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豊倉賢略歴
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2010 A-6,1: 豊倉 賢  「 早稲田大学退職後の10年と最近の半年を振り返って 」

1)退職後の10年間を振るかえって;
豊倉が早稲田大学を退職して10年を経過し、退職時に考えた早期退職制度の適用を受けた10年間を振り返ってみる。豊倉が退職したのは、1959年4月早稲田大学大学院に進学して城塚先生のご指導を受けて晶析研究始めて40年間を経過した時でした。入学時に先生から直接ご指示いただいた研究テーマは、「オリジナルに晶析装置設計理論を提出し、それによって工業晶析装置・操作の設計手法を確立するように」とのことでした。この晶析研究を豊倉が始めた頃の晶析装置設計理論は、モデル装置を対象にした研究は始められていたが、その工業晶析設計への適用は出来ていなかった。それに対して豊倉は晶析装置設計特性因子をオリジナルに提出して工業晶析装置設計に適用できる理論を1964年に提出した。この理論に対して日本国内の一部化学企業は高い関心を示し、それを適用して工業装置設計を行うようになった。この設計法は1968年に改訂出版された化学工学協会編第3版化学工学便覧の晶析装置設計法として掲載された。以降その理論は研究が続けられ進歩発展を続け、1999年に出版された第6版化学工学便覧までの40年間に亘って、早稲田大学で提出した工業晶析装置の設計法が化学工学便覧に掲載された。

  一方、早稲田大学化学工学研究室の晶析研究は豊倉の退職後平沢教授が引き継ぎ、また、粉体工業技術協会晶析分科会は、日本化学工業(株)取締役山崎康夫氏が発足当初より代表幹事を務めている。しかし、豊倉が晶析研究を行った過程で経験したことや国内外の研究者・技術者と討議したことで、これから晶析工学の研究や技術開発を志す研究者・技術者の参考になるものを対象に整理することを重要と考え、豊倉研究室にホームページを立ち上げて掲載することを豊倉退職後の仕事とする検討を始めた。

  しかし、退職後数年の間は、学協会の仕事や企業の晶析技術開発等の手伝いに時間を費やし、当初考えた研究成果の整理は思うように進まなかった。その後、豊倉研究室の卒業生との間で研究室卒業生を中心としたHPの立ち上げの相談が始まり。退職5年後の2004年4月に豊倉研究室卒業生有志の協力を得て、HP(tc-pmt)を立ち上げた。

2)HP( tc-pmt );2004,年4月より2010年,5月までの概要
  HP ( tc-pmt )は、豊倉が1959年城塚研究室で晶析研究を始めて以降1999年3月早 稲田大学理工学部を退職するまでの40年間続けてきた晶析研究成果とその産業界における晶析技術発展への展開、およびこれらの研究に従事した研究室卒業生の近況等の紹介を主にした記事を、2004,4より 2010,5の6年間継続して掲載してきた。その内容は本ホームページ(URL >> http://www.ne.jp/asahi/tc-pmt/t-chem/ )にてを開いて何時でも見ることが出来る。その内容は、豊倉と一緒に晶析研究を行った研究室卒業生のみでなく、豊倉研究室の晶析研究成果に関心のある多数の研究者・技術者も読んでおり、その記事に対する意見や感想は、豊倉に直接伝えられている。特に研究室卒業生の記事を読むと、豊倉と一緒に研究した学生が研究室に在籍した時代に、豊倉の晶析研究や化学工学研究をどのように考えていたかを思い出すことが出来、豊倉の当時の研究活動や研究思想に対する研究室学生の評価を読むような気持ちにもなった。それは、1999年3月、豊倉が早稲田大学を退職した時、卒業生が協力して出版した「 21世紀への贈り物・・C-PMT 」を改めて読むような気がして、豊倉の現職時代に。学生と研究室で研究活動や種々のことで討議をすることによって学生から若い活力を得た時と同じような気になった。

  また、平田 彰先生が2007年に急逝された時は、このHPに豊倉が留学中に平田先生のアドバイスを頂いた豊倉研究室の卒業生数名と平田先生を偲ぶ特集を企画し、2007A-1,1 ~ 4に「平田彰先生の思い出」を掲載して先生のご冥福をお祈りした。

  2009年10月、城塚先生がご他界された時には、2009年4月からHPで行っていた特別企画、「川下から見た豊倉研究室晶析研究の50年(1)~(5)」とそれに引き続いて同年9月より行った「化学工学協会・晶析研究会を支えた城塚・豊倉研究室・・50年の晶析研究活動(1)~ 11月の「・・・・50年晶析研究活動(3)」の記事に継続する部分の記事を暫く休載することにして城塚先生のご指導や元気だった在りし日の思い出記事を掲載することにした。

3) 城塚先生のご逝去を受けて;
  11月半ば、城塚先生の奥様から喪中のお葉書を頂いて、城塚先生が2009年10月17日にご逝去されたことを知った。その直後、一部の卒業生からも先生ご逝去の問い合わせが来て、急遽、城塚研究室先輩の本田先生と相談して、城塚研究室の卒業生による「城塚 正先生を偲ぶ会」を来春開催することにした。早稲田大学化学工学研究室在職の酒井清孝教授や城塚先生が退職された1991年当時城塚研究室所属学生の世話をしていた千葉工業大学教授の尾上先生など城塚先生と親しくしていた卒業生と連絡をとって準備を進めることにした。その一方、豊倉研究室で開設していた2009年12月掲示のtc-PMTに城塚先生の訃報を伝える記事を掲載し、城塚 正先生を偲ぶ会が行われた4月までの4ヶ月間のtc-PMTに城塚 正先生を偲ぶ特集を急遽掲載することにした。この特集は豊倉研究室のHPであったので、豊倉と連絡の取れた一部の卒業生に寄稿を勧誘して19件の記事を掲載した。それを纏めたものは4月17日に開催した「城塚 正先生を偲ぶ会」のご報告に、城塚先生の奥様にお目に掛かった5月4日にお届けした。なお、4月17日開催の「 城塚 正先生を偲ぶ会の記事」は、5月1日掲示のtc-pmtに掲載した。

4)これからのtc-PMT
  豊倉のクラスは、毎年5月に早稲田大学応用化学科同期会を開催することになっている。今年も5月21日恒例の同期会を開催し、自分たちの学生時代と現在の学生を比較して、将来の日本の姿を議論した。その結論は自分たちの学生時代は貧しかったが、心遣いは暖かく、ものを大切に遣い、真面目に一生懸命働いた。しかし、最近の学生は金銭的には豊かになっている反面、心は貧相で、将来は嘆かわしいと言う意見が支配的であった。しかし、現在の学生をそのように育ててしまったのは、我々自身の子供教育に責任があったとの反省があり、我々が親から育てられたことをよく思い出し、現代の機能を有効に生かして将来に希望を持てる社会を構築できるよう、tc-PMTをこれからも活用しようと思っている。

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