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豊倉賢略歴
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2009 B-11,1:豊倉 賢 「化学工学協会・晶析研究会を支えた城塚・豊倉研究室
  50年の晶析研究活動」(3)・・・1972年開催のISIC5th 以降の研究活動 ー 2次核発生現象の研究

1)はじめに・・・1972年までの総括と新しい研究活動への取り組み :

1-1)1963年(大学院学生時代) までの晶析研究;
  大学院学生の教育目標は時代と共に変わるが、また、教育に関心のある教育行政機関や大学院で学生を直接指導する教授、あるいは大学院教育を受けた学生を採用してそこのスタッフとして活躍することを期待する企業や研究機関等で、それぞれが期待する大学院学生の学習内容は画一でなく、可成り大きな違いがある。近年日本の博士学位取得者の中には、就職難にあえいでいる人が多くなって社会問題が起こるようになっている。それには種々の原因が考えられるが、その中に大学院で研究活動を行う学生自身の心構えにも問題があるように思える。

  豊倉が大学院に進学した当時は、大学院課程修了者の数は少なく、学位取得後の進路・就職状況も分野によって異なっていたが、まだ具体的な実績も少なかったので、不透明な部分もかなりあった。そのような状況下の大学院学生は、課程修了後の将来について何とかなるであろうと楽観的な期待は持っていて、自分が所属していた大学院課程を修了するまでに何を学習し、その課程で学修した成果に基づいてどのような活動が出来るようになれるかについて仲間と真剣な討議をしたことは余りなかった。それでも、自分達の将来について仲間と意見の交換をして、何となく課程修了後のことについて心の備えはしたものだった。ここで討議した内容は、その時代の影響も受け、現在の学生の参考にならないこともあるのは当然であるが、そのことを承知の上で豊倉が大学院当時考えていたことを、所属した専門分野と博士課程後期修了者を前提に書いてみる。しかし、この内容は特殊ケースの例であり、具体的に考えたことを書くことの意味は不明であるが、似たことを考えている学生がいたら参考になることもあると思っている。

  豊倉が博士課程で対象にした研究内容は、研究を長期間続けて行うことの意味あるテーマを研究課題に選択することを心掛けた。しかし、日の当たる研究課題は開始当初誰しも興味持つものであるが、それを続けていると険しい壁が見えてくるようになる。その段階で機会を見ながら自分の力で発展的に乗り越えられる方向に舵を取るようにしながら長期間続けて研究し、成果を上げるように頑張って続けるようにした。そのような研究活動を効果的に進めるためには、自分の好み、性格等が生かせると同時に、現実に実社会の発展に長期に亘って貢献すると評価する機関があり、それによって受け入れられることが大切で、尚かつ指導教授の意向とも大筋において一致する課題を研究するように選定した。また、ある程度研究活動の区切りがついた段階で、その研究内容について信頼できる第三者の意見を伺い、それに十分な配慮をし、時には自分が行って来たことの妥当性を判断したり、反省して修正する切掛けにもした。同時にこのような自分の研究活動の進捗状況も、自分自身の将来像と比較して考えた。その結果については、比較的短い期間で区切って成果を暫定的に纏めて内容等を再検討し、次の区切られた期間における研究目標を設定して、発展的な研究を続けるようにした。時にはそれまで続けていた研究もある程度の進展が見られて纏めた段階で一時的に休止もした。この休止したテーマは、時期を見てそれまで行った研究と関連があって、近い将来相乗効果の期待できる新しい研究課題を始めるための新しい検討を行うようにした。この研究思想に基づいて大学院入学以降1963年までに、豊倉が具体的に行った在籍中の主な研究内容と成果の概要は、2009B-9,1に記述した。その主な内容を要約すると、

i ) 初期の調査研究で行った理学分野の結晶成長現象と工業晶析操作で生成した 結晶を懸濁している母液との分離が容易な結晶製品生産法の検討
ii ) 工業晶析装置内で所望製品結晶を生産出来る操作条件の検討と装置内で成長 する結晶成長速度に対する流動の影響
iii ) 連続晶析装置設計のためのCFC因子の提出と連続分級層型晶析装置設計法の 提出、
iv ) CFC 因子に基づく連続運搬層型晶析装置および連続完全混合槽型晶析装置設 計理論の提出
等であった。

