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豊倉賢略歴
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2009 A-5,1: 鶴岡 洋幸 1970年大学院修士課程修了  (工学修士)
              2005年北陸先端科学技術大学院大学(知識科学修士)

  鶴岡さんは、本年1月記載の本ホームページtc-pmtに、2009A-1,1「強い文化の創出と高い志!−個人の底力を発揮させ自己実現する方法?」を寄稿いただいているので、鶴岡さんをご存じの卒業生は多いことと思います。そこで、今回は、鶴岡さんの略歴と紹介記事の掲載は割愛します。しかし、今回の記事との関連等でそれらの確認が必要な場合は、本年1月掲載の記事に添付されています略歴等を御覧下さい。
  今回、鶴岡さんから寄稿いただいた記事は、再対応寄稿「日本の “ものづくり”文化を強化する試み」で鶴岡さんの序文にも記述されてるように今年1月に掲載された 鶴岡さん寄稿の2009A-1,1『強い文化の創出と高い志!』と、それに対して豊倉が寄稿し、今年3月に掲載された寄稿文2009A-3,2『鶴岡さん寄稿の2009A-1,1を読んで』を受けて、鶴岡さんが当初の寄稿文2009A-1,1の意図を明確にするために判り易いモデルの図表を入れて補完して議論を試みてみた記事です。このような企画は本HPでは、初めてですが、豊倉は今回再寄稿された鶴岡さんの記事で鶴岡さんから頂いた宿題 欧米の研究の成果とその背景にある哲学(文化、科学?)は何なのか? そしてUlrich教授の指摘されている豊倉研究室の欧米と異なる研究法の背景にある哲学(文化、工学?)は何か? 何がその差を創って来たのか? についての回答を6月掲載の記事として執筆しようと考えています。また、鶴岡さんの記事そのものを読んで感じたことの幾つかについても記述してみたいと思っています。
  今回の鶴岡さんの記事を読んで、何か意見を持った方はおられると思います。この機会に是非 tc-pmtにそれを寄稿いただけたらと期待してますので、よろしくお願いします。何か不明なことがありましたら何時でも豊倉に問い合わせ下さい。 ( 09年4月、豊倉記)


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再対応寄稿『日本の“ものづくり”文化を強化する試み』

                 HTコンサルティング(浦安市)   鶴岡 洋幸

  本寄稿文が書かれる位置付けは、当初寄稿文として鶴岡の2009A-1-1『強い文化の創出と高い志!』がtc-PMTの今年2009年1月に掲載され、それに対して豊倉先生からの対応寄稿文2009A-3,2『鶴岡さん寄稿の2009A-1-1を読んで』が掲載された。それを読み直して見ると、改めて私の当初寄稿文は頭に浮かぶままを書きすすめたので、読み手に主旨が伝わり難い点がある事が判った。従って再び当初寄稿文の意図を明確にするために判り易いモデルの図表を入れて補完して議論を試みてみた。

1.当初寄稿文の表題が『強い文化の創出と高い志!』となった自分なりの背景
1-1)強い文化が必要の背景
  私が物心付いて一番古い新聞記事の記憶は5歳の時(1950年)の朝鮮戦争での戦車が進軍している記事の写真であった。この朝鮮戦争の特需によって大東亜戦争によって壊滅した日本経済の復興に大きな弾みが付いたと後で歴史で学んだ。そしてバブル経済が弾ける1990年の年末には45歳で企業人として仕事をしていた。

  それから今年で失われた19年目を数えます。失われたと表現したのは、日本の国際競争力は1990-1992年辺りの世界トップから少しずつ競争力を下げて行き2007年のGDP/人では18位となりあの英国病を克服した英国に抜かれる経過を辿っています。私の興味は、戦後のモノづくり競争では何故世界のトップまで到達できたのか? そしてその後なぜ下降線を辿らねばならないのか? その競争力の裏付けと成っているのは何か?それはどの様な背景からなのか?等です。それを説明し切った論文や本は私の知る限り有りませんし、増してやその競争力を下げ止めして、V字回復する処方箋もいろいろ議論されていますが、これと言った効き目のある施策も提言されていないと思います。図-1にバブル後の日本の国際競争力の推移を示します。

図-1 日本の国際競争力ランキング(IMDデータより)

