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豊倉賢略歴
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2007 A-9,1: 豊倉 賢  「 3/4世紀間の人生を振り返って、これからを考える 」

  人間は一生の間に何度も人生の節目に突き当たり、それを乗り越えるたびに一つずつ経験を重ねて成長するものです。自分が生きてきた過去を振り返ると、自分が生まれ育った家から小学校に通学するようになった時、急に自分の周囲が広くなり、全く別の世界に入って緊張したことを鮮明に覚えている。それから6年、小学生生活を送って中学生になるとそこでは、突然大人扱いされ急に偉くなったような気になると同時に、自分の未熟さに驚いて毎日をどのように過ごしたらよいか考えさせられたことがあった。このように日本人は、子供の頃から日本の教育制度に従って年齢によって区切られる節目を経験し、その時々に自分がどのように変わったか考えてみると、その前後で大きく変わって行ったことに気付いたこともあった。ここで、自分の人生で特に大きく変わった時を「節目」と考えると、人はそれぞれ自分にとって忘れることの出来ない大切な節目が思いのほか多かったような気がする。豊倉は横浜の市立小学校から中学校を受験して旧制度時代の中学生になったが、その頃の中学進学者人数は小学校卒業生の1/3か1/4であって、それが公立中学校への進学者数となると1/10位しかいなかった。そのためか、中学生になった時には将来も考えて社会における自分の立場の変化を自然に意識し、それまで思ってもみなかったようなプレッシャーを感じた。今から思うとそれは、子供から大人になる時の人生の大切な節目であった気がする。

  人は、毎日の生活の中で多くのものを学び、また新しい工夫を繰り返して成長する。その過程で物事の新しい因果関係やこれまで余り気付かなかったことに対して、新しい価値を独自に見出したりすることがある。その時、人は飛躍的に成長し、その人固有の人格形成に寄与する。特に節目の時には、一度に多くの新しい物事に触れることが出来、その中から自分に関する重要なものを選別し、慎重に考えることによって、その人が将来活躍する可能性のある範囲を拡げることが出来るのでないだろうか?

1)人生の歩む道:
人は、新しい成果を上げる見通しなくこれまで行って来たことと同じことのみ行っ ていたのでは、その人の発展性を見出すことは出来ない。そのため、人は健康な生活を続ける限り、前日と違ったことを毎日の生活の中で行うようにすることが望ましい。しかし、そのように何か新しいことを毎日の生活の中で行って、前日を越える新しい意義ある生活を毎日繰り返して続けることは殆ど出来ない。そこで、日常生活の中に新しい意義あることを毎日行い、そのおのおのについて自分の関心度合いで意義の程度を判断し、それらを一日ごとに整理して自分の生活が、目に見える形で進歩していると思って納得した生活を送ろうとする人がいる。しかし、実際は、日常の生活を毎日確実に評価するのでなく、実際に生活(実際に行っている仕事を含む)している人が自己評価をするために妥当な期間における主要な評価項目の進捗状況を考えて行うことで都合良く判断しているようである。この方法は当事者自身に便利なことであるが、余程のご都合主義にならない限り第三者も認めるような本人の期待に近い評価が出来る。人は自分にとって厳しい評価をし続けると途中で成果が見えなくなり、頓挫して何も前進しなくなる。だからと云って、その評価がご都合主義になって非現実的なものになるとそれは意味のない評価となり、何も本人の進歩に役立たなくなる。それでは、このようなことをする意味が亡くなってしまう。

  ここで対象にした内容が他の複数の人達にも関連がある場合、その人達の評価が同じであれば概ね結構なことで安心して先に進めることが出来る。しかし、それを進める過程で、その判断の根拠が現実と食い違ってきた時はその評価結果を再検討することが必要である。しかし、複数の人達の評価が割れて異なった場合、この評価の対象が私的・個人的なものであれば、当事者の評価を優先させてよいと思うが、その内容が社会全般に関係するようなものであれば、それに関心のある人達の評価に耳を傾けて慎重に判断する必要がある。一般に立場の異なる人が評価する結果は、それぞれ異なったものになるのは当然であり、そこで評価される対象が複数の人達の生活等に関連し、しかもその評価結果に基づいて次のステップに進める場合には従来の常識やいわゆる経験豊富は著名人の意見に左右されないように注意する必要がある。そこでは、その被評価対象事項に係わった人の評価理由を慎重に検討することは当然であるが、さらに、評価を行った人の評価根拠をよく考えて、公平な評価・判断をした関心ある人達の発展に生かすことが大切である。

