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2005C-1,2  山添勝巳 1974年大学院修士課程修了  (工学修士)


  山添さんは灘高の出身で、卒業した時自宅に近い企業に就職したいとの希望で神鋼ファウドラーを希望し、企業からも是非にと嘱望されて就職した。卒業してからは山添さんも忙しくてなかなか会える機会はなかったが、豊倉が化学工学会の理事を務めていた時、神鋼ファウドラーの常務で、山添さんの直属の上司が同じ化学工学会で関西支部推薦の理事を務め、山添さんの活躍話を良く聞いていて、山添さんと3人で一緒に食事をしたことなどあった。その後、山添さんは日本化学工業に入社し、化学装置機器メーカーの経験が評価され、現在も活躍している。山添さんの研究室時代は、豊倉がアメリカから帰国してまだ日が浅く、新しい研究テーマを模索していた時代であった。一部の企業では尿素の生産プロセスにおける晶析技術の問題を抱えていて、山添さんも昭和46年4月に研究室に配属になった当時は尿素の晶析現象の研究を行った。しかし、その研究では産業界から評価されるような研究成果に直結する適切な研究課題が見出せず、研究課題の変更も視野に入れた調査研究も行っていた。当時の豊倉はアメリカでの研究生活から、晶析装置内の2次核化現象を研究室の主要テーマとして取り上げねばならないと考えていた。その頃、山添さんが修士課程2年次の文献調査で行った2次核化現象を大学院ゼミナールで発表した。ゼミナール終了後その内容を山添と討議し、欧米の研究で主流となっていた混合型晶析装置内で主として起こるコンタクトニュークリエーションと異なる流動層種晶による2次核の研究を行うことにした。その研究成果は先月のHPに掲載された “2005B-2,1 [硫酸アルミニウム12水塩の二次核発生速度]”に紹介したので関心ある人は是非御覧下さい。1970年代の豊倉研究室主要研究テーマは、晶析装置設計理論、精製晶析現象、2次核化現象であったが、2次核化に関する研究はこの3テーマの中では最後に始められたがその進展は早く、1975年にAIChE MeetingやEFCEのSymposium on Industrial Crystallizationで発表した早稲田大学で行われた2次核化に関する研究成果は、欧米の先進的な研究者の関心を集めた。その内容は今年度のHPの奇数月に豊倉が記述する予定であるが、このような成果があげられたのは山添さんの研究成果とそれを引き継いだ研究室所属学生の真面目で真剣な努力によるところが大きかった。特に山添さんの研究では、研究室所属となって2年を経過し、後1年と云うところで勇気を持って研究テーマの変更をしたこと。研究実験においては、その現象を精密に観察し、装置内の操作因子の影響をどのように受けるかを、先入観にとらわれることなく研究し、定量的な関係式を提出したためであった。ここでの研究手法は、工学研究のオーソドックスな手法な一つであり、山添さんの記事はその実情を理解するのに役立ち、また、これから新しい研究を始める研究者の参考になるところが多いと考えている。( 豊倉記、17年1月 )

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(山添 勝巳)

「二次核発生の研究についての思い出」 

  もう30年以上も前の話を少しずつ思い出しながら筆をすすめることにします。
当時は、文献調査などで、二次核発生がブームになっていたようです。ただしこの分野で、化学工学でいう定量化ということに関してはまとまったものはありませんでした。晶析槽の設計という観点からはまだまだ不十分という時代でした。現象面が複雑ということはあったと思います。

  それはさておき、締め切りまで半年そこそこだったと思いますが、論文の具体案がきまらず、ぶらぶらしていたころ、先生は突然、オリンパス工業へいって顕微鏡を見に行こうとおっしゃってくださいました。そこで、実体顕微鏡を購入して、そこから研究が始まったと考えています。研究はまず、現象の理解からというのが、先生の教えであったように思います。顕微鏡は小学生の時からよく眺めていて(なぜか1000倍まで見れる現在では最もクラッシックなものが家においてありました。)海水を煮詰めた状況などを観察したことを記憶しています。従って、この顕微鏡には抵抗はなく、こんな便利なものがあるのか(検体を操作できる)と思いつつ、いろいろな結晶を眺めていたのをおぼえています。昔は研究室の人間も少なく、当時は院生が研究室でたった二人という時代でした。そのせいか、よく先生とディスカッションをした(させられた?)ことを覚えています。そこでよく問題になったのが、理学と工学の考え方の違いでした。あくまで、化学工学は定量化を目指すもので、現象の解析にのめりこんではならないということでした。企業の考え方は実にこの考え方に基づくもので、その後大変参考になりました。言葉は悪いですが、捨てることの重要性と置き換えてもいいかもしれません。