   これに対する私の個人的な答としては、私の日系と外資の2社の企業経験から来るビジネスの戦略や組織の対応のあり方や会議の結論の出し方から、民族や国を支える文化やひいては言語の影響が大きい様に感じられました。私としては、その問題意識を社会人大学院に通っていた2004年から文科省プログラムの研究員を終えた後の2008年の秋まで研究・技術計画学会と言う“技術と政策と経営を統合してまとめるために創られた学会”で発表して来ました。その発表内容は予稿集やプレゼン資料として添付は可能ですが、紙面と内容が多すぎますのでこのtc-PMTの寄稿の中には全てを取り入れて議論はできません。昨年11月に久し振りに豊倉先生とお茶を飲みお話した際に「思っている事を書いて欲しい!」と言われ、あの時の自分の頭に浮かぶ事をそのまま書いたのが当初寄稿文であったのですが、頭に浮かぶ事を自分主体で書いたため、読み手にクリヤーに判る様な配慮が欠けていた事を反省しております。従って、どの様な事を言いたいのかを、今回補足しようとこの再対応寄稿文を書く事にしました。

1-2)言葉や文化を比較したり議論する際の現実の問題点
  もう一つの十分に理解し難い曲面が有り得る事は、言語や文化の影響と言うテーマは個人に拠って認識できる経験がある無しで、その相関関係を認識できるか・できないかが分かれるからです。多分これから、日本と欧米の文化比較を図表に拠って比較を進めると、人に拠って、「そんな事は言い過ぎでおかしい!何の根拠でその様な事を言うのか?」「自分だけ判ったような気に成っていないか?」との質問が来そうです。実際にこれらの質問はあるポスドク研究員からプレゼンテーションの際に投げられた質問です。これに対する答としては、以下の三つを挙げます。

(1)日系企業を若い頃経験して、その後外資系の企業経験の中で通常業務や国際会議やビジネススクールにて、企業の経営・マーケティングや技術開発を通じて本社(仏)や欧米のリーダーや同僚と付合う中での議論や実際の経験から、及びそれらを記述した専門書の学習等から、自分として確信できる項目のみを考えとして表現しました。

(2)今回の寄稿文を書くに当って、友人の中で欧米人とビジネスを長年進めているK氏とH氏に私のプレゼンを聴いて頂いて納得できるか評価して頂いた。K氏は米国銀行の日本法人で勤務した後、例の破綻した米国証券会社の日本法人で役員を務め欧米人の考え方を十分に体験し理解しており、H氏は日本の鉄鋼最大手企業で昨今の環境問題を中心に国際的な付き合いを多くされている方です。そしてこのお二人から私のプレゼンの8割は同意できると言って頂いた。理系と違って、実験データを取り難い文化の問題でここまで言って頂ければ、この様に記述し表記しても良いと思う。

(3)日本語文化の特徴に付いては、高校まで日本で学びそれ以降は米国の大学で学び、最終的にカリフォルニア大のバークレーで日本文学でPh.Dを取られた日本人の熊倉さんと言う日本文学者から日本語文化の特質を講義して頂いた内容の中で私も納得した部分を根拠にして記述を進めた。一国の言葉や文化の比較をする場合は、熊倉氏の様に少なくとも二つ以上の異文化を体得した上でないと日本語文化の特質は判らない実態があります。

1-3)“高い志”の意味
文化の問題は“高い志”を持たないと中々高まりません。明治の頃は日本には武士道精神が引継がれており人間的質が問われ皆自分を磨く鍛錬を課して高い精神文化を維持する風土が有りました。戦後は、この特質が失せてしまった事は豊倉先生の対応寄稿文の記述にもありますが、相互に高い文化を維持するために、高い志を皆が持って切磋琢磨する事が個人とグループの競争力を高める上で大切です。私も学生の頃からもっと高い志を持てて努力が伴っていたら、必ずより競争力のある人間に成れたものと、この年になって自分の人生を振り返っております。

2.欧米と日本の文化の比較
2-1) 文化からの影響による科学と工学の強さ

図-2三つの国別文化パワーのベクトル

  外資系勤務の際に、本社〔仏〕のエール・リキード社主催のビジネス・スクールへの短期派遣プログラムに参加するチャンスがあり、いわゆるビジネス学を学ぶ機会を持てた。パリから南に列車で1時間程のフォンテンブローにある欧州最高と言われるビジネス・スクールINSEADにて欧州と北米・南米からの同僚と机を共に議論をした。その際にフランス人の何人かの同僚に重要な学科のランキングを訪ねると、皆即座に「1位が哲学、2位が数学と科学が重要である!」と全く同じ金太郎飴の答が返って来た。この様に国の文化により重要視される学科や得意な分野の強みの傾向がある。私の付き合ってきた同僚との体験から、この傾向を図-2に示す。この傾向は国際競争力にも大きく影響していると思うが、今日本の教育を考えるに当って、国の競争力を考えながら自分の専門を考える事を何処までやっているであろうか? ゆとり教育からの方針変更等は文化−個人−国の将来への対応策が十分に理解されバランスのとれた教育施策として進み得なかった結果に他ならないと思える。