  ここでは、主に個人生活を対象に考えを記述してみたが、企業等における組織的な活動においても基本的には全く同じことと考えている。人は社会生活を行っている以上、その人が個人的に構成している家族やそれと近い気持ちで接している親しい仲間等との個人的な生活環境(時には自分達の生活と密接な関係のある身近な近所の生活環境も含む)とその人が社会の一員として社会に貢献すると同時にその活動成果に対する報酬の支払いを直接受けるその人が所属している企業体等の組織環境とに所属している。人が実際に生活する場が、そのどちらに重きが置かれるかは個人のことであり、その生活形態等によって異なるが、豊倉の3/4世紀を振り返ってみると、その両方に等価な足を置いてきたような気がする。それらの環境において実際に行われる行動・判断の仕方はどちらの世界においても複雑で、そこで対象になる種々に因子の消長は激しく、またそれらは復相を形成してその進む方向を見極めることは非常に難しい。しかし、どちらの世界においても本質的な差異は少なく、そこでの行動や判断については紆余曲折は許されるにしても、大局的にその選択を誤ることは取り返しのつかないことになることを肝に銘じて人生を渡りきることが大切と思う。

2)これまでに生きてきた3/4世紀を振り返って考えてみると:
毎日の生活を基に人間生活を振り返ると、5年、10年の間に起った変化はその直前 の日常生活から比較的容易に考えられる想定される範囲のことが多いように思われる。しかし、20年、30年経ってからその間の変化を考えると、その大きさに驚かされることは多い。そのように思ってみると、豊倉が生まれた昭和一桁時代とそれから3/4世紀経った現在の世相・社会・文化を比較してみた違いは、日常生活から想像される範囲を遙かに越えていると思えることが数限りなくある。その個々のことに対する記述は、別の機会に行うとして、ここでは、その意味とこれから数十年生きる場合に起こるであろうことを想定して議論してみる。

  人が生活している社会を動かしているのは、その社会で活動している人達の考えであり、力であり、そしてその社会を形成して来た文化である。ここで活動していると考えられる人は、生まれて20〜30年以上経って形成された人格の持ち主であり、その人達の考えは時代の変化につれて徐々に進化・発展して行くものの、短期的に見れば紆余曲折があって、単調に発展するものでない。例えよい考えが提出され、多くの人の賛同が得られてそれを直ちに適用すべく、現実の社会を否定・変更して賛同が得られたように改革しても、混乱を招くだけになることが多い。そのため、このような改革は社会を構成する人々の理解と賛同を得ながら徐々に進めなければならない。このように徐々に改革を進める立場で、自分の進歩・発展を比較的短い期間の過去の社会の変化やこれから進行すると予想される近未来の変化と比較してみる。

  その対象範囲は現在を中心に2〜3年の過去・未来に対して(長くても5年以内)想定すると、現状の多くのことは5年前に予想していた範囲の中にあり、これから先の将来についても、恐らく同様な想定の範囲内にあろうと考えられる。そのように考えると、現在のように平和な日本において色々なことを勉強し近未来の社会を予想してもその社会は、現状と同じような生活水準を維持して平和な生活をするために特別な対策を考え、準備をする必要はないように考えられる。このことは言い換えると、少なくとも、過去5年間の自分の周囲を観察して現在の生活を考えると、それは、その前の5年間に起こっていたことを単純に思い出し、その延長上に想定される枠内にある。そのように考えると、これからの5年間についても最近5年間の事実を思い出して、その延長・外挿上から考えられること対して対策を取れば良いと云う考えになる。ただ、この外挿においても時間軸に対して一次関数として考えるか?n次関数として考えるかは、人によって異なるところであり、そのことの詳細は、問題の提起に留めてここでは議論しない。ただ、このような問題を考える場合に、目立った混乱なく、その改革をスムールに進行させる過程は、平和で幸せな社会を構築するためには極めて重要なことであり、このことを考えて人間としての自分の進歩発展を考えることが重要である。

  ところが国の10年、20年先を考える責任ある人はここの議論に甘えてはならない。特に世界の最先端を行く社会に生きる国民は10年、20年先を予測することは難しいが、それでも真剣に考えておかないと、気付いた時にはその国の社会は諸外国より10年、20年遅れていることになるのでないか? 今年の日本の選挙とフランスの選挙を比較すると議会政治に対する国民の意識に大きな差を感じるような気がする。

