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豊倉賢略歴
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2011A-12,1: 豊倉 賢  「 ISIC18に参加して・・・3ヶ月休刊した tc-pmtの 再刊 に当たって」

1)はじめに
  今年は、早稲田大学を退職して満10年余を経過して毎日元気に過ごしているが、喜寿を過ぎて何となく体力の低下を感じるようになった。自宅近所の元気な知人と自分の健康のことなどを考えて、週1度のソフトボール練習や隔週に行われている近所の緑地整備の作業に可能な範囲で真面目に参加するように心掛けて生活をしている。そのためか、年の割には元気ですねと会う人たちに云われて、気を良くしています。このような生活の合間に、早稲田大学現職時代に研究して来た化学工業のことや晶析工学のことを時々思い出して、晶析分野で活躍している現職の人達のお手伝いもするようにしている。

  このような生活を続けてきた過程を振りかえり、これまで研究してきた晶析工学理論のことなどいろいろ思い出して、当時充分研究してなかったことなど、その理論の完成度を深めることを考え、更に新しい生産技術の発展などへの応用も検討している。また、最近晶析研究を行っている研究者・技術者の中には、1950年以降研究されてきたことを充分勉強してその内容を深く理解することなく目先の課題に走って、嘗て先輩の研究者・技術者が苦労して解決した理論や生産技術の開発を見落として、それとほぼ同じ課題をまた苦労して研究し始めて、その成果を学会などで発表しているのを聞くと、複雑な気になることがある。特に、この問題には、本質的には同じであっても、そこで生産される対象物質や技術を取り巻く環境が異なっているので若い研究者・技術者が見落とすのはある程度はやもう得ないことかも知れない。しかし、そのようなことにぶつかると、一見活発に行われているようにみえる研究発表会や討論会は、そこで対象になる内容を深める討議が不十分になって、形式的になっているのでないかという気がして来ることがある。

  このような日本国内における晶析工学の現状を考え、これまで日本で発展させてきた晶析研究・技術の発展を振り返り、それらを良く噛みしめてこれからの日本おける晶析工学・技術の発展を担う研究者・技術者の将来の展望を伺って、これまでの研究成果の上に更なる発展が期待できるものは何か?それに対してこれまで第一線で活躍してきた人達は、どのような支援が可能であるかをこれからのtc-pmtを通して日本の化学工学・晶析研究・技術の発展を期待する人達と討議したいと思う。

2)1950年代以降の日本の晶析研究・技術を振り返って・・・その概要;
  化学工学協会の晶析研究会は1969年4月、城塚先生を代表者として立ち上げられ、その主要メンバーは、晶析派遣団を結成して1972年9月Prahaで開催されたISIC5thに参加した。それ以降3年毎に開催されたISICには、日本から晶析研究者・技術者が必ず参加して論文を発表した。これら、日本からの参加者が発表した論文に対する評価は高く、1977年にはポーランドのDr.Piotr Karpinskiが日本学術振興会の若手招聘研究員として来日し、1年間留学して日本の晶析研究・技術を修得して帰国した。また、1983年にはドイツ der RHTH Aachen で博士号を取得したDr.Joachim Ulrichは、フンボルト研究財団の派遣研究員として早稲田大学に留学し、日本の晶析研究・技術は欧米先進国から高い評価を受けるようになった。1986年東京で開催された世界化学工学会議には、欧米主要国を代表する研究者は日本の晶析工学に非常な関心を持って来日し、満足して帰国した。これを機にして、日本から豊倉がEFCEのWPCのPermanent Guestとして迎えられ、USAのLarson教授と共にヨーロッパ各国のDelegateと同等の扱い受けて、世界の晶析工学の発展に活動するようになった。その後、日本からのPermanent Guestは、久保田先生、松岡先生に継承された。一方、WPCの国際議長は、1969年に指名されたチェコスロバキアのDr,J.Nyvltが25年間務め、その後、Profs. J.Garside, J.Ulrich,が引き継ぎ、2008年のISIC17th終了後にProf.B.Biscanが新しい国際議長に就任して2011年のISIC18を開催した。