1-2)1960年代に早稲田大学城塚・豊倉研究室で提出した晶析装置設計理論に基づいた工業連続晶析装置の設計および工業晶析プロセスの開発とこれらの工業晶析
  装置・操作およびプロセスについての欧米研究者・技術者との討議

  工学研究で提出した工学理論は、工業製品の生産に貢献することが究極の一つの目的であることは、城塚先生の研究指導や化学工学協会の研究発表会等の討議を通して学び、豊倉自身もその通りと考えた。特に化学工学分野の晶析研究は他の拡散分離操作と較べて遅れており、豊倉が晶析研究を始めた当時はまだ企業技術者が、所望結晶製品を生産する晶析装置・操作条件を設計する方法は確立されていなかった。このような時期に豊倉は一連の連続晶析装置設計理論を提出し、欧米の晶析研究者・技術者から強い関心をもたれた。その頃の様子は、2009B-10,1に掲載した記事に纏めてあるが、当時の状況を簡単に紹介する。

  豊倉が提出した晶析装置設計理論で対象にした工業晶析装置は、1950年代に化学工業で広く注目されたKrystal-Oslo型とDTB型晶析装置で、その設計を容易にすることを目標にした理想型モデル装置のであった。これら晶析装置設計理論の提出に当たっては、既に欧米の研究者・技術者が行った研究と同様に、基本設計式を提出するのに都合のよいように装置形状や装置内結晶の懸濁状態および装置内溶液流をモデル化した。さらに装置の定常操作時には所定均一粒径の種晶結晶を所定の添加速度で供給し、その結晶は装置内の溶液過飽和度・溶液流動状態で相関される結晶成長速度で成長し、所望の均一粒径に成長した結晶のみが所定の生産速度で装置より連続的に生産されるとして、その装置形状、サイズ等を算出出来る設計式を提出した。しかし、工業晶析装置はここで想定したモデル装置の設定条件と同じように操作しても、実験装置や工業装置で生産したものとはある程度の違いがあって、設計した装置で所望製品結晶を生産するためには、設計時に設定した晶析装置や操作条件で所望結晶製品が生産されるように修正することが必要であった。従って、装置設計理論を提出した研究者は、その理想装置モデル設計理論を使って設計した装置で所望結晶を生産できる修正法(通常know-howと云われる)も検討し、同時に提出しておかないと期待する評価は得られないようであった。

  このような段階の問題解決を考えていた頃、豊倉は連続晶析装置設計理論を提出して学会発表をした直後に、偶々、海外から技術移転を受けて、晶析装置の販売を始めた国内のプラントメーカーの技術者から相談を受けた。そのプラントメーカーは、日本の化学企業から出されたスペックに従って海外の提携企業が行った基本設計に基づいて商談を進めていたようであったが、その過程で既に出されたスペックの部分的変更に対応した装置修正・変更を海外の提携企業に問い合わせていた。しかし、当時のことでその回答に時間が掛かり、早急に回答を作成して対応を取るために豊倉が提出した晶析装置設計理論を適用して、回答を作成した。その後数ヶ月後に海外の提携企業から回答が送信され、豊倉の式で作成した回答と比較した結果より、豊倉は提出した設計理論の妥当性を確認出来た。この時、行った検討では、工業操作はモデル装置のそれとは全く同一と考えることは出来なかったが、その絶対値の違いに対応した修正にはアナロジーに考えられるモデル装置を考えて対応をとり、変更したスペックに対する回答を作成した。

  このような経験を多少積んだ頃、早稲田大学を卒業した先輩が技術課長を務めていた国内化学工場の晶析プラントが設計時に設定した製品スペックを満足した製品を生産出来ないので相談に乗って欲しいと連絡を受けた。この時もプラントメーカーの時と同様、先ず、問題点を抽出し、それに対して、豊倉の晶析装置設計理論式を使ってその問題に関連のある個所を検討し、その装置内の操作状態を同形式モデル装置の設計理論提出時に設定される状態に戻すように助言して、プラントの安定運転を可能にした。これが切掛けになって、1966年12月に米国TVA公社の招聘を受けて、米国に留学するまでの1年足らずの期間に同工場を数回訪問し、稼働中の晶析プラントの改善をアドバイスしたり、新規建設晶析装置の設計の世話など行って化学工場で稼働していた晶析装置の勉強をすることが出来た。また、米国に出発直前に行われた化学工学協会の関西支部行事に参加し、その行事終了後の半日、日本の代表的な晶析装置メーカーであった(株)大同鉛(現クリスタルエンジニアリングの前身)の取締役故?山吉雄氏の招きを受け、そこの技術者に晶析装置設計理論の講演を行い、?山氏が新しく開発した逆円錐形晶析装置について討議できたのは、米国に単身切り込みに行く直前の豊倉にとって心強い経験になった。

