Home | ホームページ設立の趣旨 | 掲載予定の記事について
豊倉賢略歴
| apppendix | 新規掲載記事

2009 B-3,1:豊倉 賢 「晶析工学100年の進歩 4
                早稲田大学で考えた大学教授の使命 − 晶析工学の発展」

1)早稲田大学で晶析研究開始当時の晶析工学;
  昨年5月、豊倉研究室の HPが5年を経過ところで、晶析工学を半世紀続けて来た者として、学んだこと・研究したこと・将来への期待を整理することを始めた。当初は、一年くらいでHPの記事を書けば纏められると思っていたが、書き始めるといろいろのことが頭の中に浮かんできた。大学院に進学した時城塚先生から晶析を研究してはと云われ、「晶析操作は第2次世界大戦を機に急激に進歩した単位操作を軸にした化学工学で未だ研究されてない分野」との説明を受けた。豊倉はその時「研究テーマとして所望結晶製品を生産出来る晶析装置設計理論を提出しては。」とのご指導をいただいた。そこで、まず文献調査から始めたが、結晶学の本はあっても、結晶製品を化学工業規模で生産するのに参考になる文献は殆ど見つからなかった。化学系の研究者・技術者なら誰もが利用するChemical Abstractを使って、結晶に関連のありそうな用語の索引から探したがそれらしい文献は少なく、数か月はすぐ経ってしまった。それでもやっと探した文献で引用されたものを、大学図書室で拾って集めると前世紀末の文献くらいまでさかのぼることが出来、それを原著にして晶析工学の体系を考えた。それ以降20世紀半ばまでに研究された報告書を調査し、豊倉が晶析研究を始めた1960年代初頃までの晶析工学研究成果を繋げて晶析工学の状況を頭の中に描くことは出来た。そこで学習した結晶化現象確認ための実験結果や化学工場で活躍していた先輩や同期の仲間から聞いた工業晶析装置内での現象を文献で調査した結晶化現象と比較検討して晶析工学基礎現象との差異を理解し、それらについての研究から始めた。

  19世紀末から20世紀前半にかけて研究された晶析工学は、初期の晶析工学基礎研究成果と拡散単位操作の研究成果として既に得られた化学工学理論に基づいて晶析装置内現象に適用された成果で、20世紀後半の晶析工学の発展に貢献した。その概要については、08B-5,1/豊倉 賢「晶析工学100年の進歩1」、08B-6,1/豊倉 賢「晶析工学の進歩2」、および 08B-8,1/豊倉 賢「晶析工学の進歩3」に記述した。これから晶析工学の研究を行う研究者や技術者は是非その詳細を充分学習・研究して、晶析装置内の現象が理学分野で主に研究された結晶化現象と異なること理解する必要がある。

2)日本の晶析工学と欧米の晶析工学;
  日本の晶析研究は、豊倉が城塚研究室に在籍する前の1958年に化学工学協会関東支部主催で開催された晶出シンポジウムで発表された研究成果がある。しかし、欧米では既に晶析研究は開始されており、ヨーロッパのBransomやBamforthら、米国ではSaemanやBennettらも論文を発表し、実績を上げていた。1960年代末にはヨーロッパ化学工学連合に晶析に関する国際的な組織が、国際結晶成長学会とは別に活動を開始したが、日本の晶析に関する研究活動はそこでの国際的活動に届いてなかった。

  1968年、豊倉は米国の帰途LondonのUCLを訪問し、Dr.J.Nyvltに会って討議した日本で提出したオリジナルな連続晶析装置設計理論が評価されたのが切っ掛けになって、1970年代には日本の晶析研究・晶析技術は欧米先進国の研究者・技術者から高い関心が持たれるようになった。それから80年代に掛けて活動した日本の晶析研究者・技術者の研究実績と日本晶析グループのISICの発展への貢献はさらに高い評価を受けた。豊倉は1999年にCambridgeで開催されたISICまでは27年間10回連続して参加したが、その6年後・2005年にDresdenで開催されたISIC16に参加した時は、世界各国からの参加者の世代交代が急に進んできたことに驚いた。それで昨年9月オランダMaastrichtで開催されたISIC17では、1980年代末頃から参加した日本の新しい研究者・技術者に「日本の晶析研究・技術がISIC共に発展してきたこと」を伝えておこうと思い、2008年6月から10月に掛けて8月を除く4回のtc-PMTホームページにAシリーズとして掲載した。また、実際このISIC16に日本から参加した研究者らの多くは通常の国際会議に参加したような軽い気持ちで論文を発表していたように見えたので、日本の晶析研究・技術をリードされた先輩の先生方が日本の晶析工学の将来を考えながら具体的に準備し、活動したことを記録にしようと考えて、昨年11月から今年2月に掛けて、「ISIC17に参加して(1)~ (4)・・・日本の晶析工学の将来を考える」記事を連載した。

  この連載記事の中では、豊倉が退職した時に出版された「二十一世紀への贈り物C-PMT」に寄稿されたスイスからのWPC delegate を長年務めたDr.E.Kratzの記事・・

“1970年のAHEMAの基調講演でJ.W.Mullin教授が述べた「当時の晶析工学は将来には基礎データから工業晶析装置の設計を可能にするであろう」 は、豊倉の研究で道は開かれた“