  豊倉は、1968年11月米国からの帰途、London,でUCLのMullin研究室を訪問した時偶然、滞在していたDr.J.Nyvltに会うことが出来て、それが切っ掛けとなって早稲田大学大学院博士課程在籍中に提出した連続晶析装置の設計理論についての論文を寄贈することが出来た。それが切っ掛けとなって、EFCEのWPC memberとの交流が始まった。今から考えると、晶析に関する組織は世界に幾つもあるが、このWPCは世界の工業晶析を専門にする一流の研究者や技術者が最も多く集まる会であって、ここで活躍することは、工業晶析分野で活躍する人達にとって極めて重要であることが分かった。豊倉は早稲田大学を退職してからも、WPC で活躍している人達とは交流を続けている。豊倉は、1972年開催のISIC5th以降、今年9月にZurichで開催されたISIC18thまで、2002年にSorrentoで開催されたISIC15thを除いた 13回のISICに参加してきた。また、毎年ヨーロッパで開催されるWPCにも現職中は1972年のISIC5th以降、ISICに参加した時に開催されるWPCには参加していたが、世界化学工学会議が1986年に東京で開催されることが決まった1980年以降のWPCには、殆ど毎年参加して、ヨーロッパのWPCのメンバーに東京で開催される世界化学工学会議への参加勧誘を行った。これらを総括すると、Permanent Guestに指名された日本代表の研究者は、その参加のための旅費等は自分持ちになったが、それに参加することに得られるものは参加者本人にとっても、また、日本の晶析分野の研究者・技術者にとっても得るものは大きかった。

  これらを総括すると、工業晶析の世界に共通する目的は、化学製品として化学産業が所望する結晶製品を妥当な生産コストで安定生産する装置とその操作法を設計する工学を完成させることです。そのために世界中の研究者・技術者が情報を交換し、協力して目的を達成するために活動するメンバーになることが必要です。そこでは、国内の研究者・技術者は云うに及ばず、諸外国における該当分野の専門家から認められる研究成果を提出して初めて、世界で活躍するメンバーの一人と認められるものです。日本の晶析グループの研究者・技術者は、1950年代末から研究をはじめ、1960年代に国内の研究組織がスタートした。そして、1972に始まったISICに日本の研究者・技術者は参加して日本での研究成果が認められ、世界の晶析研究グループかも活動が認められるようになって今日に至っている。早稲田大学豊倉研究室の卒業生を中心に始めたホームページでは、これから晶析研究を始めようとする研究者・技術者に豊倉研究室所属の研究者と共に晶析工学の発展に貢献した方々の業績を紹介してきた。今回、3ヶ月休刊したtc-pmtを再刊するに当たり、2009年8月に佐渡で開催された晶析研究会で研究会代表大嶋寛先生から要請のあった講演・・・日本の晶析研究・技術40年の活動を振り返って‥「 ほんの少し立ち止まり、原点に返って将来を考える」をもう一度読みなおして考えてみる。

3)早稲田大学豊倉研究室で行った晶析研究を再度考えてみる

3・1)1950年代から1960年代における晶析技術・晶析研究:

3・1-1)産業界における結晶生産技術
・準安定域過飽和溶液による所望製品結晶と量の安定生産・・・、簡単に濾過分離できる結晶の生産と装置壁面上に生成するスケール状結晶対策。
・技術者の試行錯誤的開発研究が行われた

3・1-2)化学工学分野における晶析工学と晶析技術
i)装置内懸濁結晶の体積成長速度と平均線成長速度および装置内の結晶核の発生速度
ii) 工業晶析装置設計理論と工業晶析装置
a)連続円筒形流動層型晶析装置とその設計法 Krystal-Oslo型晶析装置
  塔高 = (設計定数:αD,αR)(製品結晶・物性値・操作条件)(C.F.C.)・・(1)
b)連続円錐形分級層型晶析装置とその設計法
c)他形式結晶成長型連続晶析装置の設計理論:

3・1-3)晶析工学・技術の発展と他工学・技術の比較について国・内外の検討:
  大学院博士課程に進学した段階で、晶析装置・操作設計理論提出に焦点を置いた研究を始め, 国内企業技術者とのコンフィデンシャルな晶析技術開発。
  1966年から2年間、TVAでの研究生活・・Swenson 社BennettやProf.A.D.Randolphとの面会”Design Method of Crystallizer ”Memoir of the school of Sci. & Eng. School , Waseda Univ. ,30,57 (1966) を一部寄贈した。この文献はDr.Randolphより Prof.M.A.Larsonに伝えられた。米国の帰途University College Londonを訪問・ Prof.J.Mullin & Dr.J.Nyvltと面会。 ’69,晶析操作についての研究会は、1969年4月に化学工学協会に設置された。

