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豊倉賢略歴
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2008 A-2,1: 豊倉 賢  「 2008年新春に思ったこと 」

  今年、初めてMRIによる脳ドックの検査を受けまして、血管等は鮮明できれいなようでしたが、大脳が少し小さくなって来ていると聞かされ、順調に年をとって来ていると思いました。現実には今でも、企業所属の晶析装置担当の人達と時々晶析技術の開発について討議することがあります。その時、かって自分の研究で提出した晶析理論に関係したことで未完成のままにしてきた部分に気がつくと、今のうちに仕上げておこうと云う気になります。一人になった時に、そこで対象になる現象を考え、すでに提出した理論を思い浮かべながらその問題を解決しようと思って新モデル想定し、新しい基本式を研究することがあります。その式を変形してその現象を纏めようと思った時、そのひらめきの遅いことにもどかしさを感じることがだんだん多くなってきてまして、何時も年のせいかと思っていました。今年、自分の脳の写真を見せられてその変化の説明を聞いて、これからの時間を大切にしなければならないと云う気になっています。

1)真実を聞かされた時の気持ち:

  これから週2日勤務の生活になりましたというメモのある卒業生からの年賀状を受 け取って読んでその人達が豊倉の年になるまでにまだ15年あると思った時、今回の記事を書こうという気になりました。既に定年を迎えて退職後の新しい生活を始めている卒業生は増えて来てますが、これから定年を迎える人はまだ大勢いまして、その人達も時間のある時には定年後の夢を見て、何か考えておくことは大切ないかと思っています。いくら元気な人も何時かは必ず老化現象が始まってると聞かされることがあると思います。その時何を考えるかは人によって異なることでしょうが、豊倉が脳ドックの主治医から私の脳の話を聞いた時、来るものが来たと何となくすっきりした気持ちになりました。この先生には、ここ数年、家内がお世話になっていまして、穏やかな雰囲気の親切な信頼できる人でしたので、その話を聞いてホットしたのかも知れません。豊倉は早稲田大学を繰り上げ定年で少し早めに退職した時から、これまで生きてきた70年間に経験したこと等を何らかの形で、これから定年を迎える卒業生達に残しておこうと思っていました。その一方で、退職後新しく学んだ事象や知識をこれまでに経験したことや考えたこと等と対比して、これからの世の中のあるべき姿を考えるのに興味を憶え、それに時間を取られて今になっています。それでも早稲田大学を退職した頃から、75歳位までに自分の過去を振り返って自分の気持ちを整理し始めようと思っていました。それが今回、脳ドックの主治医の話を聞いて迷うことなく、卒業生や研究室のHPに関心のある人達にこれまで考えていたことを書いて、それについて意見を聞けたらと思うようになっています。

  研究室のHPは、4年前に始めた時から卒業生が社会で活躍する時、自分の考える独創的な思想・哲学によって自信を持って行動出来るような環境を構築するのに貢献する記事を掲載するところに出来たらと期待して始めまして、その基本方針は今までも少しも変わっていません。その内容は、目先の利益や損得に拘ることなく将来の発展に繋がることで、しかも、他人に迷惑を掛けることなく、時代を越えた将来の文化や社会の発展の礎になるものに力を入れられたら考えています。現実には豊倉が早稲田大学の研究室で晶析研究を始めて以降続けて来た研究活動の基本思想として一貫してきた工学思想「C-PMT」に基づいて活動してきた卒業生やこの思想に基づいて提出された晶析研究成果等に関心のある研究者・技術者が独自のアイデイアに基づいて行う新しい活動を支援できるような環境を自然に構築できたらと期待してます。そのためにはお互いに協力し易い環境を作ることが有効で、具体的にはその人達はお互いに意見の交換を重ね、またお互いの近況等を連絡しあって何時でも協力出来るような関係や環境を構築しようと思っています。そして、このHPが今まで以上にそのような活動支援に貢献できるようにしたいと云う気持ちをもっています。