2-2)欧米と日本での文化の重心の比較
  図-3に欧米と日本の文化の重心と方向性を示す。

図-3 文化の重心と方向性の比較

        色付きの三角形は上が抽象の最高たる宗教から段々と下がって行って具体的な日常性が強く成り一番底辺が具体的に生活の目の前に実際にあるモノや現象である。中段から左に企業活動を、右にアカデミア研究活動を例として挙げてみた。そして企業の会議では何処を議論するかと言うと、欧米では三角形の中位の辺りにある理論やコンセプト・戦略を重要視し、日本では一番底辺の現場・現物・現人を重視してこれを始点として、徐々に概念の上の方向へ話を展開する傾向がある。前述の日本文学者の熊倉氏に拠れば、『ウラル・アルタイ語の系列と成る日本語のオリジンである大和言葉には概念を現す言葉は無かった。その後概念を現す言葉は、中国語を主体とする外国語から導入して今の日本語が構成される様になった。概念・コンセプトよりはるかに現場・現物を重視する考え方は、日本語自体が現場・現物・現人を核にして認識する構造(“今”と“ここ”性)に拠っているから、その様な傾向を示す!』と表現されている。前述の鉄鋼最大手のH氏は『Conceptualな欧米文化に対し、Empiricalな日本文化と理解体得している。このため国際会議では議論の重心がすれ違う事を多く体験している!』と述べていた。

  これと同様に、豊倉先生からの対応寄稿文の中(p-5)で『Ulrich教授は、豊倉の研究が欧米の晶析研究と異なった研究法である事に着目して興味を持った』との記述があり、私の感覚で恐縮ながら豊倉先生の対応寄稿文中に書かれている内容を、図-3のモデルとの相関性の上で述べさせて頂く。

2-3.a)晶析研究における欧米と豊倉先生との比較
(1)欧米の晶析研究
  豊倉先生の対応寄稿文のp-5の中段上から、『晶析工学は20世紀の半ばに欧米にて研究され、その理論は理学的な概念をベースに現象モデルが想定され、基礎的な現象の研究はほぼ確立されていた。』とある。私が城塚研で晶析をテーマに選んで修士を修了して社会人になるのが1970年であるから、晶析研究に付いてはこの年までの事しか判らない前提での話しだが、私の(不十分な勉強での)理解では、晶析現象から装置の設計の基本原理としてSaemanと Randolph/Larsonとの二つの文献が強い印象と共に記憶に残っている。私の記憶が正しければ、Saeman論文では完全混合層での粒径分布から線成長速度を測定できる式が導かれ、Randolph/Larson論文では微積分のライプニッツの定理を用いた純数学の式で粒径分布のバランスを取って晶析工学で使える式を導いていた。つまり図-3の三角形では中段の辺りの理論とか理論式からのモデリングに当っている。そしてこのモデルを実際の晶析装置へ適応して行くから三角形の上から下へ向く矢印の展開となっている。

(2)豊倉先生の晶析研究
  同様に対応寄稿文のp-5の下段の文章から以下の様な記述をされている。
『連続工業晶析装置の生産対象の評価因子は、?.所望製品を?.所定量、?.安価に、?.安定生産する事で、その生産過程では生産装置周辺の、?.環境維持に対しても充分配慮する必要があった。ここで?.〜?.に列記した項目は豊倉が化学工場において稼働している晶析装置・操作法の設計や検討に提出したものです。その生産装置・操作の定量的な評価に実際に使用できる様に相関した関係式や設計線図も提出した。その使用に耐える測定法や相関式の研究は20世紀後半に成って行われたもので、その主なものは豊倉研究室で提出している。』とある。ここで?.〜?.の評価因子は現実のデータの一つであり、三角形の底辺に位置する具体的成果物に相当する様に思う。この具体的な成果物が判る様な関係式や設計線図を先生は多く考案されている。そしてtc-PMTもcrystallizationのPhenomena→ Model→ Theoryの順であるから全て三角形の下から上の理論を目指して行く上向き矢印と理解できる。豊倉先生のご退職記念号の『二十一世紀への贈り物』へのUlrich教授の寄稿文の中で評価された豊倉先生の研究スタイルも、豊倉先生の最終講義での主張もいつも起こっている現象にしっかり目を向けて、そこに立脚して論理を構築して居られる様に思う。この記念号からUlrich教授が評する豊倉先生の研究アプローチに対する記述を引用する。

−Professor Toyokura started most of his research on the basis of an industrial problem known to him. The knowledge of those problems came to Professor Toyokura of course due to carefully listening to industrial people talking about problems. On the contrary to what I(Ulrich) personally have learned ? to start an overall analysis of the problem, to go for improvements by chemical engineering tools right at the start.・−