3・2)1972年~1986年日本の晶析工学の発展:
  1970年2月、Dr.J.NyvltからISIC5thへの参加要請を受け、
  1971年Prof. M. Larsonは来日し、晶析研究の講演会蔵前工業会館で開催した。
  1972年9月ISIC5thへ日本から6名が参加し、鄭重な歓迎を受けた。
  WPCの日本の晶析研究にたいする期待に応えるべく、以下に記述する晶析研究や活動を行った。

i)抜本的にオリジナルな研究成果や技術開発成果の提出
a)晶析装置・操作設計理論とその発展
b)2次核発生速度の研究
c)Melt crystallization
d)fine particle の生成と結晶生産への関与

ii)研究成果の新しい展開
a)研究実験装置による研究成果の工業プロセスへの展開
b)晶析操作の新しい適用による新工業プロセス開発への展開

iii)提出した成果の評価と海外情報の取得
a)改良技術成果の評価
b)オリジナルに開発した成果の評価
c)海外情報と自分の研究で経験した理論・技術の比較による評価

iv)対象分野の拡大
a)分離技術懇話会での活動の意義
b)日本における精糖企業との交流の意義
c)日本海水学会との交流における活動の意義

v)海外交流の意義:
a)故青山氏の云われていた企業技術秘密と技術開発
b)1967年ポーランドよりDr.P.Karpinskiが、1982年Dr.J.Ulrich、他の若手研究者が日本に年単位の留学をするようになった。また、1999年3月発行の「二十一世紀への贈り物C-PMT」に寄稿したDr.Kratz 等の記事より

3・3)1986年東京開催の3rd World Congress of Chemical Engineering以降の日本の晶析工学研究グループの発展
  日本の晶析グループは1972年に開催したISIC5thに参加して、論文を発表し、合わせてシンポジウムの運営やWPCにも複数の研究者・技術者が招かれた意味は大きい。引き続いて開催されたISIC6thにも複数の論文が日本から発表され、また、1967年にはポーランドのDr.P.Karpinskiが、1982年にはドイツのDr.J.Ulrichが若手研究者として日本に1年間留学し、それなりの成果を上げて帰国したことは、日本の晶析研究環境に対する海外からの評価となって、1986年開催の世界化学工学会議成功へ繋がった。これは、日本の晶析研究グループが順調に発展して第2ステップをクリヤーしたという印象を世界に与えることが出来たと考えた。

  産業の発展を考えた場合、既存の日本的な理論、生産技術を有効に活用して発展させることは研究を効率的に進める有効な方法の一つであると考えてる。しかし、豊倉が、欧米の研究者・技術者と1966年以降に交流して修得したことは、今まで行われたことのない思想や、未だ確立してないオリジナルな知識や方法で新しい理論や技術を構築することの重要性であった。それは、成果を出すという意味では、長時間掛けて取り組むことが必要なことが多く、しかも時間をかけれて研究しても評価される成果の得られる保証のない難しい範疇に入る研究であった。前項1)、2)に分類した時代に行った研究はこの方針で進めたが、項目3) における研究もこの方針は継承して行った。即ち、その中においても今までの研究では考えられなかった新しい方針を取り入れ、そのことによって生じる新しいバリヤーを越えて、オリジナルな成果を出す研究を行った。また、1 ), 2 )の項目で得た実績によって、他学会や国際交流・協力はより容易になり、その分野での活動も活発になった、ここでは、1967年以降発展的に行った晶析研究3・3-1)と他学会・国際的協力関係等に基づいて行った情報収集活動3・3-2)に分けて具体的項目を列記する。