2)年の初め気がついた2〜3のこと:
  最近、一日の時間の使い方が現職時と異なって、テレビを見る時間が多くなってき ました。そのテレビを見て気がついたことにそこから得られる情報は、最近のニュースに関連することだけでなく、近頃忘れがちになっている日本の誇る伝統的な文化や世界文明発展の経緯、それに拘わる各民族と宗教・文化の変遷のドラマなど、現在社会を考えるのに欠かすことの資料の提供があることです。その中にこれからの社会・国家を考えるのに必要なものがりまして、ここではその中で最近見たテレビで感じたことを2〜3取りあげてみます。

2−i)今年始まったNHK 大河ドラマの再放送を見ていたら、島津家一門の「篤姫」が謹慎中の大久保邸?に行った時、その生活のみすぼらしさを見かねて気の毒に思い、利通の母に姫が髪に挿していた自分の簪を差し出したところ、その母は「自分達はいくら貧しくても「誇り」を持って生きています。」と云って、それを受け取らなかった場面がありました。最近のニュースの中には、一流企業の詐欺まがい?の仕事振りが多く報道され、それが表沙汰になるとその企業の社長以下責任者が出てきて「申し訳ありません。」と云って頭を下げるシーンが多くなってます。それは、悪いことをしても、見つからなければ、ごまかせるだけごまかそうとしていたのが、隠し通せなくなって謝っているようで、余りの恥ずかしさにテレビを消したくなることが多くなっています。その都度、子供の頃よく聞かされた「日本人の誇り」はどこへ行ったか嘆いています。教育問題というと試験の点数を上げることばかり議論していて、安心して社会生活を送るのに必要な教育のことを日本人は忘れてないかと反省させられてます。

  豊倉が、1966年アメリカ、アラバマ州のTVAの研究所で、晶析研究を行っていた時、一緒に研究していたMr.C.Smithと、アメリカに来ていた種々の国の人達の話をしたことがありました。その時、彼は私に「お前は自分が日本人であることを誇りに思っている。国民が自分の国を誇りに思ってないような国は栄えない。」と後者の国を軽蔑したような態度で云ったのを思い出してます。その時彼はさらに、「日本人は自分の国に誇りを持っており、これからも発展をし続けるだろう。」と云われたことがありました。豊倉がそこでの2年間の研究生活を終わらして帰国する時、Cartierは、「TVA の研究所でお前と一緒に晶析研究を行ったことを誇りに思っている。有り難う。」と云われました。また、豊倉は1980年8月にヨーロッパの代表的な晶析関連エンジニヤリング会社、Standard Messo社に一ヶ月滞在して連続晶析装置の設計線図を提出して帰国したことがありました。その時、その一ヶ月間豊倉の世話をしてくれたMr.G.HofmannはDuisburgのStandardMesso社で豊倉と一緒に研究したことを誇りに思うと云ってくれました。彼とはその後も時々ヨーロッパの国際会議で会ったことはありましたが、2005年にDresdenで開催された16thISICで15年振りに会った時にも、1980年に豊倉がStandard Messo社で設計線図を提出したことを光栄に思っていると云ってくれた。海外では種々の国の人達と会うと、その人達に、自分の国のよいところを紹介する機会があります。その時自分の国の良さを誇りに思って話せないような人は、軽蔑された眼差しで、お前はどこの国の人間かと聞かれそうな空気になることがあります。人は皆何処の国へ行っても自分の国によって守られるモノです。国民はまず自分の国の法律を遵守し、自分と自分の国を誇りに思えない人は、その人もその人の国も世界の人々から信頼を受けることは出来ないと思っています。最近の学校では児童や生徒に人間としての「誇り」教えているのだろうか?と疑問に思うことはしばしばあります。特に海外旅行を楽しんでる日本人の中には周囲に人達の迷惑を顧みない、お行儀の悪い人をよく目にします。また日本国内で旅行する親子連れを乗物の中で見ると、マナーの悪い子供を躾ようともしない親をよく見ます。そのたびに、その家族は自分たちの誇りを考えてたことがあるのだろうかと疑いたくなります。特に外国人と一緒に仕事をする時「誇り」の持たない人は周囲から疎まれ、一緒に仕事をしていてもその行なっていることは信頼してもらえないような気がします。

