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豊倉賢略歴
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2009 A-3,2: 豊倉 賢  「 鶴岡さん寄稿の2009A-1,1を読んで(1/X) 」

  鶴岡さんは本年1月掲載のHPに「強い文化の創出と高い志!ー個人の底力を発揮させ自己実現する方法」を寄稿いただいた。その内容は鶴岡さんが2003年から始められた社会人学生(北陸先端科学技術大学院大学)に始まり、その後2005年10月からの石川県能美市同大学院大学での就職カウンセラー、および2006年4月から並行して2008年3月まで務められた(文部省21世紀COEプログラム)・科学技術開発戦略センター拠点形成研究員の間に研究し、経験されたことを軸にこれまで活躍して来られたことを纏めたものです。豊倉もこの記事を繰り返し読む内に、種々のことを学び、また自分の経験と対比してそれも一緒に纏めた新しい見方も気付くようになった。そこで、それらをHPに掲載して鶴岡さんにも見ていただいて何か気付かれたことがあった時、それを再度HPに寄稿いただきながらそれを繰り返していると次第に思いも掛けなかった方向に進んで行って、誰も気付かなかったものになり、新しい整理法や概念が生まれてくるような気がしてきた。そのようなことを考えながら以下に豊倉の気付いたことの一部を記述します。この内容に関連する鶴岡さんのお考え等も時間のある範囲で逐次HPに寄稿していただくようにお願いしようと思っている。また、tc-pmtのHPを読まれて、何か記述してみたいことがありましたら、何方でも気楽に思ったことを書いて寄稿して下さい。なお、この件について不明なことがありましたら、豊倉までメールでお尋ね下さい。

豊倉のメールアドレスは、です。寄稿記事もこのアドレスに送って下さい。

1)鶴岡さんが記述された「異文化融合型のプロジェクト」について;

1・1)学生時代の鶴岡さんの思いで;
  鶴岡さんを初めて知ったのは、豊倉が米国留学をする前の1966年であった。この年は、城塚先生のご配慮で豊倉の渡米前に、城塚研究室で1967年度に晶析研究を行う卒業論文学生を決めて頂いた。その学生の中に鶴岡さんが入っていた関係で、鶴岡さんとは翌年の晶析研究やその他のことで色々話し合ったり、討議したことがあった。そのようなことがあって、鶴岡さんのことは今でも記憶していることが多い。

  鶴岡さんは早稲田大学理工学部学生の中でも、特に際だって新しいことに興味を示した学生で、物怖じすることのない、強い好奇心の持ち主のように思えた。当然のように外国に対する関心は高く、今から考えると坂本竜馬が土佐の海岸で外国を夢見たように、鶴岡さんは九十九里の大海原を見ながらアメリカを想像して育ったのでないかと思えるほどであった。豊倉が1968年11月に帰国した時、鶴岡さんは大学院に在籍して晶析研究を行っていた。その翌年、鶴岡さんは日本国内の旅行中に日本に駐在していたアメリカ人と親しくなり、色々話をしている内に、一度一人でアメリカ旅行をしたい気になって、「69年の夏休みにアメリカに行って来たいが」と相談を受けた。当時の海外旅行は1ドル360円時代のことで、今とは全く異なっていて、それなりの準備なしに渡米してアメリカ文化に接しても、ただ格差に驚かされるだけで、見聞を広めることは全く出来ないような時代であった。鶴岡さんは豊倉が1年前まで仕事していたTVAの研究所も訪問し、豊倉と一緒に仕事していた人達にも会って来た。その訪問の時何らかの「異文化融合」を考えていたようにも取れる話を聞いた気もした。

1・2) 鶴岡さん35年間の企業技術者の活動を読んで感じたこと;
鶴岡さんは1970年3月、早稲田大学大学院理工学研究科で修士学位を取得され、 日本の代表的化学工業企業である日産化学工業株式会社に入社した。この企業の富山工場には早稲田大学の先輩も多数活躍していて、豊倉も渡米前に晶析装置操作改善のお手伝いに時々訪問したことがあった。また、豊倉がTVA研究所に滞在していた時、TVAから日産化学工業への技術移転の話が進んでいて、技術担当の責任者が同じ研究所に滞在したこともあって、豊倉は日産化学に親しみを持っていた。鶴岡さんは日産化学中央研究所をはじめに、エンジニヤリング事業本部、シンガポール駐在などで17年間活躍し、管理職としての経験を積むと同時に日本の化学企業での勤務を通して、鶴岡さんなりの現代日本文化観を構築されたようでした。

