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2007 A-1,3-2 「 平田彰先生を偲んで 」鶴岡 洋幸 1970年大学院修士課程修了  (工学修士)
              北陸先端科学技術大学院大学 科学技術開発戦略センター 拠点形成研究員


 “4月13日(金)に平田先生がご逝去された”という悲報に接したのはその3日後、後任の常田先生からのメールであった。“先生は奥様を見舞った病院で異常を訴えられて入院し、その後ICUへ移り急変された”との事で、ほんの2週間前の応化会の講演会でお元気な姿を見せておられただけに驚愕と残念の感を強く致します。

 平田先生との出会いは、1965年4月に応用化学科3年に成って化工コースを選んで単位操作を教わった事から始まります。単位操作の授業は具体的でとても面白く、それ以前の授業の物事の理論や原理に対して、理論と数学を使って化学設備の設計法を教えて頂き、社会人としては当り前の、経済性で物事が判断される事を初めて実習できた。

当時は日本の高度経済成長真っ盛りの時期で、あちこちに化学コンビナートの建設が進み新しい化学プラントが稼動を始めていた。日本の貿易バランスが赤字から黒字に転換し、US$ベースの日本の化学工業出荷額が西ドイツを抜いて西側諸国では米国に次いで2位になった(1968年)時代である。このため、化学工場の建設設計に有用な化学工学は、時代背景の後押しもあり、意気盛んな風が吹いていた。化学工学コースは、西早稲田の本キャンパスから今の大久保キャンパスに移転して(1964年から)、新しい化工用の建物に石川教授、城塚教授、平田先生、豊倉先生等を指導教官として、1学年の学生40名の規模であった。化工コースは学生数が少ない事もあり、家庭的な雰囲気で纏まっていた。城塚研は、城塚先生を長として平田、豊倉両先生を若手の強力エンジンとして学会でも大活躍されていた。私は豊倉班に所属したが、学部4年から修士1年まで豊倉先生は米国TVAに留学され、留守番部隊に成っていたので、この間の指導は主に城塚先生にして頂いたが、普段の生活等は平田先生と、博士コースの酒井さんにお世話を頂いた。平田先生には、鼻声で「つるさ〜ん」と呼ばれていたので、ふわっとした声を今でも後ろから掛けられそうな気がする。

 卒業後の話に飛ぶが、シンガポール駐在員を努めていた1981年頃に、平田先生がご家族4人でシンガポールに来られて我が家を訪問して頂き、南国のやしの木が生えている庭で大学時代の懐かしい話をご家族共々とした。明るく快活な奥様を始め、とても良いご家族だったのが印象に残っている。

平田先生との関係で一番びっくりした事は、“こちらから積極的に売り込んだ訳ではないのだが、ヘッドハンター(後で判ったことだが)に薦められて外資系の会社の外人会長と帝国ホテルで会談して『今度うちの会社に遊びに来てくれ』と言われ、断る積もりで外人会長を訪ねると、『社長に会ってくれ』と言われ、面談した社長が応化の先輩で平田先生の同期であった時”である。社長は「私の同期の平田教授を知っているか?」と初対面の私に言われたので、“世の中悪い事は出来ないものだ”とめぐり合わせに驚いた。この一件でその社長の指示に従って、新しい道を踏み出すことになった。ずっと後で平田先生からお聴きしたが、「社長から私(平田先生)に電話が入り、『彼の成績や能力は?』と聞かれたので、君の実力を評価して、『彼なら大丈夫』と答えておいたからね!」と言って頂き嬉しかった。この転職の話は、向こうから降ってきた話だったので、本当に迷ってしまって、どうするかを豊倉先生に相談した。早稲田大学を卒業し社会を生きてきた中で、この相談に乗って頂いた事が私の人生で一番有難かった事の一つであり心から感謝を申し上げたく思っています。今の大学で学生への就職相談もやっているが、これが契機で学生には人生の悩みが有った時には、いつでも相談にのるから訪問しなさいと自宅の住所を知らせている。

 大学にてそして社会人になった後も、平田先生には多くの学生に対し慈愛のお心でサポートを頂いたので、すばらしい先生を亡くしてしまったのは、本当に寂しい気がする。良く授業中に「会津は明治維新で賊軍になったので、維新後は政府よりいろいろな差別を受けた」と言われていたが、先生の頑張る力はこの辺から来るのかも知れないと思ったりもした。 告別式で、“先生は早稲田をとても愛しておられた”とのお話が何回か出たが、私の校友会活動の経験からも、大学のマンモス化に合わせて団結力が弱まっているのは事実である。その点、家族的な化工コースで過ごせたのはとても有難かったと思っている。

平田先生、ご指導とお世話を頂いて本当に有難うございました。頂いた慈愛を、次に引き継いで、良い循環が出来ますように私自身も努力したいと思っております。その様な後輩共を叱咤激励して、温かく見守って頂きたく宜しくお願い致します。
先生!どうか安らかにお眠り下さい。 合掌。

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