3・3-1)第3回世界化学工学会議以降の晶析研究活動;
ここで記述する内容は、豊倉研究室で主体的に行った長期間継続した研究を対象にした。その他にも、媒晶剤、結晶多形、その他重要な研究テーマは、世界の研究者や技術者によって研究されており、それらについては、個々の分野で充分な研究成果を上げたその専門分野の専門家に記述していただくことを御願いする。以下a) ~ e)に分類して発展の経過に従って紹介する。

a)晶析装置設計理論の提出とその発展・・・
b)結晶分級層内懸濁結晶による2次核発生・・・
c)融液等の精製晶析・・・
d)光学活性物質の優先晶析法・・・
e)その他の晶析研究・・・

3・3-2)第3回世界化学工学会議以降の他学会等との協力関係 :
  豊倉は早稲田大学を退職した時、卒業生から退職記念出版物のタイトルを尋ねられ、早稲田大学で奉職した37年間を通して化学工学を研究してきた研究哲学「 C-PMT 」を答えたことがある。この中のMは、研究対象となる現象の本質を表す主要因子を分かりやすく表示するモデルとその理論から生産される製品評価を厳しく行うマーケットを意味しており、それに深い関係の有る世界の「 工学系学会、研究会、工業会 」の評価を受けながら、工学、技術、製品の発展に貢献するように努めた。このようにして新しい知識・理論を構築する時に必要な情報や意見を持った人の集まるところは世界の「 工学系学会、研究会、工業会等 」であり、豊倉が1986年に開催された第3回世界化学工学会以降に連携して活動した主な学会等を列記する。

a)1987年「晶析技術講習会」中国工程師学会・台湾大学工学院主催
b)1987年「第1回日韓合同分離技術シンポジウム開催?韓国・慶州」
  晶析セッション開設・・以降3年毎開催
c)1987年 “ Symposium of industrial Crystallization in Japan”by Czech. Academy of Science、Praha, Czech.
d)1987年 “ 10 th Ind. Crystallization '87” by EFCE・WPC Bechyne,CS
e)1989年「第9回結晶成長国際会議」仙台。日本
f)1989年「環太平洋化学会に晶析セッション設置」Honollulu,Hawaii
g)1990 年 “10th Ind. Crystallizatin '90”Garmisch-Partenkirhen, G.
h)1991年 “4th World Congress Chem. Eng.”Karlsruhe, Germany
i)1992年 “7thWorld Salt Sympo.”京都、日本
j)1992年 “WIWIC”  Waseda International Work Shop
k)1993年 “11th Ind. Crystallization '93”Warszawa, PL
l)1994年 「環太平洋化学会に晶析セッション設置」Honollulu,Hawaii
m)1996年 “12th Ind. Crystallization '96”Toulouse F
n)1996 年 “4th World Congress Chem. Eng.”San Diego. USA
o)1998年 “International Symp. on Ind. Crystallizatiom”Waseda, Japan
p)1998年 “International Symp. on Ind. Crystallizatiom”Tianjin,, Japan

その他;1998年より日本粉体工業技術協会 晶析分科会設立、1990年よりACT活動開始、EFCE・WPC、BIWIC

4)むすび
  今年は、EFCEのISIC18がZurichで開催され、久し振りにヨーロッパで家内と4週間過ごして来た。今回訪欧の主目的はISIC18thに参加して、世界の晶析研究者の動きを見てくることであった。学会そのものは、世代交代が進んで来てることは今さら云うまでもないことであったが、それでも新しい現リーダーは的確に状勢を把握して、着実に発表論文内容も押さえて、これからの発展方向を考えていたように思えた。特に前WPC国際議長のProf.J.Ulrichは、特別講演会場の出入り口付近に講演中を通して立っていて、会場内の雰囲気に気を遣いながら、主要な人達への気配りを怠りなく続けていたようであった。また、産業界からの参加についての気遣いをきちんと行っていたようで、日本からの研究発表論文内容についても、発表者個々の問題であるが将来を見据えた内容に配慮した成果の評価に充分な配慮をして研究を続ける必要性を強く感じた。

  今回のtc-pmtにおいては、先輩の先生方や企業技術者の研究発表内容が高い評価を受けてきたことをこれからの研究者・技術者に伝え、それが継承されるように考えて構成を考えた。特に3 )においては、豊倉研究室を中心に行って来た内容項目を多数記述したが、来月以降においてその内容もこれからの人達に理解し易いよう記述する予定ですので、これからの研究活動の参考にしていただけたら幸甚です。

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