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豊倉賢略歴
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2011A-08,1: 豊倉 賢  「  二十一世紀の贈り物 C-PMTを振り返って 」
  ・・を始めて1年、この間の記述を通してこれからの編集を考える

  動物は生きるために食べ物を探し、人は生きるために仕事をする。その過程で人は自分 欲望を満たすためにそれぞれ自分の性格に適した仕事を自分の得意な方法で行って、出来れば比較的簡単に効率よく目的を達成するよう努力する。しかし、時には仕事が期待通り進まないこともあって、その方針を検討し直すことがある。一方、最先端の新しい研究を行う場合、従来の考えを延長して想定した目標は、その研究を開始した段階では、世界の最先端の考え方で最新の機器を使用して順調に進むように見えても、時代の変化が激しく、日進月歩の早い昨今においては、初期に設定した方針で進めることについては注意を払いながら研究することが大切である。

  通常、人間は仕事を進めて行くに当たってこれまで行ってきたことを迷うことなくそのまま続けて進めることがあるが、それは成功への近道になることが多い。しかし、時には目先を変えて視野を広くして一息入れ、新しい気分になったところでこれまで進めてきたことを検討して、そのまま継続して進めるべきか? あるいは方針を変更して別の方向に変更して進めるべきか考えて仕事を行うことは大切であった。豊倉は、過去を振り返ってみると、現職時代に行っていた仕事を大幅修正すべきか、あるいはまったく変更して中止し、新しい方向に進むようにするか自分自身で熟慮しながら研究を進めてきたが、このような検討は、3年~5年くらいの頻度で繰り返して検討し、その都度出した結論に従って、研究活動を進めてきた。このような活動方針の検討頻度は、10前に早稲田大学を退職してからは、徐々に短くなる傾向が出てきて、そこに自分の人生に対する考え方が変化してくるのを感じている。

  2004年4月に立ち上げた早稲田大学豊倉研究室のHP (tc--pmt) は、研究室卒業生の近況報告や卒業生相互の情報交換を目的に始めた。一方、学部最終学年を豊倉研究室に在籍した卒業生は、晶析工学を研究して卒業業論文を纏める事が多かった。これらの学部卒業生や大学院に在籍して学位を取得した大学院修了者は産業界に就職する人が多く、学部最終年次や大学院時代に研究室で行った晶析研究に関連のある化学工業の研究機関や企業現場等で活躍している。そのような卒業生は、新しい職場に配属しても豊倉研究室で行った晶析研究や晶析技術の発展に関心が高く、特に、その研究成果等で既に発表された論文に充分記述されなかった研究経過やその後の展開が卒業後の活動と関係があった場合には研究室時代に行った研究のその後の発展に強い興味を持っていた。また、そのような発表論文に係わる内容は、晶析分野で広く活躍していた研究者・技術者にも関心が持たれた。また、これらの晶析工学や晶析技術は、将来の化学工業の発展に貢献する貴重な資料でもあった。このような背景があって、豊倉研究室の研究成果と密接な関係のある話題は、重要なHPの記事として掲載することにした。一方、このような記事の寄稿を活発にするため豊倉は、世の中に発表されてない論文の重要なアイデイアや産業界の技術開発に有効な晶析工学の解説も率先して掲載するようにした。また、他大学の研究者や、産業界で晶析プロセスの開発に従事している技術者からの寄稿も促進するように、技術者に直接勧誘した。時には豊倉研究室の卒業生に機会あるごとに、個人的に寄稿の勧誘を行って卒業生の関心を引くようにした。このような活動を続けるにしたがって、研究室卒業生の枠を越えて豊倉研究室のHPに関心のある晶析研究に経験のある技術者からも寄稿されるようになって、毎月刊行するHPに新しい記事を掲示してきた。

