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豊倉賢略歴
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2008 A-7,1: 豊倉 賢
         「 2008年9月Maastricht での ISIC17 開催に際して 」

1.はじめに:
  1972年9月チェコスロバキアのプラハで  ISIC5( チェコスロバキアではUstiで1961年に第1回晶析シンポジウムが開催され、以降、国内および東欧圏対象の晶析会議がISIC4まで開催されていた。その後EFECのWPC設立準備会で討議され、1970年に開催が決まって1972年のISICで、初めて世界規模のシンポジウムが開催された。

  この発足時の経緯はEFEC NEWSLETTER,NO.2, pp.227-231,(1992)に当時のInternational Chirman, Dr. J. Nvltによって寄稿された記事のコピーに詳細が掲載されている。) が開催されて以降既に36年を経過し、今年は13回目の世界規模の国際会議となる。この間1990年代の初には、Dr . J. Nyvltは国際議長を英国のProf.J,Garsideに譲り、そして2000年のWPCでは議長Garsideの引退表明があって、Prof.J.Ulrichが3代目の国際議長を引き継いで2005年のISIC16からProf.J, Ulrichが国際議長として国際シンポジウムを開催している。これら歴代の国際議長は、豊倉研究室の卒業生は皆よく知っている晶析分野の第一人者であるが、皆、早稲田大学豊倉研究室とは深い関係の研究者である。今年6月3日、ISIC17のホームページにそこで発表される論文のプログラムが掲載された。それを見ると、1972年頃知り合った人の名前は少なくなったが、1980年代から90年代にかけて活躍した人たちは相変わらず第一線で活躍を続けている。ここでは、これまでの国際会議を想い出して晶析分野の研究者・技術者のこれからの活躍を期待して書く。

2.これまでの国際晶析会議(ISIC)を想い出して:
豊倉が初めて参加した国際晶析会議は1972年プラハで開催されたISIC5です。 最近は種々の国際会議が頻度高く開催されているようになって、若い研究者・技術者も気楽に参加出来、非常によくなったと思っている。その一方で沢山の数の論文が発表されるようになって、中にはこれがあの人の発表かと思われるような内容のようの論文も見られるようになっている。今から40~50年前の日本では、一部の著名な人を除くと海外で開催される国際会議の参加にかかる費用は可成りの重い負担になって、それに参加するには世界の著名な先生方の評価を受けるような研究成果を発表しなければと考えたものであった。そのため著名な研究者や技術者が多く出席する国際会議に参加する時には、特に自分の研究している内容について海外の研究者・技術者の理解と評価を受けるようにすると同時に、海外の研究者・技術者が行っている新しい価値の高い研究成果等を充分修得して、自分のためのみでなく、相手の研究活動にとっても有効な機会にしてもらえるための努力もした。そこでは国際会議に参加する都度、会って討議したい人を事前に考えて、その人ごとに討議しする内容を用意し準備をすることもあった。このことは国際会議に何度参加しても同じで、海外の人からも、お前に会ったら「かくかくしかじかのことについてお前の意見を聞いてみたい」と云われることもあって、常連の多い歴史のある国際会議に参加することはよいと思ったこともあった。

  次のことは記事の中に書いたり、若い日本の研究者や技術者に話したこともあるので思い出す人はいると思うが、1977年豊倉研究室に留学したDr.Karpinskiは、1975年にUsti で開催されたISIC6で豊倉が発表した「カリ明礬の2次核発生速度」の研究成果を聴いて、Dr.J.Nyvltの紹介状を付けで留学したいという申し出をしてきた。彼は幸運にも日本学術振興会の若手研究者招聘プログラムに採用され、豊倉研究室に留学し、2次核発生現象と結晶成長速度の研究を行って帰国した。その後、彼はアメリカに行ってIOWA State Univ.のProf. M.A.Larsonの研究室に所属し、数年経ってKodak 研究所に勤務した。一昨年Drsdenで開催されたISIC16では会場で久しぶりに会った。その時は彼と初めて日本で会った時のことやその後30年間にあったことなど思い出されて、本当に感無量であった。今回はISIC17のプログラムの中に彼の発表論文を見て、今年は3年前に聞けなかったことなど是非聞いてみたいと思って期待している。

