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豊倉賢略歴
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2008 A-6,1: 豊倉 賢  「 Dr. Edi Kratzとの1/4世紀 」

  豊倉が初めてヨーロッパを訪問したのは、1968年11月、アメリカTVA公社での2年間の研究生活終了後で、日本への帰国の途中であった。その時ロンドンのUCLにMullin教授を訪問したが、教授は出張中で会えなかった。しかし、当時UCLに留学中のDr. Nyvltに会い、初めてヨーロッパで晶析研究・技術についての議論が出来たのは大きな収穫であった。以降40年にわたり、Prof. J.Mullin、Dr.J.Nyvltその他大勢の研究者、技術者と親交を続けて来られたことは感無量である。研究室の卒業生も、第一線を退いて新しい生活をしている人も増えてきているが、人生80年を超えた日本社会においては、退職してからの人生こそ価値があると思っている。70歳を超えた欧米の知人の中には他界した人もいるが、今なお元気な欧米人と親交を続けている。今回の記事が、卒業生からの近況報告の増加を期待して、豊倉の退職後に行っている海外の友人と交流の様子を紹介する。

  豊倉は1999年3月、早稲田大学を退職してその年にCambridgeで開催されたISIC14に出席した。その翌年はオランダのDen Haagで開催された世界塩シンポジウムにも気楽に参加した。この時、豊倉は偶々日本海水学会の会長であった関係で、日本から参加した製塩関連の企業技術者・研究者とヨーロッパ主要国の塩関係者、製塩関連の研究者・技術者との交流夕食会を親しかったオランダの友人Dr.O.S.L.Bruinsmaにお願いして開催し、親交を深めた。この会議終了後は。Prof.UlrichがBremenから移籍して間のないMartin-Luther-University Halle-Wittenbergを訪問し、Joachimの新しい研究室を拝見した。この時、彼が、Halleで購入した大邸宅に招かれ、東部ドイツの閑静な住宅街の彼の大庭園で彼の研究室の人達とバーベキューを楽しんだ。その後、Joachimは、大学の副学長に就任し、またEFCEのWPC ではInternational Chairman になって、その最初のISICを2005,Sept.にDresdenで開催した。彼は早くから晶析研究者・技術者の間で人望があり、近々国際議長に就任するであろうと予想していたので、彼にはその時彼が主催する最初のISICには必ず妻と一緒に参加すると話していた。

  彼が国際議長に就任して、ISIC16を開催したのは豊倉が1999年にCambridgeで開催されたISICに参加して以来6年振りであり、また、1980年に彼に初めてAachenで会って以来25年目であって、この間の種々のことを思い出して、これからも元気に過ごせるよう健康に気をつけねばと思った。ISIC終了後豊倉は、Basel在住の鵜池さんに同行を頼んでMont Blanc山塊のトレッキングを4泊4日の行程で行った。また、昨年(2007年)夏には妻の日本の山友達を案内して、WallisとDolomitiのトレッキングを約2週間半の行程で行い、天候に恵まれればまだスイスアルプスのトレッキングは楽しめそうだと自信を深めた。この旅行では、1980にMullin教授の紹介で親しくなったスイス人のMr.Oskar FischerやDr.Edi Kratzとチューリッヒに着いた翌日の昼と夜に久しぶりに会うことが出来た。

  OskarとEdi. は豊倉が早稲田大学に在職していた頃、二人ともしばしば来日して、早稲田大学で開催された行事に参加し、講演もしているので卒業生の多くは二人のことをよく知って居ることと思う。今年は9月にスイスでEdi.と会う約束が出来たので、豊倉とEdi.とのこれまでのことを紹介し、今年の計画等を記述します。

