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豊倉賢略歴
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2006 B-1,5:「早稲田大学晶析グループのもがき ・・・
            2006A「世界のトップクラスで活躍するために」を受けて

1)はじめに:

  早稲田大学化学工学研究室で晶析研究を実質的に始めたのは、豊倉が1959,4に早稲田大学大学院に入学し、城塚研究室に配属しれてからである。城塚先生は拡散操作の研究者として既に晶出に強い関心を持って検討されておられ, 豊倉の配属が決まった時「君は晶出」を研究テーマにしてはどうかと言われて、八幡屋正さんが執筆された日刊工業新聞社発行の新化学工学講座?「晶出」を手渡された。その時、結晶という言葉は学部講義の物理化学で学んだことをおぼろげに思い出して分かったような気がしたが、実際は、その時分からないことが分からなかっただけのことで、晶出のことは何も分かっていなかった。少し文献調査をしてから、守山氏が1954 & 61に旭硝子研究所報告に発表した尿素添加塩化アンモニウム水溶液からの塩化アンモニウム晶出研究の後追い実験を試してみた。その話は本HPの初め頃の記事にも記述したが、期待した結晶は析出出来ないで散々な思いをした。この失敗を思い出して、日本のサッカーチーム総監督に就任したオシム氏が初めて采配した8月9日の国際試合の前に、この試合で重要なことは勝敗ではなく、そこで経験したことをこの試合以降にどのように生かすかだと言って居たのを思い出して感無量であった。今から思うとこの失敗がなかったら、40数年続けた晶析研究成果はどうなっていたか分からない。

  豊倉が晶析研究を始めて1年経った夏、札幌の北海道大学で開催された化学工学協会関東支部大会で豊倉が初めて発表した研究内容について、藤田重文先生から「君の発表内容は僕には分からない」と言われたことがあった。この経験を経て、豊倉は研究に慎重になり、この経験は以降の研究成果に繋がった。それから30余年国内外の晶析研究者や化学工学に関心のある研究者・技術者と親交を深め、晶析に関係のある複数の学会、研究会等の世話もした。1990年代後半に粉体工業技術協会の井伊谷先生の依頼で晶析分科会を立ち上げ、その世話をすることになった。その時、当時日本化学工業社長棚橋純一氏の理解と支援を受け、現同社執行取締役の山崎さんに代表幹事をお願いして分科会の活動を開始し今日に至っている。


2)粉体工業技術協会における晶析研究活動と「20世紀における晶析工学の進歩」の執筆

  晶析分科会は豊倉が早稲田大学を退職した年の2年前、1997年に発足し、豊倉は4年間コーデイネーターを務め、その後北村・城石先生に引き継いで頂いた。その間を通して山崎さんには代表幹事を務めて頂き、粉体工業技術協会における晶析分科会の活動は順調に発展した。その過程で他の分科会との交流も活発になり、また、アメリカのMyerson教授・ドイツのUlrich教授とも連携した国際的な行事も定期的に開催して、晶析分科会の活動は粉体関係の学協会で高い評価を受けるようになっている。このような環境の中で、2006年5月に開催された粉体工学会年会で、山崎さんが中心になって粉体工学会・工業技術協会の要望に応えて晶析フォーラムを開催した。このフォーラムの全容は粉体工学会のホームページ等に掲示されており、特に関心のある方は山崎さんに直接伺って頂くこととして、ここでは、豊倉が引き受けた講演で使用した資料である標記「20世紀における晶析工学の進歩」の執筆経緯と内容の意図についてについて記述する。