  ここで改めて、日本の晶析研究を世界的なレベルに高めて、世界トップの研究者と交流を深めて来られた豊倉先生にお聴きしたいと思います。先ずは欧米の研究の成果とその背景にある哲学(文化、科学?)は何なのか? そしてUlrich教授の指摘されている豊倉研究室の欧米と異なる研究法の背景にある哲学(文化、工学?)は何か? 何がその差を創って来たのか? 私の期待として、そこに日本のものづくりの強さの秘密が隠れている気がするからです。

2-3.b)企業経営における欧米と日本との比較
  グローバルな企業人が理解されている様に、企業経営のスタイルとしては、欧米の組織は狩猟民族的トップダウン型で上から下への矢印↓であり、日本の組織は農耕民族的ボトムアップ型(トヨタ自動車はミドルアップ・トップダウンと言われるが)で下から上への矢印↑であるとの比較が判り易いと思うが、この方向は図-3の三角形の中の文化的位置付けの流れと全く同じ方向と成っている。この事は、文化の影響が企業経営とその組織に色濃く現れていると私は理解しています。

2-4)言語が与える文化と企業活動への影響
     

表-1 日本と西欧の言語文化の比較と企業活動へ与える影響


  表-1は言語文化の比較と、それが企業活動にどの様に影響しているかをまとめて表にしたものです。このHPの読者からは、何故言語文化が企業活動に影響するのか?とか、独断的過ぎる?とかの批判が出るかも知れませんが、この表は前述の日米の言語と文化を充分に体験されている熊倉氏に拠り比較陳述されたモノから私なりにまとめたものです。表中の一つ一つの表現を説明していると、可也長い説明文となるため、紙面の都合上今回は止めますが、本寄稿文の文化が大切!文化が我々の毎日の活動をリードして行く背景と成っている事を訴えるために、この表を載せました。

3.まとめ
(1)日本の国際競争力を再度強化するためには、その裏に潜む文化・教育・企業経営・(今回の晶析研究の様な技術開発も)の本質的な差を知った上で、より競争力のある対応策を考える必要がある。グローバル経営と言いながら、日本文化・外国文化の差を十分に知らないまま進めては、十分な競争力を発揮できない様に思われる。
(2)そのベースとなるのは文化比較であり、さらに言語が文化に与えている影響も大きい。
(3)日本文明はサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』の中でも世界の中で立派に一文明を構成している。日本文明は西欧文明と同格で対応できるだけの歴史を有すると言う論説は、私の当初寄稿文の中の梅棹忠夫の『文明の生態史観』の紹介で述べた。これらを知った上でもっと我々は自国文化を理解し自信を持ち、更なる強化策を切磋琢磨して構築努力するべきと想う。
(4)日本のモノづくりの強さの説明のために、今回は晶析研究を取り上げて、豊倉先生と議論する提案を試みた。 当初寄稿文の中で述べた一橋大の野中郁次郎教授のSECIモデルもその説明法の重要な一つであると私は想っているのでこの意義を読者の皆様には是非認識して頂きたいと想う。
(5)欧米人のプレゼンや演説が理解し易くアピール力があるのは、しっかりした概念を使った構造化された話と、論理に基づいた具体的な提案をしているからである。

References

〔1〕ハンチントン・サミュエル(日本語訳)、『文明の衝突』、集英社、1998年
〔2〕熊倉千之、『日本人の表現力と個性−新しい「私」の発見』中公新書、1990年 
〔3〕野中郁次郎、竹内弘高、“知識創造企業”東洋経済新報社、1996年3月
〔4〕Randolph,A.D., Larson,M.D .:AICHE Journal, 8, 639 (1962)
〔5〕Saeman,W.C.: AICHE Journal, 2(1),107 (1956)
〔6〕豊倉賢、『鶴岡さん寄稿の2009A-1-1を読んで』、tc-PMT2009A-3,2
〔7〕鶴岡、熊倉、遠山、近藤、『日本語文化の強化から、強い企業文化の構築を−日本語 文化の強みとは−』、研究・技術計画学会年次大会、東京大学生産技術研究所、2008年10月
〔8〕鶴岡、遠山、近藤、亀岡、『「強い企業文化の構築」−日本語・文化からの脱却−』 研究・技術計画学会年次大会、東京工業大学、2004年10月
〔9〕Ulrich Joachim, “A view from the outside on the research approach of Professor Toyokura”、『二十一世紀への贈り物』、pp194-196,豊倉賢先生記念会実行委員会、1999年3月
〔10〕梅棹忠夫、『文明の生態史観』、中公叢書、中央公論新社、1967年

   −以上−

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