  さて、二次核の研究のことですが、例の顕微鏡を覗きながら、結晶を滑らせて、そのあとに何個結晶が発生したかを調べたこともありました。当時はこのような研究が盛んに行われていましたが、装置の設計レベルの研究はありませんでした。化学工学はモデルを作って、そのモデルの解析をもとに工業規模のスケ−ルアップを図る学問ですので、現象ばかりおいもとめてはいけませんし、人の後追いをしても成果とはいえません。そこで、先生の指導のもとで、簡単な装置を組み立てることにしました。それば流動層タイプの簡単なもので、透明のアクリル製で10万円程度したと思います。予断ですが、当時は研究予算が少なかったようです。まるで宝物のように扱いました。その他の装置は、中古の熱交を改造したり、金魚の水槽やらを使って自作し、配管はPVCで全部手製で製作しました。当時は何でも自分で作ったものでした。器用でもないのによく作ったと思います。

 まずは外側から現象が見えることをポイントとしました。発生した核を数えるために例の実体顕微鏡はおおいに役に立ったことはいうまでもありません。装置製作時は、いろいろなことが核発生の起点になるといわれていましたので、最初は神経を使ったものでした。

  最初に行ったのは単結晶での実験でした。結晶をピストンフロ−中に浸漬して、流れも考慮して核発生の定量化を試みようとしました。結果はばらついていましたが、定性的には、結晶表面状態に何か相関があるようなデータになっていました。これではまとまりにくいというので次のステップにいくことにしました。何しろ卒業まであと数ヶ月にせまっていましたので。

 次に行ったのが、多結晶系のテストでした。単結晶の実験から、過飽和度と表面積が関係しているだろうと思い、過飽和度と結晶量の影響をみることにしました。基本どおりの初めてきれいな相関が得られました。結果からみれば、表面積を多くとり、結晶どうしのコンタクトをとれるようにすれば、現象が平均化されて、相関がとれるようになったということです。これでいけそうだと思って、流速の影響もみました。このときよく流動状態を観察していましたので、見た感覚と結果は相関がとれていたように思います。

  さて、論文をまとめる段階で先生と衝突しました。私はあくまで現象面を忠実に反映させるべきと主張しましたが、先生はそれではまとまらないので、従来の化学工学の手法を用いてまとめるように主張されました。当時は表面の状態を考慮した化学工学の手法は当然のことながらありませんでしたし、新しい化学工学的手法を開発することはテ−マとかけ離れていました。結果は、条件を絞れば、旧来の手法でもまとまることを示していましたし、テ-マが設計法を開発することだったので、その方向でまとめることにしました。その当時は、感性と違うまとめ方をするのにかなり抵抗がありました。従って、今後のため、論文には現象面からの考察も併記しましたし、将来の展望も書いたように思います。

 単結晶ではうまくいかずに多結晶ではうまくいくというのは、統計の話でもでてくる普遍的な問題ですし、一人で考えるよりも、多人数の意見をもとに考えた方がよいアイディアが生まれるというのに通じます。よくディスカッションすることは重要なことです。

  この研究をひとことで言い表しますと、評価技術の開発であったように思います。評価技術といいますと、地味なように聞こえますが、島津製作所の田中さんをはじめ、電子顕微鏡、原子間力顕微鏡などの開発者もノ-ベル賞を授与されています。今までできないことができたという独創性に満ちたことができる分野のひとつとであることに間違いはありません。企業内においても、顧客の信頼を得るために重要な技術であることにはかわりがありませんので、若い人はどんどん挑戦していってほしいと思います。

 私の学んだ化学工学は30年も前の話で古いものです。よく「森を見て木をみない。木を見て森をみない」などとよく言われますが、旧来の化学工学は森を見る学問と今でも思っています。全体を見るには非常に役にたつものですが、木を見ることを怠るととんでもない結果が得られることになります。では木をどうして見るか、理論に基づいた定性的な感性で補う必要があるように思います。最近では、コンピュ−タ−の発達で、数式さえできていれば、数時間かかった計算もあっという間にできてしまう世の中ですが、最終的判断はあくまで人であることは今も昔もかわりはありません。

  最後に、地球上の生命は水と酸素がなければいきられません。晶析の技術がなければ子孫は繁栄しません。水と酸素と晶析の技術を制御できたものこそが将来繁栄し続けることでしょう。



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