3)人の生き甲斐は?:
人は生活するためにそれ相当の生活費がかかり、それを受け取るために社会に対 して何らか貢献をしなければならない。その貢献は人の一生を通じて行なわれるもので、それに対する見返りも一生かかってなされる仕組みになっている。人の生活費は、おおよそ本人の年齢に応じて次の3分類(A:親等の扶養による、B:勤労報酬による、C:種々の年金等による)にて行われている。人間が安定した社会生活を営むためには、安定した収入源を持つことは大切で、本HPは豊倉研究室卒業生等を主な対象にしており、その意味では皆、安定した収入源を持っており、その枠内で、安定した生活を送っていると云う前提で以下の記述をする。

分類A:の人達は概ね20歳代前半までの学生時代であり、自分の明るい将来を信じてそれに向かって学業に励み、豊かな教養を身につけるべく種々のことを考えながら生活して、充実した人生を送る。

分類B:の人達は既に大学を卒業あるいは大学院を修了し、そこで修得した専門分野の知識等が評価されて社会から嘱望され、これから発展が期待される分野で活躍している。そこでの競争は厳しく、自分の適性を十分考えてそれを生かすように活動して、他の同僚とは違った成果を上げている。その結果、上司を含む周囲の人々から信頼され、担当している業務の成績を伸ばしながら社会に貢献している。このような成果を上げると関連する分野の人々からも評価されて人脈を徐々に拡大する。そうなると活躍する範囲は益々拡がり、広い周囲から意見も求められるようになって、充実した人生を送ることが出来る。多くの場合、このように人生の充実した時代を60歳前後の現職時代後まで続くことがあり、自分の活躍に対して最も生き甲斐を感じる時代である。しかし、このような充実した現職時代においても、長い間には全ての活動が順調に進むわけではなく、時には自分の仕事を伸ばそうとする方向に対して逆風が吹くこともあって、それを辛抱強く我慢しながら乗り越える努力をしなければならないこともある。このような経験をすることはその人の人間性充実を図る上で極めて重要なことであり、そこで、得た貴重な経験を後継者等に伝えることは、自分の所属した職場の文化を形成する上でも必要なことである。

  このような時代を経験して、現職を退くと分類C:の時代に入る。この時代が、何時から始まるかは、各個人が自分に対して決めるものであり、退職してすぐにこの時代に入る人もいるが、現職を引退しても数年間は現職時の経験を生かして活動し続ける人がいる。人は、自分が意義を感じて活動をしている時、それが、人のため、社会のために貢献していると思えた時生き甲斐を感じるものである。人生の多くの節目で生き甲斐を感じた人は充実した一生を送ることになるのでないだろうか? 最近の日本は世界の長寿国になっており、定年を迎えてからの人生を如何に過ごすかが重要になってきている。豊倉研究室の卒業生も定年退職を迎える人が多くなっている。

4)理工系研究者・技術者の退職後の活躍に期待するもの:
1966年12月、豊倉がアメリカTVA公社研究所の招聘を受けて北アラバマ州の地 方都市で生活を始めた時、そこでは80歳を越える老人が元気に生活しているのを見て、アメリカは、何と裕福な長寿国かと思ったことがあった。それから、1/4世紀経った頃その町を再び訪れた時、町の様子は25年前に初めてこの町に来た時と余り変わっていなかった。その時、この間の日本の成長が早く、その変貌振りが著しかったのと較べて国の発展は何がよいのか考えさせられたことがあった。戦後に起こった日本の高度成長は、昭和30年代(1950年代後半に)に始まり、20世紀末のバブル崩壊まで続いた。この間の経済成長は世界の驚異であって、諸外国との間の経済力の差は年々拡大を続け、日本人にはそれが何時まで続いても不思議に思えない程の勢いであった。その結果、日本人の所得は増え、日本人の平均寿命も長くなって、世界の長寿国の仲間入りも出来た。そのようになっても、この間の経済発展に貢献した人々の多くは、日本の産業が隆盛を極めた時と同じように働き続けて工業生産の増大を図り、財産の蓄積を行った。その結果日本国内の物資は豊富になったが、市場が必要とする量を越えた生産過剰も品物によっては起こり、その弊害も目立つようになった。生産物の実質的な価格低下を起こり、経済や社会の進め方に矛盾が生じるようになった。それでも、為政者や経済界のリーダーの中には目先を変えた新しい投資を考え、さらに経済の発展を目指した結果、黒字倒産も一部には見られるようになった。

