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豊倉賢略歴
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2005C-1,1  村田治雄 1972年大学院修士課程修了  (工学修士)


  村田さんは豊倉が1968年11月米国アラバマ州TVA公社より帰国して、その翌年4月研究室に配属された帰国後初めての卒論学生で、研究室で新しく始めた晶析法による精製分離技術に関する研究をテーマにした。豊倉は渡米前に晶析装置設計理論を提出し、次の研究課題として晶析による精製分離に関心を持って当時産業界で注目されていたゾンメルテイング法の調査・予備的研究を行った。しかし、化学工業における生産規模を考えると、ゾンメルテイング法は当時の化学産業に直結する研究課題として考えることに疑問を感じ、化学産業のコモデイテイー生産に適用容易な晶析現象と精製操作・技術の関係を解明する基礎研究を行うことにした。この研究では比較的実験しやすい系を選定して、ナフタレンー安息香酸系からのナフタレンの精製晶析実験を通して、結晶成長現象と生成する結晶の精製過程を研究した。この種の研究は研究室で初めてであり、まず、この研究実験に適したテスト装置の形式を考え、データの整理法やそこで得られたデータの考察・展開についてもすべて出たとこ勝負で行った。(実験の計画においては単純な予想モデルは立てていたが、何分にも他にこのような研究はなく、慎重に実験を行いその結果を重視してそれに忠実に進めたので)そのような研究を行う村田さんには随分苦労を掛けたが、その研究成果には幾つものオリジナルな成果があった。その詳細は本HPで1〜2年内の近い将来に予定している「研究室で行った一連の精製晶析研究」で紹介するが、特に村田さんの学部・大学院時代の研究に関心のある方は、1976年に発行された AIChE Symposium Series,Vol.72, No.153, p.87(1976)に掲載されている“Crystallization of Naphthalene from Naphthalene- Benzoic Acid Mixturesモ (この論文は1992年に発行し、多くの卒業生および晶析研究者や技術者に寄贈した「晶析工学の進歩」444ページに掲載してある)を御覧下さい。この研究結果より結晶中に包含される母液の結晶中よりの散逸理論が後に提出された。この理論はさらに今精製晶析研究者や技術者の常識になっている発汗操作法の提出のきっかけとなっており、村田さんの研究成果がなかったら、現在の世界の精製晶析技術はどのようになっているか想像できない。また、スイスのSulzer Chemtech社の技術として世界的に有名な精製晶析装置、MWBCrystallizerを開発したSaxer氏と1980年にBuchsのMWB社で討議した時、村田さんの研究成果は高く評価された。後にヨーロッパの精製晶析をリードした、Professors J.Ulrich や A.ChianeseもAIChEに発表した上記論文に強い関心を持っていた。村田さんの研究室時代を思い出すと、調べようにも文献のない研究課題に対して何時でも自分を信じ、着実に実験を行い、そこでの現象を真剣に考え、先に進めていた。村田さん自身が、「卒業してからどのような課題にぶつかっても、何時でも自分の纏められるベストな答えを出そうと思っている。」と私に話していたことを覚えている。今回の記事では、村田さんが学生時代に話していたことを卒業後企業での活動で実践したことを示しており、現在企業で活躍している人々や将来を夢見る学生にとって実際に役立つものを示唆している。村田さんの卒業後の経歴については、仕事の関係で役立つ卒業生もいると思うので村田さんにお願いして頂いたものをそのまま以下に掲載します。 ( 豊倉記 2005、1 )