や1970年代後半から1980年代前半に豊倉研究室に留学したDrs.P.KarpinskiやJ.Ulrich、が寄稿した記事

”豊倉研究室でオリジナルな研究手法を学び、それが、帰国後の研究に寄与した等の内容・・“

等も紹介したが、大学研究者にとってオリジナルな研究をすることが如何に大切であるかと云うことを、今でも時々思い出している。

3)工学系大学教授の使命と企業技術者に対する対応;
  大学研究者は、未知なことを研究し、そこで対象になる物事の真の姿と特性を明らかにして人類社会の発展に貢献する理論を提出する使命がある。この使命を果たすために一連の研究を通して、新しい学問を構築し、その学問に関心のある人々にそれを教授することによって、その学問を理解した人々と一緒に種々の課題に適用して人間社会の発展に貢献する活動をすることが重要である。特に、大学に奉職する人は自分が専門とする領域に関する事象・学問は精通することは大切で、大多数の人が知識としって知っていることについては、近縁の学問領域に対してもそれをチェックすることによって容易に理解する能力を持つことは必須である。既成の学問を教授するのは通常教育者の仕事と考えられるが、特に大学教授には、専門領域における既成学問の適用範囲が社会の発展につれて拡大し、適用される事象の特性も後から追加されて自分の領域としてカバーしなければならないことが多く、それらの適用についても常に研究を続けなければならない。この新しい適用に対するニーズを自分の専門分野でカバー出来るか否を明らかにすることも大切な研究課題であるが、時にはその新しい課題を解決するために、別に新しい理論を構築することも大学研究者としての重要な使命の一つとなる。この新しいニーズに応えられる新しい展開法の提出や、抜本的に新しい概念の導入によって創出されるモデルを対象にした新理論の提出や社会の期待に応える新しい展開法の提出は、大学研究者にとって重要な使命である。しかし、このような問題解決に使用できる一般的な方法は世の中にはなく、研究者自身で個々の課題解決が出来ると考える方法を提案しながら試行錯誤を繰り返して研究を続けて解決するものである

  豊倉研究室で行った研究は、研究室ですでに提出した理論に対してさらに新しいアイデイアを想定して加え、社会の発展により大きな貢献が期待される新しい理論を提出した。そこで新しく提出した理論を新しい課題解決に適用して、その理論適用の限界を検討しつつ発展を続けて、晶析工学発展に貢献してきた。このような研究は大学院博士課程後期末から継続しており、そこでは次の事項を心掛けて行った。

i)自分の最も得意な研究法を適用できる課題を選択し、そこで、提出された結論を自分で種々の課題に適用できるように纏めて最終結論とした。

ii)i)で提出した研究成果を適用して工業晶析装置・操作、晶析プロセスの評価を簡単に行える方法を提出し、それを誰でも比較的容易に使用し易いようにした。

iii)i)およびii)の結論に対して謙虚に対応し、研究室学生その他関心ある人々のフォローチェック等を歓迎して改善を図り、適用範囲拡大の提案等前向きに取り組んだ。
iv)理論の適用範囲拡大のために、提出モデルの抜本的変更、提出結論表示の変更、理論適用のために必要なデータの簡便で、妥当な取得法の研究開発。

  企業技術者は顧客からの要望に応える製品を生産する必要があり、そのような製品の生産に適用できる工業晶析装置・操作法を開発しなければならない。しかし、晶析装置・操作設計理論は、理論を提出し易いようなモデル装置を対象に提出されることが多いため、そのままで工業晶析装置・操作の設計に適用できないことがある。しかし、工業製品は理想的な結晶製品を必要とすることは殆どなく、顧客のニーズに応えられる結晶を低コストで安定生産出来る装置・操作法を開発することが必要である。そのために、企業技術者の要望を充分参酌して晶析装置・操作を開発することが必要で、豊倉研究室では、企業技術者と連携を取りながら研究を進めた。

4)日本国内の晶析グループの活動と豊倉研究室の晶析研究;
  2008年5月掲載のHPでは、日本で行われた晶析研究を記録・整理しておく方針で、「晶析工学100年の進歩」を記事にすることにした。結晶に関する理学的研究グループとしての結晶成長学会の活動は、化学工学分野の研究より前から行われてたが、化学系研究者の研究は日本化学会誌に発表されていた。結晶製品という観点からは食塩結晶の生産を対象にした研究は塩学会で行われ、蔗糖の晶析については精糖工業会が中心に研究を行っていた。化学工学分野の晶析研究は東京大学の宮内研究室で早くから始められ、その後東京工業大学の藤田研でも始められた。昭和30年代の晶析研究はそれに早稲田大学の城塚研と広島大学の中井研および姫路大学の中島研が加わって始められた程度であった。1967年化学工学協会に研究会が設置され、その翌年城塚先生に代表をお引き受けいただいて、晶析に関する研究会がスタートして組織的な研究を始めるようになった。それ以降の活動には大阪市立大学の原納・大嶋先生、東京農工大の村田・松岡先生、岩手大学の河上・久保田先生らのグループも晶析研究を始めて加わった。た。豊倉グループは結晶成長速度に基づくCFC晶析装置設計理論を提出し、1970年代には2次核発生速度の研究を行った。次いで、それらを基にした新しい設計理論を提出し、工業晶析装置・操作の設計を容易にする新設計線図を提出した。同時に精製晶析操作法や晶析操作による高機能晶析プロセス・環境対策技術の開発研究を行い、工業晶析技術の発展に貢献した。これらの一連の研究は「晶析工学100年の進歩」後半として、本年4月以降のtc-PMTで掲載する予定です。

5)むすび
  豊倉研究室は、早稲田大学城塚研究室で研究を開始して以降半世紀に亘って晶析研究を行い、晶析工学の進歩、晶析プロセスの発展に参画してきた。最近は豊倉と共に晶析研究を行った世界の研究者・技術者の世代交代が急に進み、当時から現在も第一線で研究をリードしている研究者・技術者はProf.J.Ulrichや山崎さん等数は少なくなっており、これらの記憶を忘れる前に記事にすべく、暫く寄稿を続ける積もりです。 。

top

Home | ホームページ設立の趣旨 | 掲載予定の記事について
豊倉賢略歴
| apppendix | 新規掲載記事