  その後、フランス系企業に転職して日産化学に務めたとほぼ同じ期間活躍し、西欧文化を学び・理解しながら仕事を進め、背景の全く異なった東西文化のそれぞれが持つ特徴を修得してグローバルな目で物事を判断して成果を上げる術を身につけられた。その後、鶴岡さんはビジネス・スクール時代にその目で討議に参加され、周囲の意見を冷静に聞いて独自な判断をされ、鶴岡哲学を構築された。その過程で経験されたことの一部は、2009A-1,1の記事の中で紹介されている。鶴岡さんは、その討議において、外資系勤務経験者(異文化経験者)が行った思考プロセスとそれからの結果を纏めた結論に対して、(純日系企業在職者の一部)が行った異なった思考法によった出された結論を比較して、それらは全く異なっており、それぞれの人達は相手の人達の結論をその会議の場ではお互いに受け入れようとしなかったことを紹介し、それは外資系企業で働いた人の文化が純日系企業在職者の文化と全く異なっているからだと結論付けた。この記事を読んで豊倉が感じた印象は、ここで討議された内容は、ビジネスの進め方についてであって、その異なった進め方で議論して出し異なった結論はそれぞれのグループビジネスの進め方の違いによるものと思えた。それは、後に鶴岡さんも触れていたように思えたが、西欧文化構築過程の進め方は、日本文化のそれと異なっていたためであったように思えた、よく狩猟民族の文化は、その民族の生活が土地に縛られることなく獲物を追った流動的なものであり、そのため、農耕民族のように土地にじっくり輿を据えて文化を構築してきた民族とは異なった文化構築の方法で発展したからのように思えた。その意味では、西欧では比較的短期間に出された成果は重要な評価内容であり、東洋では、じっくり長い年月掛けて逐次内容を深め、評価を高めた成果を尊重する文化である。そのように考えると短期間に着実に階段的に目に見えて成果を上げることを良とするか、初めは、なかなか成果が上がらなくても指数関数的に長年月を掛けて大きく発展することを良とするかで、物事の成果に対する評価は変わってくるもので、どの道を選ぶのが妥当であるかは、その時のビジネスの特徴で選ぶことが大切である。言い換えると同じ物事に対する評価でも、どの段階で、何処までの成果が得られるかで評価される場合は、その詳細を十分検討し、評価の時間的要素を明確にしたうえで評価しないと善し悪しの妥当な結論は出せない。

1・3)ビジネス発展過程の方針決定;
  ビジネスの展開を考えた場合、その方針を決めることは極めて重要です。ビジネスは今まで行ってきたものを縮小したり、収束することもあろうが、多くの場合、如何に効率よく発展させるか討議し、その方針を決定する。1-2 )では、二つの異なる文化を考え、その別々の文化で対象になっているビジネスの方針を決めるときの議論を行った。ここでは、同一文化の下で発展を続けるビジネスの方針を決めるプロセスを検討する。   世の中の変遷を考えると同じ地球上にある文化も経済もビジネスも何でも一般的には右上がりに向上を図る。その場合、何時までも同じ方針で進めると、それから得られるプロフィットは、当初は右上がりに順調に進んでも、その上昇は次第に緩やかになり、その上昇は止まって、気がついてみると逆に降下してることがある。それは、社会を構成する経済も技術もビジネスも何もかもそれに従事する人々は競って上昇し続けるよう努力して、その間のバランスが崩れるからである。一般に強いビジネスは上昇を続けることは出来ても、常に改善・改革を行うための努力を続け、競合他社に遅れを取らないような研究を成功させないといつの日か、そのビジネスの存続は難しくなる。ここで、応用化学科卒業生が活躍する化学系製造ビジネスを対象に考えてみると、製品の中には非常に寿命の長いものもあるが、また、新機能生産物のように目まぐるしく移り変わるものがあり、そのどちらも現行生産技術の改善やさらに高度機能を有する新製品の開発に成功しなければ、そのビジネスは存続を続けることは出来ない。

  このような現行技術の改善や新生産技術の開発は、優れた才能の持ち主が、自分の才能を発揮しやすい課題に真面目に努力し続けている間に幸運に恵まれて初めて成功出来るものです。そのため、そのビジネスに係わる人達がお互いに信頼できるチームを形成し、協力して活動することが必要です。そこではビジネスの管理職スタッフや種々の実務担当者がいるが、各人が自分の職場環境において発揮出来る能力を知って最大限の成果を上げるように活動することである。

2)異文化融合型文化の構築;
  鶴岡さんがこれまで行ってきた活動を簡単なモデルで表現することは出来ないと思うが、「異文化融合型文化」を考えるに当たって、次のようなモデル人物を設定してみた。即ち、人生の前半は、純日系企業勤務者が長い年月を掛けて構築した文化の上で活躍し、後半では外資系勤務者が修得したヨーロッパ文化の上で活躍し、それぞれの文化が持つ特徴をよく理解し、それぞれの長所を生かした考え方と判断にしたがって活動して成果を上げてきた。その人がその次の段階で、それらの異なった両文化を融合した新しい文化を構築し、そこで生まれた文化圏で新しい社会・産業等を発展させることを考えてみる。

