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2004 Cム4,0:「 卒業生とのコミュニケーションを振り返って 」  豊倉 賢


  ホームページを発足して半年を経過し、日常の忙しさに紛れてともすれば疎遠になりがちであった卒業生とのコミュニケーションも順調に進むようになった。今月は卒業生の寄稿を掲載して4回目を迎え、豊倉が博士課程の学生で応用化学科所属の早稲田大学助手を兼務していた1964〜65年に城塚研究室に配属になった卒論研究生のうち、豊倉と一緒に晶析研究を行った小池信夫・関谷洋輔・中沢哲夫の3氏に卒業してからの活躍の様子を2004C-4,1〜3に書いて頂いた。実はこの3人が研究室で活躍した年は今から振り返ってみると豊倉の研究にとって極めて意義のあった一年で、その前年6月に提出した設計理論を検証する実験を行って成果をあげることが出来た。

  その頃の城塚研究室は当時の研究室としては大学院学生が多く、研究室に配属された卒論学生は大学院生と一緒に研究していたが、卒論学生同士は全く独立したテーマを研究していた。しかし、その年豊倉と一緒に研究する学生は、大学研究室としては大型の連続晶析装置で研究することになっていたので、学生が一人で自分の装置を動かし、データを取得すること不可能であった。そのため、城塚先生との相談で、3人の学生がチームを作り協力して進める体制で研究することにした。このような体制にしても、卒業研究は学生個々の研究であり、その研究成果を纏めた論文はそれぞれ別に作成しなければならなかった。そのため、各自が担当するテーマについて実験する時間は1/3になり、研究を行う個人にとっては出来上がる研究成果にどのように影響するか分からず、豊倉と一緒に研究しようと言う学生は当初出て来なかった。そこで、城塚研究室に配属された全学生に豊倉の研究について説明し、3人で協力しあって晶析研究を行ってもよいという3人の学生の申し出を要請した。これに対して、上記小池・関谷・中沢の3人の学生が研究室として初めての試みであった体制での研究を引き受けてくれた。当時研究室では晶析装置を分級層型、分級脚付き混合型、非分級混合型の3装置形式に分類して研究しており、各人の卒業論文ではそれぞれ別型式の装置について3人が別々に担当して研究した。この研究で得られた成果は、当時の学会誌「化学工学」や早稲田大学理工学部彙報に発表したが、さらにその内容はアメリカでは1971年に出版されたCEPSymposium Series に掲載され, またチェコスロバキヤや東ヨーロッパではNyvltによって1972年に日本の晶析研究として紹介された。世界で初めてチェコのプラハで開催された工業晶析シンポジウムの直後に開かれたEFCE ・WPCの話題提供でアメリカのLarson教授、ヨーロッパのNyvlt博士と豊倉が晶析装置設計の講演の指名を受けた。その後この研究成果は発展し、国内外で高い評価を受け工業晶析装置の設計に適用されるようになっている。もし、この年に3人が研究室でこの卒業研究を行っていなかったら、早稲田大学での晶析研究はどのようになっていたか分からない。また、日本における晶析研究・技術に対する今日のような世界の評価はえられなかったのでないかと思う。その意味では、当時この3人が研究室で行った研究成果は、以後の卒業生が引き継いだ研究の成果とともに晶析工学の発展に大いに貢献していると何時も思っている。

  今回のホームページにこの3人がそれぞれ卒業してから社会で活躍した様子を書いていただき、その後も学生時代と同様によい友人関係を大切にし、物事の本質と将来の発展を考えながら真面目に努力していることを知りました。今回3人がHPに書かれた内容の実例は異なっているが、その奥にあるものには共通点があり、年齢を越えて大勢の卒業生にとっても参考になることが多いと思う。

  また、前にもHPにも寄稿して頂いた、秋谷・鵜池・山崎さんの3人の方が執筆された記事を今月も掲載します。秋谷さんは初台の東京工業試験所より筑波の試験所へと長年にわたって通産省の化学研究所で活躍されて来ましたが、昨年7月に(財)造水促進センターに転職され、長年蓄積されて来た実績を生かして新しい職場で活躍した時に経験されたこと書いて貰いました。鵜池さんは皆さんご存知のように現在スイスのバーゼル近郊の静かな町で生活されてます。今年の春に来日し、故郷の佐賀に長期滞在した後初夏にスイスに帰国され、そこで改めて感じた日本のことを書いて貰いました。山崎さんは私が最後に立ち上げた日本粉体工業技術協会・晶析分科会の代表幹事を務めておりまして、同協会の分科会の中でもっとも活発な活動を行っています。私が晶析分科会のコーデイネーターを引退してそろそろ4年になりますが、山崎さんは1990年にLarson教授が立ち上げたアメリカのACT ( ?晶析技術促進協会) には私の退職後も定期的に参加し、最近では日本の晶析技術を背負って活動してます。8月のHPには、山崎さんが中心になって進めている今年11月開催予定の第2回国際晶析シンポジウムの紹介を記述しましたが、今回は山崎さんが棚橋さんや卒業生と相談して準備を進めている豊倉研究室OBを中心にしたホームページc-pmtの状況を紹介しています。現在豊倉のHP“tc-pmt” はスタートしてやっと半年を経過したところですが、これは豊倉の年齢を考えれば先の見えたものですので、卒業生が運営する ”c−pmt“ を皆さんの力で早く軌道に乗せ発展して頂きたいと願っています。




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