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2004C−4,5 鵜池靖之(スイス在住) 1972卒


   鵜池さんはこのホームページに 2004C-1,1 および 2004C-3,4 の2回記事を執筆していただいている。鵜池さんの紹介は2004C-1,1の記事の前に豊倉が行っているので、鵜池さんをご存知ない方はそれをご覧下さい。
  今回は九月になって鵜池さんから送って頂いたメールを読んで、スイス人の民族性とその気候風土国の置かれた地理的条件による物の見方と対比して日本人の民族性が書かれているので、それをホームページに掲載して貰うようにお願いした。その中に私が考えている意見もカギ括弧 
< > を付けて書かせて貰いました。今の私の考え方は、卒業生が研究室に在籍した頃と余り変わってないと思いますが、ここに記述するような意見の交換をすることはお互いに意味あることと思っています。このような意見の交換を載せることに賛同される方とはそれぞれの話題によってはこのような方法で続けてみたいと思います。今回の記事は一つの例ですので、読まれた方のご意見をお待ちしています。(豊倉 記)



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(鵜池 靖之)

最近思うこと

  ここスイスはヨーロッパ大陸の中央部、日本よりも10度北方の北緯46度に位置するので夏の盛りは短く、夏の生活に最も貴重であるべき八月もあっという間に過ぎてすでに九月中旬になり、太陽の位置も初夏の頃と比較してずっと低くなりました。 <豊倉はこの記事を読むと1980年以降に訪問したスイスの山を思い出す。1980年には鵜池さんのアドバイスを得て、アイガー マッターホルン グランド所ラスの三大北壁を見ることが出来た。また、退職した年(1999年)の夏には鵜池さんと家内と私の3人でッェルマットのペンションに滞在し、クレパスをいくつも跨いでゴルナーグラード氷河を渡り、垂直梯子を登ってモンテローザ小屋にたどり着き、小休止の後にまた折り返してきました。その翌日には、マッターホルン中腹のシュバルツゼーから急斜面の崖の上に作られた岩尾根を歩いて標高3300メートルのヘルンリ小屋まで往復するなど、スイスには仕事以外にも沢山の思い出がある。>  今年の夏は天候に恵まれず、平均気温は例年より高かったけど、天気が不安定で、太陽と雨が交互に繰り返すような夏の日々でした。<スイスで豊倉はいつも好天に恵まれ、限られた日程の間でも山歩きを楽しむことが出来た。その話を豊倉がすると、鵜池さんはスイスの夏の天気はよくないですよと話されていました。それを思い出すと、今年の天気はスイス本来の天候でないのかなと思っています?>

 しかし、ここの人々は天候と世の中の景気・不景気については、これまで長い歴史を通して好むと好まぬに関わらず体験してきた古い大陸国人ですから、外部の条件によって起こされる影響や一時的な変化に対してはかなり大まかに見ながらも、必ずやって来るであろう事の変化をそれまで待っているようだと私は理解しながら、世の中の景気の好転するのを待っている姿を見ています。それに対して、日本は島国でしかも大陸からかなりの距離の所に位置し、果てしない大洋を後方に置いて、その大陸の東の端にあるので、元来大陸に興る歴代の強国からの指図やその影響に対して、その時と場合によっては、地理的に閉鎖国で在りえたのです。だから、周囲を海で囲まれたこの狭い日本の国内で何か事が起こると、それは外部からされたのではなく、周りにいる者のうちでそれを起こした誰かのせいであるとし、その者を探し出して当面の問題を早急に解決しようと躍起になる傾向があるのではないかと考えています。 現代の日本が抱えている問題に関してもこの様な考え方の下で自分なりの理由付けをして説明しようとしております。 そして、周りの一般大衆もその問題を誰かが早く解決してくれるのを今か今かと待ち遠しく望んでいるように見えます。 <豊倉はスイスの人の性格をよく知らない上、、鵜池さんがここに記されたような日本人観を日本人特有なものとして考えたことはなかったかもしれない。しかし、部分的には鵜池さん同様日本を島国と考え、その上江戸時代以降長い間比較的安定した人間社会が出来上がっていたため閉鎖的になっていたと思います。そのためか、日本人はアメリカやヨーロッパ人と比較しても自分の国の色々なことを可成りよく分かっていると、40年を越える外国人とのつき合いの結果感じるようになっています。 日本人はその考えに自然になれて来ていて、それが日本人の民族性になっている気がします。そのような目で日本人を見ると、日本で行われていること、これからも続くと予想されることは可成りの確率で予測されますので、努力さえすれば報いられると思いがちです。 豊倉も色々な国の人達と交流を重ね、信頼関係を深めると、日本人の常識でそのまま海外に通用するものと、通用しないものが少しずつ分かってきたような気がします。そうすると少しずつ世界に通用する自分の考えも分かるような気がして来ていますが、世界の情報など人の交流をも含めて多くのものが日本に入って来るようになっている今日では、これまでと異なるグローバルに世界に通用する思想に基づいて判断し、行動することが必要だと思います。>