  現在WPCの国際議長をしているProf.J.Ulrichは1980年に初めて、Aachenの大学で会った。その時は、豊倉がドイツで世話になっていたドイツの企業社長から一度お前と同じようなことを研究している若い研究者がいるから行って来いと勧められて行った。その時彼は豊倉が発表した英文の論文を取り寄せて勉強していて、その内容について種々の質問を受けた。その結果彼はフンボルト財団の派遣研究者になって1983年から1年間豊倉研究室で、晶析研究を行って帰国した。その時の彼の研究テーマは発生2次核の挙動についての研究で、発生直後の2次核は過飽和溶液中に懸濁している結晶に付着しその結晶性成長速度の増大に寄与することを見出し、J. Chem. Eng. Sci.,40 p.1245(1985) に発表した。彼は、その後も、しばしば来日して日本の研究者・技術者と交流を続けており、ヨーロッパのみでなく、日本やアメリカ、その他の国々で開催される国際会議の議長をしばしば務めており、世界の晶析工学の進歩・発展に貢献している。

  一方、早稲田大学大学院博士課程に在籍していた内山さんは1981年Budapestで開催されたISIC8で、豊倉研究室で行ったカリ明礬の2次核発生速度に関する研究成果を発表したことがある。この時、聴衆は彼の発表内容を非常に強い関心を持って聴いていて、その会場は水を打ったように静かに進行した。講演終了後の質問はヨーロッパの大御所であった TUDelft のProf. de Jongの1件であったが、セッション終了後、UCL のProf. J.W. Mullinは、内山が、博士課程修了後、博士号を取得した段階で、Londonの滞在費はこちらで持つからUCL に来ないかと云われて、留学したことがあった。その一方、1999年にCambridgeで開催されたISIC14では、日本の某国立大学の先生が1986年に日本で開催された第3回化学工学世界会議で、豊倉が発表した「2次核化直後の微小カリ明礬結晶の過飽和溶液懸濁中のカリ明礬結晶成長速度への影響」の研究成果の一部と同じ内容の研究発表をした。その話を聞いたProf. J. Ulrich は、豊倉が既に発表した論文と何処が違うのかと質問したが、それに対してその先生は何も応えなかった。その時、豊倉は自分の名前が出されたので、実験結果等はほぼ同じであったが、実験条件の範囲を広げて追加データを取った研究であるとコメントして、その講演の質疑が終了したことがあった。セッション終了後、その先生は豊倉に、「あのような質問の出ることは覚悟してました。」と一言いっていた。何処の学会でも講演発表には、評価に値しないような内容を発表する人がいて、そのような発表をする人については、その学会の中で学会の将来を考えている人の間で時々話題になることがある。この話は9年前のことであるが、どの分野でも研究に携わる人は自分の発表内容に対して、謙虚で有ることは大切であり、発表論文オリジナリテイーとその発展については常に真剣に考えていなければならないことを卒業生に一言伝えておく必要が有ると思ってここにメモする。

3.これからのWPCとISICへの期待:
WPCは1972にISICを開催して以降、国際議長を中心に、時代の流れを考えなが ら、種々の企画を行って活動している。特にWPCの最重要行事であるISICは定期的に3年毎の開催を繰り返して発展を続けて今日に至っている。今から思うとその前年の68年11月にアメリカ留学の帰途UCLに留学中のDr.J.Nyvltに会うことができたのは奇遇であった。その時は、WPCの話は何も話題になかったが、Nyvltは豊倉がMullin教授に送った早稲田大学の研究室で行った晶析装置設計理論のことが話題になり、それがヨーロッパと日本の晶析研究者・技術者の密接な関係に発展するとは夢にも思わなかった。1972年の春でなかったと思うが、1通の手紙をNyvltから受け取って、城塚先生に相談し、9月にPrahaで開催されるISIC に出張することのお許しを頂いた。そこで、広島大学の中井先生にISICの話をしたら、中井先生も参加しよう云われ、当時日本国内にあった化学工学協会の晶析研究会( 当時の研究会は期間1年で1年の延長は認められる会であったので、この時は公式には終了していて、有志が自主的に運営した私的研究会であった、)のメンバーに言葉を掛けて参加団を結成した。その時の様子は当時の化学工業社発行ケミカルエンジニヤリングに掲載した。(この記事のコピーは晶析工学の進歩(1992年出版)p.33~36に掲載。) その後、開催されたISICには数名の人達が日本から参加し論文の発表を続けた。特にクリスタルエンジニアリング社長の青山さんは毎回参加し、晶析プラントに関する論文の発表をされたことは世界の研究者の日本に対する関心を高めた。1970年代の後半以降はヨーロッパの若手研究者も日本に留学するようになり、また日本からのISICへの参加者も徐々に増加して行った。