  このような異文化融合型文化の構築は、その新しい融合型文化圏で生活する大部分の人が、そのベースになる従来からある個々の文化圏で生活する人達が考える社会より高度な社会が出来ると判断された場合に行われる。この新しい異文化融合型文化が、想定された構想のように構築された時、この構想は正しいと評価される。ここで、評価対象になる想定社会は、人によって異なる社会を考えられるので、新しく構築しようとする人が社会にとって重要と考えるものをよく検討することが大切である。そのように考えると、文化の構築は何のために行うか考え、その目的を達成し易い文化を築くことを主眼にする考えも成り立つと見ることが出来る。しかし、実際文化の構築に欠かせない、学問・技術・芸術等多種多様な項目が含まれており、またその中のどれを対象にしても、数え切れない分野から成り立っている。しかし、実際に異文化の融合によって新しい文化を構築するには、その文化を評価するのに必要な学問・技術・芸術等を明瞭にし、それを通して新しく構築しようとする文化に賛同する多数の人からコンセンサスの得られることが必要である。

  このように文化を評価する一般的な方策を見出し、それによって評価される文化を構築して発展させることは至難なことである。しかし、文化が未熟な時代は、評価の対象になる項目数も少なく、評価の対象になるものを抽出してそれに重みを付けることも現代と較べると遙かに容易であったと思われる。一方、現代社会において、評価対象になる項目数もその項目の価値に重みを付けることも評価に対する考え方が多様化しているので一般的に行うことはできない。しかし、文化が進む方向を決めるには、一般的な評価法を構築し、それによって評価項目を抽出し、重みを考えて順序を付けて、その順序を参考に評価の高い文化に発展するように、その文化に関心のある人々が行うものである。従って、これを具体的に進めるのは、文化を発展させるべく努力している人達が、その文化を評価するように対象となる文化の範囲を決めて結論を出すことである。

  豊倉研究室で研究対象にしたものは、化学工業で生産される結晶製品生産技術の発展に関するものです。この生産技術の発展を支えた晶析工学は20世紀の半ばに欧米で研究され、基礎的な現象はほぼ解明された。しかし、その理論は理学的な概念をベースに現象モデルが想定され、その上で研究された。それに対して、早稲田大学では工業晶析装置や操作の設計に適用出来る設計理論の構築を目指して研究を行った。そのため、研究を行った操作条件は装置効率の良い工業装置の設計に適用できる操作条件であった。この方法で晶析研究を進めた条件は欧米の研究法と異なっていた。1982年にドイツから豊倉研究室に留学していた Professor.J.Ulrichは、豊倉の晶析研究が欧米の晶析研究と異なった研究法であることに着目して非常に興味を持ったことを1999年に寄稿した記事に記述した。*〉 それは、1980年代の前半のことであったが、鶴岡さんの異文化の融合となるかどうかは分からないが、日独の交流の成果はその後徐々に研究成果に反映されるようになった。その後早稲田大学で研究された晶析理論に基づいた結晶生産技術の評価因子は以下のように集約した。

  連続工業晶析装置の生産技術対象の評価因子は、i)所望製品をii)所定量、iii)安価にiv)安定生産することで、その生産過程では生産装置周辺のv)環境維持に対して充分配慮する必要があった。ここでi)からv)までに列記した項目は豊倉が化学工場において稼働している晶析装置・操作法の設計や検討に提出したものです。その生産装置・操作の定量的な評価は実際の工場操作で使用出来るように相関した関係式や設計線図も提出した。これらを用いて、実際のプラント対象に企業技術者と討議するには、それらを計算するのに必要な定量的なデータの取得及び関係式の適用が必要であり、その使用に耐える測定法や相関式にたいする研究は20世紀後半になって行った。その主なものは豊倉研究室で提出し、工業装置・操作の定量的な検討に使用して、晶析プロセスの発展に貢献している。それらの詳細は豊倉研究室で発表した論文集や、豊倉の出版した書籍等に掲載されている。この分野の研究の一部は現在も、日本国内の晶析工学研究者によって続けられているが、その概要は本HPの2009B-3,1に掲載する。

3)むすび
  現代の人間社会は、狭くなった地球上に多数の文化圏を構築しており、その各文化圏はそれぞれの特色を保持したまま高度な人類社会の発展を続けている。これらの文化は、近年の科学技術の進歩により活発な交流が行われており、お互いに影響し合って急速に変革するようになっている。鶴岡さんが寄稿した記事(2009A-1,1)の中で提案した「異文化融合型のプロジェクト」は現代社会のグローバル化の影響を受けて急速に進歩している。化学工学分野の研究者や技術者もそれを参考に著しい発展を遂げることが出来ると期待されている。

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引用 *〉

1999年3月 豊倉賢先生記念会実行委員会編集
   「二十一世紀への贈り物・C-PMT」  pp.194-196

A view from the outside on the research approach of Professor Toyokura
Joachim Ulrich
University Bremen,Verfahrenstechnik/FB4
Postfach 330440,D-28334 Bremen

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