  結晶は地球上に存在する基本物質形体の一つであり、結晶に関連する産業は数限りなく存在している。また、化学産業でも結晶の生成・生産に関連ある製品は多く、そこで、対象になる物質や製品特性は世の中の趨勢によって変化するが、結晶そのものが姿を消すことはないと考えている。そこで、重要なことは世界で何が起こっても、人類の必要とする生産量の製品結晶を、安価に安定生産することであり、それに応えることの出来る晶析技術を確立することは化学工業で極めて重要な単位操作の一つである。このことは20世紀初頭のMITレポートにも記述されていたが、単位操作としての晶析研究は余り行われなかった。しかし、一部の化学工業生産プロセスでは、20世紀前半において晶析を重要な操作として生産プロセスの中に組み込んでいた。第2次世界大戦後の20世後半には戦後の復興に向かって化学産業も活発になったが、晶析操作では他の単位操作と異なった複雑な現象が重要であって、それらは未解決であって装置内の晶析現象や装置設計に関する研究は他の単位操作よりかなり後れてしまい、それらの研究が行われるようになったのは1940年代後半になってからであった。 1974年AIChE Meetingの晶析セッションで豊倉が帰国後行った研究論文の発表するためにアメリカに行った時、そこに来ていたアメリカ人にアメリカで晶析の講義を正規授業で行ってる大学はあるかと聞いたら、Larson教授は行っているかも知れないが、その他はどこでも行っていないのでないかと言われたことがあった。そのような状況で、日本では豊倉は単位操作の講義の中で晶析を講義していたが、最近でも企業の研究所に配属された若い研究員が晶析のことで会った時など、大學時代には晶析の講義を受けたことがないのでと言って、豊倉に挨拶するほどである。

    粉体工学会や粉体工業技術協会で古くから扱ってきた粉体粒子は個体として産出されたもので、それを効率よく粉砕・処理して所望する粉体にする操作が主であった。それに対して、粉体工業技術協会で豊倉が井伊谷先生から晶析分科会の世話をするように云われた時に、これからは今まで対象にしてきた粉粒体に加えて、液相から晶析する所望特性の粉粒体結晶の生産も対象にするのだと言われた。その後、山崎さんを中心に行ってきた晶析分科会の活動に関心を持った粉体工学会の一部の研究者が晶析工学の現状を勉強しようと云うことになり、晶析操作全般についての講演依頼を受けた。その講演内容について、晶析分科会の山崎さんや一部の分科会幹事と相談して、豊倉が欧米の先駆的な研究者と1970年頃よりヨーロッパ化学工学連合晶析研究会で活動した成果と日本で行われた工業操作に適用できる研究成果を整理した「晶析工学・晶析技術の進歩」と、昨年Dresdenで開催された16th International Symposium on Industrial Crystallization で行われた「From Vision to Products in Industrial Crystallizationについての総括討論」をこれからの晶析工学の展開の観点で紹介することとした。その講演資料は年会の講演資料として予稿集に収録されているが、その入手の難易は不明であるので、本稿に添付する。


3)晶析工学分野における世界のトップグループへの道のり:

