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豊倉賢略歴
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2004C−3,4 鵜池靖之(スイス在住) 1972卒



  鵜池さんは1972年に早稲田大学応用化学科を卒業され、海外で活躍されました。数年前に、BaselにあるNovartis社を退職され、現在スイス、バーゼル市郊外で優雅な生活をされています。2004年4月に記載したHPには既に寄稿いただいてありまして、その時鵜池さんの紹介を致しましたので、鵜池さんをよくご存知ない方は2004C−1,1の紹介記事をご覧下さい。
  今回の寄稿は今年、2004年の4月から5月に掛けて来日し、生家のある佐賀に1ヶ月以上滞在してまして、日本をよく知っていて長い間海外生活を経験した日本人が改めて見た現在の日本に付いての考え等を書いていただくことをお願いしました。鵜池さんは帰国後間のない忙しい時でしたが、鵜池さんが欧米先進国と日本について平素から思い・考えていたことを中心に纏めて頂きました。特にスイスで結婚され、家庭を持ち、2児の父としてお子さんを立派に育てられた経験に基づいて、日本とヨーロッパ社会を眺め、子供の将来を考えながら、日本で幸せな生活をするには、どのような心構が必要かも記述されています。部分的には豊倉とは必ずしも一致した意見ではありませんが、グローバルな世界に生きるこれからの人達にとって示唆に富む内容が豊富にあるので、是非お読み下さい。そして、近い将来HPの中で鵜池さんの記事も参考にしながら、鵜池さんにも加わっていただいて人類の将来を皆で論じたいと思います。
                   (豊倉記)
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(鵜池 靖之)

変化の領域と境界条件の査定

  現在起っている現象を解析しその系の安定性を評価しようとする場合には、それが変化する領域と、この現象に影響を及ぼしている主要因子を仮定・選定し、その因子の変化、そしてその結果として起される現象が変化する領域だけでなく、その境界条件をも設定する必要があります。

  現象が先に提示されているサイエンスではその主要因子に関して解析をする場合が多いのですが、エンジニアリングでは現象の境界条件を先に設定する場合がしばしばあります。前者は現象に影響している因子を探し、その変化領域との因果関係を明らかにする事が主目的になりますが、後者は因子の組み合せやその影響によって検討される対象になる現象を起こさせ、しかもそれを再現させる事によってその現象が変化の領域と境界条件をもって存在し、そのような現象がもつ実用性を明らかにする事が主目的だからです。
  一方、数学では因子と変化領域との相関関係をモデル化し、それを立式した数式で表現する事が出来、しかもその因子の変化により誘導される領域をグラフ上に図示することも出来ます。そして図示された変化領域が存在し、しかもその領域を示す境界が唯一となった時にその現象は確定され明らかになったと認められます。
  私たちの多くは理工学部で学んだ専門の道を自分の職業として選び、これまでその道を進んで来たので、サイエンスとエンジニアリングの問題を理解し、操作因子を見つけ、求められた解答や現象を再現させる方法などを追究しようとすることに慣れておりましょう。しかし、人間関係や社会問題の解析あるいはその変化を予測することなどになると、関係している因子の数が多くありすぎる事に気付き、その解析が途端に難しくなります。時にはそれに関係している主要因子が何であるのか、時にはその存在にさえ気付かなくなることもあります。

