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豊倉賢略歴
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2005C−2,4 上野 知之 1983年大学院修士課程修了  (工学修士)


上野さんは小・中学校時代に尊父が日本系アメリカ企業の責任者を務め、その関係で家族と共にアメリカ生活をした経験があった。研究室に配属した時特に外の学生と変わったことはなく、外国からの客の相手を頼んでも外の学生と特に変わったこと余り見られなかった。しかし、豊倉が別の仕事で客の相手を離れる時には上野さんは豊倉の話す英語と全く違った発音で手際よく相手をしていて、長期にアメリカで生活して帰国した学生の価値を改めて感じた。修論研究はドイツからフンボルト財団派遣の研究者として一年間滞在したUlrich博士と一緒に研究し、素晴らしい成果をあげた。それは上野さんとUlrichと豊倉の3名連記でJ.Chem.Eng.Sci.,vol.40,No.7,1245(1987) に掲載されている。豊倉の研究室の方針は海外からの研究者との討議では、研究室学生に英語に慣れさせるために外国からの研究者は日本語を使用しないで、日本人学生と英語で話を進めることにしていた。その点、上野君とUlrich が共同で研究したことは、都合の良いことであった。卒業後は上野さんの略歴あるように三井東圧の総合研究所に配属になり、その後国際部等を経て、1998年に退社して米国に留学した。1999年7月にMS in Managementを取得し、同年10月から外資系の企業で勤務している。その様子は本HPに寄せられた記事「キャリア形成について」に記述されてるのでご覧いただきたい。最近日本の国際化は益々進み、これからは国のバリヤーが低くなった世界で活躍する人が多くなると思う。今回の上野さんの記事には私にとっても尤もと思うことが多く、何が起こるか分からない世界で活躍する卒業生にとっても参考になることが多いと思う。

                          (2005、3 豊倉記)

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(上野 知之)


絡歴:

1983年3月 早稲田大学理工学研究科修了
1983年4月 三井東圧化学M(現・三井化学M) 入社 総合研究所
1988年2月 同社 国際部 技術輸出グループ
1992年12月 同社 国際部 欧米グループ
1996年10月 同社 電子材料事業部 記録メディアグループ
(1997年10月 三井東圧化学と三井石油化学との合併により、三井化学Mとなる)
1998年6月 同社 退社
1998年8月〜1999年7月 米国 Arthur D. Little School of Management(現・Hult International Business School); Master of Science in Management修了
1999年10月 アルベマール・オーバーシーズ・ディベロップメント・コーポレーション(現・アルベマール日本M) 入社
2002年11月 同社 退社
2002年12月 昭島化学工業M* 入社 (現在に至る)
*:アルケマM(旧アトフィナ・ジャパンM)の100%子会社(常務取締役)

「キャリア形成について」

キャリア形成(などという大それたタイトルで)思っていることを書きますと、豊倉先生に返事のメールを差し上げたものの、客観的に深く考え且つ検証されているわけではありませんし、文書も未熟でありますので、これらにつきましては、あらかじめご容赦いただきたく存じます。

さて、世間では、いかにキャリア・アップするか、それによって年収がどれくらい増えるかといった本や雑誌記事がよく見受けられます。収入は大事な要素ですが、本来のキャリア形成の目的は、いかに継続的に自己をレベルアップさせて、それによって自身と関わっている人間、組織、事業、さらには広く社会をより発展・繁栄させること、だと思います。結果として自身も自己実現してハッピーになれるということで、その中で収入は大事と考える人もいるでしょうし、そこそこ貰えればよしとする人もいると思います。ただ、これは目標をきちっと決めて努力すればできるとは必ずしも限らないというのが現実でしょう。先輩の岸本さんも豊倉先生のホームページに書かれていらっしゃいましたが、「とりあえず目先のことに力を尽くせば、道が開けていく...」ということは、まったく同感です。もちろん世の中には、若い頃から目標を持って、それに向かってレベルアップをはかるための具体的な計画を立てて実行している人達もいます。しかしながら、圧倒的多数はいろいろなめぐり合わせの中で一所懸命取り組むことで、結果としてキャリアが形成されているのではないかと思います。その中で、一般論的に周りから見て立派なキャリアとそれほどでもないキャリアがあるのも事実です(何をもって立派かというのは議論が分かれるところでしょうが、ここではその議論は省略します...あくまで社会的に価値のあるキャリア、付加価値の高いキャリアという一般論的概念に留めます)。それは、キャリア形成過程で何かが違っているのでしょう。何が違うのか。運不運もあるでしょう。その時の政治・経済状況も影響するでしょう。ただ、これらは個人レベルでコントロールすることが基本的に難しいことです。私が考える、違いが出る要素で個人が出来ることを挙げるとすると、