  豊倉は、当時としては自分自身で充分納得できた連続晶析装置モデルを設定し、その設定モデル装置を対象にした設計理論を提出した。その段階で直ちにモデル装置対象に提出した設計理論を化学工場で稼働している工業晶析装置・操作の検討や新しい企業の要望に応える工業晶析装置の設計に適用する機会を持てたことは、装置設計理論の研究を開始した頃、微かに期待していたことだったが、ここに記述したように、運良く経験できるとは思わなかった。しかし、設計理論を提出して2年足らずの間に、日本国内で稼働していた工業晶析装置・操作の経験を積むことが出来、その経験を持って当時世界の工業晶析装置・操作の開発をリードしていた米国TVA公社肥料開発研究所に招かれたことは本当に幸運であった。

  豊倉のTVA研究所における研究課題は、当時、世界の食糧問題解決に必要な食料増産に貢献する新しい安価な燐酸系肥料生産の新技術開発であった。具体的には、燐鉱石の硝酸分解液から肥料有効成分の高い燐硝安肥料を生産する過程で重要な硝酸カルシューム4水塩結晶の効率生産プロセスの開発研究で、小型装置を組み立てて測定したデータより、早稲田大学で開発した設計理論を用いて硝酸カルシューム結晶生産のための晶析装置設計定数を求め、それより効率よく生産できる装置を開発し、目的プロセスを開発した。同時に、隣室研究員が担当していた硫安結晶と炭酸アンモニューム水溶液との反応晶析による炭酸カルシュウム生産プロセスに対しても新形式の高効率工業晶析装置の開発の支援も行った。TVAでの一連の開発研究は、渡米前に日本企業と共同で行った開発研究とは全く異なった組織での研究であって、豊倉にとっては全く新しい経験を積むことが出来た。また、当時のTVA研究所は、新しい肥料とその新しい生産技術開発における世界の拠点研究所で、全世界の肥料分野の研究者・技術者は定期的に訪問していた。その訪問者からは、日本の隣国であった韓国や中華民国の研究者・技術者の活動情報も入手でき、日本にいるより世界の情報を容易に得ることが出来た。また、当時すでに世界的知名度の高かった晶析の第一人者であったProf. LarsonやDr. Randolphとの交流も、TVAの豊倉として行うことの出来たのは豊倉にとって好都合であった。その頃のことは2009B-10,1に具体的に記述したが、豊倉自身、TVA研究所で活躍できたことは世界の国々の研究者・技術者との交流にも大いにプラスになったと思っている。

  1968年以降のヨーロッパとの交流は1968年10月末にUCLを訪問し、豊倉が1966年に早稲田大学理工学部彙報に寄稿した豊倉の博士論文の主要部分を英訳した記事 ( Design Method of Crystallizers )をProf. J.W.Mullin & Dr.J.Nyvlt へ寄贈したことから始まった。その経緯と1972年に開催されたISIC5thでの日本の研究者・技術者に対する海外研究者・技術者の評価は、前号(B-10,1)に紹介したが、それは、ISIC5thに日本から参加したメンバー対する評価が高かったからと思う。