  豊倉は1959、4、早稲田大学大学院に入学して晶析研究を始めたが、当初は何も分からないまま晶析研究に関する文献調査や実験を行った。それらの調査結果と城塚先生から受けた御指示に従って想定した最終研究目標とを組み合わせて期待した研究成果の体系化モデルを描いた。しかし、それは、実験結果が出て来るに従って一つずつ崩れて行った。博士課程に進学し、そこで城塚先生より与えられた研究課題「晶析装置設計法提出」に対しても何の糸口も見出せないまま博士課程最終年度を迎えた。当時の分級層型晶析装置メーカーはアメリカのストルーザーウエールズ社、イギリスのパワーガス社等、日本国内ではこれら外国企業と技術提携をしていた2社や独自に同形式の装置を開発した別企業2社等あったが、これらのどのメーカーもその装置モデルは装置塔頂部の溶液過飽和度は装置内懸濁結晶量が多いので解消して0になると考えていた。一方、アメリカTVA公社のW.C.Saemanは連続分級層型晶析装置の設計理論を提出していたが、その提出に当たってもその装置モデルはこれらメーカー同様装置塔頂部の溶液過飽和度は0としていた。しかし、理論的にその溶液過飽和度が0になるためには装置高さは無限大であることが必要であり、そのような装置はあり得ないと考えた。そこで、装置登頂部溶液の過飽和度を実際の残留溶液過飽和度と置くことによって考えることが出来た装置底部と登頂部の溶液過飽和度比およびその位置に懸濁していると考えた懸濁結晶粒径の比をそれぞれ、無次元過飽和度および無次元結晶粒径とおくことにより、無次元晶析操作特性因子(一般的にはCFC因子)を提出した。それを軸として検討を重ね新しい連続晶析装置設計理論体系を提出することが出来た。実際、このモデルを設定してから同形式連続装置設計ための基本式を立て、それから種々の場合を考えながら理論式を誘導したが、それはほんの数日で見通しを付けることが出来た。さらに短期間の検討によって他形式の装置をカバーした一連の基本型連続晶析装置の設計理論体系を提出した。またさらにパイロットプラントのテストデータより設計定数を算出する方法も提出し、それを用いた工業晶析装置設計法も提出した。この一連の設計式の提出に当たっては分級層型装置に対して提出したCFC概念はどの形式の装置まで適用できるかも検討して体系化を行うことが出来た。この豊倉が使用した装置モデルについては、日本国内で同時期に晶析装置設計について検討していた国立大学の先輩の先生から従来の考え方をすっきりさせたと言う評価を頂いたこともあった。この設計理論を提出して間もなく、それを使って工業晶析装置を設計や検討をしたいという国内企業が出てきたことは豊倉にとって幸運であった。1966年アメリカTVA公社に留学する前には、この一連の研究成果を同研究所に送付して好条件で招聘を受けた。また、この留学中にIowa State UniversityのLarson 教授やイギリス、UCLのMullin教授にもこの一連の論文を送りそれぞれ評価を受けて、アメリカやヨーロッパの晶析研究者への仲間入りのきっかけを作った。

  若いと云うことは素晴らしいことである。研究を進めていく上で、研究そのものの進捗状況や所属機関・学会等における立場は紆余曲折があって、それらは順調に進むものではない。その時々に応じて対応を考え、我慢すべき時には辛抱が必要であり、また一見マイナーと思えるような研究でも取り組むゆとりは活動を長期に亘って続ける上で必要である。早稲田大学における豊倉の人事が一時停滞したがこれがTVAへの留学になり、それは、欧米研究者・技術者からの評価に繋がった。豊倉が大学院に入学して晶析研究を開始して以降アメリカ留学からヨーロッパを経由して帰国するまでの期間は9年8ヶ月であったが、この間に経験したこと・学んだことは数え切れないほど多かった。その内容については、その後の展開を含めて一部はこのHPに記述してきたが、まだこれからも若い人達へのメッセージとしても記述続ける予定である。およそ100年の間に歩んできた晶析工学の発展と1960年以降早稲田大学晶析グループがそれに貢献した概要について、上記したように、今年開催された粉体工学会年会フォーラム予稿集に記述した「20世紀の晶析工学の進歩」の一部修正した記事を使って紹介する。
(一部修正した記事は最後に添付する。)

  修正記事の「はじめに」では初期晶析工業プロセスの検討に使用された晶析工学は理学的研究成果の中から選択され・組み立てられた。それが工業操作の検討に適用され、整理・充実されて晶析工学基礎理論になった。その理論が対象にした装置内現象モデルはその後次第に工業装置内の実際の現象と重なるようになって晶析工学へと進展し、次第に他分野の発展とも調和して新しい姿の晶析工学へと発展した。(豊倉が化学工学会から1991年度化学工学学会賞を受賞した時、受賞講演を聴いて下さった桐栄良三先生から晶析は物理化学から化学工学になったなと云われたことがあった。)