  豊倉は、1980年5月上旬より早稲田大学短期在外研究員として4ヶ月間ヨーロッパに派遣された時、UCLのProf.J.Mullinはスイス ZurichのEscherwiss Co.Ltd.のDr. Edi Kratzをヨーロッパにおける晶析分野の代表的技術者として豊倉に紹介してくれた。そこで、豊倉はZurichのEscherwiss工場見学と晶析技術についての討議をするために訪問したいとDr.Kratzに申し入れた。その結果、7月上旬に訪問することが可能になり、丸2日間工場を訪問して晶析技術担当の技術者と討論を行った。また、豊倉が早稲田大学で研究・提出したCFC Facterに基づく連続晶析晶析装置設計理論の講義とその工業装置設計への適用についての討議を行って、同社の晶析担当の技術者と親しい関係が出来た。

  Ediはスイスで有名なETHの卒業生で、1982年よりEFCE・WPCのスイス派遣の代表メンバーを10年以上務めていた。一方、豊倉は1972年にPrahaで開催されたISICに参加し、その会議終了後直ちに開催されたWPCで晶析装置設計の講演依頼を受けた。それ以降ISICとWPCに毎回出席するようにとの招聘を国際議長のNyvltから受けて出席していたので、1980年代半ばにはEdi.とも本当に気心の知り合った関係になっていた。特に、豊倉が日本の製塩企業技術者のお世話をするようになってからは、ヨーロッパ製塩企業訪問や、ヨーロッパ企業技術者を日本の製塩企業技術者に紹介するなど技術交流のお手伝いをEdiと一緒に行うようになった。1992年に京都蛍ケ池の国際会議場で開催された世界塩シンポジウムでは、Edi.は夫人同伴で来日し、その後日本で豊倉が中心になって開催した晶析に関する国際会議にはEdi.は必ず参加された。1998年に早稲田大学で開催された豊倉の退職記念シンポジウムでは ” Combination of suspension and layer Crystallization : a tool to improve process economics” の特別講演を行った。

  豊倉が退職した1999年頃、Edi. はZurich郊外の自宅より、南スイスのTICINO地方の別荘で過ごすことが多くなっているという話を聞いたことがあった。昨年Edi.と親しい同じスイス人のOskarと会う機会があったので、「 7月20日の夕方なら豊倉はZurich でEdi.に会える時間が取れるので、都合がついたら夕食を一緒にしないか 」とOskarを通して申し入れたところ、Edi.はホテルに迎えに来てくれて、1457年に建てられた中世の武器庫で現在は代表的なスイス料理のレストランになっている “ Restaurant Zeughauskeller “ に予約を入れて案内して呉れ、Mrs Kratzも合流して2家族4人で夕食を楽しんだ。その時次回は自分の別荘に是非来ないかと誘われて分かれた。

  今年のISICが近づいてきたので、Edi. の様子を尋ねてみようと手紙を投函した。日本からヨーロッパへの航空便は一週間くらいで着くのでそろそろ手紙は先方に着く頃かなと思っていたら、朝7時頃Edi.から電話を受け、「 豊倉の提案は全面的にOK、Faxを送るので詳細は来週末まで待て 」という連絡があった。

  これから先の旅行予定の詳細は未だ決めてないが、Edi,は世界の晶析分野に精通しており、スイスの勝景地で、Edi.とこれからの晶析技術を討議するのを楽しみに準備を始めようと思っている。


Dear Dr, Edi and Mrs Ursula Kratz

    We have missed you for about 10 month, since we met you in Zurich, last July. We remember your hospitality in Zurich quit well and would like to express our appreciation for you and your wife.
As you know, ISIC17th will be held in Maastricht, Netherlands, this coming September, and my wife and I will come over to Europe, to attend the Symposium. ・・・・・・・・・・

    We are looking forward to hearing your convenience for our requests, and your recommendation and reservation for our plan and accommodation of 5th to 7th Sept. in TICINO. We would like to express our appreciation for your early kind reply in advance.

We would like to express our appreciation for your quick reply in advance. Sincerely Yours Ken & Hiroko Toyokura 7th May, 2008




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