  豊倉は、日本の経済が発展を続けていた1980年に、早稲田大学在外研究員として、4ヶ月間ヨーロッパ9カ国の大学・研究所・企業を訪問し、晶析を中心とした化学産業の生産技術やそれを支える工学基礎研究および化学企業の将来について討議した。当時ヨーロッパ通貨はユーロに統一される前のことで、その貨幣価値を現在と同一に議論できないが、1ドイツマルクに対して日本円は125円ぐらいしていて、豊倉が1968年アメリカからの帰途ドイツによった時の日本円90円に対して30%以上高騰していた。その時1ケ月滞在したDuisburgにあるStandard Messo社のDr.Messing社長は、「現在の日本の発展は素晴らしいが、ドイツの化学産業は日本には負けない」とはっきり話していたことを今でも鮮明に覚えている。その時、私は日本人のドイツ人に対するコンプレックスで、ドイツのプラントエンジニヤリング協会の会長も務めていたDr.Messingから「そのような話」を聞かされるとは夢にも思っていなかったので一瞬驚いたことがあった。その時、彼は「現在日本人はDuesseldolfに3000人滞在しているが、東京にはドイツ人は何人いると思うか?精々200人くらいでないか? それでは、相手国を学ぶと云うことにドイツは日本に叶わない。東京に滞在するドイツ人はもっと増やさなければならない」と云っていた。

  1980年当時、ヨーロッパで会ったドイツ人は日本経済発展の素晴らしさを正当に評価しているように思えたが、自分達の実力や進めている方針について、機会を見ては反省する姿勢を崩していなかったが、信念をもって進めていた姿勢に敬服を感じた。これは、ルネッサンス以降キリスト教文明が発展して今日の繁栄を築いたことに対して、自信を誇りを持っていることを感じた。その一方で、ヨーロッパのリーダー達は、各自が充分検討して決めた方針を迷うことなく自信を持って進めており、それよりヨーロッパの将来は明るく輝いて見えた。

  最近、先進国の発展を見ると、アメリカはずば抜けた経済力にものを言わせて世界中から実力者を集め、その力を結集して永続的な発展を続けるように進めている。ルネッサンス以降長期に亘って発展を続けてきたヨーロッパ人は「お互いに尊重してきた独創的なイアイデアに基づいた研究成果や技術」を駆使して永続的発展を目指している。それに対して、明治以降欧米先進国に追いつけ、追い越せと努力してきた日本は、幸運にも奇跡的な発展を遂げた。しかし、それは250年を越える長期安定社会を維持した徳川時代に培われた日本人の礼節をわきまえた真面目で勤勉かつ辛抱強い資質の賜であった。しかし、今日のように高度化した世界の理論・技術を欧米研究者・技術者と競って日本の研究者・技術者が発展させることは、明治以降進めてきた日本的・後進国的な方法のみでは目的を達成することは出来ない。それには、日本の風土・文化の特徴を生かすことは当然であるが、それに加えて、日本でこれまでに研究したオリジナルな理論・技術の開発経験を生かした日本特有な開発手法の構築と、それによって提出するオリジナルな理論や技術を発展させることが必要である。それは、斬新な発想のある、すぐれた才能を持ち合わせ研究能力のある若い研究者・技術者を養成しなくては目的を達成できない。しかし、このような研究者は人から教育されて育つものでなく、これまで日本で独自に行われたオリジナルな理論や技術を提出した時の話の中に参考になるヒントがあるもので、それを聞いた研究・技術者が刺激を受けて育つものである。これからの日本では、オリジナルな研究開発を行った経験のある元気で頭の冴えた退職者が増えることが予想されており、その人達に人生の有終の美を飾る活躍をして頂けたらと期待する。

5)むすび:
今回のHPの中に鵜池さんが2007C9−1,1を寄稿されたが、その中に豊倉もヨ ーロッパに行って来た話がある。その記事の中で鵜池さんとスイスで会った前日(7月20日)に最近退職して国際的な化学工場建設コンサルタントの仕事をしているスイスのF氏に会った。彼は長年日本・米国の化学装置建設に関連した仕事に従事していたが、最近では東南アジアの化学工場建設の仕事を行っており、特に21世紀前半の化学工場では中国・その他のアジア諸国の建設ラッシュを予測していた。これらの工場の建設は確かに順調に伸びていくことと思うが、近代化学工場は西欧文化の上に構築されてきており、それが戦後の日本化学工場のような推移するためには、西欧文化と東洋文化の調和は不可欠である。この点、東南アジアの永続的な発展には、不透明な要素を含んでいるような気がしている。しかし、長期的にはこのような影響を受けることは少なく、日本の近代化学産業も、西欧諸国のようにオリジナルな新生産技術の開発を行って永続的な発展を続けることは必要不可欠である。そのためには、オリジナルに新生産技術の開発をした経験のある退職技術者の継続的な貢献を期待しており、必要に応じて本HPのご利用に対して便宜を図る積もりでいる。    


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