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2004C-4,3  中沢哲夫 1965年学部卒


  中沢さんが学部4年在学時に研究室で活躍した様子は2004C-4,0に記述したので、それをご覧いただきたい。そこで、記述したが、当時の研究室の晶析実験は同期の仲間とチームを作って研究しなければならず、その内一人でも手を抜く人がいるとそのデータは全部駄目になる厳しいものであった。しかし、それが緊張感になり優秀なチームとなって研究活動を続け、研究室で提出した設計理論の展開に大いに貢献した。中沢さんが卒業した年の1月のことと思うが、高効率の分級層型晶析装置として装置内空間率を一定に置いたときの装置形状を理論的に提出した。この計算は簡単に出来たが、それが実際に使用出来るものかどうか分からなかった。ところが、中沢さんが住友化学に入社後、青山さんの特許を目に止め、それを私に知らせてきた。それはが私と青山さんを結びつけるきっかけになり、産学協同のパイプが出来、それから色々発展した。大学で提出した理論と企業特許の接点はそう簡単にあるものでなく、もし中沢さんが研究を真剣に行っていなかったら、見落としてもおかしくないことであった。このような僅かなきっかけでも見落とさないようにすることは非常に重要なことである。きっかけを見つけることはアイデイアを出すことと同じである。それ以来、中沢さんに会って話を聞くことを楽しみにしていたが 担当分野が晶析から離れたためか、会う機会はほとんどなかった。このHPをきっかけにこれから色々話を伺う機会の増えることを期待しいる。
 (なお ホームページ2004Aー2,1の後ろから8行目に記した中沢さんの卒業年次は45年ではなく40年(1965年)ですのでお詫びして訂正します。)
                                   ( 豊倉記 )


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(中沢 哲夫)

卒業前と卒業してから・・・

 昭和40年春の卒業を控えて、6号館から現在の大久保キャンパスに化工コース専用の広々とした実験室が出来て、そこに分級脚付完全混合型晶析実験装置の移設を手伝い卒業した。

 40年春、住友化学に就職し愛媛県新居浜の工場に隣接する研究所に配属となった(化工コースから住化にいったのは小生が始めてであった)。研究テーマはボーキサイトを苛性ソーダに溶解したアルミン酸ソーダ液から水酸化アルミを析出させ、更にアルミナを作る工程の改良研究であり、当時原料ボーキサイトが苛性ソーダに簡単に溶解しないオーストラリア産へ変更されるための対策等もテーマであった。当時は日本軽金属がこの分野で圧倒的なシェアーを占めており、日軽金に追いつけが目標の一つであった。

 入社間もないある日、研究室で特許調査をしていると青山という人が申請しているスリバチ状の析出装置のPATが目にとまった。これはその当時豊倉先生が装置設計法を提案していた逆傾斜型晶析槽にそっくりの形ではないかと。早速豊倉先生にはそのPATの存在の一報を入れておいた。後日豊倉先生にお話を伺うと、その後青山さん(クリスタルエンジニアリング)とのつながりが出来、その後の晶析への展開へのきっかけになったと聞かされ、一報が意外に役にたっていたのにびっくりしたのであった。

アルミの研究の後は塩化ビニル樹脂の研究を経て塩ビの技術、営業、管理と殆ど塩ビ畑にいましたが、塩化ビニルの重合工程は晶析の工程に似ているなといつも思っていました。液状の塩ビモノマーを重合させていくと白い塩化ビニル樹脂が析出してきます。重合法によって使用する助剤が異なりますが出来あがる塩化ビニル樹脂の粒径、粒径分布を所望のものにコントロールするため、界面活性剤、懸濁剤等の量や、攪拌機の形状、回転数を工夫し粒子の再合一防止やちぎれの防止をしながら重合を進めていきます。この工程に晶析技術がドッキングできないものかなといつも思ったりしていたものです。

 住化を停年退職後、縁あって現在工業薬品等を扱う小さな商社に勤めている。この商社(カネセイ産業)は元日軽金にいた人が退職後創設した商社であり、当然日軽金の製品も扱っていて、研究当時目標としていた日軽金の水酸化アルミやアルミナも販売しているが、その当時の知見が結構役にたっている。

人生イロイロ 何が役に立つか分からないものである。


追伸

  当社では廃液処理も手がけており、アルミ含有液処理に関する文献、処理技術及びその技術を有する企業があれば教えて欲しい。



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