで、近況報告を兼ねてこの間の様子をHPに掲載しないかとお願いしたところ、気持ちよく引き受けて頂いた。その記事の内容は私の中国訪問からは想像できないような経験をされてきたようで、これから世界各国で活躍が予想される卒業生に取って貴重な情報になると思う。  ( 2005、3、豊倉記 )

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<田中 清>

( 略歴 )
1982年 卒業
1982年 味の素M入社 中央研究所勤務
飼料用アミノ酸の発酵液からの結晶取得技術開発に携わる。
1985年  味の素M九州工場勤務
技術開発業務を経て、生産管理係長、製造係長を歴任
1990年 休職 味の素労働組合専従
中央執行委員、中央執行副委員長、事務局長を歴任
1998年 復職 味の素M国際生産推進センター勤務
海外工場技術支援業務に携わる。
2000年  味の素蓮花アミノ酸F(中国 河南省 アミノ酸製造)出向
2003年 味の素蓮花アミノ酸F 総経理就任
蓮花味の素F(中国 河南省 グルタミン酸ソーダ製造)副総経理就任(兼務)
2005年  味の素M九州事業所勤務
     次長兼総務・企画グループ長(4月より)

「仕事変われど本質は同じ」

まず、このようなチャンスをいただきましたことを光栄に思うとともに感謝いたします。
研究、技術開発において成果のまったくない私に執筆のチャンスをいただけたのは、労働組合専従、中国の田舎での勤務、という毛色の変わったところをわたってきたからではないか、と思っておりますので、そのあたりをご紹介したいと思います。簡単かつ粗雑ではありますが、お付き合いください。

○ 労働組合専従
「労働組合専従」と聞くとまったく自分とは別世界の事、と思われる方がほとんどであると思います。私も自分がなるまではそう思っていました。仕事は職場の悩み相談から春闘の賃上げ、衆議院選挙まで多岐に渡り、やりがいとおもしろさはものすごくあったと思います。しかし、今まで技術的な仕事をしていたことからまったく仕事の毛色が違い、「今後の自分に役立つのか」という不安は常にありました。組合を退任し、職場に戻り仕事を再開した際に「仕事の進め方は組合でも会社でも同じだ」と感じました。施策の実現に向け、意図を持ち、Plan・Do・Check・Actionのサイクルをまわし、実現まで執着する、ということはどんな仕事でも同じであり、材料が技術的なものか、そうでないか、という違いにしか過ぎないことを学びました。

○ 中国(河南省)勤務
私の勤務した河南省項城市は農村部にある小さな工業都市で、街の感じは日本の昭和30年台後半〜40年代前半を思わせるようで、排煙等公害、衛生状態はこれから改善していくという風です。外部との交流もあまり多くはなく、外国人は日本人2人だけ(私と上司)というところです。勤務していた工場も自動化されたところはほとんどなく、人海戦術でカバーしていました。(自動化するコストより人件費の方がまだ安い。2社合わせて約3千人いる)ここで一番効果があったことは、新技術導入でも提案改善でもなく、「決めたことを守る・守らせる」という日本では当たり前のことを徹底させることでした。日本では「Plan」したことを「Do」することは当然ですが、ここでは「Do」の部分に「やらせる」ということを加える必要があり、きっちり「Check」し、「Action」ではほめたり、お灸をすえたりして、常にポイントを抑えておくことが必要でした。しかし、これに執着することにより「管理する」という意識が芽生え、「安定生産」による技術・技能のレベル向上が図れたのではないか、と思っています。中国人幹部とのコミュニケーションも、意志と執着心、そして相手を信頼する気持ちを持って臨めば、言葉は多少通じなくとも充分意図は汲み取ってもらえる、ということも実感できました。

○ 現在(味の素九州事業所)
今年の1月より九州佐賀にある工場で総務・企画の仕事を任されてはいるものの、なかなか「自分はこうやりたい」というものが出せず、あせりを感じています。しかし、このような文章を書くことで振り返ってみると、過去もこのあせりの中からなんとか抜け出しできたな、と改めて感じ、今度も何とかなるかな、と思ったりもします。新しい職務という環境変化をトライアスロンに例える人もいます。「今は慣れないマラソンをやっているが、これを乗り越えられれば必ず強みの水泳で勝負できる」という気持ちで乗り切っていきたいと思います。    

このような駄文にお付き合いいただきましたことに深く感謝致しますとともに、豊倉先生を始めとする皆様のますますのご発展を祈念し、結びとさせていただきます。ありがとうございました。



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