1-3)1972 年以降の晶析グループの活動について;
  ISICの設立・発展の経緯は、初代WPC International ChairmanのDr.NyvltがEFCE NEWSLETTER, No.2,1992( Chem. Biochem.Eng.Q.6(4 ) pp.227-240(1992)に寄稿したACTIVITY REPORTS OF WORKING PARTIES “25 Years of the Working Party on Cystallization を読むことによって知ることが出来る。その後、WPCの国際議長はJ.Garside, J.Ulrich に引き継がれ, 昨年オランダのMaastrichtで開催されたISIC17thのWPCでは、比較的大勢の日本人研究者と親しいFrance, Toulouse大学CNRSのB.Biscansが新国際議長に就任した。この間、WPCの主な活動は、産業界の進歩・変貌に連れて、徐々に変わってきているが、一貫して基礎的な晶析工学基礎と化学工業界において重要な結晶製品やそれと関連する生産技術の開発に関する研究がバランスをとりながら進められてきた。これまで続いた3代の国際議長の交代で、WPCやISICの具体的な活動内容やそこで討議されるトピックスも時代の流れに沿って多少変わってきたが、その動きはBiscansが国際議長になっても、昨年のISIC17で彼女が行ったKeynote Session T4; Approaces to crystallization in complex media; new crystallization sterategiesの講演を思い出す限り、大幅に変わることはないと想像した。そのことは、これからもWPCとISICは世界の化学工業界における晶析工学基礎研究と産業界における最新の晶析技術開発研究成果の集約と評価およびその将来の発展にたいする国際協力を中心的活動として続けると期待できる。一方、日本晶析グループのアジアにおける活動は1970年代初から続けているが、20世紀末以降アジア各国の活動も活発になっており、研究実績も蓄積してきている。

  WPCやISICの活動において、世界から期待される地位を維持するためには、常に新しいテーマに対する研究を続け、世界から評価されるオリジナルな研究成果を発表し、その成果が産業界の発展に貢献する生産技術の開発に寄与することである。1972年のISIC5thでは、日本の晶析グループは世界の化学産業にも通用する研究成果を発表し、日本の晶析研究グループの活躍を世界に印象づけた。そして、1972以降は世界の研究者グループの仲間に入って次々と新しいオリジナルな研究成果を発表し、新しい晶析技術の発展に貢献した。以下に早稲田大学で行った研究の概要を紹介する。


2)ISIC5th 以降1970年代における早稲田大学晶析グループの晶析研究;

2-1)2次核発生と2次発生速度の研究;
  人類と結晶の付き合いは古くからあったことは想像できるが、人類の欲望を満たすような結晶を生産するためには、結晶核発生を制御することが必要であることを20世紀前半に考えるようになった。その頃は、Miersの研究結果をベースに核発生を制御する方法を検討し、限られた操作条件下で制御した結晶生産を行ってきた。しかし、Miersの研究は一次核発生現象が主に考えられ、晶析操作で対象になる過飽和溶液内に結晶が存在する場合、再現性よく結晶核発生現象を推測することは困難であった。それでも、20世紀半ばの晶析研究では、結晶核発生や発生速度が比較的安定していて、核発生の影響を受ける現象の変動が無視できるような操作範囲で、結晶成長現象と成長速度をベースにした結晶生産技術の開発が行われ、市場の要望に応える結晶生産を行うような努力が行われてきた。しかし、20世紀後半に入ると、NyvltのActivity Reportに記述されてるように工業晶析操作の研究が活発になり、過飽和溶液内に懸濁している結晶による2次核発生現象の研究が行われるようになった。

2-2)豊倉研究室における初期2次核発生現象の研究 ・・・上昇過飽和溶液流によって形成した結晶流動層によって発生した2次核発生速度 :
  2次核発生に関する研究は、豊倉がTVAの晶析研究を行った文献調査で検討し、これからは2次核化現象を明らかにして2次核発生速度と結晶成長速度の上に晶析装置設計理論を組み立て、この両現象の基づいて設定した操作条件で工業晶析装置から生産される結晶を推測することを必要と考えた。しかし、当時の早稲田大学の研究は、1960年代に提出した晶析装置設計理論による工業晶析装置設計法を確立することに主点がおかれ。1972年開催のISIC5thまでそれを続けた。一方。ISIC5thにおいても、2次核発生現象に関する研究も発表されるようになって、この研究も早く進めないと世界の晶析研究から取り残されるような気がして帰国した。