  日本の社会状況、経済状態が変化し、それ以前の状態へと復帰・回復しないままここ二十年ぐらい経ってしまいました。何が現在の状況を作った原因なのでしょうか。どうすれば今よりも良い状態へと移行するのか、できたら以前に存在しことのあるあの素晴らしかったバブルの状態にまた戻れるのであれば、などと疑問と希望を持っている人もいることでしょうが、これといった答えとその妥当性を説明してくれる人は余り無いようです。バルブが崩壊した時以後の日本の社会・経済状態をその期間だけで見るとそれなりに安定した社会状態を保っていたと評価する事も出来ます。安定した状態はその系にとって最適の条件が揃っている時であり、結果としてそのような状態に到達すると考えています。バブル景気は日本人が他の国の人よりも先に高品質の製品を大量に生産し、他の国よりも安価にそれらを外国に輸出し、外国からの輸入の方がそれよりも極端に下回り、世界的に購買力を持つ国際通貨の持ち高を増やし、その分だけ日本国に潤いが出来たからです。しかしそれと共に、この潤った通貨によって取得できる可能性を持った人が多くなると当然インフレになりますので、通貨の持ち高とそれが持つ購買力との比率も同時に変化します。早く買って後にそれをまた売るときにはその差益を得るが、早く売ってそれにより得た現金を保持していたものは現金の価値が下がるので後では目減り損をする事になります。それを避ける為に社会全体は買入れ・売出しの回転を早める方向へと進行していきます。不動産などのように永久に存在する物ならば備蓄として物はそのまま残り、有利な売買価格を待っていても評価価値が変わるだけで本質的な変化をしないけど、消費されるものは常時消え去るのみで、また新しいものを必要とします。日本は必要とする原料を殆ど自国では産出しないので、常にそれらを外国から購入する宿命を持っていますが、原料の購入・製品の販売により動く通貨の回転が緩やかな方向へと移行すると、金融貸借費だけでなく、その間、自然発生的に上昇していく国の維持費(=国民の生活費)を満足に補給し得なくなり、その均衡が崩れて急に不景気になります。この二十年、それまでは日本が指導的であったコンピューターを応用した自動化により熟練労働者を必用としない生産技術革新の方法が日本国内でその効果を示しただけでなく、日本だけの繁栄に異議を唱える競争国の圧力に従い、それが更に労賃の低い外国へも広がり、その結果として日本の国際競争力が相対的に低下したのであり、日本国内での現象は悪化の方向へと進行しました。そして、こんなに裕福になったのだから、これから先はあまり働かなくても生活していけるのではと思い始めた人が多くなった瞬間、仕事場が無くなり、これからは本当に働けなくなるのではとの危機感が突然にやってきたようでした。日本国内から工場や会社が日本よりも生産・営業費の安い国外へと移転して行ったからです。

  過去において、ドイツを豊かにした主要因子は何だったのでしょうか。外国が欲しがるものを外国よりも高いけど質と耐久性が良く、耐久性+質と価格の比が優れたものを作り外国へ輸出した。ドイツ国の維持費はその競争国に比べてすでに高かったけど、それを補うのに充分の国際通貨を得る輸出が出来ました。
  同様に、日本を豊かにした主要因子は何だったのでしょうか。外国が欲しがるものを外国よりも安く、しかも、質と価格の比が優れたものを作り外国へ輸出した。それと同時に日本国の維持費は当時その競争国に比べて安かったので、必要以上に多くの国際通貨を得る輸出が出来ました。
  しかしその間、日本の維持費は高くなり、この因子の変化が日本経済を悪化させるようになったとも見られます。国の維持費はその国民の生活レベルや、国防・教育・社会組織などを効率的に運営する為に要する費用で、それは国民の満足度に反比例し、国民の要求度に比例して変化するものだと思います。このような変化に対し直接影響を与える事が出来る操作因子は政治と国民の意識でありましょう。しかしこの両者共、とかく自分の立場と周りの状況を意識しすぎ、目先の対象物と比較する事によって起こされる人間的な反応で簡単に進む方向を変える性格を持っているようです。しかし、一億という国民の進む方向がその最大多数の望みによって選ばれるという民主主義の方法に於いてこれは基本的なことです。

  バルブ好況の時、日本人はそれまで自分が過去に出来なかったことを急いで取り返そうと夢中に努力しました。そして、我が世の春という昔の言葉の意味を本当に自ら体験できました。しかし、太陽はそこに停止しているわけではなく、その動きはこの特定領域の境界を越えて次の領域へと移転してしまいました。一度慣れた快適な社会生活条件を変えてそのレベルを下げることは誰にとっても苦痛です。日本国の本来の姿は温暖な気象条件を備えてはいるけど孤立した島国で、人間がそこに有る自然の恵みだけで生活をするのにはもともと貧しい国でしたが、他国との関連性を持つ産業と工業の近代化を国民の努力で敢行し、突然知らされた外国との極端な格差が国民的行動のDriving Forceとなりバブル好況に到達できました。

  今この貧しい国の人々に出来ることは、その維持費を減少して、しかもその生活のレベルをなるだけ下げないようにする態度を持つことでしょう。少ない維持費でもそれを有効に使い、他国から購入をしなければならない物・智を効果的に活用し、自国の持っている物・智、そして人を大切に利用することでしょう。
  国際的にその存在を認識されるためにグローバリゼーションの掛け声が華やかに響いたけれど、残念ながら、地理的にも孤独な性格を変えられない日本にとっては既にローカリゼーションの時代に戻って行ってしまったようです。嘗ては競争国であった他の先進国の人々にとっても日本人と同じ様な行動をしなければいけない状態に到達しているようです。

  操作因子の素子でしかない私達にとって今出来ることは、第二次大戦後日本が再び上向きの発展をし始め、その効果を皆が感じ始めたときに唱えられた、あの懐かしい、“DISCOVER JAPAN”と同じく、“RE‐DISCOVER JAPANモ の生活精神を持って行動することではないかと思いますが。

             (2004年7月・YU)



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