  しかし、日本の晶析分野の研究者・技術者と海外の専門家とのクローズな関係に発展したのは1986年に東京で、世界化学工学会議が開催され、欧米先進国を代表する晶析分野の研究者が揃って日本に来てからです。その頃から日本の若手研究者も積極的に海外の研究者・技術者に接するようになり、また1990年代には日本の晶析研究者・技術者の世代交代も進むようになって幅広い人々が交流を重ねるようになった。

  1980年代から90年代になると欧米研究者や技術者の日本に対する見る目も変わってきた。1970年代はヨーロッパで見掛ける日本人の数は少なく、珍しさもあって一般に日本人に対して親切であった。しかし、対応する日本人の数が増えてくると日本人に対する見方も変わってきて、個々の人によって評価も対応も異なるようになった。その理由は種々考えられるが、日本人に対する欧米人の画一的見方は減ってきて、各自の人生経験等と比較し、自分の将来を考えて判断する個性ある意見や行動が大切になってきた。1980年にMullin 研究室に一ヶ月滞在した時、Mullin教授から最近日本で開発されたオリジナルな晶析技術は何か、また、最近の日本の著しい経済発展に大学教授はどのように貢献したか尋ねられた。その時受けた質問の内容は、一般的なジェネラルな内容ではなく、それらに対する豊倉自身が考えていた個人的な意見に関心を持っていたようで、Mullin教授がこれまでに聞いたことのないような話を期待されていた。そこで具体的に話題になったことは、日本でオリジナルに開発された晶析技術や、晶析理論であって、その時は守時さんの高圧付与による圧力晶析の話がはずんだ。

  このような話はなかなか初対面の人には尋ねにくいことであるが、真の発展のパートナーとして相手を考える時には、その人の考えを知っておくことは必要である。そのためには、研究活動や日常生活を含めた広い意味の生活において、何か本質に沿った思考・行動・発言をするように平素から心掛けることが大切で、そこで考えた内容等は忘れないようにし、さらに発展させることを考えて繰り返して思い出して確認する必要がある。その過程では平素から心がけて実行しなければと思うことを以下に列記する。
(1) 自分が判断する上で大切な事象について、自分の目で見てよく観察して確かめる。
(2) その上で、物事の条理を自分の考えに基づいて検討し、自分の納得出来る思想・哲学・理論を構築する。
(3) それをベースにして、新しい製品を開発し、その生産技術を構築する。
(4) その新しい製品が広く世の中に利用されるようにその発展を図る努力をする。
(5) これらの各段階でこれまでに提案され、成功したものと比較を行い、常に劣ることのないような注意と努力をする。
(6) これまでに行ったことで優れた特徴があると思ったこと等については必ず繰り返し考えて忘れないようにする。自分がこれまでに考えたことや行ったことのないもの付いては、何か比較出来そうなものを見つけ、必ず比較検討する。その上で、自分の意義あるオリジナリテイーを明瞭にし、それを発展させて完成品を作り上げる。その過程で他人の成果を利用する時は、必ず当人の了解を得ること。
(7) 他人との約束は必ず守り、人に迷惑をかけないようにすることは当然であるが、十分な検討を行わないで誤った適用は絶対しないようにする。万一、それに気づいた時は当事者に伝えることは当然で、さらに関連のある人にも事情を説明し、謝罪すること。

  このような配慮をして研究して新しい成果を上げることは決して容易なことでない。しかし、一度オリジナルな成果を上げると、それを発展させ、またそれを参考に新しい展開をすることによって、比較的短期間に新しい成果は得られるものである。このことを忘れずに辛抱強く努力することが大切で、安易に器用なごまかしをするのは禁物である。

  このような新しい研究をオリジナルに進めて出した成果は、その内容に相応しい評価を受けることは容易なことではない。その評価は、長年に亘りオリジナルで価値ある研究を行って来た研究者や技術者によって出来ることであり、その意味で工業晶析のオリジナルな研究成果は、WPCで真面目に活動を続けている人の間で評価されることが多い気がする。豊倉の行ってきた晶析研究も国内で評価を受けるには時間がかかったが、欧米では運良く数年の短い期間に研究成果の評価を受けることができた。それは、欧米の研究者・技術者は自分が独自に考えて決めた「求める研究成果」を持っており、それにぶつかると、直ちに本人の判断で正当な評価をすることが出来るからである。