1. 将来への強い思い(思い入れ;熱意)があるか
2. 自分自身をどれだけ客観的に見られるか
3. レベルアップのために自身に適度で継続的なストレスをかけているか
4. 何事もポジティブに捉えられるか
5. より良いコミュニケーションをとる努力をしているか

となります。重要度の順番は議論があるところでしょうし、個人のキャラクターによっても重要度の度合いが異なることもあるでしょうが、思い入れや熱意は最も重要な要素と考えます。また、キャリアが進展するとともにこれらの要素について考え、優先順位を付けて深化させていくものなのかもしれません。いずれにしても、これらの要素はより良いキャリア形成には特に大事ではないかと最近強く思うようになりました。それぞれについて、掘り下げた議論を展開したいところですが、冒頭で述べた通り、そこまで熟考されているわけはなく、また何らかの形で検証されているわけでもないので、また別の機会に展開させていただきたく存じます。そこで、個人的なキャリアの解説からの考察を試みたいと思います。

私のキャリアのベースは、卒業生の大多数と同じと想定される「サラリーパーソン」であります。略歴を別途掲載させていただきましたが、これまで2回転職しまして現在の会社は3社目です。私もご多分に漏れず、自ら具体的なキャリア形成プログラムを立てて実行している人間ではありません。最初の会社に入社した時は、自分が転職するとはこれっぽっちも思いませんでした。その後、「こんな会社やめたる!」と毎年のように思うようになっていましたが、結局そこには15年と3ヶ月在籍しました。いろいろ不満はあったものの、それなりに居心地は良かったと思います。いろいろな仕事を経験させていただき本当に良かったと思っていますし、また感謝もしております。少し具体的に書きますと、社会人になってからの最初の仕事場は、当初の希望通り研究所でした。そこでは、あるファインケミカルの原料を触媒反応で製造する技術開発に関わり、直径1cmのガラスの反応器を使った実験から、最終的に大牟田の工場でのパイロットプラントのテストまで経験させてもらいました。残念ながら、このプロセスを使った工業生産は実現しませんでしたが、その後まったく別な製品ではありますが、技術輸出の仕事をするようになり、海外のライセンス先の工場における運転指導で中国とタイへ長期出張する経験をさせていただき、その結果私のキャリア上は(中身は異なるものの)小さなガラスの反応器から、年産20万トンの工場の運転まで経験したことになっています。当時技術輸出の仕事は、経営企画本部・国際部というところが担当しておりました関係で、その後海外の関連会社の管理的な業務を通して、経営的な側面の仕事も経験させていただきました。また、海外の投資案件の取りまとめやら、投資プロジェクトのサポート業務を通して、米国でのグラスルーツからの工場建設計画に深く関与できたのもこのころです。この縁で、その次は事業部へ行ってこの製品の営業をやらせていただきました。最後はいわゆるプロダクト・マネジャー兼営業管理を担当しました。最初の会社でこれらの一連の仕事を経験させていただいたわけですが、その中で研究所のいわゆるR&Dから技術輸出というビジネスに変わったのが、キャリア形成上ひとつの大きな転機だったと思います。研究所での仕事は技術者としては面白かったわけですが、「もっと現実のビジネスに近いところでの仕事が出来ないか」とか、本社の開発の人達の話を聞いたりすると、「マーケティングって面白そうだな」といった思いがどんどん強くなり、社内転職的に異動しました。ただ、今思えば当時本当に何がしたかったのか、「技術者」から「ビジネスパーソン」になりたいという思いは強かったと思いますが、明快で且つ具体的な目標はありませんでした。当時の研究所の上司から「お前は、変身願望があるのか」とも言われたことを覚えています。

最初の会社を退社後、ボストンにおける1年間のビジネス・スクールでのリフレッシングな(?)第二の学生生活を経て、2社目となる米国の化学会社の子会社に入社し、主に輸入ファインケミカル製品の国内市場開発を行ないました。その後、現在の仏国に親会社がある化学会社に転職するわけですが、2社目の会社に特に問題があったわけでなく(逆に物事を非常に深く考えるという意味ではとても勉強になる面白い会社でした)、現在の会社によりチャレンジングな面白さがあると判断した上での転職でした。また、退職を決意した後は、最初の会社の時もそうでしたが、誠意をもって説明を行い、(手前味噌的勝手な思いかも知れませんが)円満に退社することができたと思っています。

ということで、これまで日・米・仏の会社に勤務してきました。現在は40名ほどの小さな所帯ですが、製造、技術、営業と一通りそろったフルパッケージの会社で、日々のオペレーション全般を担当させていただいております。あるべき姿としてイメージしているものと、現実のギャップをどう埋めるか、どうしたら人は動くのか、毎日が勉強と試行錯誤の連続です。という中で、先に述べました5つの要素を用いて、具体的にどう仕事に反映させてキャリアを形成し進化させていくかが、私自身の大きな課題でもあり、またエンドレスなチャレンジでもあります。

以上



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