  Prahaから帰国した豊倉は大学院修士課程に在籍していた山添さんと2次核発生現象の研究について相談を始めた。その直後の大学院セミナーの文献紹介で。彼はStrictrand-Constableの論文を発表した。その研究では、密閉円筒管に所定温度の飽和溶液を入れ、その片隅に一個の単一結晶を静置し、徐々に冷却して円筒管内溶液に適度の過飽和を与えた。その段階で結晶を静置した方の円筒管の端を上にあげて傾け、その結晶を円筒管の反対の端に向かって静かに滑るように移動させた。その後の円筒管内の状態は単一結晶の位置は移動したが、それ以外は何も変化しなかった。しかし、そのままにして暫く経ってから円筒管内を注意深く見ると、移動した結晶の動いた跡に微小な結晶が生成していたのを確認した。この微結晶は種結晶が溶液の中を移動することによって発生した2次核が成長したもので、その微結晶個数を数えるとこの結晶表面積当たりの2次核発生数が測定できると考えた。それよりこの装置において、結晶を特定位置に懸濁させ、過飽和溶液を結晶周辺に流すと2次核発生速度が測定できると考え、新しい研究を開始し、一連の成果をあげることができた。その詳細は化学工学論文集第1巻3号、p.262 (1975)に発表した、そのコピーは 「晶析工学の進歩pp.210~214」にも掲載した。

  この研究は豊倉研究室で初めて発表した2次核発生速度に関する論文で、それに対する反響は豊倉が当初期待した予想以上に大きかった。その話は35年前のことであって、最近の若い学生は殆ど聞いてないだろうと想像して、少し詳しく記述する。この研究は、当時大学院修士課程1年に在籍していた山添さんが1年半足らずの短い期間に結果を出したもので。まず、上記の論文に記載した装置を独自に考案し、それを手作りで組み立て、実働1年強の期間で予備テストから、装置の手直し・修正も行ってデータを取得整理し、世界で評価を受けた研究成果に纏めた。この研究成果は、1974年秋田で開催された化学工学協会関東支部大会で発表した。その頃、地方で開催された研究発表会では、学会役員の会議が少なく、学会の著名な先生方は研究発表会に出席して、そこで発表された論文内容について厳しい質問をされることがしばしばあった。

  この発表会には、東京工業大学名誉教授で、1965~67年度に化学工学協会会長を務められた藤田重文先生が、会場の最前列に座られて若い研究者の発表論文の内容を聞かれ、個々の発表論文のオリジナリテイーと工学的な価値について質問され、論文発表を聞いている人が、その論文内容を理解し易いように、纏めて発表するようにご指導されていた。豊倉が山添さんの研究した論文を発表した時、この会場で発表された論文の終わりの方であって、藤田先生は席を会場の後ろの方に移られていたためか、豊倉は先生から何の質問を受けることなく修了した。その後、直ちに懇親会に参加した。この懇親会は通常の会と同じように進行され、主だった学会役員の挨拶が終わった段階で、藤田先生の音頭で乾杯に入りことになった。その時、藤田先生はその日の研究会で発表された論文の総評をされ、今日は朝から厳しい評価をコメントしてきたので、ここでは、今日の発表論文で分かりやすかった発表を披露しようと言って、早稲田大学の豊倉の名前を云われた。豊倉はそれまで藤田先生と話をしたことがなかったので、長老の大先生は豊倉の名前を知らないだろと思っていたので、先生ご自身から豊倉の名前を伺った時は本当に驚いた。その日の懇親会では、大勢の知人からお祝いの言葉までいただき、藤田先生のお言葉の重みをつくづく感じて、城塚研究室で一緒に晶析研究を行ってきた大勢の学生の努力を改めて思い出し、学生と喜びを分かち合った。