2−ii)数日前、高村外相が国際会議に出国する前のテレビで、日本国の特徴を世界に認識してもらえるようにならなければならないと云われるのを聞きました。戦後、日本は技術立国に成功して世界に知られた産業国家になって、これまで経験したことのない繁栄に恵まれました。その頃は「技術先進国」と云えば、「日本」、また「日本」と云えば「技術の進んだ国」と思われていたようです。しかし、バブル崩壊後その立場は、後発発展途上国の急激な発展によって危惧されるような状況になって、かって世界に誇った日本の生産技術もその地位を保っている業種の数は大分減ったようです。その一方で、最近の日本は公害対策技術先進国と思っている日本の大臣もいるようですが、諸外国からは炭酸ガス対策では日本の遅れが海外から指摘されてるようで、日本国のイメージアップに外相が躍起になっている様子は他人事と思うことは出来ない状況になっています。大臣の話す技術立国を対象に考えるとそれはその技術に関する総括的な評価に基づくモノで、その技術に携わる研究者や技術者、企業などの法人すべてのレベルが高度であることが必要です。それらのすべては国策としての将来構想の傘の下で集約されており、当面の生産技術で生産される製品の質・量および生産コスト、販売コスト等のすべてにおいて高度なモノであることが必要と思います。それを考えると担当大臣は個々の研究者や技術者のみでなく、それらを結集してものを作る法人企業の活動成果まで総合して評価されるようになって初めて世界の国々から技術立国として認められるようになると思います。この時は大臣の下で働く役人の真の貢献も忘れることは出来ないことです。

3)モノ作りの工学研究とそれに関与する研究者と技術者の仕事:
  新しい高度生産技術を完成するには、その技術によって生産される製品が広く世の利用者から評価され、求められように行政府によるサポートが必要なことがあります。しかし、その製品を生産する根幹部の技術は、研究者によって提案される「原料からスタートしてユーザーの要望に応える製品を生産するまでのプロセス」を、技術者が発展させて開発する「その製品を安価に必要量安定して生産できる生産技術」を完成させて出来るモノです。その流れの中における研究者と技術者の仕事の区分は、多くの場合何となく出来ているのですが、時としてはある程度混然としていることもあって、実際にはケースバイケースで最も成果のあげやすい協力関係を作って進めることがよいようです。最近の生産技術のように高度化が進むと研究者の主な仕事と技術者のそれとの間には可成り明瞭な差異が見えようになっていまして、お互いに相手の立場を尊重しあった関係を構築しながら開発研究を進める方が効果的と考えています。