  2009年10月17日、恩師城塚先生がご他界され、それを機に早稲田大学化学工学研究室卒業生は、城塚先生のご逝去を悼み早稲田大学在籍教員らと連絡を取った。その段階で、創設期の城塚研究室で活躍された本田先生とも連絡を取りながら、城塚研究室に長年在籍した現職の先生方や卒業と相談して、2010年4月17日に城塚先生を偲ぶ会を城塚先生の奥様のお許しを頂いて開催した。また、城塚先生を偲ぶ会の計画を始めた頃、城塚先生の訃報を聞いた卒業生は大学関係者に色々相談に来るようになって豊倉は、研究室HP( tc-pmt )に2010、1月号より4月の城塚先生を偲ぶ会が開催される迄の4ヶ月間 小特集『城塚先生を偲ぶ』を掲示することにして、豊倉と学生時代を城研究室で共に過ごした身近な人達に言葉をかけた。この時、小特集作成の準備期間は短かかったが、兎に角、城塚研究室卒業生の目に少しでも多く入れば思って行い、卒業生15人から15件の寄稿があった。この15件の記事に、5月に掲示したこの特集が謹んで終了した報告と、豊倉が1月から4月まで書いた城塚先生を偲ぶ記事4件を纏めて、20件の記事を小特集( tc-pmt2010,1 ~ 5 )に収録した。尚、小特集『城塚先生を偲ぶ』は城塚先生ご令室様に謹んでお届け申し上げた。

  豊倉の退職記念誌は、豊倉が早稲田大学を定年退職した時、恩師城塚先生から頂いた「生涯の研究テーマ晶析工学」を40年間に亘り研究した研究報告書として作成することを計画した。その構成は、恩師城先生はじめ、豊倉に懇切丁寧な御指導を下さった化学工学会元会長藤田重文先生、宮内、桐栄、齋藤先生等国内学会をリードされた先生方、および日本国内化学企業における化学産業技術開発の経験豊富な先輩の企業?術者から頂いた記事A, 豊倉研究室室で研究した晶析研究成果の概要を収録した記事B、世界の晶析工学グループをリードしたヨーロッパの研究者・技術者の記事C、および豊倉とほぼ同年次に世界の晶析工学分野で活躍した日本国内の晶析研究者・技術者および豊倉研究室で共に研究してきた卒業生の記事D の4部より構成した。

  この内記事Aの9名の方々に関係した記事は、城塚先生の偲ぶ会に関する一連の記事掲載が終了した、2010年9月より2011年7月までのtc-pmt掲示した。しかし、豊倉の退職記念誌C-PMTに寄稿された記事総数は、約140件有り、その総てをこれまでと同じ方式で掲載するには今後10年が必要になる。それで、次号からの掲載として、寄稿記事をグループ分けし、豊倉がほぼ80歳になるまでに一通り完了するようにする。当面としては、記事Aを再拝毒して勉強した記事15件について、今年9月よりの3ケ月間に紹介を完了する予定である。

  豊倉は早稲田大学退職時に研究室卒業生の提案で出版された記念誌、C-PMTをこの10年間に何度も開いて読んでいる。誰か、卒業生の事を思い出すと、その人と親しかった別の卒業生も思い出し、その仲間のことが浮かび上がってくると、今まで気付かなかった事まで思い出される。そうすると、それまで、同じページを何度も開いていたのに、そのページを初めて読んだように色々の事に気付いたことがあった。次の話題になった記事は、桐栄良三先生からご寄稿頂いた記事を豊倉が読むだ時のことで、豊倉が晶析法による精製法の研究を始めた頃のことで、先生のお考えを寄稿下さいました。豊倉が桐栄先生の記事を拝読したのは豊倉が退職した時でした。その事実は今から35年前の化学工学協会年会で、豊倉が発表する精製法の論文を聞くために桐栄先生が、発表会場にお見えになった時でした。そこで先生は質問を一つなされて、発表終了と同時に席をお立ちになった。著名な先生が、若かった自分の研究発表を聞いていただけたのは光栄なことで、それは記念誌への先生のご寄稿が媒介になって、豊倉の記憶を呼び起こして一生の励みになっている。


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