2-3)豊倉研究室の2次核化現象研究をさらに発展させるために;
  豊倉が2次核発生現象の研究を始めた頃、欧米では既に2次核化の研究は進められており、その研究の多くは、Prof.M.A.Larsonらが進めていたコンタクト核化現象で、既に、新しい複数の研究成果を発表していた。その頃、日本の一部研究者の中にも、Larsonが使用したのと類似装置を使用して2次核発生研究を始めていた。コンタクト核化は、過飽和溶液内に懸濁した結晶が、装置内溶液を循環するために使用した撹拌翼と衝突してその表面が損傷し、その時発生した微結晶が過飽和溶液内に懸濁浮遊してそれが溶液の過飽和度によって決まる臨界粒径以上の大きさであった時に核発生になると考える現象で、実際は結晶と装置壁、結晶同士の衝突等によっても起こると考えられていた。工業晶析操作において発生する結晶核数は、結晶に衝突する物質の材質や形状、あるいは衝突エネルギーによっても異なるが、また結晶周辺の溶液過飽和度によっても大きな影響を受けた。そこで発生した微結晶の特性は種結晶周辺の環境条件の影響を受けることもあって、すぐ成長を始めてるものもあるが、中には他の結晶などと合一して消滅したものやライプニング現象によって自然に消滅するものなどあった。ここで発生する結晶核については、生産される結晶の目的によって、多数の結晶核発生を期待する場合があるが、通常の晶析操作では、装置内より取り出される結晶スラリーから、生産された結晶を効率よく短時間に分離することを必要としていて、そのような場合は2次結晶核の発生数を比較的少なくすることが重要であった。

  一方、生産される結晶粒径を限定して、装置容積当たりの結晶生産量を多くすることは、生産コスト削減のために有効なことが多く、それに応えるような結晶を生産するには、可能な範囲で結晶成長速度を大きくすることが必要であった。そのためには、装置内操作過飽和度を大きくすることは有効であるが、過飽和度が大きくなると、結晶核発生速度も大きくなるので、装置内で発生する結晶核を増大させることなく、操作過飽和度を大きくすることが工業生産の観点から極めて重要で、それに叶う装置形式の選定から操作条件および補追付属操作等の研究はされるようになっている。

  その観点で工業晶析装置を考えると、krystal-Oslo型晶析装置は20世紀前半に開発された。また、1900年代半ばにはDTB型晶析装置が開発され、装置内溶液過飽和度に基づいた平均結晶成長速度の検討より、DTB型の方が生産性の高い装置として世界各国の晶析装置担当技術者より評価されるようになった。そこで、この特性の異なる二つの代表的な晶析装置溶液内の2次核発生速度を検討し、それによって両晶析装置特性を明らかにすることを重要と考え研究した。

i )流動層型晶析装置内の2次核化特性の検討;
  流動層型晶析装置では、装置内溶液過飽和度は塔底部が最大で、その過飽和溶液が装置内を上昇するにつれて装置内に懸濁する結晶を成長させ、その結晶成長量に相当する溶液過飽和濃度が塔底からの距離に応じて低下する。この装置を用いて所望製品結晶を生産する連続分級層型晶析装置を設計し、その設計条件に従って制作した晶析装置内で発生する2次核発生速度は、化学工学論文集第1巻3号、p.262 (1975) に発表 ( 晶析工学の進歩pp.210~214にも掲載 ) した相関式で推算できる。一方。故?山氏は逆円錐形流動層型晶析装置を作成し、その装置でカリ明礬結晶生産の試運転時のデータを測定し、それよりその装置で生産されるカリ明礬結晶の月間生産量と製品粒径の関係をその装置塔底部の過飽和度と塔頂部過飽和度の比( 無次元過飽和度 )をパラメータに点綴した。一方この操作条件に対して、上記相関式を用いて推算した相関線とデータから算出した測定値を同時に点綴すると可成りよい一致を示した。このデータは数が少ないので一般性を議論することはできないが、実験室小型装置で求めた関係と工業晶析装置データを整理した関係とがよい一致を示したことは、この分野の新しい発展の可能性を示唆している。( 詳細は化学工学論文集第2巻、5号、p.561 ( 1976 )および, AIChE Symp. Ser.72, No.153, 53 (1976 )を参照いただきたい。 )

ii )連続運搬層型晶析装置( DTB型晶析装置等)内の2次核発生速度;
  連続運搬層型晶析装置を代表してDTB型装置を考えると、装置内に循環溶液の最大過飽和度は装置本体上部の蒸発面付近の溶液であるが、装置内で懸濁している結晶は所望生産結晶粒径に成長するまで、装置内を循環するように操作されるので、過飽和溶液の循環線流速は大きく、装置内全体を通した過飽和濃度の最大値と最小値の差は小さいと考えられている。一方、装置内を循環する結晶は、製品として取り出すために装置底部の分級脚入り口付近で製品結晶粒径に近いものが多少多めに懸濁していると考えられるが、それ以外の場所での結晶の粒径分布は、循環溶液流に乗って装置内を繰り返し循環しているのでほぼ均一と考えられる。このように考えると、装置内で2次結晶核が支配的に発生する機構は。懸濁結晶スラリーを強制的に循環的にさせるために装置内に設置される軸流ポンプの回転翼と懸濁結晶との衝突によるコンタクト核化現象である。そこでこの現象を解明するために、2次核発生が最も激しく起こるところを考えると、それは、回転撹拌翼と循環結晶スラリーが衝突するところを考え、その部分での核発生速度を小型モデル実験装置によって実測した。