 3−1)晶析工学理論発展の経緯:
  1. 20世紀前半の理学研究成果とその工業操作検討への適用
  2. 1940 ? 1980に進展した欧米&早稲田グループの晶析装置設計理論とその工業装置設計への適用
  3. 晶析装置内の核発生現象と晶析操作に影響する重要因子・・・装置形式・操作条件に特有な核化現象、ライプニング・ファインズ等の凝集現象などの装置内結晶成長現象に対する特有な現象とその所望結晶製品生産のための工業操作への有効利用
  4. 主要操作因子、有効結晶成長速度・核発生速度、所望製品結晶生産速度に着目した簡便晶析装置の設計法とその適用
  5. 日本が先行した省エネルギー精製晶析分離技術、高付加価値結晶製品の生産技術、晶析法による環境対策技術の現状と今後の発展方向


 3−2)日本における晶析技術の進歩:

  日本の晶析工学は3・1)に示したように、欧米諸国に後れることなく発展した。特に、日本の晶析装置・操作の設計に関する研究は順調に進展し、それを適用して新しい工業晶析技術・プロセスを開発した。また、それは企業より、大學研究者に新しい基礎研究課題のフィードバックをもたらし、大學研究と企業研究の相乗効果をもたらして共に発展することが出来た。その状況は、1997年に化学工学会が編集(委員長斉藤正三郎)し、(株)工業調査会で発行した「日本の化学産業技術-単位操作からみたその歩みと発展」の第6章-晶析(p153〜185)に日本における晶析技術発展の経緯として整理されている。


 3−3)晶析研究・技術の発展を支える国際組織:

  日本の晶析グループは1972年にプラハで開発された国際晶析会議以降主要な欧米晶析メンバーと密接に交流するようになり、ヨーロッパ連合のWPCには1986年以降日本から代表メンバーがpermanent guestとして公式に招聘されるようになった。一方、アメリカでは1990年にACT(Association of Crystallization Technology)が発足し、当初よりおよそ10年間豊倉が早稲田大学を退職するまで定期的に出席していたが、最近では晶析分科会代表幹事の山崎さんが毎回出席しているようで、日本の晶析グループは、欧米先進国と密接な関係を保っている。


 3−4)EFCE・WPCの将来に向けての展開:

  2002、WPCの International Chairman にドイツの J. Ulrich教授は就任して最初の国際工業晶析会議がドイツ・ドレスデンで2005,9に開催した。この会議では「From Vision to Products in Industrial Crystallization」についての総合討論も開催され、これまで結晶製品の基礎特性と工業生産技術に関する研究等については並行に討議されてきたが、今回は初めて同じ会場で行われた。しかし、その内容・進め方はまだ異なるグループ別の話題提供と討議が主流で、今後同じ現象やデータに対して、双方の異なる立場からの意見による討議が行われたらと思う。そのような討議が軌道に乗って、21世紀の新しい展開としての斬新な新製品の開発が、両グループの新しい融合組織によって行われて効率的な技術開発の促進に繋がればと期待している。日本の化工晶析グループは、藤田・城塚先生以来結晶製品生産技術の効果的な開発を目指して研究してきたが、その装置・操作の設計理論の開発成果が、世界の新しい産業の発展に貢献するものと思う。


4)むすび:

  多様化した現代世界を安定した状態を保ってさらに発展させるためには、無数に分類できる各分野に優れたリーダーが現れ、それらの調和の取れた発展を続けることが必要である。そこにはまた、多種多様な考え方があり、それらに対する評価や意見も千差万別、数限りなく存在する。そのどれが最も適切であるか判断する意見は人によって異なり、また時代によっても変わるものである。

  同時に新しい考え、意見も生まれて来るものであり、それらを大切に見守り検討することも必要である。所詮、世界はカオスであり、人はそれに悩まされることが多いが、また、その中から新しい希望が生まれてくる。その希望を長く大切に保持できるように慎重に考え・検討して妥当な評価をしながら進むことが重要である。


・ ・・・・・・・・・( 添付資料 )・・・・・・・・・・・

「 20世紀における晶析工学の進歩 」

( 出典は粉体工学会2006年会予稿集における晶析フォーラム資料「20世紀における晶析工学の進歩」で、その記述の一部は修正してます。)

早稲田大学 名誉教授 豊倉 賢

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