-----参考資料としての村田さんの卒業後の略歴-----

会社略歴
1972年4月 東燃石油化学M 入社
1972年10月 東燃石油化学M川崎工場技術部製造技術課配属 エチレンプラント担当 、ガソリン装置設計、エチレン増強設計、ブタジエン装置設計
1976年11月 エクソン化学オレフィン・プロジェクト(テキサス州)へ出向
1978年2月 東燃石油化学M川崎工場技術部製造技術課へ帰任 各種プロジェクト担当、工場省エネルギープロジェクト、メチルエチルケトン増設、イソブチレン増、石油樹脂増設、オキソアルコール新設、FCCブテン回収新設、ブテン1新設
1985年4月 東燃石油化学M川崎工場技術部製造技術課 課長
1987年1月 Mトープレン千葉工場 製造部次長 エンジニアリングプラスチック(PPS)工場建設担当
1988年1月 東燃化学M(会社名称変更)本社技術部化成品技術課 課長
1989年1月 エチレンプラント増設プロジェクト・リーダー
1991年3月 東燃化学M川崎工場技術部 副部長
1993年3月 東燃化学M川崎工場技術部 部長
1995年3月 Mトープレン 取締役工場長
1999年3月 Mトープレン 常務取締役
2001年2月 Mトープレンの事業を大日本インキ化学工業Mに譲渡、4月に社名をディーアイシー・イーピーMに変更
2002年2月 東燃化学M川崎工場 シニアー技術アドバイザー
2002年12月 大日本インキ化学工業M入社 ディーアイシー・イーピーM常務取締役

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(村田 治雄)

「会社人生、何で差が出るの!」
大日本インキ化学工業M 村田治雄


 私自身、大学卒業後の会社勤めも今年でまる33年になるが、長く民間企業の中で仕事をしてみて感じることがある。何故、あんなに優秀だった人が、あんな仕事しかしていないのか。新入だった頃、超一流大学出身であいつは頭がいいなーと感じた同僚、仕事を一緒にして感じた優秀な先輩や後輩たち、会社勤めが20年頃になってみると、そんな優秀な人たちでも多くの人が、途中で進歩が止まり、それなりの役職、それなりの仕事で停滞しているのに気付く。一方、数名の人は次々と難しい仕事をやり抜きながら、責任ある役職を占めるようになっていく。何で、差が出るのか。それには、ケース・バイ・ケースでいろいろな要因があるが、私が感じている一つの大きな要素について記述してみた。

 私は石油化学工場の技術部門への配属となり、そこでの仕事を通しながら多くのことを学んで行った。 工場での課題解決や設備設計には知識が必要で、そのための勉強は誰もがするが、実際の仕事は過去に在ったこととまるっきり同じと言うものは殆ど無く、小さなことかも知れないが個人個人の頭をひねった結果の想像性・創造性がそこには求められる。同じ職場で働く人には同じように仕事のチャンスは与えられたが、十年程度経つと、同年代の中でも担当する分野に差が出てくる。大きな課題やプロジェクトを任される者、定常業務を主体にやる者、マネージメントをやる者など。 若いときには同じようなことをやっていた人達が、任されるものが異なり、また責任の重さにも差が出てくる。

 更に年月を経ると、組織マネージメント、他社との契約・提携・事業譲渡、工場・会社経営など、担当する分野が技術を離れ拡大していく。その中で、それをやり抜ける人と躓いてしまう人との差が出てくる。みんな頭の良い人達なのに何で差が出るのか、会社生活も30年程度経って振り返ると、それは知恵(考え抜く力)と情熱(実施する力)を身につけていたかどうかで差が出たと思うようになった。

 知識・経験は仕事をして年月が経てばそれなりに身につく。だが知恵は単なる経験豊富だけでは身につかない。どれだけ考え抜くことをやって来たかで知恵が働くか働かないかの違いが出てくる。知恵が身について、いろいろな案を考えつくようになっても、それを単に言っているだけでは評論家で終わってしまう。何かを実行するときは常に何らかの障害があるが、それを乗り越えて実行する力(情熱)がなければ物事は成就しない。この知識・経験・知恵・情熱をもって仕事をやり抜いてきた人が、最終的により大きな責任を負った仕事、役職を任されることとなった。

 知識、経験、知恵、情熱と話してきたが、この中で一番大切なのは情熱だと思う。仕事に対して情熱を持って取り組み続けることで、より多くの知識が得られ、またその過程での経験も豊かなものとなり、また情熱をもっていろいろな課題を考え抜くことで、知恵が多く働くようになっていく。若いときは仕事はやらされていると感じることが多いが、責任感であれ使命感であれ、情熱を持って仕事に取り組み続けられるかが、その人の十年後、二十年後、三十年後を決めているのだと思う。



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