   日本が世界の動きに仲間入りをして以来、しかも経済的に重要な役割をするようになると当然それと同時に日本国の事情も外部の事情に直接あるいは間接に影響されるようになりました。しかし日本の人々は外国からは良い影響だけが日本に及ぶものと思い願い、悪い影響も全くそれと同様にやって来るという事実に慣れていないのではと心配しています。 <それは私も鵜池さんと同じように心配しています。海外旅行をしても旅行社まかせは初めての海外旅行ではやもうえないかも知れませんが、次は自分で計画し、自分で行動するようにすると、外国人がどのような考えを持っているか分かるようになり、自分の行動を自分で判断しながら動けるようになるのでないかと思っています。>

   八月の tc−pmt の記事読みました。多くの方がいろいろな方面の課題について書いておられ、記事を寄せる人が充分おられるのを知り安心しています。それと同時に、これは多くの方への先生からの適切なアレンジメントや送られてきた原稿の校正などと手助け下さるからでしょう。 そのことでふと思い出しましたが、いつか奥さんが言われたように、今でも仕事の多くはコタツの有るあの居間でやっていますか。そちらでの様子を想像しながら思い出し笑いをしています。 
<今豊倉が主に仕事を行っている部屋はコンピューターを置いてるところです。そこは家を建てる時に家内の仕事部屋にと用意した場所でそこにテーブルを入れ、使っています。また、朝6時前に仕事するときは2階の寝起きしている個室を使っていますが、資料を広げる仕事は、学生さんが家に来たとき使った我が家の一番広い部屋に数日間資料を広げたままで仕事をしています。そうすると昔と変わったように見えるかも知れませんが、実質は変わってないところも沢山あります。ご想像にお任せします。>

   うちの家内は私がいつも物の片付いて居ない外からの光の来ない暗い乱雑な部屋の片隅で書き物などをやっているので、よくそんな所で陰気さに惑わされずに事が出来るのかと半分小言みたいに言っています。 <豊倉は小言と言えないように沢山叱られています。でも、我慢して叱られていますと、いつの間にか片付ついています。鵜池さんは広い庭の整備をしていますから、私の点数は益々悪くなりますね。> 家内は自分はきちんと片付いた部屋で、明るい太陽の光が射していなければ良い考えとやる気が出てこないと言います。環境が不十分だと事が思うように動かないそうです。 <人それぞれでよいのでないでしょうか? 総合的に見て判断されては?>
家内は職業がら秘書でしたから、仕事と言えば明るくきれいな広々としたデレクターの事務室で、あらゆる最新の事務機器と贅沢な事務器具や備品を惜しむことなくふんだんに使い、すべての書類を分類してきちんとまとめ、必要性のあるものだけを取捨選択してバインダー(Ordner)に綴じて収納棚に整理し、物と場所の関連を常時確認しておき、必要になった場合には何時でも即座に取り出せるように備え、上司から頼まれた文章の構成と語意を正してそれをきれいに誤りなくタイプして仕上げ、電話での応答、来客の対応などと、まずは部屋と書類をきちんと整理整頓している事が一番大切だったのです。だから、それとは対照的に、仕事をする場所や部屋の環境に付いては、来客の為ではなく、給料を支払われて他人から頼まれたことをしているのでもなく、自分が私有している最低限の道具と身近な空間の中で、自分一人の体とその頭を使って自分で決めた或る目標に沿って事をしている者とは、仕事をするために必要な環境の条件などが全く異なるのであろうと、その違いが容易に理解できます。
 <我が家も性格的には鵜池さんの奥さんに似ているのでないでしょうか?>

   しかしそれでも、普通の人間である自分は、いかなる環境条件の下でも、より創造的で機能的で有り得るだろうか、などと三次元の空間と四次元の時間との相互関連性に付いて考えると、やはりこれらの事が気になります。

   今年の日本は夏の天気は高温で、佐賀の友人からの知らせだと台風が多いそうです。地球の気象条件が本当に変化したのでしょうか、ここスイスでもこの十数年来にわか雨が強い風を伴って来るようになり、傘が無いとずぶぬれになる場合が増えました。以前は雨になってもそれは本当の霧雨みたいで、九州出身の私には、やはりここは北国だな、と感銘していました。だからスイスの子供たちも大人も雨傘を持たなくてそのまま外に出かけ、その雨の中で路面電車やバスなどを辛抱強くちゃんと待っている光景が不思議でした。 
<ヨーロッパはそのようなところでないかと思っています。アメリカは雨が多いところがありますが、それでも傘を持たない人が結構いますね。車のためですか?最近は東京も自宅の近所は車、都内は地下鉄と地下道、後は電車で、傘なしでも過ごせるようになりました。そうするとこれは文明開花のためですか?昔は馬に乗るから傘はさせなかったのでしょうが?>




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