  このモデル装置は、上記 i )の研究で行った2次核発生速度測定に用いた流動層装置の円筒管中央部に撹拌翼を設置したものであった。この一連の実験は、主としてカリ明礬12水塩系を用いて行い、実験条件は、撹拌翼形状および翼径、回転数を数種変え、また流動層を形成した結晶は分級して揃え、数種類の粒径について実験した。なお、この実験で用いた結晶流動層高は撹拌翼回転域高さの数倍までの範囲で数通り変えて行った。この実験の測定では、流動層を形成した結晶(母結晶)粒径毎に2次核発生速度を求め、その核発生速度と操作過飽和度を、それぞれの対数値で相関して核発生速度を過飽和度の指数関数として求めた。その指数は、母結晶粒径が大きい範囲では1に近かったが、粒径が小さくなるに連れて3.3まで徐々に大きくなった。

  一方、この撹拌流動層実験の結晶層高を撹拌翼回転域高より大きくすると、その装置内に懸濁する総種結晶から発生する結晶核発生数速度は、種結晶層高が撹拌域高を超えて大きくすると、その種結晶によって発生する結晶核数の増加は、種結晶の懸濁層高が比較的低い範囲では結晶核発生増加の伸びに応じて大きかったが、種結晶懸濁層高が高くなると、結晶核発生数の伸びは少なくなり、その種晶懸濁層高の比が10倍を超えると発生結晶核の総数は明らかに減少するのが認められた。このように撹拌翼を装置内に設置した場合の有効結晶核発生速度の変化は複雑で、その上、操作過飽和度の影響も受けると考えられた。また、結晶流動層を通過した過飽和溶液を恒温槽に浸漬した小型撹拌槽に貯液し、撹拌を続けたまま槽内を観察すると、暫くは僅かながら核発生数は増加した。この増加は一次核発生によるものと推察した。このことより、一次核発生は、2次核発生が支配的に起こると考えられる低過飽和溶液においても起こる可能性があると考えた。しかし、この一連の低過飽和域のテストにおいても、そのままの状態に保ってある時間経過させると、核数が急激に増大するのが確認された。この急激な増大はこの撹拌槽内に懸濁していた2次核が成長にて母結晶になり、それが新しい子供を産んだためと判断した。その時の母結晶粒径を算出し、子結晶核を生む最小母結晶粒径として決定した。この母結晶の最小粒径は結晶核が発生する溶液過飽和溶解度が大きくなると逆に最小粒径は減少した。この現象からも過飽和度の増大は核発生速度を増大させることを明らかにした。また、この最小母結晶による核発生速度も求め、それを操作過飽和度の指数関数として相関した指数は、流動層を形成した種結晶による場合と同様、指数は3,3であった。

  これらの一連の研究は豊倉研究室で5年以上に亘って研究され、その成果は国内外で発表した。その一連の成果を集約して纏めた論文は、ケミカルエンジニヤリング、39、p.58-66(1994)(コピーは二十一世紀への贈りものC-PMT p.108(1999)に掲載)に掲載しており、主な発表論文の所在もそこに記載している。


3)むすび ;
1972年PrahaのISIC5thから帰国後に新しい研究テーマとして始めた2次核発生現象に対する研究成果の概要を示した。この研究は、それまで行ってきた晶析装置設計理論を適用して工業晶析装置を設計するとき考えなければならない工業晶析装置内結晶核発生速度についての情報提供に貢献した。しかし、晶析装置内で重要な核発生現象は、有効核の発生であり、現状では操作条件からどのような現象が有効核発生に影響するか推測出来るようになった段階に過ぎず、これからも明らかにしなければならない現象は、多く残されている。

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