4.国際議長 Prof. Dr. Joachim Ulrichに期待するもの:
2002年にSorrentoで開催されたISIC15が終わった後、Prof. J. Ulrichは粉体工 業技術協会・晶析分科会の行事に参加するために来日したことがあった。その時、J. Ulrichは今度自分がProf. J. Garsideの後を引き継いでWPCの国際議長に就任したと言われた。この話を聞いた時、これまでの2人の国際議長同様親日派のドイツ人研究者がWPCのトップを引き継いたことを衷心より喜んで、彼に直接おめでとうと云った。実は、彼はそれまでWPCのメンバーを務めたことはなかったので、前任者Garsideの後、すぐWPCの議長になるとは思っていなかったのでこの話は、日本の晶析研究者・技術者にとって本当によかったと思った。そこで豊倉は彼の国際議長就任に悪のりした感じで、”最近のWPCの活動はChemical Engineering 分野の面が低調になって来ているので、工学分野の活動を活発にしてはどうか?”と、彼に注文をつけた。その時彼は即座に、”自分もそのように思っていて、自分の期に活動の修正をしようと考えているから・・・”と云うことであった。それから2年後、彼が国際議長に就任して最初のISIC16をドイツのDresdenで開催した。

  この時、2日目の午後、” From Vision to Products in Industrial Crystallization” の特別セッションを設けた。この時の話題提供者は University Erlargen のWolfgang Peukert と Bayer Technology ServicesのAxel Elbeで、その講演資料は参考資料Aとして巻末に添付する。この話題の焦点は、新製品の開発競争は最近とみに激しくなっており、そのため、有効な機能を持つ新結晶製品を素早く開発する基礎化学的研究法の構築と、そこで開発された新製品結晶を短期間に工業製品として生産できる新しいプロセス開発技術開発が必要であるいうことで、その考えには参加者ほぼ全員の賛同が得られたような雰囲気になって、フロアーから活発な意見は出された。当日発言された結晶生産技術の開発に対する意見は、大学研究者の発言が多かったためか、最近の工学手法の充実に関するものが多く、生産技術設計のための基礎データの充実を図る提言が主であった。企業技術者の発言があれば、様子は変わったのでないかと想像したが、いずれにしても化学工学分野の研究者や技術者の貢献を期待する内容であった。

  ヨーロッパではこの種の技術開発には国境の壁を越えた協力組織が結成されやすい環境にあり、日本でも世界の動きに遅れを取らないようにしなければと感じた。その日のdinner Partyはエルベ川に数百人の参加者を収容できる大型ボートの大部屋3室を使った盛大な催しで、参加者は昼間の討議を実らせるために、気楽な発言をしていた。近い将来国際議長を中心に討議が進められて、21世紀に相応しいスピードで新しい生産技術の開発法が確立されることを期待した。

5.むすび:
新しい晶析研究会(WPC)は1960年代末にヨーロッパ化学工学連合(EFCE)で公式に 認知され、WPCの活動が始まって40年余を経過し、活性化の一途を辿ってきた。その活動の状況(40 YEARS OF THE WORKING PARTY ON CRYSTALLIZATION ) は、初代国際議長のDr. J. Nyvltによって纏められ、昨年12月半ばに送信されて来たので、それを本稿の最後に資料Bとして加える。その中には晶析研究を活発に行っている国からEFCEのWPCに派遣された歴代代表者の名簿は記載されている。その内容は長い歴史の中から整理されたもので、一部の記述に修正の必要な箇所があるような気はするが、その名簿は晶析研究・技術の発展に努めた多数の世界の研究者・技術者の努力の実績を示したもので、その成果を継承し、さらに発展させることを担うこれからの人々に貴重な資料になるものと考えている。

  豊倉は晶析研究を始めて、ほぼ50年を経過しており、そのことを振り返った時、研究室の研究成果をWPCの活動実績の中に残せたのは、早稲田大学化学工学研究室で真面目に晶析研究を行った研究室卒業生の研究成果があったからと、つくづく感じている。これからの社会は益々高い機能性物質を駆使して高度化された社会になるであろうと想像される。そのような機能性物質を生産するためには新しい高度化機能性物質を生産する晶析技術を開発することが益々重要になると思う。将来を担うこれからの晶析研究者・技術者に一層の精進を期待している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・巻末添付資料・・・・・・・・・・・・・・・・・


 From Vision to Products in Industrial Crystallization Wolfgang Peukert: University Erlangen, Axel Eble: Bayer Technology Services



   40 YEARS OF THE WORKING PARTY ON CRYSTALLIZATION
J. Nyvlt
Prague, Czech Republic


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