  最新の技術開発においては生産する製品の姿が漠然としている段階から生産活動の出口を決めて、それに適した製品生産技術の開発研究を進めることがあります。この初期段階では自然科学的発展の理論や哲学に従って進めることが大切で、その段階では階段を踏み外すことがあるかも知れないような不十分な準備で方針を決め、その方針で研究を進めては未知な世界で新しい道を開拓しながら新製品を生産する技術を開発することは難しいように思います。この段階では実証を繰り返してしっかりした足場を築き、その上に次の足場を築いて進む化学工学研究者のPMTの道を進むことが効果的と考えています。しかし、取り組む問題と類似な課題が世界のどこかで研究されて既に成果をあげている場合は、それを最大限利用する“IKW”の道を歩むことも大切と思っています。この“IKW”は、某研究支援財団の会議の席で、隣の椅子に座っておられた著名な某名誉教授の先生が私に個人的に話された「研究を進めるにはまず“ I ”情報を集めて豊富な“ K ”知識を蓄えることが必要で、その中身をよく考えると“ W ”知恵が形成され、それによって新しい道を開いて求めていた答えが出す道を進むのが研究者にとってよい。」という話のことです。技術開発の進め方には研究対象に適した進め方と研究を行う人が持っている感性にマッチした進め方等がありまして、それらの道の選択は、実際に研究に従事する当事者自身の判断で行うことが良く、その研究哲学に従って研究を進める時に当事者が出し得る最高の成果をあげるのでないかと思っています。このような研究手法で得られる研究成果は、対象になる物質が変化する時の前提条件と物質変化の特性が明らかで、その上で、その物質が変化・形成するプロセス系全体が置かれる環境条件が規定されると、その物質が変化していく姿を時間の関数として定量的関係式で表現できるものです。この関係式は科学的方法で研究された時の回答で、すべての関係因子がこの定量的な関係式の中に包含され、それが、最終製品で対象になる物質の特性をも表していると、その式によって「原料」とそれを処理する「装置・操作」およびそれによって生産される「製品」のすべてを同時に表されることになります。一般にこの式を作るところまでは研究者の仕事ですが、技術者の仕事は、その式の通り装置を作り操作することによって所望の製品を生産することです。いずれにしても、このような理論が完成すれば、技術者はその式に数値を入れて所望製品を生産出来る式を作り、後はその式の通り装置を作り、操作することによって希望通りの製品を生産することが出来ます。

  ここで、話を現実の問題に戻しますと、すべての環境因子を抽出することも、またその特性をすべて正確に捉えて表現することも非常に難しいことです。しかし、正確な数値を捉えられないからと云っても、現実に要望される物質を生産するのが技術者の使命で、そのため実測できる測定値を近似的に研究者が提出した関係式に適用して、ニーズに応える満足な製品を生産しなければなりません。そのため企業技術者は、このような近似値を用いても所望製品を生産できるように工夫する方法を確立することが必要となります。この方法はある程度は過去の経験を生かして出来ることもありますが、実際は個々のケースに対応した工夫を提出することが必要です。これを短期間の研究で提出するには、それを担当する技術者本人の感性と経験等によって身につけた特殊な才能を必要とすることがあります。

  研究者が関係式を提出するときに想定したモデルと生産プラント現場の実体との違いによって生じる問題を解決するのに、技術者は関連ありそうな過去の資料をチェックして類似問題を扱った資料を運良く見つけることが出来ればそれを参考にすることは有効です。その作業は先ほど触れた研究者が用いる“IKW ”と似たように思えますが、それのみに頼るのでなく、自分の過去の職場経験等から生み出したKnow-Howのように考えて研究をするのもよいことと考えています。この段階になると研究者が技術開発に貢献する内容は技術者が果たさねばならない目的のために行う研究と可成り異なって来るものです。しかし、研究者としての特性と技術者としての才能の両方を持ち合わせて特殊な才能の持ち主は両者の仕事をこなすことも可能と想像してますが、一般的には兼務はしない方がよいように思っています。

4)むすび
  人類の歴史を考えると、個人の一生は短いモノですが、現代のようにグローバル化 したIT時代では、個人も一生の間に非常に多くの情報を得ることが出来ます。それを有機的に活用して発展させることの出来る者は個人でも集団や国家のような集合体でも永続的発展を続けて、繁栄を持続することが出来ると思います。この段階の発展においても、扱っている課題をじっくり腰を据えてよく考えて発展させる方法と、自然に耳に入ってくる多種多様の情報を選別しながら取り入れ、そこで得た情報に基づいて将来の発展に繋がる新しい課題に取り組む方法とがあります。そのような場合にどの道を進むかは、何が起こるか分からない現代社会の将来を考えた場合、この両者の進め方を調和させながら発展を図ることが必要なように思います。そのような考え方は、現職を引退して第2の人生を大切に考えるようになって、初めて真剣に考えるようになった気がします。


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